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夕方、妻の付き添いに行く。昨日よりも安定していた。味噌汁を少しずつ飲んでいた。夜になると、抱っこして欲しいと言うので、またお姫様抱っこをして、外の景色を見た。結婚式場は、ライトアップされていた。ただ暗くて、そんなに景色は見えなかった。朝ほど大騒ぎはしなかったが、嬉しそうだった。そしてまたキスをしてくれた。その後一度だけ、呼吸が変になったが、すぐに落ち着いていた。夜は、30分寝て、身体を起こしてと言って、身体を起こし、水分をとっていた。一緒に食事がしたいと言って、アイスを一
一晩妻に付き添う。喉が乾いたと何度も起きるので30分おきにイオンウォーターを飲ませる。自分で起きられないので、口腔スポンジに含ませて少しずつ飲ませる。朝になっても変わらない。呼べば目を覚まして、頷くが喋れない。ずっとお腹をさする。頭を撫でる。医師がくる妻の症状はせん妄衰弱して、脳が一時的に機能していない。昏睡の一歩手前今週1週間が限界数日で意識がなくなり、起きなくなる恐れがある。もし会いたい人がいれば、早めに妻も聞いていた。返事はしないが頷く水分を定期的に与える。
今日は仕事終わりに妻の病院へ面会に行った。ナースステーションには、たまたま主治医の先生がいた。少し話をいいですか。先生と面談室へ先生が妻の腹水について説明する。昨日撮ったレントゲンには、小腸にガスが溜まっている様子が写っている。さらに、お腹の中がぼんやりとしている。これは全て腹水で、だいたい2リットルくらいある。これを明日抜いて、ガン細胞を取り除き、点滴で体内に戻す。また、腸閉塞を起こしているので、静脈栄養法のための手術を早めたい。今麻酔科にできるだけ早く出来るようにかけあって
面談は思った通りの内容でした。夫の癌は進行のスピードがかなり早いと言われていました。先生曰く想定していたよりも遥かに早いスピードで進行しているそうです。緩和ケアに移床する前に撮ったMRIの画像を見せて貰いました。数週間前に撮った画像と見比べると、無かったものが写っていました。『これって、以前は無かったですよね?それがこんなに大きくなってるのですか??』わたしは立ち上がる勢いで先生に聞きました。『1ヶ月前には画像にも無かったものです』それは頭頂部に転移した
「がんの自由診療」といえば、先日、古村比呂さんと勝俣範之先生による警鐘を鳴らす動画がアップされたばかりですが、Xにおいても、ここに来て議論が活発になっています。拠点病院など専門病院で治療を続けたものの、「もはや残された選択肢はありません」と告げられ、藁をもつかむ思いで手を出してしまう「自由診療」。しかし、治験や論文など明確なエビデンスが示されてないものが大半であり、最悪、命をさらに縮めかねない…。本ブログでもたびたび指摘しています。氾濫するネット広告への規制について議論が高まってほし
お泊り2泊明けての朝です。朝、6時の、検温、その後処置、チューブからのお薬が入り、ちょっと、直接、胃に入るせいか、ゲップが出るような、昨日の朝と同じような、事が起こった後は、お腹に薬でも、物が入ったからか、ぐっすりと寝てます。この施設は、まだ開設から1,2年しか経っておらず、とてもきれいです。主人はその点、今までの入院生活の中で、恵まれてました。事故を起こした後、搬送された病院も、その後、摘出手術受けた病院も、有名病院も、その他、小さな、胆嚢取ったりした病院も、全てキレイなところばかり。
今日の昼頃愛ちゃんが亡くなった。バタバタすぎて、今は葬儀場で愛ちゃんのそばで弁当を食べている。今日の忘れたくない言葉だけ、とりあえず書いておく。唯ちゃんママ、一緒にクッキー作るって約束したでしょママ、死んじゃやだよママと、一緒にお料理するの楽しみだったの私愛愛ちゃん好き大好き愛してる世界で一番大事だよありがとうずっと一緒だからねずっとずっと、一緒だから愛ちゃんおにぎり最期にアイスピアノをひきたい外が見たい抱っこしてきれい大好き
昨日から、お百度参りを昼間にしていた。自宅の近くに階段の長い神社がある。妻が、よく子どもたちと散歩に来ていた。信心深い方ではない。ただ、妻を助けられる可能性があるなら、何でもやろうと決めていた。鳥居を抜けて階段を駆け上がり、お参り愛ちゃんの病気を治してください。愛ちゃんを元気な姿に戻してください。そうお祈りして、何度も昇り降りお参りしている時、愛ちゃんの顔が浮かんだ。たくさんの笑顔と優しい声がずっと響いていた。失いたくなくて、ひたすらお祈りした。雨が降っていたけど、泣いて
8月頃(亡くなる2か月前)この頃になるとちょこちょこと胃に不調が出てきました。今まで胃痛とか胸焼けとか無縁だっただんなさんだったのですがだんだんと胃もたれや噴門部の痛みなどの症状が出るようになってきましたさらに、夏の暑さもありかなりバテ気味でした週末の休みはほぼ寝ていて毎週一緒に行っていた買い物も行けなくなってきました食事の方もだんだんと詰まりが頻繁になり吐くことが多くなりましたもともと朝食は食べ
長女と私で妻の面会妻の点滴交換などで暫く談話室で待つ長女がいうママ死んじゃだめだよねそうだね。ママ死んだら、、許すずっとずっとずっと許す!許さないじゃないの?だって、ママ好きだもん。ずっとずっと好きだから。声が、でなかった。なんで、こんなにいい子なのだろう。ママとたくさんお話しようね。病室へ妻はうっすら意識があった。長女が枕元に立つ。妻に、なかなか話しかけない。ママに、お話して。長女は、ママ、絶対に元気になってね好きだよ。大好きだよ。愛してるよ。世界で一
4/116時主治医と面談です主治医に聞きたいことをメモしておかんの入院に必要な物資をまとめて病院へ現地で姉と合流予定。病院について病棟のエレベーターホールへ行くとおかんが荷物を持って歩いてました(笑)わいあれ?ねーさんは?母え?来てねーけど。これもういらないから持って帰ってくれや。緊急入院だったため当日着てた服とか必要無い荷物を渡され今日持ってきた荷物と交換。母面談前にここで喋ってると怒られっから病室もどってるわわい荷物に飲み物とか入ってるから重いよ!母大丈
亡くなる2週間前だんなさんの調子が悪い日が増えてきて・腹水がたまってきた・食後の腹痛・息切れそばで見ている私もつらくなりもうそろそろ転院したほうがいいのでは?とだんなさんと相談し(緩和ケアというか在宅看護ありの病院)転院することを伝えるために総合病院へ紹介状が出来るまで1週間かかるとのことその時に病院からラベプラゾールとカロナール錠500を処方してもらいましたカロナールのおかげで楽になった様子
前回の告知からPET-CT検査まで3週間待ち長いよねこれでも最短らしいその間だんなさんは普通に会社に行ってました週末は子供の部活動の試合の応援車の中での待機時間が長いPET-CT検査は車で1時間ほどかかる病院私の運転で連れて行きました数日後、検査結果を聞きにーPET-CT検査結果は食道胃接合部の腫瘍リンパ節&骨の転移CT検査結果とほぼ同じですこれからの治療方法について先生よりお話抗がん剤治療で延命というのもあるが結局抗がん剤が効かな
2005年春、悪性脳腫瘍が判明した母。(後にグレード3→グレード4の膠芽腫へ転化)余命3年以内と言われながらも、18年間戦った母の、奇跡の記録です。2023年他界。◇経緯に関する記事のリンク◇・病院からの呼び出し・恐れていた(てんかん発作)・脳腫瘍が自然に小さくなった!・一度目の再発(大きくなっていた腫瘍)・手術の日(前編)・手術の日(後編)・病理の結果。悪性度の高さに絶望・余命宣告・放射線治療・明らかに小さくなっていた腫瘍『【脳腫瘍】見つかるチャ
今日は妻の親が遊びに来た。妻は吐き気止めの副作用で寝ていて、その様子を見て心配していた。これまでの経緯や医者からの話を説明する。ご両親は何でも協力すると言ってくれた。妻が起きてきて、両親から励まされる。少し照れながらも受け応える。妻の母はとても元気な人で、妻を治すと、他に選択肢はないと強く言っていた。とても心強かった。妻の母には、次の投薬の際に1週間ほど泊まって家事の手伝いを頼んだ。これで、子どもたちの負担を減らせればいいと思った。妻を寝かせて、ご両親と長女長男のいる保育園、
ブログって日記だからさ書こうかな泣いたさー今日の朝ドラNHKの番組なんてなんてなんて言ったら怒られるけど若い頃なんか観たことなかったよーでも、カーネーションの頃からかハマって始め観てハマると観ている今の前のブギウギもハマって観てけど今日のはあかん!行かないとふんでいたゆうぞうさんが戦地に行っちゃったーお兄ちゃん行ったから行かないと思ってたけど行っちゃったよー号泣そうだろねその頃の一番の行く年頃だもんね朝ドラあるあるで絶
こんばんは今日は3度目の正直!抗がん剤治療薬変更日でしたが、案の定抗がん剤治療断念という形になりました。そしてあとは穏やかに最後を迎えるしかない緩和ケアだけが残りました。もう痛み止めが効かないのです。今回薬の変更などドタバタでしかも連休が重なり痛み止めのトラマドールが通院日まで最後1日分足りなくなってしまい代用でカロナールで対応しましたが、カロナール200を1日16錠飲んでも痛いのです。私は今日も先生に先に呼ばれて抗がん剤治療中断の宣言をされました。覚悟していたのに思わず
今日の夜の愛ちゃんは、とにかく飲み物を飲んでいた。お茶を飲んで、オーエスワンを飲んで少しむせるが、昨日よりは飲み込む力が戻っている。ただ焦るように飲むので、心配だった。落ち着かせながら、飲ませていると、死が、こわいとつぶやく。そして、また一生懸命水分をとる。今度は、ベッドに座って、身体を動かす。足を揺すったり、立とうとしたり。その時は、家に帰るとつぶやいた。抱きしめて、大丈夫だよ。と声を掛ける。絶対に治して、一緒に帰ろと話す。妻は、頷いて、そして休んだ。夜の間、妻
朝から隣町に行く。2年前まで住んでいた町。妻のママ友のかいちゃんママが妻のためにお守りを買ってくれたので、それを受け取りに行く。妻には内緒だった。驚かせたかった。道に迷いながらかいちゃんの家に着くと、かいちゃんママとお父さん、子ども3人が出迎えてくれた。お姉ちゃんとかいちゃんと生まれたばかりの赤ちゃんみんな可愛かった。長女は一度遊びに来たことがあり、玄関を開けると子どもたちに連れられて中に入っていく。少し立ち寄るだけの予定だったので戸惑う。すると、戸惑っている私にかいちゃんマ
平和な夜だった。妻は、良く寝てくれた。胸のドキドキも、吐気も、めまいもなかった。尿カテーテルが合わなくて外したが、それだけだった。穏やかに朝を迎えた。妻の希望で、お母さんと妹さんに昼の付き添いをお願いした。お父さんは今日は休み私は、天気が良かったし、妻がしっかり寝てくれたおかげで少し休めたので、買い物を済ませて、子どもたちと大きい公園に行った。もう、ずっと子どもたちと遊んでなかった。だから、とにかく遊ばせてあげたかった。大きいトランポリンやすべり台のある公園で、2人はとにかく
『ご主人は家に帰りたいとおっしゃっていました』衝撃です。先生の言葉に頭がクラクラしました。ここまできても家族に迷惑かける気なのか💢腹が立ちました。夫が介助なしではベットから降りることさえ出来なくなった時『これじゃ、家に帰るのは無理ですよね』先生にそう語ったそうです。転倒して骨折でもしたら大変ですよね。と‥‥‥帰りたいのか‥‥どうしてだろう‥‥元気な時から週に何度も飲みに出てわたしが寝てから帰って来ました。あまり家には居たくないとも言っていました。な
長女と長男の熱が下がり、2人を保育園へ連れて行く。家に帰ると、妻が起きていた。昨日の夜は調子が悪かったそうだが、今日の朝は調子が良いらしい。妻と話す。頑張って、一緒に生きていこう。目を見て、手を握り、そう言い聞かせる。妻を助手席に乗せて、がんセンターへ助手席は、普段長女が座っているが、今日は手を繋いでいたくて、隣に座ってもらった。手を繋ぐ。少し骨ばっているが温かかった。がんセンターに着くと、受付を済ませて中へ東5階が妻の病棟だ。着いてすぐに手続きをして、一旦病室に入る。そ
本当に気持ちの持ち方が大事なんだなと、ここにきて思います。3週間前より、悪くなっているように見える。緩和ケアの先生がボソッと夫に言った言葉。私は悲しい言葉は聞きたくないと伝えてあるので、夫にだけ伝えられた言葉。結局、聞き出したけど。それを聞いて「だよなー」という気持ちとともに「先生を見返してやるぞ!」という気持ちもフツフツと湧いてくる。やっぱり最後は気持ち、体力だ!娘に付き合って貰ってラジオ体操を始めました。情けないことにこれすら疲れる。母に付き添って貰って散歩も開始。これまた疲れる。
昨日は娘と2人で緩和ケア病棟の面談へ行ってきました。面談には緩和ケアの医師と看護師が来られて、医師は具体的な対処療法になる話をされて退席され、病棟の説明は看護師から詳しく聞きました。・緩和ケア病棟は全部個室である・ストレッチャー入浴設備がある・家族の控室や病室にソファーもありゆったり過ごせる・面会は3人の固定になるけど9:00~21:00まで可能で他の面会者も通常の入館で面会は出来る・今ほどの機械に繋がれた生活ではなくなる・病状を見ながらにはなるが(夫の場合は飲水制限)多少は好
長女の面会後、お父さんに引き継いで一旦帰宅お母さんが子どもたちを見てくれていた。お母さんに状況を伝える。さらに、最悪の場合を覚悟しようと話す。そして、ここから先に余計なことを考えないで済むように、もし万が一の話をした。もし、愛ちゃんが亡くなったら、家族葬にしたい。私が入る墓に入れたい。そう言った途端、ボロボロ泣いた。あんまり泣くので、長男が抱きしめてくれた。お母さんも抱きしめてくれた。その時、絶対に言わないつもりだった言葉が出てきた。すいません。幸せにするって約束したのに
夜は、少し寝て、起き上がってを繰り返した。寝たくないという。起きられるか不安で寝たくない。机にしがみついて、一生懸命水分をとっていた。たまに記憶が変になって、色んなことを尋ねる。私は、なんでここにいるの?障害があるの?どうすれば治るの?いつ帰れるの?私は、どうなっちゃうの?子どもたちと一緒にいるにはどうすればいいの?死にたくないのどうすればいい?とにかく休むように伝える。少し寝てくれる。起こしてと騒ぐ。起きる。机に、しがみついて水分をとる。同じ質問をする。朝
子どもたちを送って職場へ妻は、カートで腹水を抜くので午前中の面会は控えた。お父さんも気晴らしに温泉に行った。職場で皆さんに挨拶みんな背中を押してくれた。職場を午前であがると、先生から電話患者さんの体調が日に日に悪くなっている。緩和ケアに移る日どりはまだ決まっていない。そこで、外科病棟にいても子どもたちと会えるように取り計らう。ただ、条件があって、患者さんが危篤状態になっても、長時間の心臓マッサージや人工呼吸器をつけるなどの延命措置を行わないことを承諾してほしい。すぐに答えが出
癌の終末期になると個人差はあるもののほとんどの患者にせん妄が見られる。わたしのお母さんもせん妄があった。はじめは医療用麻薬によるもののせん妄だったけど(内容は過去の記事に書いてある)亡くなる数日前からは、「終末期せん妄」と呼ばれるものになり、パニックになることもあった。緩和ケア病棟の病室で、カーテンが閉まってるのに、眩しい!目があけられない!閉めて!!と言ったり、虫が飛んでる!と幻覚が見えたり、鼻にチューブが入ってるのを抜き、「鼻に何入れたの?!やめてよ!」と言ってきたり
2/142回目の抗がん剤アブラキサン+ゲムシタビン。気温も高く超快晴!まだ2月なのに春ですな〜母おーい!ちょっときて!わいなんや?母ハゲる前に遺影撮ってくれー!わいこの前決めたやつじゃダメなの?母いや、天気良いし梅咲いてるしわいあ、はい。パシャリ📸どうやら気に入ったようです(笑)友達に送ったら「梅まつりいってきたん?」って言われたw(自宅の庭です)わいあとで微修正でシワとか消しといてやるわ母よろしくー!意気揚々と病院へ副作用が全く無かった
片付け、安置、連絡、葬儀の段取りとバタバタしていたおかげで、気づけば妻の前に座ってのんびりしている。たまに、涙が流れるが空っぽになると、自然と泣き止む。眠たくないのに、眠っている感覚ボーっとする。引き菓子等のパンフレットを読みながら、妻に、手伝ってもいいんだよと声を掛ける。ごめんねと、心の中の愛ちゃんが答える。頭をなでる。綺麗な髪いいんだよ。ありがとう。と妻に問いかけるが、返事はない。ぼんやりとした時間が、ゆっくり過ぎていく。眠れない