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片付け、安置、連絡、葬儀の段取りとバタバタしていたおかげで、気づけば妻の前に座ってのんびりしている。たまに、涙が流れるが空っぽになると、自然と泣き止む。眠たくないのに、眠っている感覚ボーっとする。引き菓子等のパンフレットを読みながら、妻に、手伝ってもいいんだよと声を掛ける。ごめんねと、心の中の愛ちゃんが答える。頭をなでる。綺麗な髪いいんだよ。ありがとう。と妻に問いかけるが、返事はない。ぼんやりとした時間が、ゆっくり過ぎていく。眠れない
おはようございます。昨日は私の死亡保険金を母が受けとれるように受け取り人変更の申請をしました。最後の入院費用、火葬費用、家の片付け等には、少なくとも100万くらいは掛かるだろうと思っていましたのでこれでまた一つ心配事が解消されそうなのですが、母が保険金受け取りの書類を揃えられるのかと一つ心配事も増えました(笑)今日、社会福祉協議会に、母に代わり保険金の受け取り手続きをしてもらえる支援事業はないのかと問い合わせしてみるつもりです。2名のケアマネさんから、成年後見人制度の利用を勧められましたが
おはようございます。ガン末期になりますと本当に食事が喉を通らない。どうやっても飲みこめない。飲みこめば吐き気、腹痛に後で襲われます。苦しく痛い。刷り込まれ余計に食べられなくなる。どんなに美味しい奥様の手料理でも味わう前の飲みこめない状態ですので、食べられないがん患者さんを責めたり、自分を責めたりはしないでくださいね。それでも不思議なもので週に一食か2週間に一食、食べられる事があります。私も一昨日、栄養士さんが売店にまで追いかけてきてくれて、偶然目に入ったレトルトカレーが食べたいと言いました
長女と私で妻の面会妻の点滴交換などで暫く談話室で待つ長女がいうママ死んじゃだめだよねそうだね。ママ死んだら、、許すずっとずっとずっと許す!許さないじゃないの?だって、ママ好きだもん。ずっとずっと好きだから。声が、でなかった。なんで、こんなにいい子なのだろう。ママとたくさんお話しようね。病室へ妻はうっすら意識があった。長女が枕元に立つ。妻に、なかなか話しかけない。ママに、お話して。長女は、ママ、絶対に元気になってね好きだよ。大好きだよ。愛してるよ。世界で一
皆さん、おはようございます。3月末の入院以来、やっと正気を取り戻した感じです(笑)だいぶ弱っていましたので、皆さんにご心配をおかけしましたが、優しく暖かい多くの、コメントに励まされ、体調や精神状態も落ち着いてきました。コメントを読みますと、嬉しくて本当に涙が溢れます。ありがとうございます。転院後の体調悪化に一番影響したのは、痛み止めの変更だと思っています。経口投与のナルサス10㎎から、注射剤ナルベインへの変更、皮下注射の痛み止めのようで、内容はほぼ一緒。投与量の調整に日数が掛り、苦しんでい
夜、妻は良く寝てくれた。途中尿のことを看護師に相談し、カテーテルのチェックをしてもらったところ、一時的につまっていたらしい。一気に流れ出してくれた。ただ、一部に血が混じっていて、今後も注意が必要だと感じた。その後は、寝て起きて水飲んでを繰り返していた。普段よりよく寝て、朝を迎えた。筆談は終わって、話せるようだった。体にしびれがあるらしい。昨日のリハビリのせいと医師に言われた。この土日は、ゆっくり休もう。交代して、長男の入園式の準備長男におめかしの服を着せて、私はスーツを着て
今日の早朝妻が鬱かもしれないとコメントをいただいた。鬱と考えたことがなかった。妻はいつも健康的で、鬱とは無縁の人だった。でも、ガンと戦って疲れてしまい、鬱になっているのかもしれない。そうかんがえると、妻の言動や態度を許せた。いっぱい戦っているのだ。疲れて鬱になってもおかしくない。むしろ、妻の心のケアをしたいと思った。妻の心を少しでも穏やかにしてあげたい。そう思えた。午前5時妻を起こして、お灸をしてあげる。その間、妻を優しく撫でる。妻の話を聞く。痛いと、他のことが何も
いつも本当にありがとうございます今後の治療について抗がん剤治療することに決めました!セカオピ先で、治療しても延命にしかならないって反対されてからずっと揺らいでて、ここ数日は自分の人生左右するけ決断の重圧に潰されそうになってたしかもまた脚の痛みの波がきて、更にはケンシロウ先生の回診に一緒にきた女医さんが緩和ケア科の先生だって判明して(ネットで調べて)から、先生はもう諦めちゃったんだ、俺もうだめなんだって勘違いして、更にメンタルやられちゃって結局全て俺の勘違いで、その女医さんはモルヒネの量
コメントを下さる皆さんへコメントありがとうございます。今の体調は全てのコメントに目を通せる良い状態です。本当に嬉しく、感謝しながら読ませていただいています。コメントのお返事が書けないことを心苦しく思っておりますが、お理解くださいませ。申し訳ありません。がんになりもっと早めに意識すれば良かった事といえば食事です。がんを意識するのは早すぎると思えるくらいのタイミングで色々なものを食べておいたほうが良い。食べ放題も行けるうちに行っていたほうが良いと思っています(笑)私は今はとにかく食
夜今日も妻の具合は悪い息が苦しい息ができないと言って、何度も苦しむ酸素マスクでゆっくり呼吸をさせる。話も噛み合わないことが多いたまに、愛ちゃんじゃなくて、神様と話している気持ちになる。そういう時は、ただただお祈りする。元気な愛ちゃんを返してください。なんでもしますから。お願いします。気づけば4時間、愛ちゃんのお腹をさすりながら、お祈りしていた。妻は、つらい苦しいこんなに辛いなら生きなきゃよかったありがとうさようならと言いながら、何度も苦しんでいた。その度に
今日から、妻は抗がん剤治療だ。朝の妻の体調は、少し悪かった。夜中に少し吐いたらしい。妻に、ガンで今まで一番痛かった時を30にして、今どれくらいか聞いたら、5だと言っていた。それでも、妻は布団から動けなかった。今日、妻とお母さんと子どもたちでゆっくり朝出て、こども園や病院を案内する予定だった。しかし、妻の体調不良で、急遽私が皆を連れて行く。お母さんには、馴れない道を覚えてもらい、子どもたちの送迎方法を教える。嫌な顔をせず、付き合ってくれた。私も職場に送ってもらい、仕事をする。病
昼過ぎに子どもたちや弟夫婦、ジイジとバアバでおやつを食べた。おやつを食べながら、妻の病気の話をする。弟の妻は、先日父親をがんで亡くしていて、その闘病の辛さを近くで見てきた。その奥さまから、色んな話を聞く。話を聞いて、まずべんきになったのは、体力勝負だということ。やっぱり闘病がながければ長いほど、体力が大切らしい。妻に筋トレするように言ったが、大丈夫だろうか。「スロースクワット8セットやったよ」妻からのメッセージに笑ってしまう。弟の奥さまも、それなら大丈夫と言ってくれた。そう。
ご訪問くださりありがとうございます連休前日の為か忙しない日でした。☆回診内容【整形外科】多分主治医・背中のテープはまだ外せないのでそのままで。・シャワーは一応許可は出しておくが、まだ厳しいと思う。10日頃を目処にしましょう。・他のことは大体やっても大丈夫だと思います。【総合診療科】(緩和ケア)・痛みと痺れはいつもと同じ感じです。・痺れについては来週の月曜日に薬の見直しをするのでそこまでは様子見しましょう。昨日母が看護師に入院費用等の不安を吐露したよ
子どもたちを送って職場へ妻は、カートで腹水を抜くので午前中の面会は控えた。お父さんも気晴らしに温泉に行った。職場で皆さんに挨拶みんな背中を押してくれた。職場を午前であがると、先生から電話患者さんの体調が日に日に悪くなっている。緩和ケアに移る日どりはまだ決まっていない。そこで、外科病棟にいても子どもたちと会えるように取り計らう。ただ、条件があって、患者さんが危篤状態になっても、長時間の心臓マッサージや人工呼吸器をつけるなどの延命措置を行わないことを承諾してほしい。すぐに答えが出
妻の容体は、一旦安定した。チューブを入れてもらい、アイスや味噌汁、飲み物を飲んでいた。飲み込む力が弱くなったと思ったが、今日はむせておらず、落ち着いたようだ。眠る時間は長いが、今は休む時だと思う。それと並行してお義父さんが限界を迎えた。色んな人から色んな形で連絡が来たが、要約すると、妻の弱っていく姿に耐えられず、弱る責任を私やその周りと思い込み、20日でもう一家まとめて撤退すると宣言したらしい。私のところには、一言も連絡がなかったが別に恨まないし、仕方ないと思う。長い闘病生活
今日は妻の親が遊びに来た。妻は吐き気止めの副作用で寝ていて、その様子を見て心配していた。これまでの経緯や医者からの話を説明する。ご両親は何でも協力すると言ってくれた。妻が起きてきて、両親から励まされる。少し照れながらも受け応える。妻の母はとても元気な人で、妻を治すと、他に選択肢はないと強く言っていた。とても心強かった。妻の母には、次の投薬の際に1週間ほど泊まって家事の手伝いを頼んだ。これで、子どもたちの負担を減らせればいいと思った。妻を寝かせて、ご両親と長女長男のいる保育園、
昨日から、お百度参りを昼間にしていた。自宅の近くに階段の長い神社がある。妻が、よく子どもたちと散歩に来ていた。信心深い方ではない。ただ、妻を助けられる可能性があるなら、何でもやろうと決めていた。鳥居を抜けて階段を駆け上がり、お参り愛ちゃんの病気を治してください。愛ちゃんを元気な姿に戻してください。そうお祈りして、何度も昇り降りお参りしている時、愛ちゃんの顔が浮かんだ。たくさんの笑顔と優しい声がずっと響いていた。失いたくなくて、ひたすらお祈りした。雨が降っていたけど、泣いて
夕方のお母さんとの交代はなくなった。夕方の回診を受けたところ、微熱で血中酸素濃度が92%だった。初めてだった。妻の体調は悪くないが、少しクラクラするらしい。妻に聞くと、心配だからそばにいてほしいと言うので、一緒に過ごすことになった。過ごしてみれば、平和な夜だった。夜はほとんど寝ていた。翌朝も体調は良く、私はお父さんと交代して帰った。帰宅して、とりあえずお母さんに謝った。昨日は、言い過ぎた。その後子どもたちの準備をして、お母さんに送り届けてもらう。私は、泥のように眠った。昼
一晩妻に付き添う。喉が乾いたと何度も起きるので30分おきにイオンウォーターを飲ませる。自分で起きられないので、口腔スポンジに含ませて少しずつ飲ませる。朝になっても変わらない。呼べば目を覚まして、頷くが喋れない。ずっとお腹をさする。頭を撫でる。医師がくる妻の症状はせん妄衰弱して、脳が一時的に機能していない。昏睡の一歩手前今週1週間が限界数日で意識がなくなり、起きなくなる恐れがある。もし会いたい人がいれば、早めに妻も聞いていた。返事はしないが頷く水分を定期的に与える。
夜妻は、1時間に1回飲み物を飲んでいた。寝ては起きて、水分をとっていた。アイスボックスが食べたいと言った。スプーンで食べさせた。ストローで飲み物を飲めるようになって、ゴクゴク飲んでいた。朝方には、アイスミルクティーを飲みたいと言い、ゴクゴク飲んでいた。美味しいと微笑んでいた。昨日の昼より、何倍も元気だった。喋れるし、目もしっかりしていた。回復していた。でも、日が昇り始めて、昨日のお母さんとの話をした。私が謝ったことを伝えると、妻は、強い目で命の限り生きるよ。とハッキ
眠れなくてコンビニへ愛ちゃんの番は、東京から来てくれたおばさんに頼んだ。愛ちゃんに何が欲しいと尋ねる。返事はない。何か美味しそうなもの買ってくるよ!と言って外に出る。暗い夜道を一人で歩く愛ちゃん愛ちゃんを呼んでみる。返事はない。誰もいないから、もう少し大きな声で愛ちゃん返事はない。不安になって、何度も呼ぶ愛ちゃん愛ちゃん愛ちゃん返事はない。愛ちゃんどこにいるの涙をこぼす店内をウロウロアイスの実ポカリ愛ちゃんの食べられるものを、自然と目で追う。コン
いつもご来訪くださりありがとうございます2021年の4月に肺がんステージ4の診断確定となりました日々の体調や日常生活のことなど幅広く書いてみたいと思います拙いブログではございますがどうぞよろしくお願いいたしますランキング参加中心苦しいですがポチっとお願いいたしますm(__)mちょい魔王の手下の妻です。だいぶご無沙汰してしまいました。彼が亡くなった後、手続きの際に彼の会社の方何人かとお話しする機会がありました。皆様共通して言うのは彼はホントに前向きだと…コメントを
おはようございます。生活リズムの乱れというと、闘病生活には天敵のように感じていましたが、今となり感じているのは、乱れがあるだけ体力がある?と感じています。がん終末期では、寝ている状態がほとんどで、そもそもリズムも何もなく、起きているだけで体調が良い。体力も何とかある方だと感じました。数か月前に「ブログを書けているうちは平気」と励まされたことを思い出しますが事実こうして書くことも休みやすみ、1日2度に分けて1日分を書く事が日常となっています。体力の低下は一度起こると、回復したり持ち直すことは
こんばんはー(^_^;)明日の早朝出発して帯広催事。今回は本当に不安だな~(^_^;)何せ苦しくて。思うように動けないんですよ(^_^;)今回よく分かった事は『もう高速道路は走れない』って事。急に体調不良になっても車を停められないからね(^_^;)帯広には高速道路使わないけど、士別とか旭川、釧路に行く時は使うんだよね。もう無理。乗ってるだけで体が痛いもん。実際、車椅子も長時間座れないのだから病院で横になってる時があります。先生にも『遠慮なく言ってね』ってベッド空いてたら使
夕方病院に行く。昼間に買っておいた冷製スープがお気に入りのようで、よく飲んでくれた。食事の後、今まで貯めていた妻と私のスマホ写真をパソコンで見ていた。若い頃の私達が写っていた。大学生の頃の写真デートの写真ディズニーの写真美味しいご飯を食べた時の写真新婚旅行の写真どの写真を見ても、自分の妻の可愛さに驚いていた。見れば見るほど、楽しい思い出が蘇る。この写真に写っている私は、世界一幸せだったと本気で思える。そんな写真ばかりだった。妻のスマホには、私の写真がたくさんあった。気
夜が平和に過ぎた。妻は、お見舞いにいただいたミネストローネのカップスープを飲んで、美味しいと笑っていた。吐き戻しのひどかった頃は、胃酸が逆流しすぎて胸焼けみたいになっていた。1回目の危篤は、その痛みが酷くて意識がなくなった。それ以来、酸っぱいものやあったかいものは嫌煙していたが、ここで克服できた気がした。カップスープには、アマニ油を足して、カロリーとDHAをプラス食べられるものの幅が広がり、何より美味しいと思えるのがうれしかった。そのまま夜はよく寝て、、お義父さんと交代実家に帰る
面談は思った通りの内容でした。夫の癌は進行のスピードがかなり早いと言われていました。先生曰く想定していたよりも遥かに早いスピードで進行しているそうです。緩和ケアに移床する前に撮ったMRIの画像を見せて貰いました。数週間前に撮った画像と見比べると、無かったものが写っていました。『これって、以前は無かったですよね?それがこんなに大きくなってるのですか??』わたしは立ち上がる勢いで先生に聞きました。『1ヶ月前には画像にも無かったものです』それは頭頂部に転移した
昨日の夜妻からメッセージ手が痛いパンパンに腫れ上がっていた手の画像と一緒に連絡がくる。飛び起きて、そっちに行こうかと確認痛いけど、よく眠れてるから大丈夫と言われ、それでも心配で寝たり起きたり朝5時になって、すぐに湿布などを持って病院に手指の深爪からバイキンが入って、蜂窩織炎というものになっていた。朝、先生が来て、抗生物質や痛み止めを処方してくれることになった。妻は、ハキハキしゃべって食欲もあった。しかし、手はパンパンだった。途中、痛くて痛くて、泣いていた。ナースコール
夜は、少し寝て、起き上がってを繰り返した。寝たくないという。起きられるか不安で寝たくない。机にしがみついて、一生懸命水分をとっていた。たまに記憶が変になって、色んなことを尋ねる。私は、なんでここにいるの?障害があるの?どうすれば治るの?いつ帰れるの?私は、どうなっちゃうの?子どもたちと一緒にいるにはどうすればいいの?死にたくないのどうすればいい?とにかく休むように伝える。少し寝てくれる。起こしてと騒ぐ。起きる。机に、しがみついて水分をとる。同じ質問をする。朝
はじめましての第一声が『まぁ〜!あなた綺麗ね』元保護犬のSweepをそう言ってくれた私の母『すぅちゃんお母さんのお話はそのおっきなお耳でしっかり聞かないとダメよわかったらワンってお返事しなさいね』元教師の職業病なのかSweepにも子供達と全く同じにいつも話し掛けてくれてたSweepも母の話だけはちゃんと聞いて安心していたのかな?ずっとそばにいたマイペースなSweepがばぁばから離れない昨年10月もSweepと一緒にシニア旅行に行ったばかり今年のSwee