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暮らしの探険家未来食/天女の学び/小袖ドレス創始者和語レッスン講師つぶつぶ料理教室ネットワーク運営株式会社フウ未来生活研究所CEO一般社団法人ジャパンズビーガンつぶつぶ(JVATT)創立者1952年生まれの辰年。天使の輪が自慢の艶髪、眼鏡いらずの視力、シミ、シワ、荒れの少ないしっとり肌、透明な包み込む声、しなやかで贅肉のない体、楽々自力出産、楽々子育てを実現。今も、年々高まっている体力気力とともに、この世界のしくみとルール探求の暮らしの探検真っ最中!
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\ごはんを食べよう/過去の記事はこちら主食という言葉があります。主食というのは、一番多く食べるメインの食べ物という意味です。それなのに、西洋型の現代の食事はごはんよりもおかずをたくさん食べることを勧めています。それが、心と体の不調和の大きな原因です。「ごはんの力」で老けない体をつくる[つぶつぶグランマゆみこ]1,080円楽天人気ブログ記事は>>>こちら\まずは無料登録/
\ごはんを食べよう/過去の記事はこちら南方の作物である米が日本に伝わってきたのは3000年前頃の縄文時代、福建省からもたらされた赤米だという説があります。ブータンやヒマラヤを旅した時のごはんは赤米でした。トレッキングの途中で、ござに広げた赤米を干していた茶店のおばあちゃんが炊いてくれた赤米ごはんは最高でした。日本の野生米のほとんどは赤米で、米の祖先は赤米だともいわれています。日本各地に赤米の里が残っています。米が伝わる前の日本人にとっ
\ごはんを食べよう/過去の記事はこちら村上和雄博士によると、ヒトの遺伝子数は2万2000個なのに、イネの遺伝子は3万2000個で、1万個も多いそうです。遺伝子はタンパク質合成の設計図ということなので、ごはん一粒一粒にタンパク質が豊富に含まれていること、それも人間の体で作れないタンパク質が含まれていることと関係あるのではないかと直感しています。「ごはんの力」で老けない体をつくる[つぶつぶグランマゆみこ]
\ごはんを食べよう/過去の記事はこちらごはんを形成しているのは光の結晶ですが、光の実態は光子という素粒子です。素粒子は右回りか左回りのエネルギーの渦だとうのが最新の量子論の見解です。そして、陰陽論という東洋思想では、そのエネルギーは大きく分けて、緊張と熱をもたらす陽のエネルギーと、リラックスと冷をもたらす陰のエネルギー、そしてそのバランスのとれた中性のエネルギーがあると説きます。ごはんは中性のエネルギーを持っているので、たくさ
\ごはんを食べよう/過去の記事はこちら赤ちゃんは生後六ヶ月までは脂肪の消化酵素が少ないので、脂肪を最初に与えると下痢を起こしやすくなります。また、タンパク質を与えるとアレルギーの原因になりやすいので、赤ちゃんの離乳食はごはんが最適なのです。世界的にも、ごはんが小麦に比べて病気を起こしにくいことが知られています。「ごはんの力」で老けない体をつくる[つぶつぶグランマゆみこ]1,080円楽天人気ブログ記事は>>
\ごはんを食べよう/過去の記事はこちら「ヒトは、一年間に60kgの精白しすぎない穀物で、すこやかにいきていける」というのは衝撃の事実でした。そして、調べて見たら60kgはなんと俵一つの穀物の量でした。米俵一俵が一人分のいのちを支えるのです。「イネのワラで作った土に帰るエコな容器に、一人分のいのちを養う量の穀物を詰めて蔵に積む」なんて素晴らしい知恵と思いませんか。「ごはんの力」で老けない体をつく
\ごはんを食べよう/過去の記事はこちら日本人のいのちを支えてきたのは米と味噌です。蔵こそがいのちを預ける銀行でした。それも価値の変動しない銀行です。わたしが山形県の雪深い里に引っ越したときに、地域の農家のお年寄りが、「米と味噌さえあれば何とでも生きていける」と常々親からいわれていたと話してくれました。米倉は籾米の貯蔵庫であると同時に、作物全般の種の貯蔵庫の役割を果たしていました。籾米も翌年の食料を生み出す大切な種です
\ごはんを食べよう/過去の記事はこちら日本人全員が日常的に米を食べられるようになったのは昭和50年代になってからです。明治のはじめの統計では25万ヘクタールのアワが生産されていたという記録があります。岩手県の山間部を訪れたときに、土地の方が、昭和40年代後半まで雑穀ばかり食べていたと話してくれました。北海道の二風谷で故萱野茂さんのお話を聞いたとき、「ここで米が食べられるようになったのは昭和30年代になってから、普及したのはもっと後
\ごはんを食べよう/過去の記事はこちら世界中の先住民が自分たちが食べている主食穀物のことを、「祖先の神様から贈られた魂を養う食べ物」といいます。そして、それを毎日のごはんとしておなかいっぱい食べることで生き抜いてきました。日本人もつい最近まで、毎朝炊いたごはんを神棚に供えて感謝の祈りを捧げて暮らしていました。生命を育む大地が人間用に生み出す作物が穀物です。その穀物を火にかけて調理して食べることで