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片付け、安置、連絡、葬儀の段取りとバタバタしていたおかげで、気づけば妻の前に座ってのんびりしている。たまに、涙が流れるが空っぽになると、自然と泣き止む。眠たくないのに、眠っている感覚ボーっとする。引き菓子等のパンフレットを読みながら、妻に、手伝ってもいいんだよと声を掛ける。ごめんねと、心の中の愛ちゃんが答える。頭をなでる。綺麗な髪いいんだよ。ありがとう。と妻に問いかけるが、返事はない。ぼんやりとした時間が、ゆっくり過ぎていく。眠れない
長女と私で妻の面会妻の点滴交換などで暫く談話室で待つ長女がいうママ死んじゃだめだよねそうだね。ママ死んだら、、許すずっとずっとずっと許す!許さないじゃないの?だって、ママ好きだもん。ずっとずっと好きだから。声が、でなかった。なんで、こんなにいい子なのだろう。ママとたくさんお話しようね。病室へ妻はうっすら意識があった。長女が枕元に立つ。妻に、なかなか話しかけない。ママに、お話して。長女は、ママ、絶対に元気になってね好きだよ。大好きだよ。愛してるよ。世界で一
今日の早朝妻が鬱かもしれないとコメントをいただいた。鬱と考えたことがなかった。妻はいつも健康的で、鬱とは無縁の人だった。でも、ガンと戦って疲れてしまい、鬱になっているのかもしれない。そうかんがえると、妻の言動や態度を許せた。いっぱい戦っているのだ。疲れて鬱になってもおかしくない。むしろ、妻の心のケアをしたいと思った。妻の心を少しでも穏やかにしてあげたい。そう思えた。午前5時妻を起こして、お灸をしてあげる。その間、妻を優しく撫でる。妻の話を聞く。痛いと、他のことが何も
今日は妻の親が遊びに来た。妻は吐き気止めの副作用で寝ていて、その様子を見て心配していた。これまでの経緯や医者からの話を説明する。ご両親は何でも協力すると言ってくれた。妻が起きてきて、両親から励まされる。少し照れながらも受け応える。妻の母はとても元気な人で、妻を治すと、他に選択肢はないと強く言っていた。とても心強かった。妻の母には、次の投薬の際に1週間ほど泊まって家事の手伝いを頼んだ。これで、子どもたちの負担を減らせればいいと思った。妻を寝かせて、ご両親と長女長男のいる保育園、
昼過ぎに子どもたちや弟夫婦、ジイジとバアバでおやつを食べた。おやつを食べながら、妻の病気の話をする。弟の妻は、先日父親をがんで亡くしていて、その闘病の辛さを近くで見てきた。その奥さまから、色んな話を聞く。話を聞いて、まずべんきになったのは、体力勝負だということ。やっぱり闘病がながければ長いほど、体力が大切らしい。妻に筋トレするように言ったが、大丈夫だろうか。「スロースクワット8セットやったよ」妻からのメッセージに笑ってしまう。弟の奥さまも、それなら大丈夫と言ってくれた。そう。
おはようございます。昨日は私の死亡保険金を母が受けとれるように受け取り人変更の申請をしました。最後の入院費用、火葬費用、家の片付け等には、少なくとも100万くらいは掛かるだろうと思っていましたのでこれでまた一つ心配事が解消されそうなのですが、母が保険金受け取りの書類を揃えられるのかと一つ心配事も増えました(笑)今日、社会福祉協議会に、母に代わり保険金の受け取り手続きをしてもらえる支援事業はないのかと問い合わせしてみるつもりです。2名のケアマネさんから、成年後見人制度の利用を勧められましたが
夜、妻は良く寝てくれた。途中尿のことを看護師に相談し、カテーテルのチェックをしてもらったところ、一時的につまっていたらしい。一気に流れ出してくれた。ただ、一部に血が混じっていて、今後も注意が必要だと感じた。その後は、寝て起きて水飲んでを繰り返していた。普段よりよく寝て、朝を迎えた。筆談は終わって、話せるようだった。体にしびれがあるらしい。昨日のリハビリのせいと医師に言われた。この土日は、ゆっくり休もう。交代して、長男の入園式の準備長男におめかしの服を着せて、私はスーツを着て
旦那の病室で私、長男、主治医(2人)、看護師6人で話しをした話は治療と言うより今後今の癌病棟かホスピスか自宅かどうするかと、言う話だった自宅は今の状態だと危険だと判断旦那はホスピスを希望した私は今の癌病棟を希望した旦那は、今の主治医、緩和のドクターに絶大な信頼を置いているホスピスに移れば担当医が変わる今これほどの不安な時期にそれは旦那にとって本望ではないはず「ここにいてもいいんだよここでも、私ずっと一緒に居られるから夜もずっと一緒だよ」私がそう言
子どもたちを送って職場へ妻は、カートで腹水を抜くので午前中の面会は控えた。お父さんも気晴らしに温泉に行った。職場で皆さんに挨拶みんな背中を押してくれた。職場を午前であがると、先生から電話患者さんの体調が日に日に悪くなっている。緩和ケアに移る日どりはまだ決まっていない。そこで、外科病棟にいても子どもたちと会えるように取り計らう。ただ、条件があって、患者さんが危篤状態になっても、長時間の心臓マッサージや人工呼吸器をつけるなどの延命措置を行わないことを承諾してほしい。すぐに答えが出
緩和ケア病棟、基本ダメとは言わない気がしてきました。先日は下剤が欲しいと申し出ましたら、お尻の触診がしたいと、医師に言われ断りましたw前の病院ではできないことですかねw流石に喫煙は無理なようですが、大概のことは許してくれています。ありがたいです。煙草もお酒もたいしてほしくはないので、不満はないのですが、唯一の娯楽が足りない(笑)これも、贅沢な話ですね。図に乗ってはいけませんね。今日、皮下注射の痛み止め、自分で追加注入できるものに交換してくださいました。ナースコールを呼ばなくとも、痛み止
おはようございます。ガン末期になりますと本当に食事が喉を通らない。どうやっても飲みこめない。飲みこめば吐き気、腹痛に後で襲われます。苦しく痛い。刷り込まれ余計に食べられなくなる。どんなに美味しい奥様の手料理でも味わう前の飲みこめない状態ですので、食べられないがん患者さんを責めたり、自分を責めたりはしないでくださいね。それでも不思議なもので週に一食か2週間に一食、食べられる事があります。私も一昨日、栄養士さんが売店にまで追いかけてきてくれて、偶然目に入ったレトルトカレーが食べたいと言いました
朝、妻はしばらく起きなかった。疲れている様子だった。回診に先生方が訪れた。昨夜はかなり悪かったようで、心配していた。吐き戻すのも体力と筋力を使う。このままでは、衰弱吐き戻す度に衰弱する。体力回復を目指すなら、鼻から管を常に入れて、吐き戻す前に吐瀉物を吸引する方法があるが、試してみないか。と勧められた。妻が起きたら、相談します。と答えた。しばらくして、妻が起きた。声は出るが、動くのが億劫のようだった。いちごとアイスが食べたいと言うので、いちご一粒と抹茶のハーゲンダッツを持って
今日から、妻は抗がん剤治療だ。朝の妻の体調は、少し悪かった。夜中に少し吐いたらしい。妻に、ガンで今まで一番痛かった時を30にして、今どれくらいか聞いたら、5だと言っていた。それでも、妻は布団から動けなかった。今日、妻とお母さんと子どもたちでゆっくり朝出て、こども園や病院を案内する予定だった。しかし、妻の体調不良で、急遽私が皆を連れて行く。お母さんには、馴れない道を覚えてもらい、子どもたちの送迎方法を教える。嫌な顔をせず、付き合ってくれた。私も職場に送ってもらい、仕事をする。病
夜が平和に過ぎた。妻は、お見舞いにいただいたミネストローネのカップスープを飲んで、美味しいと笑っていた。吐き戻しのひどかった頃は、胃酸が逆流しすぎて胸焼けみたいになっていた。1回目の危篤は、その痛みが酷くて意識がなくなった。それ以来、酸っぱいものやあったかいものは嫌煙していたが、ここで克服できた気がした。カップスープには、アマニ油を足して、カロリーとDHAをプラス食べられるものの幅が広がり、何より美味しいと思えるのがうれしかった。そのまま夜はよく寝て、、お義父さんと交代実家に帰る
皆さん、おはようございます。3月末の入院以来、やっと正気を取り戻した感じです(笑)だいぶ弱っていましたので、皆さんにご心配をおかけしましたが、優しく暖かい多くの、コメントに励まされ、体調や精神状態も落ち着いてきました。コメントを読みますと、嬉しくて本当に涙が溢れます。ありがとうございます。転院後の体調悪化に一番影響したのは、痛み止めの変更だと思っています。経口投与のナルサス10㎎から、注射剤ナルベインへの変更、皮下注射の痛み止めのようで、内容はほぼ一緒。投与量の調整に日数が掛り、苦しんでい
こんばんはー(^_^;)明日の早朝出発して帯広催事。今回は本当に不安だな~(^_^;)何せ苦しくて。思うように動けないんですよ(^_^;)今回よく分かった事は『もう高速道路は走れない』って事。急に体調不良になっても車を停められないからね(^_^;)帯広には高速道路使わないけど、士別とか旭川、釧路に行く時は使うんだよね。もう無理。乗ってるだけで体が痛いもん。実際、車椅子も長時間座れないのだから病院で横になってる時があります。先生にも『遠慮なく言ってね』ってベッド空いてたら使
夜今日も妻の具合は悪い息が苦しい息ができないと言って、何度も苦しむ酸素マスクでゆっくり呼吸をさせる。話も噛み合わないことが多いたまに、愛ちゃんじゃなくて、神様と話している気持ちになる。そういう時は、ただただお祈りする。元気な愛ちゃんを返してください。なんでもしますから。お願いします。気づけば4時間、愛ちゃんのお腹をさすりながら、お祈りしていた。妻は、つらい苦しいこんなに辛いなら生きなきゃよかったありがとうさようならと言いながら、何度も苦しんでいた。その度に
夜妻は、1時間に1回飲み物を飲んでいた。寝ては起きて、水分をとっていた。アイスボックスが食べたいと言った。スプーンで食べさせた。ストローで飲み物を飲めるようになって、ゴクゴク飲んでいた。朝方には、アイスミルクティーを飲みたいと言い、ゴクゴク飲んでいた。美味しいと微笑んでいた。昨日の昼より、何倍も元気だった。喋れるし、目もしっかりしていた。回復していた。でも、日が昇り始めて、昨日のお母さんとの話をした。私が謝ったことを伝えると、妻は、強い目で命の限り生きるよ。とハッキ
夕方のお母さんとの交代はなくなった。夕方の回診を受けたところ、微熱で血中酸素濃度が92%だった。初めてだった。妻の体調は悪くないが、少しクラクラするらしい。妻に聞くと、心配だからそばにいてほしいと言うので、一緒に過ごすことになった。過ごしてみれば、平和な夜だった。夜はほとんど寝ていた。翌朝も体調は良く、私はお父さんと交代して帰った。帰宅して、とりあえずお母さんに謝った。昨日は、言い過ぎた。その後子どもたちの準備をして、お母さんに送り届けてもらう。私は、泥のように眠った。昼
夜7時ころ妻からの電話何も、わからない。覚えてない。りょうくん、助けて。慌てて車に乗り、病院に行く。電話はつなげたままスピーカーから看護師やお父さんが妻の近くに集まっているのがわかった。妻は、パニックになっていた。病室につく。妻はベッドに座って泣いていた。看護師は、少し一人でいたら寂しくなったようだと言った。お父さんが夕食を食べに離れていたらしい。妻の手を取って話しかける。私は、なんで生まれたのどこで生まれたのなんでここにいるのなんでご飯食べれないのなにもわか
いつもご来訪くださりありがとうございます2021年の4月に肺がんステージ4の診断確定となりました日々の体調や日常生活のことなど幅広く書いてみたいと思います拙いブログではございますがどうぞよろしくお願いいたしますランキング参加中心苦しいですがポチっとお願いいたしますm(__)mちょい魔王の手下の妻です。だいぶご無沙汰してしまいました。彼が亡くなった後、手続きの際に彼の会社の方何人かとお話しする機会がありました。皆様共通して言うのは彼はホントに前向きだと…コメントを
『ご主人は家に帰りたいとおっしゃっていました』衝撃です。先生の言葉に頭がクラクラしました。ここまできても家族に迷惑かける気なのか💢腹が立ちました。夫が介助なしではベットから降りることさえ出来なくなった時『これじゃ、家に帰るのは無理ですよね』先生にそう語ったそうです。転倒して骨折でもしたら大変ですよね。と‥‥‥帰りたいのか‥‥どうしてだろう‥‥元気な時から週に何度も飲みに出てわたしが寝てから帰って来ました。あまり家には居たくないとも言っていました。な
夕方病院に行く。昼間に買っておいた冷製スープがお気に入りのようで、よく飲んでくれた。食事の後、今まで貯めていた妻と私のスマホ写真をパソコンで見ていた。若い頃の私達が写っていた。大学生の頃の写真デートの写真ディズニーの写真美味しいご飯を食べた時の写真新婚旅行の写真どの写真を見ても、自分の妻の可愛さに驚いていた。見れば見るほど、楽しい思い出が蘇る。この写真に写っている私は、世界一幸せだったと本気で思える。そんな写真ばかりだった。妻のスマホには、私の写真がたくさんあった。気
おはようございます( ̄▽ ̄;)昨日から体調不良です。一番血中酸素の低い時で54でした( ̄▽ ̄;)もう苦しくて苦しくて、撮影なんてしてられなかった。ずっと咳が続いていて、咳き込んで苦しくなります。それでも来店してくれた仲良しさんの顔見たら元気出ました(*^-^*)差し入れもありがとー(*^-^*)今朝の写せた血中酸素一番低い時は多分50くらいだと思う。今は熱が上がってきました。ちなみに・・・一週間貼りっぱなしの痛み止めと、服用するオピオイドの他に解熱剤大量に出されて服用していて
友人がお線香をあげに来てくれました。娘が幼稚園の時からのママ友です。歳も同じだったこともあってかとても気が合い長いお付き合いとなっています。夫が亡くなってから数回訪問してくれていますが、毎回、『思ったより元気で良かった‥‥』と、心配してくれます。ありがたいです会話の中で、夫は余命を知る事を強く拒んだと、伝えました。逆にわたしは絶対に知りたいです。友人も同じでした。生命が尽きる前に、会っておきたい人もいるし、子供たちにも(大人ですが)伝えておきたい事もあ
今日の朝から、妻の体調は悪かった。妻の体調不良は吐き気だけではなく、最近は疲れやすさもある。休薬期間中なのに、すぐに疲れてしまい、寝てしまう。顔色も蒼白で、血色は良くない。昨日、妻の体重を測ったところ、病気が発覚した時から、約一ヶ月で1キロ落ちていた。大学の頃より5キロも下がっている。ただ、入院中は体調が良くなっていた。絶食していたのにだ。そこから、大腸炎が起きた際の吐き気、下痢による脱水の疑いを持つ。入院中は、点滴で水分補給をしており、それがヒントではないか。実際、妻が今飲ん
妻の容体は、一旦安定した。チューブを入れてもらい、アイスや味噌汁、飲み物を飲んでいた。飲み込む力が弱くなったと思ったが、今日はむせておらず、落ち着いたようだ。眠る時間は長いが、今は休む時だと思う。それと並行してお義父さんが限界を迎えた。色んな人から色んな形で連絡が来たが、要約すると、妻の弱っていく姿に耐えられず、弱る責任を私やその周りと思い込み、20日でもう一家まとめて撤退すると宣言したらしい。私のところには、一言も連絡がなかったが別に恨まないし、仕方ないと思う。長い闘病生活
昨日の夜から、妻はお腹が痛いといい、良く眠れなかった。お腹が張って痛いのだそうだ。医者からは腸閉塞が見られると言われていた。朝方になって少し落ち着いたが、私の熱が下がらず、妻も疲れが出ていたので、子どもたちは家で遊ばせていた。昼になると、再び妻はお腹が痛いと言ってうずくまる。水便も続いているらしい。がんセンターに電話したところ、救急外来に来て欲しいとのことだった。妻を連れて、救急外来にむかう。先生に妻を預けて、一旦帰宅する。妻から電話があり、これから点滴で、もしかしたら入院する
おはようございますう〜む。時間的にはこんばんは、なのだろうか(いまAM2:22です)ふと目が覚めてしまいオモムロにブログを書いておりますShockDoGun'sKeityです長かったGWも明日を残すのみとなりました特に遠出をした訳では無いのですが、安近短でも結構楽しい時間を過ごす事ができ、思いの外充実・満足しておりますさてさて今まで取り上げた事はなかったのですがKeityのわが町、太田市してぃはバスケットボール🏀、Bリーグの群馬クレインサンダースのホームタウンとなっておりま
5/2の往診結果の続きです今後の治療方針はリュープリン1ヶ月製剤ランマーク隔月タモキシフェン10mg心不全にレニベース、セララ、ダイアート吐き気にナウゼリン1日3回胃酸対策の頓服ファモチジン呼吸苦対策にリーゼ5mg0.5錠を1日3回(一錠飲むと過鎮静)はそのままで、痰切り系の咳止めのカルボシステインが追加。それと私が開発したスピリチュアルペインに対する心理療法(スキーマ療法よりも深層心理を深堀するものです)を続けてストレスを減らして自律神経の乱れを直していきつつ、︎︎コロ