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妻の容体は、一旦安定した。チューブを入れてもらい、アイスや味噌汁、飲み物を飲んでいた。飲み込む力が弱くなったと思ったが、今日はむせておらず、落ち着いたようだ。眠る時間は長いが、今は休む時だと思う。それと並行してお義父さんが限界を迎えた。色んな人から色んな形で連絡が来たが、要約すると、妻の弱っていく姿に耐えられず、弱る責任を私やその周りと思い込み、20日でもう一家まとめて撤退すると宣言したらしい。私のところには、一言も連絡がなかったが別に恨まないし、仕方ないと思う。長い闘病生活
退院する時に同時に訪問診療を始めました今後は自宅で療養すること最期の時は緩和ケア病棟を希望していることそれは主治医からの紹介状に書いてありましたしかし約1ヶ月後の外来予約もあります「来るのが難しければいいからね」そう主治医は言ったそうですが患者さんもご家族も行く気満々しかし私も訪問看護師さんもお看取りのお話をしておきたいと感じましたこの「差」初めてお会いして気持ちが外来通院に向いている状況でそんな状態ではないということをどう伝えるかお別れまでの時間を大切にして
おはようございます。この週末は悲惨でした💧土曜日に、腸の蠕動通が良くなってきたので、ポトフを作ってお昼食べたら(しかもかなり少量)膨満感出てきて、一気に気持ち悪くなり、、グロッキー過ぎて嘔吐🤮その時に変なとこに入ってしまったようで、息吸うとヒューヒュー苦しくて息があまり出来ない💦トイレから旦那を呼ぶもなかなか気づいてくれずドアを叩きまくった😅トイレには携帯必須だなと思った💧そしたら今度はガタガタ震えるほど寒くなって熱測ったら37度。絶対おかしいと思い、とりあえず訪問診
こんばんは〜GWの序盤、皆さまはいかがお過ごしですか?私はですね!帰郷してからの第一目標だった「両親と伯父さんの長寿祝い」をついに実現することができました🟣お父さん(傘寿)🟡伯父さん(米寿)元気に長生きしてくれてありがとう前列の中央は、私のお母さん。後列は、主人と私、伯父の娘です。訂正致します昨日は叔父と書きながらなーんか違和感があって?今朝ググってみたらやはり!正しくは伯父でした。(両親の兄は伯父、弟は叔父と書く)ニホンゴ、ムズカシイねwここは、おばあちゃ
9月頃(亡くなる1か月前)9月前半はまだまだ暑い日が続き旦那さんの体調もすぐれなくなり会社を休んだり出社しても帰宅後はコロンと横になってたり食は日々試行錯誤でした炭酸飲みながらだといける?ポカリ系だとなんかいいかも?牛乳はけっこういけるとかいろいろ試してみる日々そんな中晩御飯のことでだんなさんにお願いしたことがひとつ今まではビールを飲んでから夕食を食べるのだけどそれだと夕食までにたどり着けないこと
8月頃(亡くなる2か月前)この頃になるとちょこちょこと胃に不調が出てきました。今まで胃痛とか胸焼けとか無縁だっただんなさんだったのですがだんだんと胃もたれや噴門部の痛みなどの症状が出るようになってきましたさらに、夏の暑さもありかなりバテ気味でした週末の休みはほぼ寝ていて毎週一緒に行っていた買い物も行けなくなってきました食事の方もだんだんと詰まりが頻繁になり吐くことが多くなりましたもともと朝食は食べ
囁く様にしか声が出せず口元に耳を寄せないと聞こえなくなった話しても上手く口が回らず伝わらなくなり筆談するようになった頑張って書いてくれた文字を何とか読み取る『まくらをかって』と書いたけどまくらの高さ変えての意味だった「nicoさん、ここどこ?」「病室だよ」「◯◯病院?」「そうだよ」よく聞く『夢と現実の間』というやつかな…?「炊飯器買った?」と急に聞いてきたりもした「買ってないよ」「そうか」今日はオシッコが1度も出なかった…血圧は上が80下は浮腫の
おはようございます。余命。がんになり気になったことは、あとどの位生きられるのか・・・初めからかなり気になっていました。結果から言えばまだ分かっていない、決着はついていませんが、多くのがん患者を看取ってきた、医師なら余命宣告はそうそう外しはしないのかな~と、言うのが今の感触です。患者の受け止め方や、現状把握の状況により、医師が意図的に短めに言ったり、長めにぼやかしたりすることはあっても、医師の本音が聞ける信頼関係があるのなら、主治医はおおよその見当は外さないのだろうな~というのが、私の感想で
ご覧いただきありがとうございます。今は深夜の3時、私の部屋は談話室の隣、ナースステーションの斜め前という比較的煩いほうの場所にあります。ちょうど談話室で看護師さんと話している方の声が聞こえます。患者さんの声は震え、看護師さんが励ましているようです。この病棟の患者はすべてがん患者さんの終末期と聞いてから、余計に他の方の様子が気になりだしたのですが、入院して約2週間他の患者さんの姿すら見ていませんwがん患者は孤独になりがち、私の限ってはその孤独を楽しめる性格でしたので、家でもひきこもり状態。
今日のモキチ家に帰ってきて旦那の部屋を覗いたらいつもの椅子に座って寝ていました私が部屋に入ると寝ぼけ眼で「おかえり~」と言ってくれました旦那が「さっき俺とお父さんと二人だけだったでしょ。だから色々腹割って話したよ」私「え?どんな事を?」旦那「nicoさんとお父さんの事」えっお父さんと話した内容を教えてくれました…僕が居なくなったらもうお父さんの面倒見てくれる人は居ないよnicoさんは僕の奥さんだから僕が死んだ後、お父さんの面倒見るために居るわけじゃないからそ
グルーミング中のもきち笑24/3/28(木)今日は2週間に1度の診察日今日は車から降りてすぐに車イスに乗った旦那採血、検尿の後腎臓内科の診察利尿剤の影響が心配だったけど特に悪いことは言われなかったセーフこの時、旦那が先生に利尿剤はどこの科から処方されるのか聞いた…腎臓内科の先生「消化器外科から出てます」次に、消化器外科の診察数値的には特に変わりない悪くもなってない先生が今後の治療について話し始めた旦那がまだ唯一使っていないお薬「イリノテカン」腹水が溜まっ
うまうま24/4/7(日)昨夜、すき焼とお寿司の後胆汁嘔吐が…入浴中に一回就寝前に一回夜中に目が覚めた時にお腹が空いたとウィダーインゼリー少々夜中に一回そして、翌朝起床後にも一回土日は来客が多いですしかも、ほぼアポ無し午前9時「ケイ(旦那)さんいる~?」ご近所さんが祭りの笛の件で来訪旦那「どうぞ~あがって~」お昼、12時ご近所さんがやっとお帰りに3時間の接客は今の旦那には流石に長かった私が部屋に行くと旦那、ゲッソリ朝飲むはずのお薬もまだ全く飲めて
ご訪問くださりありがとうございます前日の夜に左腕の力瘤の辺りに痼らしきものがあるのを見つけました。また増えたのかな。朝、看護師が来た時に伝えました。確かに何かありますねと。11時に転科して整形外科病棟から血液腫瘍内科の病棟に引っ越しました。整形外科では個室でしたが、血液腫瘍内科では大部屋みのようです。身動きが取れないのでナースステーションの近くの部屋になりました。転科したことにより化学療法が始まりました。PCD療法です。P・・・ポマリスト(ポマリドミド)
日付が前後します24/4/12(金)夜中、2時頃?トイレから戻ると呼吸困難見た感じは過呼吸の様な状態「息が吸えない「空気が入ってこない苦しい」と、激しく浅い呼吸を繰り返す「ゆっくり息をしてゆっくり息を吐いて」と声をかけると徐々に落ち着き呼吸が戻った「死ぬかと思った」と旦那。私も死ぬかと思って怖かった。翌朝またトイレ後に同じ症状になりかけた病院に電話をしたら入院の準備をし救急車で来る様に指示をもらうこの時電話で座薬の痛み止アンペックを使うように言
夕方、妻の付き添いに行く。昨日よりも安定していた。味噌汁を少しずつ飲んでいた。夜になると、抱っこして欲しいと言うので、またお姫様抱っこをして、外の景色を見た。結婚式場は、ライトアップされていた。ただ暗くて、そんなに景色は見えなかった。朝ほど大騒ぎはしなかったが、嬉しそうだった。そしてまたキスをしてくれた。その後一度だけ、呼吸が変になったが、すぐに落ち着いていた。夜は、30分寝て、身体を起こしてと言って、身体を起こし、水分をとっていた。一緒に食事がしたいと言って、アイスを一
直腸がん患者の私が死を覚悟するガン末期症状。2024年3月17日。いよいよもうダメだろうと自分で感じるがん末期症状を書き出してみます。がんの症状と麻薬系鎮痛剤の副作用が入り混じっていると思われます。残された時間は後になり逆算してもらうしかないのですが、私のイメージでは後1か月から3カ月位かな~と感じております。【ひどい疲労感】疲れ方が今までと違うと明らかに感じます。座って書いている姿勢を保つのも辛く感じます。身体に力が入らないです。【痛み】がんの症状の典型だと感じています。私は直腸
今日の夜の愛ちゃんは、とにかく飲み物を飲んでいた。お茶を飲んで、オーエスワンを飲んで少しむせるが、昨日よりは飲み込む力が戻っている。ただ焦るように飲むので、心配だった。落ち着かせながら、飲ませていると、死が、こわいとつぶやく。そして、また一生懸命水分をとる。今度は、ベッドに座って、身体を動かす。足を揺すったり、立とうとしたり。その時は、家に帰るとつぶやいた。抱きしめて、大丈夫だよ。と声を掛ける。絶対に治して、一緒に帰ろと話す。妻は、頷いて、そして休んだ。夜の間、妻
平和な夜だった。妻は、良く寝てくれた。胸のドキドキも、吐気も、めまいもなかった。尿カテーテルが合わなくて外したが、それだけだった。穏やかに朝を迎えた。妻の希望で、お母さんと妹さんに昼の付き添いをお願いした。お父さんは今日は休み私は、天気が良かったし、妻がしっかり寝てくれたおかげで少し休めたので、買い物を済ませて、子どもたちと大きい公園に行った。もう、ずっと子どもたちと遊んでなかった。だから、とにかく遊ばせてあげたかった。大きいトランポリンやすべり台のある公園で、2人はとにかく
私の脚の間で一緒にお昼寝するもきち旦那と喧嘩しました私がブログを書いていることは旦那も知っています旦那と同じく胃癌の方の治療腹膜播種の方の治療のブログやはり見てしまいます読み漁ってます私が前からどうしても気になっているのが抗癌剤の「腹膜内投与」これについてのブログを見掛けるとつい何時間も読み進めてしまいます旦那の腹膜播種は症状からすると…かなり進んでいるのかもしれない腹水の溜まりが早く何度も抜いている事尿の流れが悪くなり尿管ステントを入れた事腹部膨満感
朝起きたら、愛ちゃんが胸が痛いという。痛くて、髪をかきむしる。足を暴れさせる。痛み止めをもらっているうちに意識がなくなり、看護師さんが危篤と判断妻の両親と子どもたちを呼び出す。脈拍、呼吸正常だが、意識なし。みんなでずっと呼びかける。主治医が来て、あと30分から1時間保たない。もし、心停止したら、その段階で死亡確認をすると言われる。1時間後意識ないが、脈拍、呼吸正常主治医にまた呼ばれる。どれだけ生きるかわからないが、とりあえずいつ亡くなってもおかしくない。全身状態が悪いので
夕方、主治医が病室に来てくれました今後の治療について話しました先ず、聞きたかった免疫チェックポイント阻害薬で既に使用済みのオプジーボ以外に他に使える薬はないのか?有りませんでした胃癌に使えるのは現在はオプジーボだけでしたしかし、来年あたりもう1種類使えるようになる予定の薬があるとしかし、なかなか進まないと…遺伝子をどうとか言っていたしかし、まだ予定で未定だと…結果…休薬中のロンサーフ…再開することにしました薬の量は前より減らして再トライ減量してどこまで副作用を減らせ
コメントを下さる皆さんへコメントありがとうございます。今の体調は全てのコメントに目を通せる良い状態です。本当に嬉しく、感謝しながら読ませていただいています。コメントのお返事が書けないことを心苦しく思っておりますが、お理解くださいませ。申し訳ありません。がんになりもっと早めに意識すれば良かった事といえば食事です。がんを意識するのは早すぎると思えるくらいのタイミングで色々なものを食べておいたほうが良い。食べ放題も行けるうちに行っていたほうが良いと思っています(笑)私は今はとにかく食
今日の昼頃、妻のお母さんが病院に行った。先週から、妻のお母さんは、愛ちゃんのことが諦められないから、先生に治す方法がないか聞いてみたいと言っていた。そして、先生と日程調整して、今日の昼頃にその場を設けてもらった。昼過ぎになって、お母さんから、終わりましたと連絡が入る。電話をして、結果を尋ねた。お母さんは、何度もため息をつき、うんとね、うんとね、と、口に出したくないことをまとめようとしていた。結論は、いい治療はなかった。先生には、今の妻の体力では、そもそも治療に耐えられないと言われ
私たち医療者は患者さんの今後の経過を検査結果や症状、状態から予想します予後という言葉を使いますが余命とほぼ同じ意味ですその予後を予測して患者さんに伝える際にそのまま「2-3ヶ月です」と数字でいう医師もいますがその時期により年は越せないとか桜は難しいという言い方や月単位週単位という表現を使う医師もいます週単位は来週の今日は状態が変わっていてその翌週はさらに変わっていくという状態で残り時間は1ヶ月くらいの時に使います月単位は週単位ほど早くはないものの
入院2日目妻は、いよいよ抗がん剤治療に入った。前回とてもキツかったそうなので、わたしも妻も緊張した。私は、妻のことを心配しながら、給与明細を確認する。今後、私は育児をしながら働かなければいけない。パートをしていた妻の収入はゼロだ。当然収入は著しく下がる。妻の治療費、家賃、子どもたちの保育費等等妻は、保険は殆ど入っていなかった。当然がん保険なんてなかった。だから治療費の補填は、あまり期待できなかった。入っていた保険も、入院費を多少出してくれるものだった。そこで先日、様々な積
昨日から、お百度参りを昼間にしていた。自宅の近くに階段の長い神社がある。妻が、よく子どもたちと散歩に来ていた。信心深い方ではない。ただ、妻を助けられる可能性があるなら、何でもやろうと決めていた。鳥居を抜けて階段を駆け上がり、お参り愛ちゃんの病気を治してください。愛ちゃんを元気な姿に戻してください。そうお祈りして、何度も昇り降りお参りしている時、愛ちゃんの顔が浮かんだ。たくさんの笑顔と優しい声がずっと響いていた。失いたくなくて、ひたすらお祈りした。雨が降っていたけど、泣いて
緩和ケアって言うと終末期医療のことと思ったり最期、西洋医学的にできることがないから緩和ケアをすると思ってる人がいるけどそうじゃーない!緩和ケアは、痛みがありゃーいつでもやる!終末期医療とか看取りターミナルケアーと緩和ケアが一緒になってたりごっちゃになってることがある。がん
24/4/14(日)私が14時に病室に行くと血圧が低く安静にとの指示でこの日はずっとベッドの上の旦那尿は昨日からまだ出ていないと……T字帯をつけていてベッド横には尿瓶が浮腫は更に進み服がキツくなってきて長Tの袖口にハサミを入れて広げたさすがにCSセットを頼み明日から病院のパジャマかガウンに体のあちこちから浮腫による水が沁み出て来て吸水シート?の様な物を水漏れのある箇所の脚や腰回りに巻いている鼻には酸素チューブ右肩部には痛み止の点滴針左腕には点滴用のルート確保
12月16日(土)休薬日11日目最近旦那の体調が良いので久しぶりに朝寝坊させてもらいました毎晩、睡眠薬デエビゴを飲んで眠る旦那副作用で悪夢や金縛りが現れる時があります症状が出るのは眠ってすぐの時もありますがだいたい30分から1時間の間です旦那の眠りが安定したのを確認してから私も眠りに付くようにしてますがやはり気になって眠りが浅いのか寝不足を感じ今日は朝寝坊をさせてもらいましたなんと昼まで寝ていた私旦那は朝ごはんにうどんお昼ご飯にチャーハンを自分で作って食べ
今日のモチキ11月28日(火)ロンサーフ②5日目旦那、1泊2日の退院日11時に着で迎えに行きます病室に向かう廊下でそうね~オッケーが口癖の旦那が絶大な信頼を寄せる緩和の先生とバッタリ心配や不安なことは無いかと声をかけてくださいましたオッケー先生と2人で話すのは初めてですキンチョーいっぱい有りすぎて何が不安なのかわからない…とアホみたいな答えをする私お正月はどうするのか?と聞かれたので旦那がもう一度家族で旅行がしたいと言っていることを伝えると良いですね~