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※閲覧注意※この記事には腫瘍写真が含まれますこの記事は私が今まで選んだ治療①色彩療法私が今まで選んだ治療②コロイドヨード私が今まで選んだ治療③テラヘルツ私が今まで選んだ治療④BlackSalveの続きになりますこの頃からもう家の中を自力で移動もできなくなり部屋の段差も足が上がらないから越えられないもう誰かの介助無しには生活出来なくなってある日、訪問看護の方に来てもらうことになりましたそして私の状態を見て1度病院に行く事を勧められ……私も血がなくてフラフラ
私が最初に乳がんを見つけたのは26歳の時でした偶然、胸の小さなしこりに気づいて"一応検査しておいとこ~"くらいの軽い気持ちで病院にいったらステージⅠの初期の初期直径1.5cmくらいの乳がんだと発覚しましたそれを知った瞬間いきなり死を突きつけられた感じで……もう歩くのもままならない1人で寝るのも恐い意味もなく手足は震えてもうただただ恐怖で……でもその恐怖を乗り越えられたきっかけは"自分で治そう"そう決めたことでした笑最初ただお医者さんの言われるがままに
※閲覧注意※この記事には腫瘍写真が含まれますこの記事は私が今まで選んだ治療①色彩療法私が今まで選んだ治療②コロイドヨードの続きになりますこの頃の私は腫瘍が大きくなりすぎて厚みは6cm……約人差し指1本分皮膚から腫瘍が飛び出していました腫瘍の厚みと重さが凄すぎて胸を伸ばして寝ると血管が切れて、出血しそうで……平らなベッドで寝ずにソファに傾斜をつけて寝るようになりましたこれは、普段から"後悔とかしても意味ない"と考える私も後々後悔せずにはいられませんでした
実は今日、自宅でネット配信のセカンドオピニオンを受けました!{ジダイハ、シンカシタ…!!と言うのも……今、私がしている治療は主にホルモン治療とイブランスという新薬で今のところ効いてるのですがもし、この薬が効かなくなったら従来の抗がん剤のような副作用の強い薬になるみたいで……私は、癌と闘う為にも出来るだけ自分の体力は守りたくて、今のところ従来の抗がん剤の様な副作用の強い薬を使うつもりは、ありませんですが、もしイブランスが効かなくなった時次の手段をちゃ
※閲覧注意※この記事には腫瘍の写真が含まれますこの記事は私が今まで選んだ治療①色彩療法私が今まで選んだ治療②コロイドヨード私が今まで選んだ治療③テラヘルツの続きになりますこの頃辺りから今までで1番しんどい時期になりますテラヘルツ治療で腫瘍は小さくはなったものの……毎日大出血で常に貧血で息するのもしんどいもう1人では歩けなくて誰かに支えられないと歩けないすぐ近くのトイレに行くのも激痛で両杖ついて泣き叫びながら10分くらいかけて行くもう座っても寝ても激痛でも
先日私の記事をアメバのトピックに掲載して頂いたようで沢山の方のイイねやフォローを頂きありがとうございますこれからもつたない文章ですがありのままの私を飾らずにお伝えできればと思います!こんなミミポポを今後ともどうぞよろしくお願いしますっ(↑この時の私は既にいつ出血してもおかしくなくて常に大量のガーゼを持ち歩いて…それでも大好きなスタバに行っては腫瘍を気にしながらも友達とお茶していました笑)そんな訳で……飾らずに……私の今の日々の過ごし方を書いてみようと思います笑
実は私、今日誕生日ですー!(↑自分で言いました。笑)本当は、あえてこうして誕生日だとブログで記事にするつもりもなかったのですが……今日の朝起きて以前、私の誕生日を聞いて下さった読者の方からありがたいことに……"誕生日おめでとうメッセージ"をいただきました✨{アリガタヤー!!私は、ただ歳を1つ重ねた感じで誕生日が楽しみではもう無くなってきたお年頃だったのですが……笑その方に言われた言葉で歳をとった現実に憂鬱だった誕生日が一瞬で喜びに変わりました!{ハッ……!
今日は身体のトレーニングDay!マニアックなトレーナー達と話しながら整理できたことをシェア。動きだけでなく表現もそうなんだが対象に対して意識を向けること(聴く)が基本です。でもいきなりその対象を意識しても自分から遠くにあったり刺激が強すぎたりするとそれを聴けなくなり緊張しやすくなります。なのでまずは意識する対象を自身の身体からはじめてそこを聴くことから広げることが大切だとわかってきた。自分の外にある対象を観る前に自分の身体の中の知覚がクリアになっていると
ブログでもたまに紹介する私のグローバルな家族何かハーフでも無いしでも、どう見ても外人が居る笑笑{アソコニイル不思議な家族構成だと思われた方も少なくないはず実はここに至るまでちょっとばかし複雑な家庭環境だった方かもしれません私が3歳の時に母は私の実の父親と離婚し私が6歳になる前に再婚しましたその人は私の育ての父親となり私が16歳の時母と育ての父親が別居するまでずっと一緒に暮らして来ました私は育ての父親にいつも気を使っていて父が家にいる時いつも窮屈で
はじめの初め①~わたしが乳がん見つけたとき~の続き↓↓↓今その時を振り返って思うのは自分の命を他人(お医者さんとか)に任せるのを止めて良かったでも極端に医者を否定して医学的視点から見ることまでも避けてしまったのは良くなかった……と私は今まで手術も抗がん剤も受けずにやってきてそれを受けない理由もあるけれど……だからって他の人にもそれを勧める訳では無くて何が1番大事って"自分が納得できる治療"それが私は1番回復の近道だと今振り返って思います"あの時
私が癌になって約8年その時から沢山の食事療法を試して色々、知識と共に変わったけど…結局、コレだけは絶対食べないと変わらないもの。それは砂糖ですこれは白砂糖だけに限らず蜂蜜やメープルシロップ、甜菜糖などの甘味料も含みますもともとチョコレートとかプリンやケーキが大好きだった私は最初糖分断ちするのは本当辛かったけれどしんどいのは最初だけで止めてしまえれば今度少しでも砂糖とか入ってたら"うぇっ甘っっ"ってなってむしろ気持ち悪くなった多分これは、以前の私
今、振り返ってみて私が一番しんどかった時期が2019年9月末に余命宣告を受ける前の2019年の4月頃歩けなくなり始めた頃から始まりましたこの時の事を詳しく今まで書かなかったのはあえて書かなかった訳ではなくあまりにも、その時の私はもう毎日を生きるのに大変で必死で正直、記憶もあいまいで思い出すのも少ししんどくて……でも、この時の事はこの経験が誰かの何かの参考になるかもしれないしいつか書いておきたいと思っていたのでようやく少し落ち着いた今、思い起こしながら
もともと病気を知る前の私はアパレルで販売員を17歳から病気を知った26歳までずーーーっと本当に仕事人間でしたどれくらいって仕事第1で"親の死に目にも会えない覚悟で居ろ"って上司に言われてそれを覚悟として受け止めてるくらいでしたそして体調悪くても、熱があっても休まない。てか休めない。なんでって……"まだ倒れてはいないから"そんな事本気で思ってました今、思えば本当にありえないのですが笑どこかで聞いた話"癌になった人はガンばりすぎた人"これを聞いた時凄く納得
この記事は33歳、少しずつ歩けなくなった余命宣告前[前編]33歳、少しずつ歩けなくなった余命宣告前[中編]の続きになります時間と共に良くなると思っていた腰。これが中々思うように良くならず…それに伴って、いきなり介助が24時間必要になり家族も大慌て。髪の毛は洗えないまま10日の時が過ぎましたもう、身体も、精神的にも限界だった頃訪問看護の方達に来てもらう事になりました初めて訪問看護の方に来てもらった時……その時の私はしんどすぎて腰だけじゃなく足なんか左太
※閲覧注意※この記事には腫瘍写真が含まれます今日は1ヶ月検診で朝から病院に行ってきました!イブランス1クール目の検査結果も見て今後の治療方針も確認しました{本題に入ります…{ピ…まず、今日したのは採血(血液検査)ランマークの注射(骨を強くする為)ホルモンの注射(お尻に2ヶ所)です{チューシャイッパイ…まず採血の結果!先月から始めたイブランスこの1番の副作用が白血球の低下なんですけど…2週間目の時に少し下がったけどそれもイブランス使用した割に全然下がっていな
"頭では喜ぶって分かっていても心をそっちに持っていくのって難しくない?どうやってる?"って今日、看護師さんに(訪問看護師さんに来てもらって介助を手伝ってもらっています)聞かれて"……いや、それ正に私が知りたい!笑"それ今朝から考えてた!自分がいつもどうやって心切り替えてるのか自分でも不思議だったんです笑笑しかも今新しい薬使う直前で少し不安がある状態……どうせ飲むなら"私は絶対これで良くなる"って思って飲みたい!あの、心から"私は大丈夫。"って根拠のない
子宮頚がんの検査結果病気が見つかった頃の私の過去を話してる途中ですが、今日は現在の私の身体の様子の話をさせて下さい私は卵巣腫瘍だけじゃなく21歳の頃から子宮頚がんの検査にも引っかかっているのですが今日は3ヶ月に1回検査している経過観察の結果を聞く日でした前回(2022年8月15日)の病院の時に初めて検査のたびに見つかっていた軽度異形成の細胞が無くなっていてとても嬉しかったことを昨日のように覚えています↑その時Instagramに載せたストーリーそしてこの時から3ヶ月たち11月に再び子
ビジネスを加速拡大させる中で、食事や睡眠、運動が疎かになり体調を崩してしまう人が多く、健康や本質的な美容の在り方に気づかされる人は多いと思う。健康美容とビジネスが整うと、その先に見えてくるのは資産運用だけど、実は1番初めにおすすめなのが資産運用の勉強。資産や資本について学ぶと、自分の身体こそが1番の資産や資本だと気づくから🫶🏻そこに気づいた上でビジネスコミットすると、パフォーマンス上がる♥️3つがsynergyを起こすよね✨
病気て病気になった本人だけじゃなくて家族や周りの人にも大きく影響される事が多いな~と思うそしてコメントで"どうしてもらったら1番嬉しいですか?"と、ご質問いただき改めて考えてみましたなので今回は私が乳がんになってから周りの人に"こうしてもらって嬉しかった事"をまとめてみようと思います正直、私からしたら"こうしてもらって嬉しかった"とか言うこと自体おこがましく思うのですが……でもよく周りの人には聞かれる事なので考えてみました私が病気になってしんどいこ
私の腫瘍が皮膚から飛び出して来たのが2016年30歳ぐらいの時今思うと自分でもビックリなんですが…というか"バカだったな~"てつくづく思うのですが……最初皮膚から腫瘍が出てきたのを"あ、外に腫瘍が出たのは中で広がらずに身体の外に出してくれてるんだ"そう思いましたその後すぐに、これは悪化だと気づいたのですが本当にこの時の私は身体を見る方向が偏っていたように思いますだから今はその失敗を反省して偏った見方に捕らわれないようにと思っていますそして、腫瘍が飛び出
"無理に前向くってしんどくない?"確かに無理に前向くってのはしんどいと思うけど、ずっと後ろ向いてる方が私は、もっとしんどい本当に絶望した時私は不安で押しつぶされそうで息するのもしんどくなって……そんなんが果てしなく続く方が私は、絶対耐えられないそんな毎日を過ごすぐらいなら無理矢理でも前を向いた方がよっぽど、私は楽だと思うでも基本は、無理矢理には前向かないようにしてます昔の私は、嘆いたり落ち込んだりした自分をその度に責めていたりしたんですが……
そうだよねーー!!私もそう思う!よく暇つぶしに見るWeb漫画でのワンシーンです笑笑これは恋愛の話してるシーンだけど勝手に自分に置き換えて最後のセリフを……"実際は、癌なんて全然大したことねぇのに…"って読んで喜ぶ私。{フフフそして!話は変わって笑以前、見て心に残った素敵な言葉を、またまた発見神様は私たちに奇跡を起こしてくれる困難や絶望から奇跡のように私たちを救い出してくれる問題を問題としては見ずかえって問題を通して自身を現して出会ってくれるだから、奇跡
僕らが究極に欲しいもの。お金でも、ブランドでも、権力でも、地位でも、時間でも、なくて。それはね。「自分は存在しててもいい」という許可。逆に、僕らが一番恐れてるのは、貧乏でも、病気でも、事故でも、失敗でも、(怖いけどねw)ない。それは、「無視されること」ってのは、「存在を否定」「存在を許可されない」ってこと。これが死ぬほど
※閲覧注意※この記事には腫瘍の写真が含まれますこの記事は前回の私が今まで選んだ治療①色彩療法の記事の続きになりますちょうどこの頃の私の状態は出血も激しくなって外で大量出血したら命が危ないのですが……それでも大量のガーゼを持ち歩いてなるべく車移動とかで動いてましたこの時ぐらいからケトジェニックの食事療法をしていたので外食はままならないのですが……それでもこんな風にカフェに行って私はお茶だけ飲んだりしてました笑そして色彩療法にも限界を感じてた頃知った
私が26歳の時に乳がんを告知されその時から8年間色々な食事療法をしてきましたがずっと、これだけは食べていないものがありますそのひとつは、以前こちらの記事に書きましたが↓↓↓もうひとつ、8年間とっていないのが乳製品ですまず、きっかけは乳がん告知直後、色々調べてその時この本を知り納得したからです↓↓↓乳がんと牛乳──がん細胞はなぜ消えたのか2,588円Amazonこの本の著者自身が乳がんになり研究した結果(42歳で乳がんになった著者プラント教授たたいても、たた
33歳、少しずつ歩けなくなった余命宣告前[全編]から3日間にかけて私の今までの人生で1番しんどかった時期を書いたので気分を変えて私の今までの人生で1番笑える時期を書きたいと思います笑笑本当、今回はただのネタ話という感じなのですがただ、この時も含めて今の私に繋がるので……ただ興味のない方にはあしからずです…{スミマセン実は10代の時の私はギャルサーというものが絶世期で(年代が違う方には分かりにくいかもなんですが、、当時、パラパラやトランスなどが流行っていて
1回目のセカンドオピニオンには、母がついてきてくれた私は性格上、ちゃんと説明されて納得できないと気が済まない、自分の身体に起こることは自分で知りたいタイプの人別にお医者さんが嘘ついてると思ってるわけじゃないけど、乳がんの実績豊富な大きな大学病院の主治医だからって、素直に先生の言う通り、なんてできないセカンドオピニオンは、自分が気になった質問を準備し、面談中に潰し込んでいった母は母らしく、娘は治るのか、と言う漠然とした質問をしていたMymotheraccompaniedme
今まで、腫瘍や病状の変化や状況の変化を主にブログで書いてきたので……乳がん告知された26歳2012年〜2016年までの4年間の、あまり腫瘍の変化が無かった時期の事を書くことが無かったのですが実は、、身体の変化は無くても心の変化は大きくあったので今回は心の変化にスポットを当てて、思い起こし書いてみようと思います実は元々の私は…[全編]で書いたように乳がん告知される前の私はずっと10代から働いていたアパレルで仕事人間で……でも、クラブや派手な遊びは大好きで、真
ヘモって何?って…痔の事です笑(以下、一応女性として痔の事を医学用語のヘモと記します↓↓↓)正直この話するのはこんな事ブログで話してどうかと結構私の中では勇気のいる事だったのですが……まぁ、これが実際最近の私の最大の悩みであり…ありのままの私なのでさらけ出してみようと思います笑笑但し、抵抗のある方はこれ以上読まないようお願いします!{ゴメンナサイそもそもヘモになる原因って便秘の方が多いみたいなのですが私の場合、全く真逆で腸の働きが良すぎて……
いきなりですが……私は癒されたら韓国に住みたい笑実は24歳くらいの時に初めて韓国行ってから多分20回近くは行ったくらい韓国が好きです何が好きって韓国のセンスが好き!いちいち可愛いしスタイリッシュなお店が多い食事も好き!辛いもの好きの私としては最高ですしかもオーガニックとか無添加とか日本より断然意識が高い!こんなオシャレで身体に優しいお店がいっぱいあるここは砂糖無し乳製品なし化学調味料なしグルテンフリー卵なし他にも色々なしがあった忘れた笑と