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現在、自宅で暮らしている要介護3の母。脳出血発症時のことを振り返ってみました。←救急搬送&急性期病院の話←リハビリ病院の話←前の話さて。脳出血を発症しリハビリ病院を経て、自宅へ戻ってくることになった母。自宅介護のため、もろもろ準備が必要です。母の部屋&介護用品の準備■ベッドを入れるための畳の保護■寝具■ベッド周りの収納■介護用グッズ■おむつ等その他■冷暖房、家電等■その他居間のもようがえ■家具食事用の
つづく…つもりだったけど笑お迎えが思ったより早くきましたただそれも、サッパリはっきりとした性格の母らしいなと、思っています^^記事アップとリアルとはタイムラグありますが、沢山の方に読んでいただきありがとうございました夢の国から、タワテラ以上の急降下だった約2週間…告別式を終え、今感じていることをまとめとして残そうと思います!必ず訪れる親の介護と死今後のご参考にして頂ければ、幸いです!『緩和ケアのギャップ』天国への入り口夜があけ、看護さん、先生がきてくれて母の状況を話し、本人、家族
12/4にMRI検査を受けた母。入院している間に家族のグループLINEにメッセージを入れてくるのだがなんとなく様子がおかしい。内容は帰りたいということと家の事務的な事の連絡なのだがなぜか「ですます」調。あと、意味は何となく通じるが言葉の選び方がおかしい。「退院する時」を「辞める時」と表現したり。母の腫瘍は左脳にできており、左脳は言語を司るのでまず言語に障害が出ると後で言われていた。今思えばこのころから失語症の症状が出ていたのだろう。検査結果が出るまでの数日、母のいない実家で父と色々話
手術の同意書にサインし提出をした翌日、父から「大切な話がある。お母さんはやはり手術は受けない。同意書は撤回できるとあるので撤回を申し出る。」とLINEがくる。はあ!?と思っているところで病院から着信。担当医だった。「お母さんと再度よく話をしたが手術はやはり受けないとのことだった。最後は本人の希望が一番なので無理強いはできない。手術、治療をしないということであれば入院している必要はない。明日、自分は出張でいないが同じチームの別の医師と話しをした後退院してもらって構わない。」というような話だった
訪問いただき、ありがとうございます義父による自宅介護生活が始まって5ヶ月と3週間がたちました義父(要支援2)80歳足と腰がわるいです義母(要介護5)80歳歩けない、寝たきり食事は自分で食べる肝臓がん腹水あり*****14日(日)2週間ぶりに義理実家へ行ってきました。義父の様子冬服をたくさん干していました。クリーニングには出さないで自分で干してしまうと節約だからなぁとのこと「200円しかない」と言っていました財布に20
羊水検査日を決めるため産院を受診した。胎児が生きている状態のエコーを最後に夫にも見せたいと思い、夫に付き添ってもらった。経腹エコー:胎児の大きさは13w4dで週数ぴったり。元気に動いていた。首の後ろのむくみがあった。むくみは2.7mmでそこまで厚くはないけど胎児がのけぞった姿勢をしているため正確に測れないと言われた。10〜13週頃にできる絨毛検査を希望していたがこの産院では実施していない。羊水検査ができるのは16週以降で結果は4週間後と言われた。となると20週以降での中期中
たくさんのブログの中から訪問して下さってありがとうございます。伯母さんの持病が悪化して大学病院に入院していましたが、退院後施設に入所しました。いろいろあって、自宅介護に切り替えました。昨日はこんなことがあったんやけど『振込詐欺?』たくさんのブログの中から訪問して下さってありがとうございます。【P10倍】日傘折りたたみ完全遮光2way2段折り8本骨【遮光率100%・UV遮蔽率…ameblo.jp👆今日はすっかり忘れてるようです。あー、よかったではなく今日は、◯◯新聞を
両親が認知症になりました・・・母は肺癌が見つかりました私の介護の記録用ブログです認知症見守り9年目2021年11月から平日泊り込み介護開始しましたそして22年8月末からは母の看取り・・・在宅介護が始まりました!そして2022年9月中旬に旅立ちましたその後介護後の鬱状態(仕事だけは継続していましたが生きる気力を失っていいた)グリーフケア外来通院その後少しずつ回復しています父は現在小規模多機能施設を利用中*************自宅介護に向けて訪問診療・看護
12/20、今後お世話になる訪問診療の医師と訪問看護の看護師さんが来られて母の様子を確認し看護契約を行う日。母は朝2口ほどの水を飲んだきり眠っている。時々いびきをかく。10時に訪問診療専門クリニックの医師と看護師が来られた。そこで今後の方針を再確認される。積極的な治療はせず、苦痛があればそれを取り除くためのお薬を処方してもらう。栄養がとれなくなっても点滴などはせずに自然に任せる。医師の訪問診療は月に2回。バイタルチェックをされている最中も母は眠ったままだった。医師からは眠った
もちろん脳腫瘍は良いことばかりではありません。この頃、食事が上手くできなくなっていた父は、その代わりに相変わらず水を物凄く欲しがりました。そして、今飲んだのに、5分も経たないうちに、水を欲しがります。私は困ってしまい、そんな時は出かけて距離を取るようにしていました。1時間程、外で時間を潰して家に帰ります。すると、また、水をくれが待っています。そうして水をあげては、その繰り返しです。そのうちに父は自分が水を飲んだ事を、忘れる様になってきました。私が「今水を飲んだばかりだからお腹がパ
再度、介護認定調査員が来て母と面談した。調査員が型どおりの質問をしていくが前回とは全く違い母は何も答えられない。声をかけられると調査員の顔を見ているので聞いてはいるようだが、しばらくすると目をつぶってしまう。前回調査員が来た時は椅子に座り、質問に正確には答えられなかったが意思疎通は出来ていたし体も動かせた。あれから数か月経っているように感じるがたった1か月しか経っていないことに改めて驚いた。母が何も答えられないので家族へ状況の質問があり調査は終了。ケアマネさんから暫定で要介護4のケアプ
ご訪問ありがとうございます。心温かな訪問介護ヘルパーさん達のおかげで母の完全自宅介護が実現して1年半。このまま自宅で最期を迎えられたらと思っていた矢先、私の乳がん発覚で、自分の治療と母の介護との両立のなか、2023年11月に母が旅立ちました。その後の記録を詳細に綴ります。*************************************母の死後の手続きについて、前の記事からの関連記事になります。『死後の手続き-7生前に戸籍収集を!』ご訪問ありがとうござ
両親が認知症になりました・・・母は肺癌が見つかりました私の介護の記録用ブログです認知症見守り9年目2021年11月から平日泊り込み介護開始しましたそして22年8月末からは母の看取り・・・在宅介護が始まりました!そして2022年9月中旬に旅立ちましたその後介護後の鬱状態(仕事だけは継続していましたが生きる気力を失っていいた)グリーフケア外来通院その後少しずつ回復しています父は現在小規模多機能施設を利用中*************心療内科心理カウンセリングそ
ぴーちゃんが亡くなった事でぴーちゃんを知らない新しいフォロワーさんにぴーちゃんを知って頂きたい想いと、元々、この青い鳥というプログが始まったきっかけになった私の身に起きた現実から、こんな人間でもここでこんな風に生きている事を皆さんに伝えたい想いで誰かがこいつよりマシだと思うかもしれない?バカにされても良いから生きていく力になればと思ったのがきっかけでした。弟と父の7回忌ももうすぐ行われます。それまでかいつまんで弟の事。父との最期を。過去の投稿をもう一度再投稿してあげておきますの
排便・摘便の話なので苦手な方はご注意ください。週2回の訪看さんには主に排便のケアをお願いしている。母は脳以外の内臓機能は極めて元気で、昏迷状態中もお腹は良く動いていた。そのため数日間寝ている間に下りてきた便が出口付近で固まってしまう。固まった便で栓がされてしまうので摘便で掻き出さないと詰まってしまう。柔らかい便であればさほど苦労はしないが固い便の場合、看護師さん一人で体を押さえながら摘便するのは大変だ。なので体を側臥位で押さえるお手伝いをする。摘便中、「痛い。痛い。」「もう
母を特養にいれるためには介護認定で介護度3以上にならないといけない。そのためには、主治医意見書にちゃんと自宅介護が困難なことを書いて欲しい。以前父は介護度2から1に下がったこともある。まさか母が介護度下がることはあり得ないと思うけど、身体が健康な母は果たして3になるだろうか?今月の受診から、血圧の薬を貰ってる病院で認知症の薬をもらい、病院を1本化した。血圧の診察に通ってる内科で主治医意見書に自宅介護が困難な事を書いてもらえるだろうか?母の認知機能の話は全然というかほとんど、診察の
また排便の話です。苦手な方はご注意ください。私が自宅に戻っていた週末、妹よりLINEが。「あけるたびウンチ」おむつを開けるたびにパッドに便がついていて、トイレットペーパーでお尻をふきとらないとならないそう。週末は金曜日にヘルパーさんが来るだけで土曜、日曜とサービスがなにも来ないので家族でなんとかするしかない。恐らく出口付近に便が下りてきてたまっているのだろう。自力で出すことが出来ないので少しづつ漏れ出てしまうのかもしれない。次に訪看さんが来るのが火曜日なのでそれまでどうす
「介護をしていて、何が1番辛かったのか?」と、問われるとなんて答えますか?一般的には、トイレ介助、お風呂の介助ですが、義母の場合、それはなかった。トイレは、1人で行けるしオムツもしていない。たまに、便失禁はあるけど、殆どない。お風呂は、デイサービスで入ってくる。お金の無心もないし、「通帳がない」と騒ぐ事もない。食べ物も、出されたものを「美味しい」と殆ど完食。あれ食べたいこれ食べたいと、一切言わない。こちらから、「何か食べたいものがある?」と聞いても、「何でもいい」と答える。そして
2024年4月26日(金)4泊の私達の夫婦旅行に母が同行したんですが費用はほぼ夫持ち。母は年金で生活している身。更に父の介護費用は自宅介護と言えども毎月25万円ほど掛かっています。母の旅行費用を夫が出すのは夫も承知の上で誘ったわけで…ま、そうなるんでしょうが…母の感覚がやや麻痺して来ているような…親に掛かる費用を子が出すのが当たり前とそう取られたら困ったもんです。それに引き換え、夫の両親は老後の資金を子ども達に負担させたくないと今のところ施設に掛かる
母はまた1日のほとんどを寝ているようになった。時々、うっすら目を開けるが焦点が合っていない。過去2回の昏迷状態は3日ほど過ぎたあたりから少しずつ回復したが今回は3日以上が経った。訪看さんに体の状態をみてもらうと若干酸素濃度が低いものの血圧や胸の音などは正常とのこと。栄養が取れなくなると一気に褥瘡ができやすくなるとのことで自動で体位変換ができるマットレスを勧められた。ただ、まだ母は右腕の痛みが治っておらず自動で体位変換されると痛がるかもしれない。なのでクッションを背に入れて体の向きを右
1か月前に要介護2と認定された母は、再調査にて要介護5になった。私のかかりつけ医で「要介護5の母を自宅介護している」という話をするとすごく驚かれた。「それはさぞかし大変でしょう。無理はしないで。」と労いの言葉をいただいた。確かに慣れない下の世話は大変だし、常に誰かが近くで見守っていないといけないので時間を拘束される。ただ、家族で協力もできているしケアマネさんのおかげで介護サービスもしっかり受けている。寝たきりのため徘徊の恐れもない。うちよりもっともっと大変な介護生活をしている方はたくさん
介護ベッドが入った翌日12/17は用事があったため私は帰宅し夜遅く妹が来ることに。その日の母は日中ずっとベッドの上にいて、トイレに行きたくなると起き上がろうとするので父が介助しながらトイレに入る。どんなに具合が悪くても毎日湯舟に入りたがる母のため、父が支えながらなんとか入浴もさせたそうだ。【その日の父からのLINE】5時前に後ろから抱きかかえるように支えてトイレに行った。ベッドに帰った後で白湯をコップ1杯飲んだ。これから風呂に入れる。後ろから抱きかかえるようにしながら足から母の自
正月三が日が過ぎ、1月4日は私も妹もどうしても実家には居られないため母が寝たきりになってから初めて父一人で1日過ごさなければならなかった。父から「訪看さんに浣腸をしてもらってかなりの量の排便があった。看護師さんに飲む栄養剤を医師に処方してもらうと良いと言われた。」とLINEで連絡がきた。「痛がった」と父のメモにあるので自力排便ではなく摘便をしたのだろう。次の日の朝5時ごろ、父から「夜中1時いきなりうんち。準備不足だった」とLINEが届く。前日の浣腸で出きっていなかった分が出てしまったの
母の覚醒度合いがかなり高くなった。日中ははっきりと目を開けているし聞いたことに「うん」「違う」と声に出して答え、少しだが表情が変わるようになった。「私が誰か分かる?」とふざけて聞くと”わかってるわよ”というような顔をしてフフッと笑う。そんな母に少し安心してしまったのか私が風邪をひいてしまったので一旦自宅で休むことに。その間は母の様子をLINEで送ってもらっていたのだが、とにかく良く食べるらしい。食べるのはプリン・ヨーグルト・ゼリーというようなものだが、飲み込みの調子が良ければ蒸しパ
両親が認知症になりました・・・母は肺癌が見つかりました私の介護の記録用ブログです認知症見守り9年目2021年11月から平日泊り込み介護開始しましたそして22年8月末からは母の看取り・・・在宅介護が始まりました!そして2022年9月中旬に旅立ちましたその後介護後の鬱状態(仕事だけは継続していましたが生きる気力を失っていいた)グリーフケア外来通院その後少しずつ回復しています父は現在小規模多機能施設を利用中*************義母の自宅介護のためケアマネさ
両親が認知症になりました・・・母は肺癌が見つかりました私の介護の記録用ブログです認知症見守り9年目2021年11月から平日泊り込み介護開始しましたそして22年8月末からは母の看取り・・・在宅介護が始まりました!そして2022年9月中旬に旅立ちましたその後介護後の鬱状態(仕事だけは継続していましたが生きる気力を失っていいた)グリーフケア外来通院その後少しずつ回復しています父は現在小規模多機能施設を利用中*************旅立の準備をしている義母
娘の身なりを整えて、帰り支度を終えました。後は娘と一緒に帰宅するだけです。もう辺りは真っ暗です。お会計は後日、請求書を送ってくれるとのことなので、このまま帰ります。娘を連れてどうやって帰れば良いのだろう、、、業者の方が丁寧に今後の流れを教えてくださいました。とても驚いたのですが、赤ちゃんが亡くなった場合は、親がそのまま抱っこして家に連れて帰るそうです。初めて知りました。落とさないように、傷をつけないように、、大事に大事に運びます。病棟のスタッフの方々がお見送りをしてく
要介護度5の実母の病気や入院生活、自宅介護などについてつづっておりました。時々母の介護の振り返り記事を載せております。母、2017年の初夏に脳出血を発症。★脳出血の話はコチラそして2019年の晩秋に脳梗塞を発症。★脳梗塞の話はコチラ自宅介護ののち、2021年10月に心不全で亡くなりました。2019年11月。まだ母が脳梗塞を発症する前、要介護3だったころに「アームスリングの作り方」なる記事を載せていました。『急性期病院OTさん手作りアームスリン
そして2つ目の確認事項「自宅退院を目指す」ことに関してですが、こちらは一旦保留となりました。今まで夫婦では「24時間ずっと自宅で看るのは無理」と話し合って来たものの、やはり可愛い娘。私は日に日に、大変だと思うけれど夜も一緒にいたい、ずっと私がお世話したい、家でゆっくり娘と過ごしたい、という思いが強くなっていきました。しかし、そうは言っても娘の状態がそれを許してくれるのかはまた別の話です。この件に関しては娘の状態を見ながら、その都度話し合っていくこととなりました。
母のわがままで入院日に1日猶予をもらって2023/12/1、K大学病院に入院。当日、病棟へ行く前に入院前検査(血液検査、心電図など)を行うため大きな大学病院内をあっちこっちに動いて検査を受ける。やっと病棟へ行きベッドで荷ほどきをしていると看護師、薬剤師、医師と次々にやってきて母に声をかける。おそらくカルテ上の母は高齢の重症患者なのだろう。どの人も母の耳元に大きな声で「どこか具合悪いところはないですかー?」と聞いていく。年寄り扱いされるのを嫌う母なのでムッとしている。皆が出ていくと「あん