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こんにちは。アレテーを求めて~今日もトコトコ(・ω・)弁護士の岡本卓大です。5月5日放送の大河ドラマ『光る君へ』。関白になったその日に倒れた道兼。あっけなかったですね。民の為の政をやろうとしていたということは道兼も改心していたということなのでしょうか?伊周がなんとも嫌な人になっています。権力闘争していると人は醜くなるのでしょうかねぇ…思い出の場所で夜に会うまひろと道長。もうこの二人は、体に触れる必要も、言葉をかけあう必要もない二人だけしかわからない世界があるということで
『光る君へ』感想あらすじレビュー第17回「うつろい」悲...bushoojapan.com昔の人の病名のネーミングセンスってすごいと思うよと言うのはこの日一緒に観ていた臨床検査技師の資格を持つ我が息子でありました糖尿病は飲水病インフルエンザは咳逆病あれはよくよく観察していないと思いつかない名前だと思うと言うのでしたまあもっとも昔は観察以外にできることがほとんどなかったが故に目を皿のようにして見つめた
本記事は、2016年7月に投稿した記事に補訂と追記を加えたものです。藤原道兼は兼家の三男で道長の同母兄です。寛和2年(986年)6月、父及び兄弟たちと謀って、寵妃藤原忯子を亡くして悲嘆に暮れていた花山天皇を騙して出家させ、兼家の外孫である一条天皇を皇位に就けるのに成功したというエピソードは有名ですが、史実であるかは疑わしいようです。それはともかく、天皇の外祖父たる地位を獲得した兼家は摂政(後に関白)となり、道兼も参議、権中納言を経て永延3年(989年)2月には早くも権大納言に累進します。
大河ドラマ「光る君へ」も大分ストーリーが佳境に入ってきて、第17話「うつろい」では、藤原道長の兄で、ときの関白道隆が亡くなるところまで話が進んだ。死の床で、道隆は妻の貴子に対して「そなたに初めて会ったのは、内裏の内侍処であった。つんとすました女子であった。」これに対し、貴子は、「道隆さまは、お背が高く、きらきらと輝く、殿御でございました」と答え、これに道隆は、かすれるような声で「忘しの(わすれじの)行末まてはかたけれはけふ(今日)をかきり(限り)の命
【第18回】七日関白。道兼(玉置怜央)は関白に任命され、弟・道長が支えるが…|大河ドラマ「光る君へ」|2分ダイジェスト|NHK★第18回「岐路」見逃し配信[※5/12(日)20:44まで]▶▶▶https://plus.nhk.jp/watch/pl/5a218973-7a4c-4d59-899b-963ac38565d6?cid=hkhk-yt-0505-01-hikaru道隆(井浦新)の死後、一条天皇(塩野瑛久)が次の関白にと命...youtu.be次の関白に誰を推すかで、一
大河ドラマ今まで録画はしていましたが全然見ていませんでしたさおりんさんは絶賛ネイリストさんは超不満時間が出来たのでまとめて見たら正直ハマりました最初吉高由里子はイメージじゃないなーと思っていましたが慣れるとそういうもんだ、と思ってしまいました私のツボは烏帽子に直衣この装束は男子をめちゃくちゃ格好良く見せる気がします♪ちょんまげにカミシモよりも好きです以前新国立劇場バレエの創作バレエで烏帽子直衣の男子が出てきてめちゃくちゃ格好良かったのです
【平成28年7月23日(土)参拝】ここんとこ京都がホームグランドになっていますので、今日はこれ「京めぐり京都観光1日乗車券」を使って巡ってきました。これは近鉄(区間指定)、京都地下鉄、京都市バス、京都バスが1日乗り放題で、2130円(1820円のコースもあり)さぁ、これでどんだけ得したかあとで計算してみます。今日は先に火葬塚に行って来たのですが、これは次項で掲載する事にして先ずは龍安寺の御陵から。二度目なので土地勘バッチリ。金閣寺道から龍安寺前まできぬかけの路を市バスで移動。
今年の大河ドラマ、光る君へ。毎週楽しみですねー。1話目見て正直…ドロドロな政治の食う食われる人間模様を、しかも戦国時代や幕末と違い知識も少ないし主役の優しいお母さんが無慈悲な殺され方されて今回見る価値あんの?って思ってしまいました。今の与党の裏金問題や派閥問題の人の業や欲の恐ろしさ、それに対する嫌悪感も似てて重なる貴族の世界に例年以上に今回の大河どうしよう?見続ける?やめとく?感は強かったのは事実です。だけどまひろさん演じる吉高由里子さんと三郎のちの藤原道長さん演じる柄本佑さんのお互い密
今年のテーマは藤原氏紫式部も藤原氏京阪電車宇治駅から宇治橋を渡ります。上流。紫式部は藤原氏県神社の鳥居と、左平等院参道。朝まだ早いから参道は混んでませんねぇ。って、入り口に着いたら8時半の開門待ちの行列が真ん前の、ますだ茶舗。親戚ですぅ。またご利用くださいませ。表門前の藤棚。藤原氏と言えば藤の花程なく入門できました。世界遺産と「光る君へ」ブーム、円安効果のおかげか、その後、続々と拝観客がやってきます。境内の藤棚。今回はこれを目当てにやってきました。うん上半分、枯れてま
実生活は波風少なく涙少なく愛し愛されが、願いなんだけれど、、、物語や、映画、ドラマには激しめ恋愛模様を求めてしまう🤣🤣🤣これって人の性(ひとのさが)なのでせうか?🤣大河ドラマ『光る君へ』紫式部と藤原道長のお話女性が描いた紫式部像だなぁ、と私は思います。謎多き紫式部だからそれもありかとあっ、で、紫式部って、、、凄い❣️昭和の時代にユネスコの『世界偉人暦』に日本人では一人だけ選ばれています源氏物語が、海外では、20世紀に書かれた小説と思われていたみたいです、
今年のテーマは、藤原氏紫式部も藤原氏ってことで、淀から京阪木幡駅へ。京阪は、こわた駅。JRは、こはた駅で、歩いてると、うん能化院。藤原氏関係やんで、到着。宇治陵1。京都府宇治市木幡南山畑34−1宇治陵というのは37のこの周辺に点在する大小様々な陵墓の総称です。兼家道長頼道車、邪魔やなぁ。。。藤原温子(59代宇多天皇中宮)藤原穏子(60代醍醐天皇皇后)藤原安子(62代村上天皇皇后)藤原遵子(64代円融天皇皇后)藤原媓子(64代円融天皇皇后)藤原懐子(65代花山
むか~し昔小学生のころ、両親に連れられて行ったことのある宇治平等院行ったことは覚えているのですが、その他はうろ覚え60年ぶりに参拝してみましたjr京都駅から奈良線に乗り宇治へ4時過ぎでしたが、多くの人で賑わっていました正面に回ります逆光できれいな写真は撮れません肉眼で見ると、太陽の光をまとった様子がとても美しいのですが・・・ご本尊は阿弥陀如来ですこの建物は藤原道長の別荘でしたが、その子頼道が寺院に改めたものだそうです西側から見ると、色鮮やかなのがよくわかります
源倫子は左大臣・源雅信の娘で、曾祖父は宇多天皇だという高尚な家柄に生まれ、藤原道長の正妻となった。しかし道長には源明子という醍醐天皇の孫で、倫子よりもさらに高貴な妻がいた。なぜ倫子は明子を差し置いて正妻の座を射止め、自分の娘四人すべてを中宮とすることが出来たのだろうか。源倫子の生涯とその最期を詳しく見ていこう。道長の二人の妻については、倫子が正妻で、明子は一段低い地位にあったと言われてきた。それは藤原実資が書いた「小右記」に、倫子は「北方」、明子は「高松殿」と呼ばれていたという記述に基
大河ドラマ「光る君へ」も大分ストーリーが佳境に入ってきて、第18話「岐路」では、藤原道長の兄で、ときの関白道隆が亡くなって、弟の道兼が関白となるが、流行り病で急死して七日関白となった後の政争が描かれていた。兼家の長男で関白道隆の子である伊周(これちか)と三男の道長との争いになった。当時伊周は、内大臣にまで昇進しており、道長は格下の権大納言に過ぎない。それを、時の一条天皇の母で、吉田羊が演じる姉詮子(あきこ)が、天皇に向かって「道長を関白に」といって泣いて
「石清水八幡宮文書」の中の「大宰府符」は、紫式部の夫・藤原宣孝の自筆署名のある文書。石清水八幡宮石清水八幡宮は、京都の裏鬼門を守護する神社。979年(天元2年)に円融天皇が行幸すると、以後、多くの天皇が行幸するようになる。藤原道長・藤原詮子・藤原彰子が信仰し、彰子に仕えた紫式部は『源氏物語』に、藤原定子に仕えた清少納言は『枕草子』に登場させた。一条天皇は、一の鳥居の「八幡宮」の額を藤原行成に書かせている。
花山天皇に寵愛された藤原忯子は、藤原為光の次女。長女は、藤原義懐の正室。三女は、寝殿の上で藤原伊周の妾四女は、花山法皇が愛人とした藤原儼子。この三女と四女をめぐって996年(長徳2年)1月16日に起こったのが藤原伊周が花山法皇を襲撃した長徳の変。伊周と花山法皇は同じ頃に為光の娘のところに通っていましたが、伊周は花山法皇が寝殿の上のところに通っていると勘違いしてしまったのだとか。寝殿の上は伊周の妾となる前は源雅信の妻だったらしい。儼子は、花山法皇の崩御後、藤原妍子の女官となり、のちに
詳しくはこちらからどイベント・インフォメーション|NHKオンラインevent.nhk.or.jp大河ドラマ「光る君へ」【NHK公式】大河ドラマ「光る君へ」(2024年)。主人公は紫式部(吉高由里子)。平安時代に、千年の時を超えるベストセラー『源氏物語』を書き上げた女性。彼女は藤原道長(柄本佑)への思い、そして秘めた情熱とたぐいまれな想像力で、光源氏=光る君のストーリーを紡いでゆく。変わりゆく世を、変わらぬ愛を胸に懸命に生きた女性の物語。キャスト相関図・見逃し配信・あらすじ…www.nh
あらすじ道長の妾になることを断ったまひろ。臨終の近い妾のなつめの望みを叶えるため、為時はまひろに彼女の前夫との間の娘のさわを連れてきてくれるように頼みます。その甲斐あって、なつめはさわに看取られて安らかに亡くなりました。後日、まひろの邸をさわが訪ねてきます。さわは、実父のもとで暮らしていますが、父は後妻との間の子にばかり熱心で所在ない思いをしているようです。さわは、まひろを姉のように慕うようになり2人は親しく交流するようになります。左大臣家の姫君たちの集
今回は、この時代の身分差をヒシヒシと感じる回だった…というか。花山天皇の出家→退位により、朝廷の役職は一新、またも無職になってしまった為時パッパ。まひろはなんとかパッパに職をもらう(?もとに戻してもらう)為にとまずは、親しくさせていただいている倫子様を頼るのですが、そこは政治の、頂にいる一人、左大臣の、娘・倫子様。『摂政様がお決めになったことは、帝がお決めになったこと』と、他のものが口出しはできない、と断られます。ならば、自分が直接摂政様に…とまひろは言ったのですが『摂政様は、あなたが
香炉峰の雪は簾(すだれ)を撥(かか)げて看る白居易大河「光る君へ」。今回、枕草子の有名な「香炉峰の雪」の場面が描かれました。やはりTVドラマという動画を見ると、自分の中でそのシーンが劇的に明確になるものですね。一条天皇妃、中宮(皇后)定子に、仕える清少納言。TVドラマでも、初対面にして清少納言は、定子の高貴さに、目が♡になります。時は993年。定子17才、清少納言27才。このことは、枕草子に書かれていることですが、高慢な清少納言がこの後定子に
本記事は、2016年12月に投稿した記事の補訂版です。源倫子は源雅信(宇多源氏)の娘として生まれました。雅信は倫子を天皇か皇太子の后妃とすることを望んでいたものの果たせず(この点については後述)、倫子は藤原道長と結婚します。当時道長は従三位に叙せられていて公卿には列していたもののその官職は左京大夫という微官にすぎなかったばかりか、道隆・道兼という二人の兄が既に議政官に列せられて出世の見込みは薄いと見られていたため、雅信の眼中にはなかったのですが、倫子の母藤原穆子が道長を気に入り、夫の反対を
あらすじ4年が過ぎ、道隆(井浦新)の娘・定子(高畑充希)が、元服してわずか20日後の一条天皇(柊木陽太)に入内する。道隆たち中関白家が絶頂期を迎え、兼家(段田安則)の後継争いが始まろうとしていた。一方、為時(岸谷五朗)は官職を得られず、貧しい暮らしが続くまひろ(吉高由里子)。ある日、さわ(野村麻純)と出かけた市で揉め事に巻き込まれる。文字が読めずに騙された親子を助けようとするまひろだったが・・あらすじ更新が遅れ気味になってきてしまったのでサクサクともう今回はな
「源氏物語書いたくらい頭のいい人のはずなのに、この人バカなの?」と、我が家ではツッコミ入りまくり。バカその1家族が職を失ったことに上司に直談判...って現代で言えば就職試験に落ちた息子のことを頼みに行くようなものバカその2「北の方にしてくれるの?」発言まひろの経済力で公達に恥をかかせない支度はできるのかは相当なお花畑脳でない限り自明の理ではバカその1については脚本家が面白いと思って書いたんでしょう。普段一の字も読めないような顔をしていた紫式部がそんな事したとは思えず
NHK大河光る君へ昨日(1/7)から始まった大河ドラマ「光る君へ」みなさん見ましたか?久しぶりの女性主人公、しかもそれがかの光源氏を生みだした「紫式部」ですよ。これは見なきゃあかんだろーー!ってことで初回の感想です。おら、わくわくしたど!時は平安。宮中では貴族たちの権力争いが日夜繰り広げられている、そんな時代。少女「まひろ」が、歴史に名を残す小説家になるまでの生涯を描く。これだけ聞くとお堅そうなイメージになっちゃうけれど、華流後宮ドラマ好きな人は絶対に楽しめる
ランチクルーズの時に〜写真撮ってもらいまして〜私この手のぼったくり写真が大好きで記念に買う習性がありましてもちろん今回も買った次第です手前に燦然と輝く瓶ビールお席は窓のすぐ横で〜景色も綺麗に見えたのよんおはようございます〜〜〜ランチクルーズを堪能して〜さあ次どこ行く〜?あそうだ〜今の季節「藤」だよね〜ってことで宇治平等院へ向かいました〜〜駐車場もすんなり入れれて〜歩いてたら平等院近くのお店の前に人だかり〜綺麗な藤の花〜〜わああ〜綺麗
第17回は、蝶に始まり蝶に終わりました。冒頭では、病み上がりのまひろが眺める庭に蝶が舞いました。ラストでは、憑き物が落ちたように穏やかな表情になった道隆が、愛妻貴子と最期の別れを惜しむ庭でも、2匹の蝶が黄色い花の周りを飛んでいました。旧暦4月に咲く花だから、ウマノアシガタ(金鳳花)でしょうかね。日本文学史上の大きな謎なのですが、『万葉集』には蝶の歌がないんです。〈かはひらこ〉という和語があるのに歌に詠まれず、平安時代に漢語の〈蝶(てふ)〉が定着するんだけど、それでも「なんか中国っぽい
.今回は、史実で実現したかどうかもわからない、『紫式部』と『清少納言』のツーショットにテンション上がってしまったり、(ちなみに吉高由里子さんの『X』にポストされていた、ウイカさんとのツーショットも可愛いいです(〃艸〃))、直秀の『俺は女には惚れねぇよ。…明日の命も知れないからな』に『ヒュー♪かっこええ!(≧∀≦)ノ』となってしまったり、病床の忯子様の手を取り、励ます帝に『やはり、この人はそんなに悪い人ではないんじゃないのか』と思ったり…。(いや、愛しすぎて、実家に返してやらなかったりしたけ
違うんだよな、ったく!大河ドラマ「光る君へ」。何だか、だんだん見るのがイヤになっちゃいました。悲田院で疫病に倒れたまひろ(=紫式部)を大納言・藤原道長が助けて看病した?、そんなバカな!!!この大河ドラマの初回からすでにダメ。藤原道長と紫式部の出会いと恋。あり得ない、あり言えない。そもそも、身分が違いすぎますよ!その上、紫式部は道長に対してタメ口以上の態度と言葉使い。トンデモナイ!始まってしばらくは、まぁ多少のフィクションには目をつぶって、1000年以上前の『源氏物語』の作
藤原道長が、東三条院詮子の推挙で内覧に就任すると、内大臣の藤原伊周はまるで子供のように顔から火が出るほど激昂した。最後に伊周は、その幼児性が自らの将来の可能性を絶つことになる。藤原道長と藤原伊周のその後を詳しく見ていこう。995年長徳元年、関白道隆の死後に伊周は、関白をめぐって叔父の道長と争った。しかし5月11日に母の東三条院に説得された一条天皇は、道長に内覧の宣旨を下し、翌月には伊周の上位となる右大臣に任命した。左大臣は不在だが「一の上」となった道長は、さっそく公卿たちを召集して会議
本記事は、2016年9月に投稿した記事の補訂版です。一条天皇(諱懐仁)は円融天皇の第一皇子で、母は藤原兼家の娘(道長の姉)詮子(東三条院)。永観2年(984年)従兄の花山天皇の皇太子となり、寛和2年(986年)花山が兼家の策謀により出家するとその後を継いで皇位に就き、兼家が摂政となりました。兼家の後を継いで関白となったのは長男道隆です。当時皇后位は藤原遵子(円融天皇皇后)、皇太后位は藤原詮子(一条天皇生母)、太皇太后位は昌子内親王(冷泉天皇皇后)がそれぞれ占めていて、律令の定める「三