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「5歳で母を亡くし、松山市のファミリーホームで育った大学生の梨菜(20)には、ずっと大切にしている手紙がある。母の順子が34歳で亡くなる直前、将来の娘を思い浮かべてしたため、20歳まで毎年の誕生日に届けるよう弁護士に託していた。その最後の1通が2023年12月、梨菜の元に届いた」「順子に子宮頸がんが見つかったのは08年7月、梨菜が4歳の頃だった。子宮を摘出したが、がんは肺や肝臓に転移。翌09年3月、医師に『余命3か月』と宣告され、順子はまもなく市内のホスピスに移った」09年6月6日朝、母は亡く
昨日からの強烈な痛みで眠れませんでした。緩和ケアにきているのですけれども、全く緩和されない苦痛に悩まされています。主治医に直接そのことを伝えると「先手、先手でいけなくてごめんなさい」と謝ってました。可愛い❤️こちらこそややこしい患者ですいません。で、痛みを止めるために腸の動きを抑制する薬を使います。で、腸閉塞のまま死んでいくのだと思うのですがどのような最期を迎えるのか主治医に聞きました。まず、体力の低下と衰弱がやってきます。次に、痛みが無くなる時がくるそうです。(モルヒネ
昨晩の9時より「足裏マッサージ」が開始されました。一瞬で意識失いました。さすが。そこから朝の11時まで一回も起きることはなく爆睡。超スッキリ。それでもまだまだ眠れます。うつろ、うつろしていると「きたよー」まりえさんと母。そして、今日は幼馴染がお見舞いにきてくれました。写真上の信一くんは美容師です。写真下の神谷さんはエステティシャンです。なので僕の病室でまりえさんの前髪を切っています。陽向くんは母をオモチャにして
鄭信義の妻まりえですかねてより病気加療中でありました夫鄭信義が2021年12月1日18時に39歳にて永眠いたしました葬儀は家族のみで執り行い昨日無事にお見送りすることができましたこちらのブログをご覧いただいている皆様にご報告が遅くなってしまい大変申し訳ございませんでしたコメントもありがたく拝見しておりました本当にありがとうございます現在私が体調を崩しており回復しましたら当日の様子など少しずつ更新できたらと思っております写真は亡くなった当日の朝の写真です
「おっ!便が出てきてますねぇ!」と嬉しそうに看護師。イレウス管から出てくる排液。鼻から小腸までダイレクトに繋がっています。なるほど。鼻からウ◯コが出ているわけか。腸閉塞が治らないため1週間以上入れっぱなしのイレウス管。もう慣れました。昨晩、この排液の容器が溢れんばかりにパンパンになってしまいました。逆流して吐き出しました。いやー、苦い苦い。ん?あれ?これってウ◯コを口から出したことですよね?んで、この苦さってウ◯コの味ということですよね?おぉ。ウ◯コ食べました。
初めまして。シニさんの妻のまりえです。シニさんではなくてすみません。シニさんとお話していて、こちらのブログを読んでくださっている皆さんの話になりました。温かいコメントの数々に、とても喜んでいました。文章は書けなくなってしまったけれど、今日も頑張って生きています。どんなにしんどくても、ユーモアを忘れずにいてくれます。シニさんが残してくれたこの大切なブログを、最期のその時まで、私たち家族の記録とさせて頂くことをお許しください。昨日より意識がはっきりしていて、穏やかに話ができました。
昨日、まりえさんが主治医からの説明を聞いてくれました。口から全く食べれなくなっているので、この先は意識不明になったりすることがあるそうです。「今のうちに大切な人に会って下さい」と主治医から言われたそうです。まぁ、それだけ僕の寿命が短いということでしょう。今朝、主治医に「あとどれくらいですかね?」と聞くと「点滴とイレウス管がなければ1か月というところでしょうか?」と教えてくれました。「点滴とイレウス管があれば、もう少し生きられます」とのこと。「どっちの方が楽にいけますか?」
君へこの手紙を君が読めるようになるころ、僕はこの世にいないだろう。もう僕は神や仏を信じるとか信じないとかというレベルではなく、信じざるを得ないところまで僕は追い詰められている。がんになって、自分の人生を振り返ると暴力とウソだらけだった。僕は君の父になることが怖かった。僕の父は、僕をよく殴りつけた。僕は父に殴られないためにウソをついた。子どもの時の記憶は大人になった今でも思い出し、自分の行動の選択肢の中に常に暴力とウソがある。暴力とウソで僕が誰かを傷つけることがいつも
■お腹が痛い右下腹部がやたらに痛んでいました。僕は多忙を極めていましたが定期健診は必ず受けていました。食事には細心の注意を払い、炭水化物は玄米に限り、塩分は少なく、魚中心で大腸に良いとされるサプリメントも摂っていました。ある日突然、キューッと締め付けられる痛みが等間隔で襲ってきます。調べてみると盲腸の症状と同じ痛み方だったので、盲腸だと思い込んでいました。痛み初めて数日後、近くの消化器内科を受診しました。大腸の内視鏡検査を受け、内視鏡に使うがカメラが通らないほどがん
大きな大きな1日が終わりました。まだまだ気持ちの整理はできていません。シニさんはゆっくりと深い眠りにつきました。「痛くない?」「苦しくない?」問いかけにゆっくり頷きながら眠りにつき、穏やかな表情で寝息を立てています。良いお別れとは何か、その答えはわからないままですが、今言えることはシニさんは苦痛から解放されたということです。面会に行く度に「早く眠りにつきたい」「いつまで我慢したら良いのか」と訴えていました。先生がこれまで見たことのないくらい、腹膜播種が広がり、本人が「身の置き所が
■うつ病発症開業してから2年ほどで、うつ病を発症しました。28歳の時です。整体という仕事は直接、人の身体に触る仕事です。臨床心理士などのカウンセラーは身体に触ることをかなり重く禁じています。なぜなら、強烈な依存を生むからです。カウンセリングの創始者であるカール・ロジャーズですらも患者さんからの依存に恐怖して逃亡した経緯があります。僕も強烈な依存を生んでしまい、ストーカーの被害にあいました。ストーカーの主は男性で、著作も多数あり、テレビなどでも活躍していた人でした。総合失調症
昨日の夕方、自宅で過ごしていると、シニさんのお姉さんから電話がありました。脈拍が弱くなっていて、血圧も低い、呼吸も乱れていること。この兆候が見られたら、早くて1日、長くて1週間かもしれないと、先生から告げられたことを聞きました。こんなに早く、その時がくるなんて…病院に戻り、宿泊のためのお部屋も貸してくださったので、陽向とシニさんの家族と共に、病院に泊まりました。後から気づいたのですが、お姉さんから電話をもらう10分前くらいに、病院の方を向いてラッパを吹く陽向の動画を撮っていました。
身も心も弱る中、ヒーローが現れた瞬間の安心感に感動しています。「先生がきてくださり助かりました」と思わず口に出していました。まだ、なんの処置もされていないにも関わらず・・・それだけ僕が追い詰められているということですかね。今回の原因は「横隔膜にがんが神経を刺激している」ということでした。だから息切れ、吐き気、ふるえ、激痛が現れるそうです。腹膜播種では上に侵攻する方と下に侵攻する方がいるそうです。僕の場合は上に侵攻しているそうです。「腹膜播種ってこんなに辛いものなんですか?
12月3日お通夜の日に、一通の封筒が届きました。中身は、フォトコンテストの入選のお知らせでした。あれは、7月にシニさんのお母さんと陽向が初めて会った時のことです。シニさんがカメラでたくさん写真を撮っていました。その中の1枚がとても素敵だったので、愛媛の「愛顔感動ものがたり」というフォトコンテストに応募しようと話しました。それがこの写真です。タイトルは「はじめまして!」11月中旬、フォトコンテストの担当の方から受賞する可能性があると連絡がありました。シニさんも結果をとても楽しみ
睡眠と睡眠の間に、今日は話ができました。「陽向の身長伸びてたよ」「よく寝れた?」と私が話し、「ブログ更新してくれてありがとう」「髪の毛剃ったよ」とシニさんが話してくれました。おしっこが出そうで出ないと言い、「まりえさんあれ歌って!」とトイレからシニさん。何かと思えば恥ずかしながら、しーこいしーこいしーこいこいでした(笑)昨日出ないって言ってたので、なんとなく私が歌ったら出たらしく。今日も出ました。すごい。最近親指を吸うのがマイブームな陽向。今日はお父さんのお腹の上で、
いつも温かいコメントをありがとうございます。1日の中で、頂いたコメントを見るのが息抜きの時間になっています。出会いのエピソード等の質問にはほっこりしました。また機会があれば書きたいと思います。今日は面会に行くと、シニさんの鼻の管が2本になっていました。左がもともとのイレウス管で、右が新たに通した胃液を排出する管です。お医者さんによると、このように鼻に2本管を通したのはこれまで30年以上勤めてきて初めてとのこと。学会に発表すると言っていたそうです!1日に何度も嘔吐していたのがなくな
緊急入院から少し落ち着いて病室で休んでいます。晩御飯を大量に嘔吐してしまいました。担当の看護師から「チョンさんの死生観を聞かせて下さい」と言われました。あぁ、僕が死に対してどう向き合っているのかを聞くんだなぁと思いました。それによってケアの仕方の方向性を決めるのかなぁと思いながら話しました。「僕はがんで死ぬのは悪くないと思っています」と話しました。その理由としては僕が死んだ後の喪失感が他の死と比べて少ないからです。事故・事件・災害・自殺で死ぬと、その瞬間から時間が止まってし
今日も笑顔が見れました!ただ、昨日より痛みは強いようです。頼まれていたヤクルトを持っていきました。ヤクルトうんま〜!とのことです。お昼からはまた寝て、夕方お味噌汁が飲めると楽しみにしていました。味噌汁うんま〜!!の顔です。(お兄さん撮影)沖縄からシニさんのお兄さんが来たので、シニさんも嬉しそうです。今日は陽向が何回も起きるので、更新が遅くなってしまいました。母ちゃんが心配なようで、夜中何回も起きてくれる優しい陽向です。(ゆっくり寝てくれて良いのよ。)
ご訪問ありがとうございます♡2022年、胸水が再度溜まり出し癌が活発化してきましたので「癌と闘わずに第二章」となりました第二章は綺麗ごとなく書きますすべてお話しするわけではないですがそれなりにお伝えします店では病状などのお話はしておりませんのでご理解の程よろしくお願いします◇記事のテーマ分けは2020.7月からしていますInstagram-gem_hair_factory基本自撮り(⌯˃̶᷄ꈊ˂̶᷄ૢ)ꋧ昨日は病院へいつもの診察で「左の肩甲
『緩和ケア』と言うとどんなイメージですか?病が酷くなり、治癒を目指す治療ができなくなった方へのケア。または終末期を迎える方が辛い治療から解放され穏やかに過ごせるケア。と言うことだと思ってましたが。とんでもない間違いでした。患者が治療をつつがなく行う為に、痛み、苦痛を和らげる方法。つまり、私でいうと放射線治療を最後まで遂行できるように緩和ケアを利用するということですね。治療の早い段階から、手術、化学放射線療法と併用して行うことでより良い成果がでるそうです。今日は3人の緩和ケアチー
面会終了時間ギリギリにいつもの声、変わらぬトーン「きたよー」とまりえさん。心からホッとする音。毎日、陽向くんを連れて来てくれます。可愛い❤️今日は3人で撮影。「寂しいねんで!」と笑顔でいうまりえさんが愛おしい。「後悔したくないの!」と笑う。抱っこすると片っ端からチューブを引き抜こうとする陽向くん。お父さんは確かに抜いてくれた方が楽だが、まだ死にたくねぇ。ほっぺたにほっぺたを当てると爆笑します。麗しく美しいこの時間に癒されています。あぁ幸せ。
ヒーローが現れました。後光が差しています。「ごめんね!遅くなって!」その一言で安心感が生まれ、痛みが軽くなるのですから不思議。早速、腹部エコーをとり腹水の確認。4日前に抜いたのですが、もう溜まっている様子。ただ、今回の痛みと直接的な関係性はないとのこと。アイスワインも原因ではないとのこと。腹膜播種の痛みだそうです。がんが広がり、横隔膜や胸膜などの痛みに敏感な部分を刺激し始めた可能性があるとのことです。呼吸困難になっているのも納得です。2リットル腹水を抜きました。少
昨晩はまたしても激痛に襲われました。しかも、吐いてしまい。また口からウ◯コを出しました。痛みの原因がわからないのは辛いものですね。腸閉塞の痛みなのか、腹水の圧迫による痛みなのか、がんによる痛みなのか、今朝の主治医からの説明ではがんによる痛みだそうです。ただ、腹水も溜まっているので今朝から抜いています。いやー、いっぱい出ました。3.3リットルでございます。これだけ溜まっていたら、そりゃしんどいですわ。「ビールのピッチャーみたいですね。泡も立ってますし。ウフフ。」と看護
12月1日のことは、もう少し落ち着いてから書きたいと思います。シニさんは深い眠りに入る前、こう言っていました。「墓前にはコーラを供えてほしい!」10月に緩和ケア病棟に入院して、何も食べられない中で、コーラを飲むことを毎日楽しみにしていました。昨日の朝のことです。遺影と何度も目が合い、どうも「コーラを飲みたい」と言われている気がして落ち着きません。買い物行ったら買わなきゃ…と思っていたのに買い忘れてしまいました。やっぱりすごく目が合う気がする…ちょうど夕方シニさんのお兄さんが来ら
今日のシニさんはかなりしんどそうでした。睡眠薬のせいか意識も朦朧とする中、少しお話してくれました。死とは祝福であり、そして解放であるお念仏は真言であるお浄土がそこにあるということは、祝福と解放であり、お浄土という概念こそが救いであるそれは囚われがなく、自由で平等で美しい世界である(新婚旅行波照間島にて)シニさんといると、2つの感情が湧いてきます。「できるだけ長く一緒に居たい」「この苦しみから早く解放されて欲しい」痛み、しんどさが強くなってきていて、睡眠薬でずっと眠った状態と
イレウス管は地獄です。今までかなりの荒療治を受けてきましたが、イレウス管ほどの苦痛はありませんでした。鼻から小腸まで管を通します。なんせ。眠れない。落ち着かない。割り箸を鼻に突っ込まれているという感じです。久しぶりに精神がやられる。一週間付けっぱなしだそう。耐えれるかオレ。
僕は2年前にがんになってから、ずっと死について考えてきました。僕の一つの結論として「死は奪われるものや無くなるものではなく与え、授けるものである」という結論になりました。僕の病や死をきっかけにして色んなところで新しい繋がりが生まれています。この繋がりは僕からのギフトやプレゼントだと思います。先日、見舞いにきた母は「死は新しい人生のスタートです」と言っていました。僕もそう思います。死に関してはそれでいいのですが、死の恐怖に関して明確に書いてある書物がほとんどなく、漠然と
どうしても、ご飯が喉につっかえる。先生に相談したら、ご飯の30分前飲むお薬いただきました。確かに和らぎます。これと、緑のウガイ薬でなんとかOKに近づいてます。今日と明日は、🈲食なので使えませんが………………。明後日の明後日を楽しみに頑張る。緩和ケア用のいいお薬があるんですね。先生曰く『10年前とは比べ物にならいですよ。』化学放射線療法、昔は凄くつらかったそうです。医学の進歩は目覚ましい!皆さんはどんな、緩和ケアをうけていらしゃいましたか?
昨日はがんの痛みで眠れなかったので。心電図などの検査をして痛み止めの追加処方。これは肝臓のエコーの写真です。脂肪肝です。フォアグラです。今までのベースはナルベインそれに加えて新しいお薬メサペインが入ります。どちらも医療麻薬なのですがナルベインの方がモルヒネに近いそうです。眠気はきますが、飛ぶほどには効かないですね。お酒を入れたら気持ちよくなれそうな感じです。ワイン飲みたいですね。貴腐ワインやアイスワインみたいな甘いやつが良いです。キンキンに冷やして。「モルヒネワ
だるさを伝えるとソラナックスという精神安定剤を処方して頂きました。うつらうつらと眠りに入り。目覚めると同時に!風呂!風呂!わっしょい!わっしょい!浴室には暖房が・・・優しさに涙。今日はプレゼントで頂いた入浴剤をいれます。バブに比べてすごくゆっくり溶けていきます。お肌ツルツルスベスベになりました。お風呂に入りながら、大事なことを思い出しました。「学」という文字は学ぶ=まねぶ学ぶ=まなぶ学る=さとると読むことができます。「林竹二先生」から教えてもらいました。まずは