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今日は昼から原稿提出だったので、晴れやし、ちょっと時間あるからベランダの掃除しててばーさんが表の門の外にある郵便受けに郵便物を取りに行って戻ってきて2階のベランダにいるわしに気づいたばーさん「ほ!」「あんたのじゃ!」と下から封筒を差し出してきたえわし怪物くんじゃないんですけど「……テーブルに置いといてもらえますか」と言うしかできませんでした♥♥♥12時からは着替えたりお化粧したりしたいから休憩の時間考えて(調子に乗って動くと動悸が💦)11時くらいまで動い
義母が旅行に行っていると聞いて呆気に取られた私は返す言葉もなく黙り込んでしまったしかしそんな様子に気づくはずもない義父は今までと変わらないテンションで犬の世話を俺に任せ何日も家を留守にしてお気楽なもんですよと、明るく言ったからここで私は最初に伝えた事と同じ事を今度は嫌味っぽく言った昨日お義母さんに電話したら携帯の電源が入ってなかったからてっきり電車に乗ってると思ったんですがまさかの旅行ですか……電源が入ってない?そういや旅行中は携帯は使えないって言ってたなえ?そ
また、ですよ!またお休みを前日に知るパターン。先日もGWが始まる前日の26日(金)仕事から帰ってきて「明日午後から翌日までお休みだから」えっはっ?「どこか行きたいところある?」「どうする?泊まる?」と言われましたがGW前日にそんなこと言われても良い宿が残っている訳ないじゃない!!なぜこうも急に言うかな~ウチのお寺は決まったお休みはありません。毎週決まった曜日をお休みにして法事も入れないお寺もあるようですが.
寝る前に夫と一階のダイニングテーブルでまったりくつろいでいました。義母がいないからできること。義父がやって来てあーやこーや今何してるのか夫に聞いていました。酷い時は義父も座り出して参加して来ますからね😅と言うか私の座を奪って、夫と話そうとします。義父は話し出すとうるさい。夫は捕まる前に二階に上がって来ることもしばしば。早く家欲しい。
近距離な別居をする前に義両親からの提案で、お互い束縛しない、生活基準も違うから干渉せず自由にやっていくそう言われたから近くに越してきました実際は、束縛・干渉あり、自由はなし義両親の言ったことはなにひとつ守られませんでしたもともと、義父は料理好きだったんですよく話してくれた義父と義母が出会った頃のこと義母の自宅へ遊びに行ったら冷蔵庫にはビールしか入ってなく相当、ビックリした俺は、料理が好きだから料理をしてあげようか?と、言ったんだ今は独身で料理をしなくても結
いつもご覧いただきありがとうございます義両親(今は義父のみ)と二世帯住宅に住む嫁cocoです暑いですねGWいかがお過ごしでしょうか。我が家は娘の塾などがあり前半は通常運転。ふつ〜に過ごす…はずでしたそれがいきなり昨日夫の「今日、みんな夜空いてるの?」から始まりまぁ夜は空いてるけど・・・と答えると「春生まれの誕生日会やってなかったね」とか言い出し急遽やることにもーやだ。コロナ禍以降
クリニックを開業する時義父から、分院にしても良いよというお話がありました。費用を出すよと言うわけではありません当初、入らなくて良い、と言っていた医師会に近くで開業するなら、ここの医師会は自分が理事をしているから入れ、と言ってきて、その際、分院にすれば納入金?300万要らないよと言われましたは?!せっかく開業するのに、分院にしてしまったら、また雇われ院長のようになるじゃないの個人の税制を使いたいから、と伝えて断った。その後、諸事情で妹さんが理事を抜けることになり代
義父は既に定年退職していて、現在の収入は年金のみ。義両親二人とも年金をもらっているが、義母は国民年金しかかけてこなかったので額は少ないだろう。合わせても現役の頃のような収入にはならないし、現在は面倒を見るべき息子が二人も居る。一人はモラハラ夫のことだが、義父が我が家に来て一緒に暮らしていて生活費も出していると思う。生活費として出ていく出あろう食費や消耗品費等。家賃や光熱費がかからなくても、年金から捻出するのは大変なことだ。それに加えて夫や義父は料理ができない。
読んで下さっている方は「旦那はなにしてるの?」と思っているかと思います自分の母親が、嫁にこんな事をしているのに。以前のブログにも書きましたが、夫は仕事終わりにほぼ毎日、義母に電話をしていました。なので、何かあった日はまず義母から電話で聞いて、帰って来てから機嫌の悪い私から聞いて。前回のブログの日は、帰って来てから私の母に謝罪の電話をしていました。母親がとんでもない事を言って大変迷惑をかけてしまい、申し訳ありませんでしたと。夫は私の味方でした。自分の母親のせいで、私が辛い思いをして
以下コメント欄への返答を書いていたのですが寝る時間が過ぎていますので、途中ですが、もう少し時間かかかりそうなので本記事でUPして付け足していくこととします。※仙台五郎さんのコメント1.について:(再臨は初臨は格下か)初臨も再臨も同等だという返答があるかと思っていました。真の父母論の全体が明かされていない段階で、peaceさんも整理できないのでであろうと推察します。使命からみて初臨も再臨主も同じです。むしろ、結婚されたお父様が上ということになると思います。※仙台
去年の4月から義母はこちらの近くの施設にお世話になっている。腰椎圧迫骨折をしてから、富山の自宅でコルセットをして過ごしていたが、時々コルセットを締め忘れることもあり、一旦入院。その後、97才の一人暮らしは危ないので、施設にお世話になることになった。家人が奔走してこちら側に良いところが見つかり、以後、我が家はほぼ毎月、義母のお見舞い、面会に行くのがルーティンになっている。↓☆↓家人と義母
実家と距離を置いてはや4ヶ月。先日久しぶりに次女と話しました。(私は三姉妹の長女)三女はもともと実家とはドライな付き合い方で私にも実家にも肩入れしない中立な立場だから今でも普通に関わるしやり取りするけど昔から母のお気に入りで何をするにも優秀で常に私の比較対象だった次女とはこの4ヶ月ほとんど音信不通でした。久しぶりに会った次女はやっぱり母寄りの思考そして、母譲りの歯に衣着せぬ物言いも自分に自信があるからこそのナチュラルに私を見下した感じもまだまだ健在でした「
みなさま、あんにょん昨日は仕事終わりの後、少しだけ娘の引っ越しを手伝ってきました彼氏君はサラリーマン1日目ということでいなかったので。それから、義母と義父の面会に横浜からやってきた義兄と、義姉と旦那と4人で食事に行きました義兄が行ったとき、義父は寝ていて目も開けなかったそうで…せっかく横浜から来たのに…と残念でした義母は元気だったものの、昔の記憶しかなかったようで「喘息は大丈夫ね?」とか聞いてきたようです💦義兄の一人息子、甥っ子君は4月から、聖マリアンナ大附属病院の小児科の先生として
やっと義弟の奥さんから連絡が来たようだった。その少し前に、義弟宅に離婚届けが送られてきていた。だから分かる。既にその意思は固まっているのだと。連絡を受けた義弟は酷く投げやりな様子で『どうせ俺が悪いんだろ』という感じだった。こういう所は本当に夫にそっくりだと思う。自分が悪いと言っておきながらも、心の中では相手を責めているのが明らかだ。久々に言葉を交わした二人の様子がどんな風だったかは分からないが、楽観視できるようなものでなかったことは義弟を見れば一目瞭
みなさま、あんにょん今日はお仕事です昨日DAISOに行ったらこれがあったので…12種類かあ…清霞様、当たらないよなあ…と思いながら買ってみたら…よりによって、意地悪な妹でしたこれはこれで可愛いんですけどねクリップなんていくつもいらないので、清霞様が出てくるまで買うなんてことはしないです(笑)これも飲んでます❤️今日は娘の新生活のスタートでもあるし、横浜から義兄が義父の面会に来るのでバタバタするので、今ごろブログアップしています昨日、知り合いの葬儀やさんに来てもらって、亡くなってか
夫は生命保険に加入していた。独身時代から続けていたもので、結婚する時に「受取人を○○(私)に変更しようかな」と言われた。当時は特に何も考えずに「〇〇(夫)のしたいようにすれば良いよ」と伝えたのだが、後から考えれば恐らくこれはポーズだったに違いない。自分も家庭を持つのだから、自分の家族を優先するというポーズを取る必要があったのだろう。常に周りからどう見られているかを気にする人なのだから、友人たちと集まった時などに『家族を大事にしている俺』
少しずつご報告を最近、落ち着いて来ましたご無沙汰しています。前回、離婚日を3年後と宣言したことを報告しましたが。。。さらに時が経ち。自分の気持ちが落ち着いて来たこともあり、その後のことも少しずつ書かせていただければと思います。もし宜しければ、お付き合いくださいまだまだ未熟者…故に、右往左往してしまいそうで。。。コメント欄はしばらく閉じたまま再開させてください
2018年の夏、近所に住んでいた義両親と事実婚の義姉夫婦が同居した。私達夫婦が義両親と同居という話もあったが他府県に動くのは嫌。今住んでいる土地を離れたくない。事実婚状態の娘(義姉)と離れるのは心配。と、言う義父母離婚し幼い姪っ子を連れて実家に戻り助けてもらってきた。私が最後まで親の事は責任を持つという義姉。そんな皆の希望を尊重した決断だった。別居時はうまくいっていた関係が同居後、義両親vs義姉の事実婚相手の衝突が始まる。そんな中義父が倒れ緊急入院その頃からは義母vs義姉の
元夫、スーパーモラハラDV男と離婚して10数年たつのだが。あ、まだ養育費がどうなったか確認してねぇや。このモラ夫の兄がアメブロではないのだが他でブログをまさかの【本名、フルネーム】でやっており。名前に、職業、居住地、書いていることが全て一致。私は離婚調停以降、一切連絡を元夫ととっていないので、今、どこに住んでいるのかすら知らない状況。こいつの兄のブログで、元義父(モラ夫はマザコンではなく重度のファザコンだった)が数年前に亡くなったのを知った。前回、この記事で『SNSに葬儀
昨日は娘も一緒に義父の施設に行ってきました久しぶりに会う孫義父はわりとしっかりしていて帰り際に『仕事、がんばれよ』と声をかけてくれましたいま、娘は、仕事に悩んでいるので義父の応援が心に刺さったと思います義母にも差し入れに行きましたリクエスト以外に子供の日が近いので柏餅も差し入れ。それを見たら子供の日に気付いて何かしらアクションあるかと思ったら『高級みかん、柏餅美味しかった』とLINEがきました柏餅見ても子供の日を感じない人なんだ…期待してはいけないけどうち
昨日は後輩がわざわざ和歌山から妻にお線香をあげに来てくれたもう30年来の付き合い後輩とはいえ同じ年今は違う会社に居るので後輩よりは完全に親友もっと早く来たかったが申し訳ないと横浜に住むもう一人の友人と来てくれた3人で逢うのは久しぶり夕方からもう1人先輩が合流する(この方は昨年奥様を乳がんで亡くされている奥様は妻と同じ年だった)3人でお昼を食べて横浜に移動待ち合わせ場所に来た先輩風が吹いたら飛ばされそうな位細くなってしまっていた(元々細い)聞けば44㌔しか
数ヶ月振りに義理の実家を訪問しました。最近は特に年度始まりで忙しく出来ればこんなタイミングでストレスがかかることをしたくなかったのですが。。(今年度は上の子のPTA役員に選ばれてしまったため、今後は益々バタバタしそう‥)4月は義理の両親のお祝い事があり、特にケーキなどを持って訪問する以外に特別な事はしないのですが誕生日もスルーしてしまったこと、娘達の七五三、卒入学の報告も何もしなかったこと(私の両親へはしています‥写真を送ったりテレビ電話をしたり。。)娘へは「遊びにきてね」と連絡が
ご丁寧に、義母から、電話。家に帰ってきても、怒りが収まらない義父。やけ酒が飲めない下戸なので、ぶつける場所がなくて、家に帰っても、イライラしてようです。そして、義母が、お父さんが、怒り狂っている。何をしでかすか分からないから、謝って欲しいと。当時、私、30歳前後でしょうか?何をしでかすか、分からないって、私のこと、●しに来ますか?待ち伏せして、ナイフでサシますか?良いですよ。●したければ。どうぞ。私が死んだら、犯人は義父だと、ちゃんと、証拠残してお
私たちがリビングでソファに座って話していると、上の階からガタンと大きな音が聞こえてきた。その瞬間、義母の表情は強張って動きが止まったように見えた。すぐに何事も無かったかのように話し始めたので『気のせいかな?』とも思ったのだが、その後も心ここにあらずの状態でどこか上の空のように見えた。すると、数分後に再びガタンと音が鳴り、義母は急にソワソワし始めて立ち上がった。「ちょっと上行ってくるけど、ゆっくりしててね。すぐ戻ってくるから」そう言い残していそいそと部屋を出て行く義母
夫は血圧が高かった。初めてそのことを知ったのは、まだ付き合い始めて間もない頃だった。外食をする時に塩分を気にする夫。繁忙期になると不規則になり体調管理をするのも難しい仕事だったから。忙しさにかまえて規則正しい食事にできないのではないかと思っていた。確かに作業が深夜に及ぶことも多かったし、ストレスもあった。その中で健康を維持するのは大変なことだと思う。それで勝手に仕事のせいだと思い込んでいたのだが、どうやら割と若い頃から高血圧だったようだ。このことは
週1回金曜日のみの約束だった電話は、いつしか毎日の日課になった。迷惑に感じていても、はっきりと断れない自分が嫌いだ。そんな弱気な態度がいけないのだと分かっていても夫への恐怖は未だ消えず、強く拒否することができずにいた。万が一怒らせたら、と思うと我慢してしまう。話が余計にこじれて更に執拗な連絡が来るようになるかも知れないのも恐怖だ。この時、既に異常な回数の連絡があったのだが、それ以上もあり得るのではないかと思わせるような人だったので、私たちはとても警戒していた。一度かけ
看取り介護を終えてふと思うことがあった。「最期を自宅で過ごせたんだから、幸せだったよね〜」と、、、よく言ってもらうのだけど、(親戚のおばちゃんとかいろいろな人に)「本当に幸せだったのかどうか?は分からないよなあ」ってこと。*屁理屈や自己批判ではなく、客観的な視点での意見です。もしかしたら、緩和ケア病棟で過ごした方が幸せだったかもしれないし、ホスピスで手厚い医療を受けられた方が幸せだったかもしれない
義両親が息子を恋しがっているという。『会いたくてたまらない』と言われても………。そもそも義父はモラハラ夫のコピー品のような人だし。義母は違うかもしれないが会えばセットで二人がついてくる。だから、自らすすんで会いに行くようなことはしたくない。「年も明けたことだし、気持ちも新たに」ってどういうことだい?私としては、気持ちも新たにより離婚に向かって突き進んでいきたいと思っている。やはり義両親のことがネックになっているようで、それが夫を粘らせている一つの要
夫がカラーボックスを殴って暴れている部屋を後にし、私たちは買い物に向かった。こんなことが続くなんて普通じゃない。家から離れたい。そう強く思うのだが、出た所でどこにも行く当てがない。この時点では実家の両親にも兄弟にも相談していなかったので、現状を知っている人は居なかった。スーパーに居る間は安全で気を抜くことができても、また戻らなければならない。そんな気持ちが二人を憂鬱にさせたが、それでもずっと一緒に居なければならない年末には買い物の時間がとても貴重だった。徒歩で10分
夫と義父はとても似ていると感じることがある。自分の思い通りにならないことがあると力づくでも何とかしようとするのが夫だが、義父にもそのようなところがある。電話に関しても同じような感じで、義父もとにかくしつこかった。あまりにも粘るので、息子も傍で聞いていた私たちも段々と疲れてしまい、思わず『分かりました』と言ってしまいそうになった。それでも踏みとどまったのは、夫との生活に戻りたくないという強く意思があったから。ただ、この時の電話は本当に長くて軽く2時間は超えていた。