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昨日から、お百度参りを昼間にしていた。自宅の近くに階段の長い神社がある。妻が、よく子どもたちと散歩に来ていた。信心深い方ではない。ただ、妻を助けられる可能性があるなら、何でもやろうと決めていた。鳥居を抜けて階段を駆け上がり、お参り愛ちゃんの病気を治してください。愛ちゃんを元気な姿に戻してください。そうお祈りして、何度も昇り降りお参りしている時、愛ちゃんの顔が浮かんだ。たくさんの笑顔と優しい声がずっと響いていた。失いたくなくて、ひたすらお祈りした。雨が降っていたけど、泣いて
今日の昼頃、妻のお母さんが病院に行った。先週から、妻のお母さんは、愛ちゃんのことが諦められないから、先生に治す方法がないか聞いてみたいと言っていた。そして、先生と日程調整して、今日の昼頃にその場を設けてもらった。昼過ぎになって、お母さんから、終わりましたと連絡が入る。電話をして、結果を尋ねた。お母さんは、何度もため息をつき、うんとね、うんとね、と、口に出したくないことをまとめようとしていた。結論は、いい治療はなかった。先生には、今の妻の体力では、そもそも治療に耐えられないと言われ
コメントを下さる皆さんへコメントありがとうございます。今の体調は全てのコメントに目を通せる良い状態です。本当に嬉しく、感謝しながら読ませていただいています。コメントのお返事が書けないことを心苦しく思っておりますが、お理解くださいませ。申し訳ありません。がんになりもっと早めに意識すれば良かった事といえば食事です。がんを意識するのは早すぎると思えるくらいのタイミングで色々なものを食べておいたほうが良い。食べ放題も行けるうちに行っていたほうが良いと思っています(笑)私は今はとにかく食
面談は思った通りの内容でした。夫の癌は進行のスピードがかなり早いと言われていました。先生曰く想定していたよりも遥かに早いスピードで進行しているそうです。緩和ケアに移床する前に撮ったMRIの画像を見せて貰いました。数週間前に撮った画像と見比べると、無かったものが写っていました。『これって、以前は無かったですよね?それがこんなに大きくなってるのですか??』わたしは立ち上がる勢いで先生に聞きました。『1ヶ月前には画像にも無かったものです』それは頭頂部に転移した
一晩妻に付き添う。喉が乾いたと何度も起きるので30分おきにイオンウォーターを飲ませる。自分で起きられないので、口腔スポンジに含ませて少しずつ飲ませる。朝になっても変わらない。呼べば目を覚まして、頷くが喋れない。ずっとお腹をさする。頭を撫でる。医師がくる妻の症状はせん妄衰弱して、脳が一時的に機能していない。昏睡の一歩手前今週1週間が限界数日で意識がなくなり、起きなくなる恐れがある。もし会いたい人がいれば、早めに妻も聞いていた。返事はしないが頷く水分を定期的に与える。
夜は、少し寝て、起き上がってを繰り返した。寝たくないという。起きられるか不安で寝たくない。机にしがみついて、一生懸命水分をとっていた。たまに記憶が変になって、色んなことを尋ねる。私は、なんでここにいるの?障害があるの?どうすれば治るの?いつ帰れるの?私は、どうなっちゃうの?子どもたちと一緒にいるにはどうすればいいの?死にたくないのどうすればいい?とにかく休むように伝える。少し寝てくれる。起こしてと騒ぐ。起きる。机に、しがみついて水分をとる。同じ質問をする。朝
おはようございます。この週末は悲惨でした💧土曜日に、腸の蠕動通が良くなってきたので、ポトフを作ってお昼食べたら(しかもかなり少量)膨満感出てきて、一気に気持ち悪くなり、、グロッキー過ぎて嘔吐🤮その時に変なとこに入ってしまったようで、息吸うとヒューヒュー苦しくて息があまり出来ない💦トイレから旦那を呼ぶもなかなか気づいてくれずドアを叩きまくった😅トイレには携帯必須だなと思った💧そしたら今度はガタガタ震えるほど寒くなって熱測ったら37度。絶対おかしいと思い、とりあえず訪問診
入院2日目妻は、いよいよ抗がん剤治療に入った。前回とてもキツかったそうなので、わたしも妻も緊張した。私は、妻のことを心配しながら、給与明細を確認する。今後、私は育児をしながら働かなければいけない。パートをしていた妻の収入はゼロだ。当然収入は著しく下がる。妻の治療費、家賃、子どもたちの保育費等等妻は、保険は殆ど入っていなかった。当然がん保険なんてなかった。だから治療費の補填は、あまり期待できなかった。入っていた保険も、入院費を多少出してくれるものだった。そこで先日、様々な積
「癌になってかなり気になった事」ご覧いただきありがとうございます。最近一番の後悔は、2024年3月3日に好きなバンド「bohemianvoodoo(ボヘミアンブードゥー」のライブ(大手町読売ホール)に行けなかったことですかね(笑)行きたかったな~bohemianvoodoo【Mystic】(officialmusicvideo)OfficialMusicVideofor"CROSSING"-availableeverywherenow:https://playw
長女と長男の熱が下がり、2人を保育園へ連れて行く。家に帰ると、妻が起きていた。昨日の夜は調子が悪かったそうだが、今日の朝は調子が良いらしい。妻と話す。頑張って、一緒に生きていこう。目を見て、手を握り、そう言い聞かせる。妻を助手席に乗せて、がんセンターへ助手席は、普段長女が座っているが、今日は手を繋いでいたくて、隣に座ってもらった。手を繋ぐ。少し骨ばっているが温かかった。がんセンターに着くと、受付を済ませて中へ東5階が妻の病棟だ。着いてすぐに手続きをして、一旦病室に入る。そ
ご覧いただきありがとうございます。今は深夜の3時、私の部屋は談話室の隣、ナースステーションの斜め前という比較的煩いほうの場所にあります。ちょうど談話室で看護師さんと話している方の声が聞こえます。患者さんの声は震え、看護師さんが励ましているようです。この病棟の患者はすべてがん患者さんの終末期と聞いてから、余計に他の方の様子が気になりだしたのですが、入院して約2週間他の患者さんの姿すら見ていませんwがん患者は孤独になりがち、私の限ってはその孤独を楽しめる性格でしたので、家でもひきこもり状態。
朝から隣町に行く。2年前まで住んでいた町。妻のママ友のかいちゃんママが妻のためにお守りを買ってくれたので、それを受け取りに行く。妻には内緒だった。驚かせたかった。道に迷いながらかいちゃんの家に着くと、かいちゃんママとお父さん、子ども3人が出迎えてくれた。お姉ちゃんとかいちゃんと生まれたばかりの赤ちゃんみんな可愛かった。長女は一度遊びに来たことがあり、玄関を開けると子どもたちに連れられて中に入っていく。少し立ち寄るだけの予定だったので戸惑う。すると、戸惑っている私にかいちゃんマ
5/2に、この数日続いていた1~2時間続く発作のような酷い咳の対応で急遽、在宅主治医に往診にきていただきましたまぁ、犯人はわかったようなものなんですけどね。おそらく、こいつですもともと胸膜転移の影響と思われる咳と、原因不明のムズムズ咳はそこそこあったんだけど、先週から酸素療法が始まったとたんに咳が酷くなっているのですよで、ここ数日様子を見ていたら、酸素を一度もつけていない日は咳が少なくて、つけている日は発作的な咳が必発しているのです。まぁ、食べた物によって胃酸とともに咳が出やすくな
グルーミング中のもきち笑24/3/28(木)今日は2週間に1度の診察日今日は車から降りてすぐに車イスに乗った旦那採血、検尿の後腎臓内科の診察利尿剤の影響が心配だったけど特に悪いことは言われなかったセーフこの時、旦那が先生に利尿剤はどこの科から処方されるのか聞いた…腎臓内科の先生「消化器外科から出てます」次に、消化器外科の診察数値的には特に変わりない悪くもなってない先生が今後の治療について話し始めた旦那がまだ唯一使っていないお薬「イリノテカン」腹水が溜まっ
わたしは誰かを看取るという経験をしたのはお母さんが初めてだったけど、もう二度と人の最期に向き合いたくないと思うほど辛い経験。生きててこんなにも辛い瞬間はあるのかと思うほどのショック。それほど最期を看取るというのは自分の人生に影響を及ぼすほどの衝撃がある。お母さんの最期を看取れなかったらそれはそれで色々後悔してたと思うし、結果的には良かったんだけど。。こんなにも毎日、最期の瞬間をフラッシュバックのように鮮明に思い出して落ち込んでしまうのは、メンタルかなりやられるわ。死別し
今日の早朝妻が鬱かもしれないとコメントをいただいた。鬱と考えたことがなかった。妻はいつも健康的で、鬱とは無縁の人だった。でも、ガンと戦って疲れてしまい、鬱になっているのかもしれない。そうかんがえると、妻の言動や態度を許せた。いっぱい戦っているのだ。疲れて鬱になってもおかしくない。むしろ、妻の心のケアをしたいと思った。妻の心を少しでも穏やかにしてあげたい。そう思えた。午前5時妻を起こして、お灸をしてあげる。その間、妻を優しく撫でる。妻の話を聞く。痛いと、他のことが何も
夕方、病院を訪ねた。先生から、妻の容体を聞く。一番最近の検査では、ガンの進行は一進一退であるが、縮小している部分も確認できており、奏功している状態しかし、妻は現在胃がんの痛みと腸閉塞による痛みが強く、また、腹水の溜まりも早く、苦しい。現在は、麻薬系の麻酔を使って緩和しているが、それでもベッドから出られない事がある。妻は、昨日の夜、痛みが酷かったので、抗がん剤治療を一旦休みたいと希望したそうだ。なので、一旦抗がん剤治療はやめて、現在の痛みなどを軽減する緩和ケアを重点的に行う。とのこと
8月頃(亡くなる2か月前)この頃になるとちょこちょこと胃に不調が出てきました。今まで胃痛とか胸焼けとか無縁だっただんなさんだったのですがだんだんと胃もたれや噴門部の痛みなどの症状が出るようになってきましたさらに、夏の暑さもありかなりバテ気味でした週末の休みはほぼ寝ていて毎週一緒に行っていた買い物も行けなくなってきました食事の方もだんだんと詰まりが頻繁になり吐くことが多くなりましたもともと朝食は食べ
今日から、妻は抗がん剤治療だ。朝の妻の体調は、少し悪かった。夜中に少し吐いたらしい。妻に、ガンで今まで一番痛かった時を30にして、今どれくらいか聞いたら、5だと言っていた。それでも、妻は布団から動けなかった。今日、妻とお母さんと子どもたちでゆっくり朝出て、こども園や病院を案内する予定だった。しかし、妻の体調不良で、急遽私が皆を連れて行く。お母さんには、馴れない道を覚えてもらい、子どもたちの送迎方法を教える。嫌な顔をせず、付き合ってくれた。私も職場に送ってもらい、仕事をする。病
夜中から朝妻は、仰向けで眠れていた。いつも、気持ちが悪いと言って、横になれなかった。今日は、ゆったり仰向けになって寝ていた。妻が物音を立てる度に起きたが、杞憂だった。朝聞いたら、熟睡できたとのことだった。朝は、アイスを食べて水を飲んでいた。体調に異変はなく、ストレッチをする。朝一番に主治医が尋ねてきた。びっくりするくらいの笑顔すごいですね。と笑う。昨日は、死亡確認の話をしていたから、本当にすごいのだろう。先生と今後の相談をする。体調が安定したので、再び緩和ケア病棟へ移る
私の親からの提案土曜の夜から、実家で子どもたちを預かる。ただ、うちの親の仕事があるので、預かったら、もう平日病院へ行くことはできない。延期はほぼ不可能始まれば、そのままそして、これは実家への移住も前提だった。つまり、明後日で子どもたちと離れ離れそれどころか、もとの保育園に帰る道も、ささやかな3人ぐらしも…?家族四人で集まれるのは?妻の気持ちは?私のささやかな生活を送りたいという気持ちは?親はすぐに決めろというできるわけない電話を切って、寝ている妻をのそばで苦しむ。苦し
昨日の夜妻からメッセージ手が痛いパンパンに腫れ上がっていた手の画像と一緒に連絡がくる。飛び起きて、そっちに行こうかと確認痛いけど、よく眠れてるから大丈夫と言われ、それでも心配で寝たり起きたり朝5時になって、すぐに湿布などを持って病院に手指の深爪からバイキンが入って、蜂窩織炎というものになっていた。朝、先生が来て、抗生物質や痛み止めを処方してくれることになった。妻は、ハキハキしゃべって食欲もあった。しかし、手はパンパンだった。途中、痛くて痛くて、泣いていた。ナースコール
夜、妻は良く寝てくれた。途中尿のことを看護師に相談し、カテーテルのチェックをしてもらったところ、一時的につまっていたらしい。一気に流れ出してくれた。ただ、一部に血が混じっていて、今後も注意が必要だと感じた。その後は、寝て起きて水飲んでを繰り返していた。普段よりよく寝て、朝を迎えた。筆談は終わって、話せるようだった。体にしびれがあるらしい。昨日のリハビリのせいと医師に言われた。この土日は、ゆっくり休もう。交代して、長男の入園式の準備長男におめかしの服を着せて、私はスーツを着て
子どもたちを迎えに行き、洗濯、風呂をこなす。長女が昼寝をしていないせいで、たまにぐずるが、上手くなだめながら家事をこなす。夕食を食べながら、妻が不在で子どもたちと過ごすのが初めてだと気づく。妻が体調を崩してから、子どもたちの世話をすべてやっていたので、全く気にならなかったが、それでも寂しさがこみ上げてくる。何となく、妻の名前を呼ぶ。愛ちゃん。私の心の中で、妻が、なーに?と応える。私の中に妻がいるのを確認し、安心する。本当は、本物に返事をしてほしいのだけど。もう一度妻を呼ぶ。
長女の面会後、お父さんに引き継いで一旦帰宅お母さんが子どもたちを見てくれていた。お母さんに状況を伝える。さらに、最悪の場合を覚悟しようと話す。そして、ここから先に余計なことを考えないで済むように、もし万が一の話をした。もし、愛ちゃんが亡くなったら、家族葬にしたい。私が入る墓に入れたい。そう言った途端、ボロボロ泣いた。あんまり泣くので、長男が抱きしめてくれた。お母さんも抱きしめてくれた。その時、絶対に言わないつもりだった言葉が出てきた。すいません。幸せにするって約束したのに
昼過ぎに子どもたちや弟夫婦、ジイジとバアバでおやつを食べた。おやつを食べながら、妻の病気の話をする。弟の妻は、先日父親をがんで亡くしていて、その闘病の辛さを近くで見てきた。その奥さまから、色んな話を聞く。話を聞いて、まずべんきになったのは、体力勝負だということ。やっぱり闘病がながければ長いほど、体力が大切らしい。妻に筋トレするように言ったが、大丈夫だろうか。「スロースクワット8セットやったよ」妻からのメッセージに笑ってしまう。弟の奥さまも、それなら大丈夫と言ってくれた。そう。
うまうま24/4/7(日)昨夜、すき焼とお寿司の後胆汁嘔吐が…入浴中に一回就寝前に一回夜中に目が覚めた時にお腹が空いたとウィダーインゼリー少々夜中に一回そして、翌朝起床後にも一回土日は来客が多いですしかも、ほぼアポ無し午前9時「ケイ(旦那)さんいる~?」ご近所さんが祭りの笛の件で来訪旦那「どうぞ~あがって~」お昼、12時ご近所さんがやっとお帰りに3時間の接客は今の旦那には流石に長かった私が部屋に行くと旦那、ゲッソリ朝飲むはずのお薬もまだ全く飲めて
私の脚の間で一緒にお昼寝するもきち旦那と喧嘩しました私がブログを書いていることは旦那も知っています旦那と同じく胃癌の方の治療腹膜播種の方の治療のブログやはり見てしまいます読み漁ってます私が前からどうしても気になっているのが抗癌剤の「腹膜内投与」これについてのブログを見掛けるとつい何時間も読み進めてしまいます旦那の腹膜播種は症状からすると…かなり進んでいるのかもしれない腹水の溜まりが早く何度も抜いている事尿の流れが悪くなり尿管ステントを入れた事腹部膨満感
今日は妻の親が遊びに来た。妻は吐き気止めの副作用で寝ていて、その様子を見て心配していた。これまでの経緯や医者からの話を説明する。ご両親は何でも協力すると言ってくれた。妻が起きてきて、両親から励まされる。少し照れながらも受け応える。妻の母はとても元気な人で、妻を治すと、他に選択肢はないと強く言っていた。とても心強かった。妻の母には、次の投薬の際に1週間ほど泊まって家事の手伝いを頼んだ。これで、子どもたちの負担を減らせればいいと思った。妻を寝かせて、ご両親と長女長男のいる保育園、
友人がお線香をあげに来てくれました。娘が幼稚園の時からのママ友です。歳も同じだったこともあってかとても気が合い長いお付き合いとなっています。夫が亡くなってから数回訪問してくれていますが、毎回、『思ったより元気で良かった‥‥』と、心配してくれます。ありがたいです会話の中で、夫は余命を知る事を強く拒んだと、伝えました。逆にわたしは絶対に知りたいです。友人も同じでした。生命が尽きる前に、会っておきたい人もいるし、子供たちにも(大人ですが)伝えておきたい事もあ