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再度、介護認定調査員が来て母と面談した。調査員が型どおりの質問をしていくが前回とは全く違い母は何も答えられない。声をかけられると調査員の顔を見ているので聞いてはいるようだが、しばらくすると目をつぶってしまう。前回調査員が来た時は椅子に座り、質問に正確には答えられなかったが意思疎通は出来ていたし体も動かせた。あれから数か月経っているように感じるがたった1か月しか経っていないことに改めて驚いた。母が何も答えられないので家族へ状況の質問があり調査は終了。ケアマネさんから暫定で要介護4のケアプ
夫が食べず、話さなくなってから、11〜14日目。2023年2月23〜26日仕事はしばらくお休みさせてもらっていた。相変わらず話さず食べずで、寝ている時間が多かったが、日中はテレビを見させたり積極的に話しかけた。食事は水分補給ゼリーを無理やり飲ませる。トイレにも自発的に行かなくなったので、こちらから促して連れて行った。トイレの中でどうしたら良いのかわからないような時もあった。45歳の夫がこんなに急激に認知症のような感じになって、私も本当に戸惑
皆さん、こんばんは!昨日、12/11に無事に退院することが出来ました!入院中、皆様からの励ましや応援コメントに大いに救われました。本当にありがとうございました!退院と言っても…僕の肺塞栓の元になった弾丸(血栓)はまだ右足にあります。なので、何かのトリガー(衝撃?)で再発射!…ってことも有り得るそうです。右足に弾丸を抱えた男…次に発射されたら…今度は心臓に飛ぶかも…ヘヘヘッ…でも、どうすりゃいいの?オシエテー!今は家で血栓を溶かすイグザレルトというお薬を飲んで
夫が食べず、話さなくなってから、7日目。昨日、キャンプに行く前に夫に無理やりおにぎりを1つ食べさせた。それ以外は何も飲まず食わず。身体が本当に心配しかもテントの準備片付けには人一倍詳しく口うるさい夫が、今日はテントのたたみ方がわからない結局中途半端に畳んで受付の方に返した。私たちが片付けをしている間、息子は周辺の子供たちとお友達になって遊んでいた。夫が突然「息子は上の子と下の子の間でうまいことやりながら遊んでいる。中間管理職向きだなっ」と笑いながら冗談を言
両親が認知症になりました・・・母は肺癌が見つかりました私の介護の記録用ブログです認知症見守り9年目2021年11月から平日泊り込み介護開始しましたそして22年8月末からは母の看取り・・・在宅介護が始まりました!そして2022年9月中旬に旅立ちましたその後介護後の鬱状態(仕事だけは継続していましたが生きる気力を失っていいた)グリーフケア外来通院その後少しずつ回復しています父は現在小規模多機能施設を利用中*************GWになり毎日のように子や孫
中絶は殺人。殺人を犯したくない。なんの罪もない命を罪だらけの私が殺すのか、、、産んだらかわいいだろうし一生懸命育てるだろう。私と夫が生きていて、可能な限り。働いていた施設でダウン症の入居者がいた。施設入居するまでは高齢の母親が自宅介護していたが自宅介護困難になり施設入居となった。入居してしばらくは母親が恋しくて毎日泣いていた。認知症の進行も早く数年で寝たきり車椅子になった。高齢の母親も施設入居し、面会には来れなくなった。50代で入居して60代前半で亡くなられた。体はふ
ケアマネジャー、特養の相談員さんとなんども電話連絡夕方にはケアマネジャーも来訪仕事辞めててよかったなぁほんと何もできず1日があっという間に過ぎる特養に申し込み中なこと入居がきまりそうなこと…ママちゃんには伝えているけれど…言っても理解しているのだかどうだか認知症のせいで5分後には忘れているし現在入院中の方の部屋が空いたのでとりあえず期限がわからないショートステイへ明後日に出発します入院中の方が戻られる状況になったら一度自宅介護に戻って待機戻ら
当ブログにはプロモーションが含まれております。3人の子供たちを育てながらフルタイムで働いていますお得とディズニーが大好き♡子育てしながらも働けるぞ!気軽に遊びに来て下さいねPRご予約はお早めにヒルトン沖縄北谷リゾート楽天トラベル東京ディズニーリゾート・トイ・ストーリー(R)ホテル楽天トラベルザパークフロントホテルアットユニバーサル・スタジオ・ジャパン楽天トラベルクーポンでお買い得!【★寒い日応援:最安で1枚789円~!2点購入クーポンで】【楽天一位】元祖
娘の身なりを整えて、帰り支度を終えました。後は娘と一緒に帰宅するだけです。もう辺りは真っ暗です。お会計は後日、請求書を送ってくれるとのことなので、このまま帰ります。娘を連れてどうやって帰れば良いのだろう、、、業者の方が丁寧に今後の流れを教えてくださいました。とても驚いたのですが、赤ちゃんが亡くなった場合は、親がそのまま抱っこして家に連れて帰るそうです。初めて知りました。落とさないように、傷をつけないように、、大事に大事に運びます。病棟のスタッフの方々がお見送りをしてく
嘔吐した翌日、若干おりもののようなものがパッドにつくことはあったがおしっこは出なくなった。「おしっこが出なくなったら3日」という情報を信じ、あと2日程度でお別れかなと思っていた。夜、21時頃突然母の呼吸が早くなる。お風呂からあがったばかりの父と一緒に見守る。「訪看さん呼ぼうか」と私が言うと妹に「呼んでどうするの?なにもしてもらえないよ」と言われる。そうだった。治療はなにもしないと決めている。もう、見守るしかできないのだ。全力疾走しているような呼吸状態が続いている。22時3
母は時々目をあけるが、何も口に入れようとはしない。テレビの方向を見てはいるが見えているのか分からない。特に変化がないままほぼ飲まず食わずで9日が過ぎた。人は水分をとらなければ4~5日で亡くなるのかと思っていた。子供の頃、ニュースや新聞記事などを見て分からない事があると父に聞いていた。なのでついつい父に「人って飲まず食わずでいたらどのくらい生きるものなの?」と聞いてしまった。さすがの父も「わからん」と言っていた。そりゃそうだ。【父のメモ】02/2202時Sおしめ交換。0
両親が認知症になりました・・・母は肺癌が見つかりました私の介護の記録用ブログです認知症見守り9年目2021年11月から平日泊り込み介護開始しましたそして22年8月末からは母の看取り・・・在宅介護が始まりました!そして2022年9月中旬に旅立ちましたその後介護後の鬱状態(仕事だけは継続していましたが生きる気力を失っていいた)グリーフケア外来通院その後少しずつ回復しています父は現在小規模多機能施設を利用中*************旅立の準備をしている義母
母をどうにか特養に入所させて半年が過ぎました。180日間のショートステイを終えて、9月に正式に入所手続きを終えました。9月には運良く2人部屋から個室に変わることができました。入所してからずっと個室でないことを不満にしていたので、これについてはひと安心。入所してから2,3か月後には歩くことをやめ、完全に車椅子の移動になりました。手を取ってあげれば10メートルは歩行できていたのですが、本人いわく「足が痛い」とのこと。リウマチで足の両指は脱臼している状態なので痛いはず。バリアフリーで
はじめまして。じゃすみんといいます。夫が2023年2月末に自宅で倒れ、グリオブラストーマ(膠芽腫グレード4)、余命14ヶ月と診断を受けました。主人の病状は、手術後重度の認知障害を発症。要介護5。寝たきり、胃ろう、暴言、せん妄あり。それから半年後の8月から自宅介護を開始しました。現在は在宅介護を始めて7ヶ月が経とうとしています。夫はまだ懸命に生きています。当時の様子を振り返りながらその様子をリアルにブログで残したいと思います。振り返りの記録が現在に追いつきましたら、自分の心の整
毎日毎日同じ様な日々が続いています介護に携わっている方はどんな日常を過ごしているのかなあ、、、なんて考えたりしています母も同じですが、外との繋がりがない日々刺激が欲しい様な欲しくない様な皆さんのブログを読みたいなあと思いつつ心に余裕がない訪問するのが怖い時間はたっぷりあるのですがなんでだろう、、、疲労は積み重なっている気はしています母はと言うと、、、先日、、、ふざけんじゃねーっ!!と、ドス!のきいた声おいっ!聞いてんのか!怒鳴り声が聞こえてきたんです!何、何、なんな
昨日から特養への仮入所が始まりましたほかの方のブログでもよく見かけますがショートステイや施設に送り出した翌日ってほんと疲れがでて倒れそうになりますね荷物や薬連絡、書類の準備が大変なのもありますが毎日のお世話で気が張っていたのが一気に疲れとなってでちゃうんでしょうね前日に通院もあったし翌日も特養に荷物を届けたりしたのでほんと倒れそうになりました通院の帰りに丸亀製麵で待望のトマたまカレーうどんを食べましたよ『認知症ママちゃん内科通院日~仕事辞めててよか
先日の仕事の研修で生き方美人と老後のあり方の学びをしそのなかで、認知症に近づいてる人はこんな人、という話がありました・出かけるのがおっくう・何事にも、めんどくさいと思う・家の中が汚い、だらしない・人と会うのがイヤだ、・お洒落はめんどくさい・清潔感に無頓着・ひきこもりああ、全てに当てはまる義母この傾向がすこし出てきたときに、引き戻せてあげられればよかったなぁでも、認知症なりかけの頃って、とても頑固で、自分では認めないから難しいですよね穏やかなお見舞い風景に見えるけど同じ
年明け間もなくして要介護2の認定が下りた。だが認定員が調査に来た時から母の状態はかなり悪化しており要介護2ではないことは明らかだ。ケアマネさんよりすぐに区分変更申請しますとの連絡をいただいた。1/12に再度認定員が調査に来ることになった。介護生活約1か月でなんとなく1日の流れの用なものができてきた。ここでは書かないが、今後のことで心配事が複数ありそれをひとつひとつ解決していかなければならない。1日の流れが出来てきたので介護の合間に手続きなどを妹と進めていく。妹は本業もあるのに大変だ
1か月前に要介護2と認定された母は、再調査にて要介護5になった。私のかかりつけ医で「要介護5の母を自宅介護している」という話をするとすごく驚かれた。「それはさぞかし大変でしょう。無理はしないで。」と労いの言葉をいただいた。確かに慣れない下の世話は大変だし、常に誰かが近くで見守っていないといけないので時間を拘束される。ただ、家族で協力もできているしケアマネさんのおかげで介護サービスもしっかり受けている。寝たきりのため徘徊の恐れもない。うちよりもっともっと大変な介護生活をしている方はたくさん
母が何も口に入れなくなってから10日経ち、いつどうなるか分からないので妹も私もローテーションをやめて実家にずっといることにした。二人分の布団を敷いていると父が「あれ?今日は次女は帰るんじゃないのか?」と聞いてきた。父はのんきだ。母の体からは水分がほとんど抜けてしまったようだ。あばら骨が浮き上がるほど痩せてしまった。皮膚がカサカサになってしまうのでクリームを多めに塗る。足にも腕にも骨と皮しか感じられない。ただ顔の肉だけはあまり落ちていないのでパジャマを着ているとさほど痩せたことは分
たくさんのブログの中から訪問して下さってありがとうございます。伯母さんの持病が悪化して大学病院に入院していましたが、退院後施設に入所しました。いろいろあって、自宅介護に切り替えました。昨日はこんなことがあったんやけど『振込詐欺?』たくさんのブログの中から訪問して下さってありがとうございます。【P10倍】日傘折りたたみ完全遮光2way2段折り8本骨【遮光率100%・UV遮蔽率…ameblo.jp👆今日はすっかり忘れてるようです。あー、よかったではなく今日は、◯◯新聞を
午前10時過ぎまで横になり、朝兼昼ごはんにトーストを焼き皆で食べる。午後、葬儀屋との打ち合わせ。葬儀は前々から家族葬にすると決めていた。やはりとても火葬場が混んでおり予約ができたのが5日後の3月8日になった。葬儀屋との打ち合わせが終わってから何をしていたのかあまり覚えていない。ただ何度も「終わったんだなぁ」と思ったことは覚えている。夜は3人前のお寿司をとって献杯した。明日、私と妹は一旦自宅に帰る事にする。父も一人にならないと思い切り泣けないだろうし。実家のすぐ近くには散歩に丁
退院の付き添いを終えた私たち姉妹はそのまま実家へ泊り、宅配ピザを頼み一応退院祝い?をした。久々に食べたピザは母の口には合わなかったようで「美味しくないね」と言っていた。実家からバスで5分程の駅まで行き、20分ほど歩いた所に地域包括支援センターの分所のような「相談室」というものがあると分かった。退院の翌日、姉妹で行って来ようかと話していると母も同行すると言う。少し心配だったが脳以外は元気だし歩くのも運動になるので一緒に行くことにした。相談室に到着し、どういった病気か聞かれ「膠芽腫
治療?ではないですね💦痛みの軽減や少しのやる気を出すお薬で日々過ごしています痛みどめとステロイド長生きを願うより痛みと怠さをとってあげたいあっ!それと下剤!これは欠かせない!一応、トイレまでは歩けるのですが自分では中々難しいのよ毎回トイレでお湯を流しながら綺麗に結構、腰にきます!寝た状態の方が私は楽なんですけど自尊心を大切に今日はYouTubeを観ながら歌を歌っていたので少し痛みがないのかなあ、、、
レベル4(笑)…要介護度4の認知症ママちゃんにこやかに手を振りながら出発しました仮入所、期限未定のショートステイへ前日からの準備が大変すぎて…お昼は松屋の新作ポーランド風ミエロニィハンバーグあまりにも疲れすぎているので昼間だけどビールのんじゃう濃い目のマッシュルーム入りソースが美味ウィンナーもプリップリバターライスがついているのでGOOD罪悪感たっぷりのランチだけど満足、満足お昼寝して身体と心の疲れをリセットしてからいろいろはじめよう
自宅介護が始まってからはて介護施設っておいくらなのかしら?と調べてみた日本のように入所金?はないもののフロリダで一番安くてひと月7000ドルシュートメさまのように身の回りが一人では何も出来ない場合軽く1万ドルを超える家や土地を所有している場合この料金全て実費となりそうじゃない場合料金の全てを政府で援助になると聞いたそこで我々はシュートメさまの家と土地を生前贈与と言う形にしようと思ったのだが
⚠介護、排泄の話し出てきます元旦那の不倫発覚から離婚まで約10年その間に、元義母の介護を経験しました病院には退院を促され通える距離での施設の空きはなく本格的な24時間自宅介護になってからすぐにホスピス(病気などによる苦痛や不快を緩和し、最期のときを穏やかに過ごすことを目的とする施設)の空きが出て入居したので、私の介護なんてほんの数ヶ月でしたが大変でした(泣)癌だったのですが最後まで頭はしっかりしていて私がつい介護パンツのことを「おむつ」と発言してしまい注意を受けたりもしました
母はまた1日のほとんどを寝ているようになった。時々、うっすら目を開けるが焦点が合っていない。過去2回の昏迷状態は3日ほど過ぎたあたりから少しずつ回復したが今回は3日以上が経った。訪看さんに体の状態をみてもらうと若干酸素濃度が低いものの血圧や胸の音などは正常とのこと。栄養が取れなくなると一気に褥瘡ができやすくなるとのことで自動で体位変換ができるマットレスを勧められた。ただ、まだ母は右腕の痛みが治っておらず自動で体位変換されると痛がるかもしれない。なのでクッションを背に入れて体の向きを右
こんにちわこの連休は父が等々帰ってきて、自宅介護になりまして、色々とバタバタ&母と喧嘩したり。疲れ果てております。。。まぁ、ようやく落ち着き始めました。そして今晩は夜当番のため、会社に車を取りに行くところです。魚の世話は手抜き気味ですが、最低限って感じでしたので、本気で水換えをやっていかないと。そんな中。ブルーグラススワローと、RREA系パンジーグラスベリーが産仔。ブルーグラススワローは、リアル♂と交配し、半分弱がリアルに。パンジーグラスベリーも、♂はヘテロでし
妻です。夫が気管切開する前から、私の喀痰吸引研修は始まりました。既に嚥下機能も低下していたため、痰の飲み込みが困難な事が多くなり始めたのがきっかけでした。口腔吸引は割と安易でしたが、鼻腔吸引はなかなか難しく何度も何度もピンチに陥ると、訪看の夜間救急に電話して看護師さんに来ていただき、一緒に対応していただきました。鼻腔にカテーテルを入れると、痛みと嫌な感じとで夫は涙が出てしまいます。そんな苦痛の表情を見ながらカテーテルを入れるので、こちらまで苦しくなります。毎回訪看さ