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特養でお世話になっている母カメコと面会してきました。今日の母は穏やかでした。長女と次女も来てくれましたが、面会はふたりだけという特養さんのルールがあるので、はじめに娘達が面会して次に次女と私が交代しました。母は、もう長女と次女の名前も忘れたようで反応はうすかったらしいです。知ってる人らしい程度の認識娘に「どこの山から来たん?」と聞いたらしいです山って???山岳動物じゃないよ次女と交代して私が行ったら母カメコはちょっとニコリとして「おかあさん…」と呼びました。私が娘で
知り合いから相談がありました30年ほど前に通っていたお店のご家族でわたしの新聞記事を見て相談に来ましたご自分が手術を受けることになり自宅で一緒に住んでいる母親をどうすればいいかという相談ですレスパイト入院ができないか探したそうですが稀にピクピクとひきつけのような発作をおこすことがありそれが理由で断られました精密検査を受けてピクピクの原因をはっきりさせてから再度相談して欲しいと言われたそうですお母さんを預けなければ手術が受けられないケアマネが施設も探したそうですが同じ
退院後の1ヶ月、父の容態は坂道を転がるようだった。一週間後には食事をまったくとらなくなった。二週間後には飲み物もほとんど飲まなくなった。日ごとに出来ることがなくなっていき、自分でベッドから立ち上がることが出来なくなった。にもかかわらず、トイレに行こうとしてベッドから何度も落ちた。次第に眠っている時間が増え、起きている時間が短くなった。退院後に本人が望んだ皮下点滴だけで命を繋いでいた。それでも、姪っ子が来てフルートとバイオリンで父の好きな歌を演奏したときは、楽しいなぁ、嬉しいなぁ、と
父、胃ろうにする事にした。施設に居る以前からチラホラ、医師の口から何度か出て来てた”胃ろう”。父に”胃ろう”にするかどうかは、きっと意味が理解できないので、判断させれない。ただ、父が、この先施設に入ったままでも、生きていたいのか?自分で歩く事も、もしかしたら楽しい事もないのかもしれない生活でも長生きしたいのか?それとも、そんな生活をするなら、今の時点で自然に終える方が良いのか?そこは確認する必要があるとは思っていた。良くも悪くも家族は私だけなので、親族で意見が割れ
こんにちは。ちょびです。87歳認知症の母地方の田舎住まい特養で看取り期に入り2週間になります。介護のキーパーソン:兄母と同県住まい介護者その2:私実家から半日かかる首都圏住まい今回は特養の看取り対応についてと母が特養の嘱託医から受けている医療行為をお話しいたします。私たち介護者への対応特養での面会は看取り期と言うことで、9時から17時ころならいつでもOK。始めの1週間私は、ホテルから毎日面会しました。特に急変
こんにちはいつもご覧いただきましてありがとうございます父が亡くなりました。昨日、お葬式でした。当日は晴天で、晴れ男だったので彼らしい最期だなと思いました。71歳でした。もう脳自体は90代を超えておりスッカスカ。老衰に近いとのことでした。苦しまなくてヨカッタな悲しいし、思うところはもちろん色々ありますが。肉体がないだけなのも理解していて、その辺にいるのもたまにわかるので。そして何より、死はあっちの世界での誕生なんで…、人間的にはかなり不謹慎&薄情に見えると
15才のワンコが下痢をしてすぐに気付いたのが体温の低下です。ワンコは人間よりも体温が高いのでいつも、介護やお世話をしていてあったかいな~、ホッカイロみたいだな~って思っていたので、ちょっとの体温の差にすぐに気付きました。それと同時に気付いたことが、ワンコのニオイが変わったこと。チワワは体臭がほとんどないので臭くはないのですが、老犬で歯周病があって寝たきりで。。なので、その子なりのニオイがありました。私からしたら、その子の
みなさま、おはようございます最近はレビュー記事が続いていたので、ちょっとブレイク。が、内容は明るい物ではないので朝から暗い気分になりたくない方はここでお引き返しを。義父が約3年前に自宅で熱中症で倒れている所を発見救急搬送し、命は取り留めた物の認知症を発症しており1人での生活は無理と判断。。。それからしばらく病院に入院していてその間に介護施設を探し無事に入所決定🏠それが約2年前。そして先月の下旬に差し掛か
ご訪問ありがとうございます病院が母のことを誰も把握していないように感じた私の爆発(?)を受けて、院長先生から謝罪を受けました。しかし、そこでまた『看取り』の時期だから食べないのではないかと言われ、またか...と思ってしまう私でした。続きです。前回の話はこちは⬇️『またぁ〜?!』ご訪問ありがとうございます今までいろいろな病院で酷い目にあい続けている私は、この回復期病院でも、また院長先生がとんでもない対応をするのではないかと身構えて、院…ameblo.jp院長先生によると、点滴の中
「母の棺(ひつぎ)に入れてあげよう」少し前からそう思っていたものがありました。それは、母がとても大切にしていた人形でひな祭りには箱から出して毎年飾っていた人形です。母が母のお母さんからもらったものらしく手作りの着物を着せていました。実家を片付けた後も、施設の部屋で大切に葬儀社との朝の打ち合わせでそのことを伝えると(葬儀屋さん)「火葬場に中に入れたものをすべて申請しなくてはいけないので、お人形はちょっと難しいです。全体
こんにちはいつも読んで頂きありがとうございますうちのワンコはまだ3才なので、あまり病気もせず、元気てすワンコ友達はワンコが、2代目3代目もいます。色々お話を聞いて、ワンコの将来のことを、家族で何となく話しましたいざ、大病した時、高度医療をするかどうか。私は、苦しむ治療なら、どんなにお金かかっても安楽死が良いと思ってる人間じゃないから、治療されてるって分からないし、ただ痛くて辛くて拷問されてるって感じでしかないなら、させたくないでも、生きてて欲しいから、高度治療を選択するご家族もい
私の患者さんで、食道について過度に心配される方が、います。胃カメラやっても、CTなどやっても何もありません。よくよく聞いてみるとお母様が、食道アカラシアという病気の治療で、不幸にして亡くなられたようなのです。お母様の病気は、特殊で頻度は高くなく、その方にはない事を何度も説明し、理解して頂き、その後は症状治まりました。コロナ流行で面会できないので、老衰で亡くなりそうな患者さんを病院から家に返して、御家族皆さんで、最期を看取った事があるのですが、亡くなった後の納得の表情も忘れられません。
死に対し一番の怖がりは医師です、何故なら穏やかに老衰で亡くなる在宅死を見たことがなく、病院で悲惨な死ばかり見ているからです。要介護状態になることを一番恐れているのは介護職です、何故なら介護施設での悲惨な延命介護ばかり見ているからです。男性は健康寿命で言うところの72歳、女性が74歳で介護が必要な状態になり、男性は死ぬまで9年間、女性は13年間要介護状態になります。癌も心臓病も怖いけど、一番怖いのは脳血管障害です。食事、排泄、入浴と全く自分で出来なく、全ての面に介護が必要な
姑が亡くなった。半ばわかっていたことだった。前々から決めていた私の台湾旅行の直前に、義母が危篤状態に陥っていた。義母がひとり暮らしになってからサ高住で亡くなるまで、6年ほどお世話をさせていただいた。「mocoさんもういいから後はまかせて。台湾行ってきて」と言ってくれた亡夫の親族達に感謝しつつ台湾に出発し、その翌日に訃報を聞いた。もう私にやれることはなかった。日用品やおやつを届けて世間話をし、まーるく掃除して帰るのが私の役目。姑が最期のときに会いたいのは私じゃないし、葬儀を仕切
主治医の先生に、『このままやとまずいなぁ……ご飯がね……』今のところ、特別悪いところは見当たらず。とにかく、胸に水が溜まってるのも、酸素不足なのも、貧血なのも、動けないのも、ご飯食べないので栄養不足と体力低下であろうと。とにかく、食べない。同室のいつ見ても寝たままの他の患者さんは、いつも寝たままで、声も出てないし、痰をとってもらったり、私の父が1番声が出てて、会話できてる感じやのに、ご飯時になると、父以外全員ご飯を自分で食べている。父だけまったく食べてない。なんでおとーちゃん、食
祖母が亡くなり1年が過ぎました。気持ちの整理がついてきたので、書き残せたらと思います。以前ブログにも書きましたが、祖母は認知症を6年前に発症し、最後は老衰で亡くなりました。自閉症とは違う!っと思われるかもしれませんが認知症と自閉症…脳の機能障害。共通する部分も多くあるように感じるのです。認知症は何かの病気によって起こる症状や状態の総称です。老化によるもの忘れと認知症はちがいます。誰でも年齢とともに、もの覚えがわるくなったり、人の名前が思い出せなくなったりします。こうし
母が永遠の眠りについた横で私は、父や義父の葬儀のことを思い返しながら少しづつ部屋を整理し始めました。父の葬儀のときの様子はこちらで↓『父の葬儀のかたち~実家近くの大きな斎場~』私が初めて親を看取り「葬儀を行う側」の立場になったのは13年前に実父が亡くなったときでした。そのときの喪主は、母でしたが父が亡くなった直後はその衝撃と…ameblo.jp義父の葬儀のときの様子はこちらで↓『義父の葬儀のかたち~自宅での小さなお葬式~』実父の次に見送ったのは二世帯
ボーボーになった庭木の剪定をしてもらいました2年前からお世話になっている便利屋さんです。6月半ばに「今年もそろそろどうですか」と連絡をいただいたのですが、ばあちゃんが危なかったこともあり、予定が立てにくく、一旦保留にしてもらい。少量でも食べてくれる日が出てきて、いくらか落ち着いている今ならば…と、思い切ってお願いしました。悪い方へは考えたくないけれど、ババがもし近々逝った場合、やはり葬儀屋さんが出入りしやすいよう、サッパリしておいた方がいいですしいつもは2名で来て、朝~夕方までかか
施設の部屋で母を看取った後、身体をきれいに拭いてもらいお気に入りの洋服に着替えさせ母に化粧をしました。こちらからのつづきです↓『母旅立ちの直後~着替えと化粧~』母の呼吸が止まった後も私は母の手を握り、顔を見つめていました。「母は、私を待っていてくれた」「私の手の中で旅立っていった」そう思うと涙だけがただあふ…ameblo.jp看護師さんから「医師の到着までに一時間程かかるそうです」と聞いていましたが、訪問医は40分程でやっ
私の母は人口股関節の手術をして数年後に腰椎圧迫骨折で歩行困難になり認知症の夫との二人の介護は難しくなり4年前に介護施設へ入居しました。同居していた母がいなくなると当時私は仕事をしていたため夫が昼間ひとりになり、毎日徘徊散歩で私は帰宅時にGPSで夫を探して帰る日々でした。当時住んでいたマンションは最上階に大家さんが住んでおり、状況を察知した大家さんから実質追い出されました。その後知人の居る秋田県へ移住しましたが1年後母の居る介護施設の近くへ引っ越しをし、コロナも収まり面会もで
こんにちは。ちょびです。87歳認知症の母が誤嚥性肺炎から回復したものの全身が衰弱し、老衰と診断され特養で看取り期にはいりました。こんな時に不謹慎かもしれませんが特養でのだいたいの必要経費をまとめておきます。特養など介護施設で看取りをお願いすると看取り加算が加わります。仕組みについて詳しくはこちら☟看取り介護加算とは?単位数やターミナルケア加算との違いを解説看取り介護加算とは★看取り介護加算Ⅰ、看取り介護加算Ⅱの算定件数と単位数、看取りケア研修、2021年度(令和
葬儀会場の入口左手には参列者を出迎えるように黒のフレームに入った母の『遺影』が置かれ会場では祭壇の大きなモニターに笑顔の母が写し出されていました。この母の『遺影』、打ち合わせの時にデータを渡した際には、「このまま修正なしで使用させて頂きますねお洋服も明るいお色がお似合いですし背景もうっすら木々の緑がぼかしてあって何よりお母様が自然な笑顔ですね」「なかなかこんないいお写真を持って来られる方はいらっしゃらないです。」と言っ
昨日、老猫ミケちゃんを動物病院に連れて行きました。やはり体重はさらに落ちていて、脱水の症状が出ていると。また、体温が36.7℃と、かなり低い。・2~3週間前から食べる量が減ってきた。・ここ数日、さらに食べなくなった。・水を飲む量が減り、尿量も減った。これらの症状と、高齢である事から、(推定年齢よりもさらに上かも)老衰の前の状況だと思われると。「これから、どの程度まで、医療介入していきましょうか?例えば血
母の葬儀・火葬が終わった後もう一つ兄をグループホームまで送り届ける仕事が残っていました。自宅で息子を一旦下ろし、秒で着替えた後、母の遺骨や他の荷物は車に積んだまま旦那と一緒に兄貴を部屋まで送り届けます。私の軽自動車も葬儀会場の駐車場に停めっぱなしだったので帰りは旦那と二台に別れ自宅へ戻ることになりました。私が水色の軽自動車の助手席に母の遺骨・遺影・白木の位牌を乗せると旦那がシートベルトをかけてくれました。母をこの車に乗せて外出するとき
翌朝8時からは葬儀社との初めての打ち合わせでした。母の搬送時にすっかり不信感を抱いた私は絶対に負けるもんか(何にや、、(^-^;)と意気込んでいました。盆休み前の最後の塾テストがある息子は家で勉強して待っているというので旦那と二人、葬儀社まで車で向かいます。場所は、自宅から車で30分程度兄のグループホームからは5分程の隣町の幹線道路沿いでした。義父のときにお世話になったCMでよくみる葬儀やさんから今回紹介された葬儀屋さんはこ
1/31、朝起きたらベタが亡くなっていました。数か月前から、徐々に動きが鈍くなり、底に沈んでじっとしてることが増えて、体色が薄く褪せて来て…調べてみると「老衰」の症状とわかりました。ベタの寿命は平均で何年?ギネスは?寿命の症状と伸ばし方ベタの寿命は平均で何年くらい?ギネスは?ベタの寿命の症状とは?ベタの寿命が短い?1年ももたないのはなぜ?ベタの寿命を伸ばす方法はある?こんなベタの寿命に対する疑問についてご紹介いたします。ベnettaigyo.papa77.com体力が落
母が亡くなってから、もうすぐ百箇日です毎日が過ぎるのは本当に早くてあの暑かった夏の日からもうそんなにもたったものかと、、やり残した手続きがないか再確認しながら書類の整理をしています。今日は秋桜(コスモス)を母に^^身近な人が亡くなると、悲しみに打ちひしがれる間もなくたくさんの届け出や手続きが必要となります昨日までにSTEP1~STEP2までのことを書いてきました。<亡くなってからの手続きの流れ>※(★)をクリックす
ニューヨークでのバレエコンクールでの日本人の快挙という嬉しいニュースが入っておりますが家では修羅場に突入というか・・・我が家のアイドル茶々丸もすっかり年を取り少し前からごはんは補助というか介助というかそんな状態でしたが一口も食べない日が続いたので病院へ連れて行きました。思ったよりも老衰が進んでおり点滴と栄養注射での延命治療に入りました。冷静なつもりでおりましたが病院への電話の最中から涙腺が崩壊。病院へ向かう車の中で号泣。十二年前、助けても短命だと言っ
医師の最後の診察が終わった後、母の部屋に残った私たち三人(私、旦那、息子)葬儀社への連絡は旦那に任せて私は親族への連絡をすることにしました。父が亡くなってから10年間富山の実家で一人暮らしをしていた母2019年3月に「もう1人暮らしを続けるのは難しいです」とケアマネから連絡があり私の住む関西に呼び寄せました。その時の様子はこちら↓『ケアマネさんからの長い電話』昨日の母に人生最悪と言われた日からのつづきです。ケアマネさんはゆっくり私を気
6月半ば。特養にいるばあちゃんが傾眠傾向にあり「食事の機会を逃すことが多くなりました」と、ケアマネから連絡がありました3日くらい、食べられない日があったとのこと。それでも差し入れのデザートなら入る時もあるので「ぜひ持ってきて下さい」と。いよいよやってきたその時に、緊張しつつアレコレ買い、せっせと運び…。ババの特養では、コロナ対策が続いており、今できるのは月1回の窓越し面会のみ。しかし看取り期に入った場合は別だそうで、毎日でもロビーで面会させてくれるらしい。…というわけで、主治医