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【京都】京都御苑は江戸時代140以上の宮家や公家の邸宅が立ち並ぶ町で明治になって都が東京に移り戦後国民に開かれた公園となるように新たに整備されました。現在では京都御所・京都大宮・京都仙洞御所京都迎賓館を含む緑豊かな約100haの広大な敷地は九門五口の出入口がある公園として国内海外から訪れる観光客や市民の憩いの場として親しまれています。【清和院御門】
今日は道長の次女、妍子さまの話を少ししてみたいと思います。「光る君へ」のなかでは、三条天皇の女御でありながらその皇子の敦明親王に興味津々だったり、日々の鬱憤を若い公達を侍らせての酒宴三昧で紛らわしたりと、なかなか問題児に描かれている妍子さま。もちろん、これはあくまでもこのドラマの中でのキャラ付けで史実ではありません年上の夫に不満タラタラで、継子にあたる敦明親王にアプローチしていたのも、公達を侍らせて酒浸りだったのも全部フィクションです。実際の妍子は、当時の美人の条件で
こんにちは!りょうこです。私は「枕草子」から平安時代好きになったので、敵方(?)である道長陣営のことは、「光る君へ」を見るまで、あまり興味がなくて。「大鏡」も、「栄花物語」も、読んだことはなかったんです。しかし。あの衛門様が書いと言われる、栄花物語。倫子様に、えっそこから書くん?と驚かれた栄花物語。気になります!でも長いんだよね…?そしたら、「有名場面をセレクトした」という、こちらを見つけたので、さっそく読んでみました!装丁も、衛門様に相応しく、上品で麗しい「
【奈良】桜の名所・吉野山。修験道の開祖・役行者が蔵王権現の姿を桜に刻みお祀りしたのがはじまりとされています。平安時代現在の吉野山から山上ヶ岳の一帯は「金峯山」と呼ばれ御嶽詣が盛んに行われました。吉野山の中腹には役行者が開いた金峯山寺があり藤原道長は山の頂上にあたる山上本堂の地に自ら写した経典を納めました。写経を納めた経筒は元禄4年(1691
紫式部を現代的に言えば、世界的ベストセラー「源氏物語」を書いたノーベル賞級作家といったところである。はたして彼女の収入は、一体いくらあったのだろうか?紫式部の給料を詳しく見ていこう。紫式部の父・藤原為時は中級貴族であったが、紫式部も幼年時代はもちろん父親の世話になった。成人して宮中に上がるまで、紫式部はニート生活を続けたようだ。為時は長い間、官職がなく、彼女の家庭は幼い頃は貧しいかったと言われているが、はたして本当だろうか。平安時代の中級貴族は季禄、位禄、位田という三種類の給料を朝廷
平致経・・・生没年不詳、平安時代中期の武者。平致政の四男。左衛門大尉であり、藤原頼通の身辺に伺候していた。のちに私闘によって処罰される。現在、『今昔物語集』の本朝世俗篇の現代語訳訳版を読んでます。『今昔物語集』は平安末期に成立した説話集で・・・『光る君へ』に関連した人物などのエピソードなども載っています。今回、その『今昔物語集』で気になった人物がいましたので、ご紹介します。それが、平致経です。平致経自身は『光る君へ』に出て
【京都】京都市右京区嵯峨二尊院門前の二尊院藤原定家が『小倉百人一首』を編纂した山荘があったと伝わる小倉山の麓に建つ二尊院。『小倉百人一首』に収められた歌をあしらった和歌御朱印がいただけます。当初は、紫式部の和歌御朱印は4月限定予定でしたが大河ドラマ『光る君へ』でとても人気のため現在も継続授与していただけます【二尊院和歌御朱印】二尊院では季節にあわせ特別な和紙に季節の絵柄を描いた
まだ大河ドラマ『平清盛』がリアル放送されていた2012年。「平安時代はドラマの題材に向いてないのでは」と語ったことがありました。ややこし過ぎる時代(関連)https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-11250851859.html平安時代は、まだ「名字」がない時代。似たような名前がいっぱい出てきます。テレビという音声が重要なメディアで、音声では聞き分けがややこしい名前ばっかり出て来たら、混乱しちゃいますよね…というようなニュアンスでした。
「サムダルリへようこそ」観終わりました。最終回はまさに大団円次は「魅惑の人」を視聴予定です。評判の高い「忍びの家」も気になってます🇯🇵韓国ドラマ、面白いんですが話数が多くてちょっと疲れる時ありませんか?「忍びの家」は8話なので見やすそうです。アマプラで有料(レンタル¥500)ですが、是枝監督の「怪物」も観たい。これは息子が映画館で観てきて、絶対観た方がいいと熱く推してきた作品。是枝監督の映画は「そして父になる」が1番好きです。地上波は大河ドラマだけ観てます。藤原道長役の柄本
関白忌台座の蓮の開きぶり欠けたる無しの道長思う😸平等院を創建した藤原頼通を偲んで、頼通の命日にあたる3月2日、鳳凰堂で「関白忌」が営われます。国宝鳳凰堂で行われる唯一の行事だとのことですが、その鳳凰堂には、阿弥陀如来坐像さまが安置されており、その台座の蓮の花の開きぶりは見事で、「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」と詠んだ父親の道長を思わせます。菩薩舞い蓮の花びらハラハラと祈り集めて舞う関白忌😸そ
7.いきなり将軍将軍就任という大事を「僕も春から老中になるから、君は将軍、よろしくね♡」とかるーく歌にした曲。なんでやねん、と。「ちょっと待って心の準備がまだ♪」と言いつつも「この先よろしく幕府ふゥウゥゥゥゥ♪」と歌い上げ「フユ、フフツフフユー♪、フユ、フフツフフユー♪」と口笛吹いて終わるこのお気楽モードが良い。【歴史解説】「将軍」とは一般的には軍隊の指揮官のことだが、日本史的には蝦夷(東方)を征伐する官職「征夷大将軍」。中世以降、武家の棟梁がその官職を担い、源頼朝の鎌倉時代
新しい大河ドラマ「光る君へ」がスタートした。まだ二回。わずか二回でもってあーだこーだと言うのは早すぎるのかもしれない。女性を小説家をもろにヒロインにした斬新な大河ドラマであることは間違いない。しかし、正直なところ、私はあんまり面白くない、というかワクワクしない❗あの武士を主人公にしたいつもの大河ドラマではあの権力争い権力闘争に恥ずかしながら私はいつもけっこうドキドキしてしまう。争いごとが基本的に嫌いな私なのに、大河ドラマの権力争いに
藤原氏の総本家、摂政・関白を持ち回りで務める「五摂家」は、公家の最高峰です。「近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司家」、藤原道長・頼通の直系子孫が分かれた家です。ところで、この「鷹司」というのは、動物の飼育係のことでしょ、どう考えても高い身分とは思えないんだけど、なんで?という人がいました。うーん、そういうふうに言うヒトがいるかあ。まず、この鷹司は、「家名」です。本姓は藤原です。公家の半分以上は本来の姓は「藤原」ですが、誰も彼も藤原では不便でしょうがないので、平安の末期ころか
第38回では敦康親王が目が回ったふりをして倒れこみ、彰子の膝にじゃれついていました。うんうん、男の子って、幼稚園児でもこういうことするよね。隙あらば、きれいなお姉さんの体に触ろうとする。敦康親王は数え11歳だから、ギリギリ許されるかな。これを見ていた道長は『源氏物語』第1帖「桐壺」の一節を思い出したようです。皇子は普通母の実家で育つものですが、母と祖母を亡くした光源氏は宮中に引き取られます。幼い光源氏は桐壺帝のお供をして后妃の御簾の内にも入ることができたので、亡き母に生き写しだという藤壺女
平安時代の貴族の位階は、正一位から少初位下まであり、身分の高い順に以下のようになっています。正一位従一位正二位従二位正三位従三位正四位上従四位上正五位上従五位上正六位上従六位上従六位下正七位上従七位上正八位上従八位上大初位上少初位上位階は官人の序列を示す等級で、官職は位階に応じて任官されました。官職と位階の総称を「官位」といい、奈良時代の前、大宝元年(701)に施行された「大宝律令」という法体系などを基に築き上げられていました。位階が五位以上を貴族、
前回の続きです京都文化博物館ちょうど見たい展示があったので初めて入館しましたなんと500円😳この博物館には平安時代から近代までの京都の風俗の紹介、出土品などが展示されてます。お目当ては陽明文庫の国宝「御堂関白記」藤原道長が書いた日本最古の自筆日記です孫の敦成親王の五十日の儀を書いた日記が展示されてました。このとき道長43歳。43歳でおじいちゃん😁54歳に書いた日記は糖尿病の合併症で目が見えにくく心臓も悪くなってたようで文字が乱れてました。左大臣のストレス、深酒に美食が原因だっ
はじめに大河ドラマ『光る君へ』の最終回を見た直後の私の記事の内容に間違いがありましたなので、慌ててこの記事を書いています(慌てすぎて、また間違えたりして)前々回の記事↓さようなら、まひろと道長~『光る君へ』最終回2024-12-15『さようなら、まひろと道長~『光る君へ』最終回』とても久しぶりに大河ドラマ『光る君へ』についてですついに、終わってしまいましたね最終回まで、アッという間でしたあまり記事にできなかったのは、途中から、ま…ameblo.jp何を間違え
【平成28年7月29日(金)参拝】七度目の宇治陵です…。一条天皇皇后太皇太后藤原彰子宇治陵所在地:京都府宇治市木幡藤原彰子(ふじわらのしょうし/あきこ、永延2年(988年)-承保元年10月3日(1074年10月25日)は、第66代一条天皇の皇后(号は中宮)。第68代後一条天皇・第69代後朱雀天皇の生母(国母)、女院。院号を上東門院(じょうとうもんいん)といい、のちには大女院(おおにょいん)とも呼ばれた。女房に『源氏物語』作者の紫式部、王朝有数の歌人として知られた和泉式部
女帝第一号の推古天皇。宮廷歌人であり、天武。天智、両天皇の恋人だった額田王。七人の天皇の生涯を支え続けた彰子等、歴史に残る女性十二人の新たなるエッセイ。『新歴史を騒がせた女たち』永井路子著こちらも楽しく読ませていただきました♪さすがに十二人は無理なので、私が特に気に入ってる方の感想をUPさせていただきます(*^^*)私にとっては万葉集を学ぶきっかけを作ってくれた額田王。(子供のころは悲恋のヒロインと思っていて、真実を知った時のあ
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきますみなさんこんばんは(´Д`)。本日は歴史好きなぶたさんの大好物!楽しい歴史系図でございます(´Д`)!ぶたさんは歴史上の人物の系図がとにかく好きなんです。はい(´Д`)。本日は大河ドラマ「光る君へ」にも登場した三条天皇の子孫について見て行きたいと思います。三条天皇と言えば、藤原氏摂関政治の全盛期を築いた藤原道長と対立した人物です。三条天皇の皇子皇女や孫たちはどうなったのか順に
(=^・^=)/奈良時代723年三世一身の法からの743年墾田永年私財法それでええねんええねんええーーーねん♪そして、平安時代のお話し宇多天皇は大の猫好きであった。それが分かるのは、宇多天皇在位中の日記「宇多天皇御記(寛平御記)」だ。アメーバブログをしていたら、「猫との生活ジャンル」を選んでいたでしょう。日本で初めてのベットとして飼われていた猫に関する日記。その内容を読んでみましょう。うちの
「三船の才」とも言われます。また、「才」ではなく「誉れ」とする場合もあります。藤原公任きんとうの多才ぶりを讃えた非常に有名な話で、掲載している教科書もあると思います。ある年、道長入道が、大井川に行楽なさった時、漢詩の舟、管絃の舟、和歌の舟、とお分けになって、それぞれの道に秀でた人たちをお乗せになったが、大納言公任が参上なさったので、入道殿が、「あの大納言はどの舟にお乗りになるのがよかろうか」とおっしゃると、「私は和歌の舟に乗りましょう」とおっしゃって、和歌をお詠みになったよ