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旧東海道歩きは「品川宿(歩行新宿)」をめぐります。「品川宿」は「遊里」でもありました。宿駅に遊女がいるのは古からのことで、鎌倉時代の『吾妻鏡』にも書かれています。江戸時代になると府中では吉原を公認の遊郭とし、他の場所に遊女を置くことを禁じます。街道の宿場に対しては、万治3年(1660)遊女を置くことを禁じています。禁令はその後もくりかえし出されているのですが、宿々の旅籠屋では、食(めし)たき女・食売女と称して、遊女と同じように売春をさせたのです。ここ品川宿でも、昨日書いた善福
冬の始まりに北九州、小倉にやって来ました。小倉は、九州の玄関口です。ちょうど日本橋から五街道が始まるように、小倉をゼロポイントとして九州各地に旧街道が伸びていました。伊能忠敬の測量跡も記念碑として残っています。八坂神社は、小倉藩の総鎮守です。お参りをして、小倉城へと向かいます。今は、埋め立てが進んで海が遠くなっていますが、ここは海城で、お堀も海水が引かれていました。石垣は野面積みで、自然のままの石が、加工をせずにそのままうまく積み重ねられています。また、
朝ゆっくり目に起きて、しかし近場でもいいのでどこか行こう。少し前から気になっていたJR東海のお得な切符の中にある「名古屋おでかけきっぷ」。名古屋を中心に関ケ原、三河三谷、武豊、亀山、釜戸、美濃太田、美濃赤坂までの範囲が乗り放題区間。範囲はまあ狭いことは狭いのですが値段がなんと破格の1500円。地元稲沢駅から武豊、三河三谷、関ヶ原あたりを単純に往復するだけでも元が取れます。1500円で一日楽しめると考えたら安いとも言えます。ただこれを買うにはちょっとめんどくて、スマートEXに登録し
薩摩街道①2025年1月30日「山家宿→松崎宿→古賀茶屋駅」なんで薩摩街道?理由は明白!中山道歩き旅で、旧街道歩き旅にハマってしまい、九州圏内なら「豊後・肥後街道」「長崎街道」「薩摩街道」でしょ😼「豊後・肥後街道」を、去年11月に「熊本城札の辻→大分鶴崎」を歩き、先月には勝海舟と坂本龍馬が上陸した佐賀関まで歩いた😊いわゆる有名な「五街道」の「中山道」、「甲州街道」、「日光街道」「奥州街道」を踏破して、いよいよ「東海道」を楽しむばかり😂となっている!ホテル泊の五街道歩きとは違い
いよいよ2025年も押し詰まってきました。下街道歩き、その③からの続きです。第二回下街道歩きは、前回中断地点のJR中央線新守山駅から。駅から街道の中断地点に向かう途中、あ、見えた笑!郵便局のあたりから街道復帰、いざ歩き出します。歩き出してすぐに今日最大の目的地楽しみのひとつ、本日の酒蔵、東春酒造さんが近づいてきました。直売所もあるのです、嬉しいね~!新酒を一本購入させていただきました、もちろんとっくに美味しくいただきました。江戸末期創業のこ
皆様、おはようございます❗下記が世界のメッカに将来なる奥多摩万寿山の概要です。なお、この記事では、団体名も開示しておりますが、ロニは、団体への勧誘は致しておりませんのであしからず❗あくまでもボランティア発信にて、大塚寛一先生に救われた感謝の実行でございます。神軍リクルーターロニサランガヤ御開教宗教法人・神霊教は大塚寛一先生によって、万有顕現の原動力である宇宙精神を御祭神とし、その神号を神霊大神とお定めになり、昭和22年2月11日、日本建国の佳節を期して、兵庫県西宮市の地において、厳そかに
新幹線西明石駅始発6:00発の「のぞみ100号」は特異な「のぞみ」でした。2009年当時(今は6:01発「80号」)本来、西明石には「のぞみ」は止まりません。(下り「のぞみ95号」岡山行のみが止まります)神戸空港発着する羽田空港への航空便に対抗するためのダイヤ設定ということです。なぜか1日上下各1本のみ、のぞみが停車する山陽新幹線「西明石駅」実は考え抜かれた「絶妙なダイヤ」かも兵庫県内には山陽新幹線の駅が4駅(新神戸駅、西明石駅、姫路駅、相生駅)があります。この中で西明石駅はほと
~日光街道編第6回~小山駅から雀宮駅まで歩いてきました🚶♀️✨こんにちはOKIKOです日光街道歩き旅、今回は、小山駅から雀宮駅までの約20kmを歩く街道旅の様子をYouTubeにアップしました!ルートは小山宿→新田宿→石橋宿と、日光街道の3つの宿場町を通過しましたよ🌿歴史的な見どころは、📍小山評定跡碑(関ヶ原の戦いの舞台裏)や📍国指定史跡・小金井一里塚(東塚・西塚の両塚現存)などまた、石橋のまちではグリム童話をテーマにしたユニークな
・・・名古屋おでかけきっぷで小さな旅、亀崎へ、その①からの続きです・・・町を縦断して「元岬先端」、神前神社(かみさきじんじゃ)前まで来ました。亀崎のメインストリートの終点ですが海から見れば玄関だった場所でもありますね。祭神は神武天皇というのは珍しいような気がします。ここは神武天皇の東征の際の上陸地であるとのこと、地名の由来は神の岬・・・神崎・・・亀崎・・・だそうです。それでは神武天皇も歩いた海に面した階段を上がり参拝します。いつもの。左にはいくつもの小さなお
伊勢参宮道歩きは「楠原宿」を過ぎ、先に進みます。しばらく県道を歩き、左に入ります。山道みたいで少し不安になりますが…やがて集落に入ります。「芸濃町・林」という地区です。立派なお屋敷を構えるところが多く、かなりの豪農だったと思われます。駒田医院と…その母屋と思われます。このあたり旧明村といい、明治22年(1889)4月町村制施行により三重県奄蓺郡「明村」が発足。明治29年(1896)所属郡が河蓺
伊勢参宮道歩きは、あすなろう鉄道追分駅から午前8時30分スタートです。日蓮宗追分教会とあります。日蓮宗には750年の秘法「九識霊断法」なる人生の未知なるものを予知する神秘な法術があるそうです。少し歩くと「日永の追分」です。ここは、東海道と伊勢街道を分けるところです。左が「東海道」右が「伊勢街道」です。神宮遥拝鳥居は、元々は安永3年(1774)久居出身の渡辺六兵衛という人物により建てられたものだそうで、今の鳥居は平成28年(
伊勢参宮街道歩きは、伊勢白子(しろこ)を歩きます。伊勢白子(現鈴鹿市白子・江島・寺家村の総称)は、伊勢参宮道として、また廻船問屋の町として大いに栄え、今でもところどころにその面影を残します。伊勢参宮道白子の街並みを進みます。連子格子が素敵ですね。少し進むと「江島陣屋跡」がありました。掲示板によると、ここ江島村は、江戸時代初期までは天領でしたが、後に紀州藩旗本の領地となり、享保年中(1716~36)小笠原肥前守の知行地となって、ここに陣屋が建て
これも20年前になるが、旧上州街道を歩いた時の記録です。上州街道は埼玉と群馬を結ぶ街道で、中山道の裏道ともとらえられる。県境越えである土坂峠(標高約780m)の旧道は廃道になっているのだが、埼玉県教育委員会が発行する歴史の道調査報告書を参考に探索してみました。秩父駅から路線バス(西武観光バス)の吉田元気村行きに乗って上吉田で下車。ここは秩父市上吉田、県道71号線の合角(かっかく)ダム入口を直進します。県道は土坂トンネルに向かっています。小川集落の先で右に入るのが旧上州街道の