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久しぶりに旧東海道歩きに来ています。今頃(5/15午前10時前)小田原駅から一歩を踏み出した頃でしょう。前回旧東海道を歩いたのは、2022/11のことでした。その時は三島から箱根峠越えで、旧街道歩き旅の中でも印象深いものがありました。そして夕闇迫る小田原城下町にたどり着いて…あれから1年半ぶりの再開です。今回は2泊3日の予定です。ひたすら旧東海道を歩けば、大磯~平塚~藤沢~戸塚~保土ヶ谷~神奈川宿までは行けると思いますが、小田原城及びその遺構も見てみたい
24.5.11(土)朝、自宅を出て盛岡駅前の牛丼店で朝食。ここまでは前回と同様だが、盛岡駅西口7:20発の高速バスに乗車。湯瀬PAのバス停で下車。↓この日歩いたルートと写真8:40湯瀬PAから鹿角街道の続きを歩き始め、すぐに国道282号に出た。国道を横断したところで、携行した紙の地図を見ていたら、同年代の男性が話しかけてきた。「どこへ行くのですか?」「鹿角街道を歩いています。」「昔の道?この先の橋の手前で右に入る道です。」「ありがとうございます。」その少し先で国道の旧道と
振り返りやすいように今年の旅行記を一覧にまとめました。新たに旅行記を追加したらこちらも更新するようにします。尚、旅行記に限定しているため「セコマの旅」や「似て非なる鉄」などの企画系は省きます。去年までの旅行記一覧・旅行記一覧2023『旅行記一覧2023』振り返りやすいように今年の旅行記を一覧にまとめました。新たに旅行記を追加したらこちらも更新するようにします。尚、旅行記に限定しているため「セコマの旅」や「似て…ameblo.jp・旅行記一覧2022『旅行記一覧2022』振り返り
我が家のGMの運転免許更新に付き添い愛知県民お馴染みの平針運転免許試験場に出かけた帰り。そのまま帰るのは面白くないしと思いどこか行こうかとGooglemapを眺めていました。平針に行く地下鉄鶴舞線は名鉄豊田線につながっていて、新豊田で愛知環状鉄道に乗り換えると岡崎の町に行くことができます。東海道歩きで前を通った八丁味噌の味噌蔵は愛知環状鉄道の中岡崎駅の目の前にあります。テレビで何度も見たことのある無料で蔵見学に一度行ってみたかった。そうだ、岡崎に行こう。順調に電車を乗り継いで中岡
昨年12月9日に、旧東海道の関宿から、前回シリーズの伊勢参宮道の津宿までを結ぶ伊勢別街道を歩いた記事のその7です。当日歩いたコースは↓。歩いた距離は寄り道含めて20kmちょっとくらい。その6では椋本宿のクライマックスともいえる旅籠の角屋や廃店舗などを愛でたところまでをご紹介しました(↓再掲)。椋本宿も後半に入っていますが、日光が強くて写真撮りづらいなあ。肥料店の渋ーい看板がありますが、ここが店舗って訳ではなさそうですね。ここから先はこんな風↓に厨子二階だんんだか、
昨日の「佐原街道」ウォークの後半。吉岡宿の大慈恩寺を出て急な坂道を上がると国道51号線・吉岡宿並の交差点。この辺りが「吉岡宿」なのでしょうか。八坂神社のあたりから長屋門を構えた大きな家が目立ってきました。ここでついつい長屋門に見とれてルートミス、、、国道を少し戻って右折、角の道標には「さわら」「かとり」「かしま」が読み取れます。畑の中の道を進むと立派な舗装路に合流、小山の南縁を回りこむように進み、琴平神社のある集落を抜け国道へ。北進し「伊能」交差点
東京でも夏日となった今日、早朝の電車で成田へ。3年前に「佐倉成田街道」を水戸街道・新宿追分から成田山新勝寺まで歩いて以来、久しぶりに成田駅前に立ちましたが、変わってないですねぇ~早速、新勝寺への表参道を進みます。「う」の有名店「川豊」さんの前では鰻業者さんが鰻を搬入中、、、今日も大勢のお客さんが美味しい「う」を味わうんでしょうね~~、いいなぁ~新勝寺では境内まで参上して参拝、さすがに早朝で境内も閑散。(↑)インバウンド客が数組・・・参拝後は東参道を通って「寺台宿
蓬莱橋の概要-島田市公式ホームページ蓬莱橋全線開通について(平成31年4月1日)平成30年11月1日(木曜日)から、橋中央付近までの往復については可...蓬莱橋世界一長い木造歩道橋8979.4茶屋897.4メートル厄なし長い木の橋台風通行止め環境の日はグリーングリーン島田市緑茶化計画www.city.shimada.shizuoka.jp島田駅に着いてもまだ時間がありました。わたしは、子どもが小さいときバスツアーで来たことがありますが、友人は行ったことがないというの
やっと連休が終わり甲州街道歩きの再開。今回は車で上野原駅まで行き、鳥沢駅まで歩いてから電車で戻り車で帰宅。ナビとETCを自分で取り付けてからの初めての高速なので、ちゃんど動作するか心配だった。ナビはスマホと繋いだが、なぜかナビの音が出なくなり音声案内は無し。でもオフラインでのナビは順調に動き一安心。家を5時に出て上野原駅には7時到着、駐車場は予約しておいたので心配せずに駐車。甲州街道まで2㎞はひたすら上り坂。天気予報は午後から雷雨なので早めに歩いて、午後の早い時間には鳥
旧街道歩きの夏の休足期間中に思い立った、知多四国八十八ヶ所巡り『夏休みの日記〜知多四国八十八ヶ所巡り(まずは計画から)』令和の時代と共に始めた旧街道歩き★『■街道歩き道中記Library■』平成から令和に時代が変わる時から始めた街道歩き記録のための、道中記一覧■旧…ameblo.jp2023年10月から、歩き始める事にしました『知多四国八十八ヶ所巡り〜準備』今日から10月夏休み以降、久しぶりのブログです(いつのまにかアプリが少し変わっていた)9月はコロナに感染して高熱で
昨年12月9日に、旧東海道の中でもかつての宿場風情を色濃く残すことで有名な関宿から、前回シリーズの伊勢参宮道の津宿までを結ぶ伊勢別街道を歩いた記事のその6です。当日歩いたコースは↓。歩いた距離は寄り道含めて20kmちょっとくらい。その5では、椋本宿で小さな道標を見つけたり、東日でお参りした後、ようかん休憩を取ったところまでをご紹介しました(↓再掲)。東日寺から先は街道幅も防火のために広くなり、恐らく旅籠などが並んでいた名残か、立派な家並みが並び始めます。格子が見事ですね
タイトルは「伊勢西街道から見上げた烏帽子岳に登れ!」ですがサブタイトルをつけるとしたら~三国岳と烏帽子岳、歩いたことある線を繋げ~、なのです。鈴鹿山脈登る人なら、鈴鹿の主稜線歩いたことあるラインをずーっと繋げたいと思うのでは?ワタクシもちょっと離れている伊吹山や霊仙山はともかくとしても・・・。北は烏帽子岳から鈴鹿南部の仙ヶ岳あたりまでは主稜線歩いたことある道を繋げてみたいと思います。三国岳での早々に敗れ去った脚力的には・・・繋げるかな~?怪しいですが行ってみよう!あ、まだ最大の難敵
結局、最中にはなかなか更新できませんでしたが、無事に善光寺まで歩きましたー2024年5月2日ほぼ始発で最寄駅発。ケチったので鈍行を乗り継ぎ、今回の旅の出発点、しなの鉄道信濃追分駅に着いたのは概ね9時。そこから右往左往して中山道との追分に着いた10時ごろか。この旅が始まる。しなの鉄道を登るルートを24kmほど歩き、1日目は田中駅で終わり。今回の旅の拠点は長野に置いたので、そこから長野駅に移動した。夜は地元の居酒屋で一杯🍻安くて美味しくて大満足の夜を過ごす。2024年5月3日田
「西国街道」とは、京都(東寺口)から大山崎、高槻等、淀川右岸を通り、大坂を経ないで西国(下関、九州まで)へ至る江戸時代の重要な幹線道路のことで、京都から西宮までのルートは別名“山崎通”とも呼ばれていました。令和5年は、神戸三宮から京都(東寺口)まで歩きます。↓ウォーキングマップはこちら↓https://www.rekishikaido.gr.jp/aruku/saigoku/街道をあるく-西国街道-|歴史街道www.rekishikaido.gr.jp今回は本当の継体天皇が埋葬され
24.5.03(金)自宅を出て、盛岡駅前の牛丼店で朝食。盛岡6:55発のIGR岩手銀河鉄道に乗車。JR花輪線直通、荒屋新町駅で下車。↓この日歩いたルートと写真8:25荒屋新町駅から旧鹿角街道の続きを歩き始めた。11年前の2月23日、従弟が凍結水道管の解凍作業中、解凍機のボイラが爆発して、破片を顔面・頭部に受けて即死した。その1週間後の3月02日、東海道の脇往還の一つ旧姫街道を歩いたが、急死した従弟のことを思い出しながらの旧街道歩きとなった。やはり今回も、3日前に急死したYHペ
こんばんは。女性の心に寄り添う大人旅をプランニング、ご案内している京都癒しの旅の安藤加恵です。今日もいい天気でしたね♪馬籠妻籠、中山道街道ハイキング旅のレポート最終回です。『馬籠妻籠、中山道を歩いてきました♪』こんばんは。女性の心に寄り添う大人旅をプランニング、ご案内している京都癒しの旅の安藤加恵です。5月になりました。あっという間に新緑の季節です。GW、いかがお…ameblo.jp『【レポ②】馬籠妻籠中山道街道歩き旅籠に泊まる』こんばんは。女性の心に寄り添う大
<2024年5月3日>5月になりました。今月最初の街道歩きは父鬼街道です。過去2回道を間違えたり行く方向がどちらか判別できず峠へたどり着けずリタイア。今度こそ踏破をすべく3度目の正直で挑んできました。(前回は→父鬼街道③(小川口→父鬼→七越峠)|Eddie'sDiary(ameblo.jp))出発は和泉市の最南端、南海バスの父鬼バス停から。バス便が少なく11時前着が一番早い便です。過去2回引き返した地点までは同じ風景なので端折っていきます。父鬼集落を南下し国
こんばんは。女性の心に寄り添う大人旅をプランニング、ご案内している安藤加恵です。馬籠妻籠、中山道街道歩き。馬籠から南木曽までハイキング。こちらの続きです。『馬籠妻籠、中山道を歩いてきました♪』こんばんは。女性の心に寄り添う大人旅をプランニング、ご案内している京都癒しの旅の安藤加恵です。5月になりました。あっという間に新緑の季節です。GW、いかがお…ameblo.jp大妻籠に夕方到着しました。聞こえてくるのは、川のせせらぎと鳥の囀り。自然に癒されます。今夜の
昨年12月9日に、旧東海道でも屈指の宿場である関宿から、前回シリーズの伊勢参宮道の津宿までを結ぶ伊勢別街道を歩いた記事のその5です。当日歩いたコースは↓。歩いた距離は寄り道含めて20kmちょっとくらいじゃないかなと思ってます。その4では、片長屋門(←造語です)や二階建て"なんちゃって長屋門"を狂喜しながら激写したた後、かつてここまで繋がっていた安濃鉄道の駅跡碑を見たところまでをご紹介しました(↓再掲)。その後信号交差点で県道10号を渡り、その先に進みます。しばらくの間、街道右
***前回の記事、その⑬より続きです***先日の伊勢西街道、完歩しましたが時間に追われて入ってみることができなかった区間、かみいしづ緑の村公園に沿った昭和初期の地図に載っていた旧道がどうしても気になります。三国岳登山、途中撤退で下山時間が早まり時間的余裕ができたので、帰路立ち寄ってみることにしました、落穂拾い編スタートです。緑の村公園の車を置いてしばし国道を歩きます、あ、旧道はここからだ。マムシグサが両手を上げてお出迎えです。緑にあふれる道です。山桜も。
逢坂の関を過ぎると道は下り坂になっていきます。月心寺この近辺の茶屋があり走井餅が名物でした。大正時代に日本画家・橋本関雪の別荘でした。大阪への追分道標「みきハ京ミち」写真では見えてない左側には「ひたりハふしミみち」とあります。なぜか右部分に「柳緑花紅」って刻んであるのですよね・・・蘇東坡の詩の一節で禅宗の教えでも大事な言葉ですがなぜ道標に?閑栖寺ここの門前に車石が保存されています。大津~京都の東海道には牛車の通行を楽にするため花崗岩の板が敷き
琵琶湖周辺は戦国時代~江戸時代初期の史跡がゴロゴロ、歴史好きにはたまりません住宅街の中に膳所城(ぜぜじょう)総門跡、なんて碑がさりげなくたってたりします膳所城とは・・・関ケ原の戦いに勝利した徳川家康が東海道のおさえとして大津城を廃しつくらせた城。「瀬田の唐橋を制するものは天下を制する」との昔からの言い伝えにより瀬田の唐橋に近いこの地を選んだといいます。明治期になり城は解体されてしまいましたが、この近辺の神社に膳所城の門を移築しているところが多く
・保土ヶ谷宿から東戸塚駅まで権太坂を歩く保土ヶ谷駅境木です白旗神社
***前回の記事、その⑫より続きです***旧立田小学校跡を通り過ぎ、桜を楽しみながら浮かれ歩きで伊勢西街道を北上します。このあたりは一般的には巡見街道と言ったほうが通りがいいかもしれません。でもこういった古民家もチラホラ見かけて、複雑な気持ちになります。そういえば路傍の石仏やお堂も少なくなってきてました。桜の写真ばかりで撮れ高増やしてるようですがやはり目がいってしまうと写しちゃいます。ここでも振り向けば羽田。善行寺、Googlemapによれば石碑があるよ
<2024年4月27日>2024年のGWがやってきました。怪しい天気ではありましたがGW初日から早速街道歩きへ行ってきました。今回は近場の1回で完結する短距離の旧街道鳥羽街道です。平安京の朱雀大路の南端の羅城門から南へ伸びる古道で、平安京を造営する際に物資を運搬するために作られた鳥羽作道が元になった街道です。戦乱や川の氾濫などで平安時代のルートとは異なる箇所もあるのかもしれませんが、明治時代のルートがほぼ残っているようなので歩いてきました。小雨が降る中を昼前に自宅を出発、南海・地
中山道歩き最後の記録すっかり遅くなってしまいました昨年11月のウォークです。早朝にスタートするため前日の夜草津に泊まりました。駅前の道標のモニュメントライトアップされてました。中山道と東海道の追分の道標ところで草津から京都までの道のりは東海道と同じ。今回で歩くのは2回目ということになります。でも私の気持ちの中では「中山道」ラスト、と思っているので「東海道」という案内板が出てくるたびに「ん!?」となりああそうだった、同じなんだよね、とひ
昨日はテレ東さんのほうで、土曜スペシャル、ザキヤマ街道歩き旅を見ました。釣り堀ができるテーマパークがあるんですね。夕暮れのなか、釣り堀している風景が印象に残りました。最後の夕暮れの神社の風景も土スペらしい感じで、良かったです。
旧鹿角街道歩きで次に歩く区間は、車之走峠を越える。南の石巻に注ぐ北上川水系と、北の八戸に注ぐ馬淵川水系との分水嶺であるが、わりとなだらかな峠らしい。ただし、JR花輪線,国道282号,東北自動車道からは離れていて、並行する公共交通機関はなく、平舘から荒屋まで歩き切らねばならない。前回は帰りの列車の時刻を誤認したため、3時間近く待つ羽目になった。その反省に立ち、今回はよく確認。盛岡6:55発・平館駅7:44着のJR花輪線は、この日の工事運休はなしだったが、歩き始め地点が平館駅から1kmほど
昨年12月9日に、旧東海道でも屈指の宿場である関宿から、前回シリーズの伊勢参宮道の津宿までを結ぶ伊勢別街道を歩いた記事のその4です。当日歩いたコースは↓。歩いた距離は寄り道含めて20kmちょっとくらいじゃないかなと思ってます。その3では楠原宿の出口で楽しみにしていた旧道を撮り忘れストリートビューに頼ったり、峠を越えた並木の風景が地味ながら美しく感じられたところまでをご紹介しました(↓再掲)。集落に入ると、古い屋根を残したままリノベされた民家が見えてきました。家々は現代の
先だっての福島遠征奥州街道歩きの2日目です。(1日目は→奥州街道⑦-2(二本柳宿→福島)|Eddie'sDiary(ameblo.jp))前日福島入りした夜行バスの空調が寒くてあまり眠れぬまま1日歩いて疲労困憊。夜9時半には眠りにつき爆睡、翌朝は少し予定より遅く7時過ぎ出発しました。2日目のスタートは福島市街のさらに中心部へ入る国道13号線との交差点から。日曜日の朝7時20分頃、人の気配のない福島宿です。数日前は雨が降るような予報でしたがその心配はなさそうです。