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こんにちはみそしるですこの1週間とちょっと…ブログを書く気にすらなれないくらいに落ち込んでいました。11月22日(いい夫婦の日)病気にならなければ、妻に逃げられることもなかったのかな…と11月23日(いい兄さんの日)弟が兄にありがとうのツイートしていました。人の記憶はあいまいなものです。いい記憶よりも悪い記憶を覚えていると言いますが、それも断片的なもの。私が弟をパシリのように扱っていたことで、弟は私を嫌いになりました。でも、パシリのように扱っていた時
長女と私で妻の面会妻の点滴交換などで暫く談話室で待つ長女がいうママ死んじゃだめだよねそうだね。ママ死んだら、、許すずっとずっとずっと許す!許さないじゃないの?だって、ママ好きだもん。ずっとずっと好きだから。声が、でなかった。なんで、こんなにいい子なのだろう。ママとたくさんお話しようね。病室へ妻はうっすら意識があった。長女が枕元に立つ。妻に、なかなか話しかけない。ママに、お話して。長女は、ママ、絶対に元気になってね好きだよ。大好きだよ。愛してるよ。世界で一
夜は、少し寝て、起き上がってを繰り返した。寝たくないという。起きられるか不安で寝たくない。机にしがみついて、一生懸命水分をとっていた。たまに記憶が変になって、色んなことを尋ねる。私は、なんでここにいるの?障害があるの?どうすれば治るの?いつ帰れるの?私は、どうなっちゃうの?子どもたちと一緒にいるにはどうすればいいの?死にたくないのどうすればいい?とにかく休むように伝える。少し寝てくれる。起こしてと騒ぐ。起きる。机に、しがみついて水分をとる。同じ質問をする。朝
友人がお線香をあげに来てくれました。娘が幼稚園の時からのママ友です。歳も同じだったこともあってかとても気が合い長いお付き合いとなっています。夫が亡くなってから数回訪問してくれていますが、毎回、『思ったより元気で良かった‥‥』と、心配してくれます。ありがたいです会話の中で、夫は余命を知る事を強く拒んだと、伝えました。逆にわたしは絶対に知りたいです。友人も同じでした。生命が尽きる前に、会っておきたい人もいるし、子供たちにも(大人ですが)伝えておきたい事もあ
こんにちは!みそしるです昨日は、終日外出だったので、更新をサボっちゃいましたでも、このブログでつながった方に先生を紹介できてよかったなぁと思っています。その方が野菜スープとエッセンスで快方に向かうことを信じてますお会いした読者様や、コメントをいただける読者様がみなさん口をそろえて「面白い文章で読みやすい」と言ってくれるのですが…内心、めちゃくちゃ嬉しくて…「てやんでぇ!べらぼうめぇ!調子にのっちゃうぞ!こんにゃろうめぇ」と思っていますが安心し
旦那ちゃんが面会しようとしたら、面会謝絶でした(笑)その気持ちがありがとう♥️頑張って復活するわ。栄養点滴してるのに毎回大量の肉、玉子、豆腐とお粥300g野菜少ない😢頑張って食べたけど、食べ過ぎて嘔吐した😓栄養士変わったのか?料理の味つけは抜群に美味しいよ♥️もうちょい体調良くなったら完食したいわ🎵皆さんコメントありがとう♥️全部読んでます❗️✌️休み休み読まないと目が回るけど(笑)1つのブログ書くのも休み休み保存しながら書いてます。いつも笑顔でね(o^-^o)今闘病中
こんばんは、お久しぶりです。はーちゃんです。こーちゃんが頑張ってたものについて少しだけ紹介します。治療のせいで筋力が落ちたり病気のせいで痛みやすかったり少しでも体力を維持させたかったり…ということで、頼れるものには積極的に利用して生活の質を上げていました!そこで利用してたものを列記します〜快適に寝る①30度マット…寝るときに頭を30°以上高くしていれば、次の日スムーズに起きれるし頭痛の頻度も下げられました。②むくみ予防のマット…炎症止の薬の
こんにちは。みそしるです。かなーり更新をさぼってますね。。。それだけ体調に変化がない。と思っていただけると幸いです先週、毎月の定期健診で緩和ケア医のところに行ってきました。いつものように問診聴診器血圧で終わり。のはずが、今回は違いました。医師が真顔で…なぁ、みそしる君。俺から紹介状を書くから元々の某ガンセンターに行って、もう一回全身検査してみない?俺は、君を看取るために某ガンセンターからの紹介状を受け取ったのよね。
昨日の夜妻からメッセージ手が痛いパンパンに腫れ上がっていた手の画像と一緒に連絡がくる。飛び起きて、そっちに行こうかと確認痛いけど、よく眠れてるから大丈夫と言われ、それでも心配で寝たり起きたり朝5時になって、すぐに湿布などを持って病院に手指の深爪からバイキンが入って、蜂窩織炎というものになっていた。朝、先生が来て、抗生物質や痛み止めを処方してくれることになった。妻は、ハキハキしゃべって食欲もあった。しかし、手はパンパンだった。途中、痛くて痛くて、泣いていた。ナースコール
夜今日も妻の具合は悪い息が苦しい息ができないと言って、何度も苦しむ酸素マスクでゆっくり呼吸をさせる。話も噛み合わないことが多いたまに、愛ちゃんじゃなくて、神様と話している気持ちになる。そういう時は、ただただお祈りする。元気な愛ちゃんを返してください。なんでもしますから。お願いします。気づけば4時間、愛ちゃんのお腹をさすりながら、お祈りしていた。妻は、つらい苦しいこんなに辛いなら生きなきゃよかったありがとうさようならと言いながら、何度も苦しんでいた。その度に
病状は一旦落ち着き、緩和ケアに移床となりました。ストレッチャーでの移動となりました。空が見えたと、嬉しそうでした。先生はこれからは病院食だけでなく、食べたいというものをなんでも食べさせてあげてください。と、言いました。緩和ケアになっても、面会の人数は1日2名。会いたいひとには自由に会わせてあげる事は出来ません。危篤状態と判断されたら常識の範囲内の人数は許されるそうです。家族以外は事前に申請が必要です。危篤になる前に、ちゃんと話せるうちになんとかならな
みなさん、こんにちは。ゆきちです。今日は月一回の診察日でした。ただ、MRI検査は来月、ノボキュアのスタッフの方も他県の新規の患者さんの説明が入り来院せず。朝から採血して、終わったらいつも通り緩和ケアにお話に行き、終わったら主治医診察。今回から主治医の印象が少し変わった気がしました。声がでかいのとせっかち、また、患者を考慮しない物言いは以前と変わらないままですが、MRIの回数を2ヶ月に1回にすんなり変更してくれました。月1はさすがに何かあった時に主治医も判断に迷う材料の方が多いと思
今日の昼頃、妻のお母さんが病院に行った。先週から、妻のお母さんは、愛ちゃんのことが諦められないから、先生に治す方法がないか聞いてみたいと言っていた。そして、先生と日程調整して、今日の昼頃にその場を設けてもらった。昼過ぎになって、お母さんから、終わりましたと連絡が入る。電話をして、結果を尋ねた。お母さんは、何度もため息をつき、うんとね、うんとね、と、口に出したくないことをまとめようとしていた。結論は、いい治療はなかった。先生には、今の妻の体力では、そもそも治療に耐えられないと言われ
私のブログに訪問してくださり、ありがとうございます短期間で酷くなってしまった両胸は看護師さんの毎日の処置のおかげで、少しずつ見た目が良くなって来てる様に思います(それでもまだまだグロいけどね)出血はしなくなり滲出液もあまり出なくなって来ましたそれに主治医に「取りあえず試してみましょう」と言われ、毎日点滴する事になったステロイドが胸の炎症に効いてくれたみたいで痛みも少し引いてきましたまたステロイドを辞めてくのは大変なんで嫌いなんだけど、今だけは炎症を抑えてくれたので喜びたいと思いま
お母さんが、あと余命一週間くらいだと言われた時ショックで頭を殴られたような衝撃だったのにその日の夜中、喪服を冷静に用意してる自分がいた。結婚した時に、お母さんから喪服とフォーマルのかばんと靴をもらった。「急に必要になる時がくるから、その時に焦って用意しなくてもいいように持っておきなさい」と言われた。まさかあの時お母さんにもらった喪服をこんなに早くお母さんの葬儀に着ることになるなんて。その喪服セットをクローゼットの奥から引っ張り出した。年数が経っていたので試着してみる。「わ
長女の面会後、お父さんに引き継いで一旦帰宅お母さんが子どもたちを見てくれていた。お母さんに状況を伝える。さらに、最悪の場合を覚悟しようと話す。そして、ここから先に余計なことを考えないで済むように、もし万が一の話をした。もし、愛ちゃんが亡くなったら、家族葬にしたい。私が入る墓に入れたい。そう言った途端、ボロボロ泣いた。あんまり泣くので、長男が抱きしめてくれた。お母さんも抱きしめてくれた。その時、絶対に言わないつもりだった言葉が出てきた。すいません。幸せにするって約束したのに
ご訪問ありがとうございます23日、呼吸器のドクターが先日のCTの結果を画像を見せながら詳しく説明してくれました。看護師長さんも同席しています。結論から言うと・・・私には来年はない・・・この時、これ以上の余命についての話はしなかったけれど、翌日、乳腺のドクターとは掘り下げて話をしました。ブログが長くなりますが、後半で書きます。急転直下退院へ向けて前向きにリハビリも頑張っていて、体力、筋力も付けて元気になっていく途中なのにどうしてそう思われるブロ友さんも多いと思います。少し前
子どもたちを迎えに行き、洗濯、風呂をこなす。長女が昼寝をしていないせいで、たまにぐずるが、上手くなだめながら家事をこなす。夕食を食べながら、妻が不在で子どもたちと過ごすのが初めてだと気づく。妻が体調を崩してから、子どもたちの世話をすべてやっていたので、全く気にならなかったが、それでも寂しさがこみ上げてくる。何となく、妻の名前を呼ぶ。愛ちゃん。私の心の中で、妻が、なーに?と応える。私の中に妻がいるのを確認し、安心する。本当は、本物に返事をしてほしいのだけど。もう一度妻を呼ぶ。
こんにちは。一昨日、しぶとく残っていた口内炎のかさぶたが剥がれて、口の中の痛みから解放されたみそしるです口腔内潰瘍のかさぶただったのか、上あごに大きな穴があいており、そこから水分が鼻にダダ洩れですが、痛いよりマシなので、鼻にティッシュをあてながら水分補給していますwまぁそのうち治るさ!昨日、某ガン専門病院の近くで仕事の打ち合わせがありました。仕事の打ち合わせが思いのほか早く終わり、空き時間が。。。ふと思い立って、某ガン専門病院に立ち寄り
ご無沙汰しております。元気にしています毎日服用しているプレドニンの副作用で食欲はかなりあるし(1日トータル/ドライ200g)体重は9.6kgをキープ。散歩はぐいぐい歩きます。(1日4回)リンパ腫になってから体調が悪い時はいつもマイベットでぐったりと寝ていましたが今は好きな場所で穏やかな顔をして過ごしている。体調が安定している証拠。●嘘のような本当の話●抗がん剤治療中のイクラは色々辛すぎてときどき目が吊り上がっていた今では病院へ連れて行
せん妄について。癌になった人や、周りが癌になった人は一度は聞くことばだと思う。わたしもお母さんが卵巣がんになって初めてせん妄について知った。最初にお母さんにせん妄が出始めたのは、オキシコドンを服用しだしてからだった。話のつじつまが合わなくなったりボーっとしたり日にちや曜日を間違えたり。始めはそんな感じだった。中には暴力的になる人や暴言を吐くようになり周りが混乱することもあるって聞いてたから覚悟しとかないといけないと思った。でもお母さんはそのタイプではなかった。情緒不安
泊まり2泊目です。なんだか、主人はスッキリした顔。痩せ細ったせいか、それとも、少しよくなったのか、ほんとに小さかった目が、パッチリ開いてます(笑)翌日2023/11/15会えないことになるのは、承知の上で、息子ふたりと、有名病院に行きました。有名病院に転院になったってことは...、わかります。再発したってこと...その有名病院には、ガン患者しか、いないのだから。これまで、伴走してきたのだから、そのぐらいわかります。でも、まだ生きてはいるのだろうと、動けるのだろうと思ってました。
平和な夜だった。妻は、良く寝てくれた。胸のドキドキも、吐気も、めまいもなかった。尿カテーテルが合わなくて外したが、それだけだった。穏やかに朝を迎えた。妻の希望で、お母さんと妹さんに昼の付き添いをお願いした。お父さんは今日は休み私は、天気が良かったし、妻がしっかり寝てくれたおかげで少し休めたので、買い物を済ませて、子どもたちと大きい公園に行った。もう、ずっと子どもたちと遊んでなかった。だから、とにかく遊ばせてあげたかった。大きいトランポリンやすべり台のある公園で、2人はとにかく
ブログについては私からも連絡しますのでお待ち下さいね
金曜日から具合が超悪い腹水のせいかドキシルの副作用のせいなのかめまいがする食べれないでもお腹はすくお腹がすいて気持ち悪くなる食べても気持ち悪くなるお腹が苦しい痛い吐くなぜか左足も痛い大変だニャンコの世話をするのがやっとだどうしようつらいから寝る横になってるときが一番ラク先週はこんな感じだったけど今週は横にも伸びてきたような気がするどこまで大きくなるのやら腹水抜いてもすぐにたまるなら抜かないと決めてたけどこれはちょっともう抜かないとだめかも抜く
私のブログに訪問していただき、ありがとうございます今週も病院に行って来ましたまず腫瘍皮膚科ではお腹の凹凸を見て「主治医の先生には何て言われてます?」と皮膚科の先生「曖昧な感じで何も言われて無いんですがこれ腫瘍ですよね」と私「そうですね」と先生それ以上の話にはならなかったけど、前よりも悪くなってる感じだから主治医が分かってるのか確認したかったのかな?次にその主治医の診察では血液検査の結果が良いと言われましたでも私がお腹の凹凸の所の話をして、10日間程の間で3回撮った写真を見せ
◎がんを防ぐには何を食べたら良い?(31分)■はじめに───────────────────スマホで自撮りしたり、ピース写真を撮るだけで、将来財産を失う可能性が出てきました!↓デジタルストーカーの仰天手口↓https://www.tokyo-np.co.jp/article/19171↑先週「マンマチア」NPO法人女性医療ネットワークブレストケア部会という団体での講演で一番受けたネタでした(このリンクだけでも絶対見た方が良いです)。その時のテーマは~YouTuber腫
退院して一週間経ちました。今の所、日曜日以外毎日、訪問診療医師と訪問看護師が週3日ずつ交互に入ってもらえてます。場所は病院から自宅になりましたが、『おためし退院』なので、良い状況ではありません。今週水曜日に38.0℃まで熱が上がってしまい、胆のう炎再発かもしれないとのことで、血液検査をしましたが急変はなく、その後熱も下がり小康状態です。訪問診療医師の判断と自分達の希望もあって、在宅医療を続けることになりました。■退院後は、自宅マンションの1階までエレベーターで降りて、自宅に戻
長女と長男の熱が下がり、2人を保育園へ連れて行く。家に帰ると、妻が起きていた。昨日の夜は調子が悪かったそうだが、今日の朝は調子が良いらしい。妻と話す。頑張って、一緒に生きていこう。目を見て、手を握り、そう言い聞かせる。妻を助手席に乗せて、がんセンターへ助手席は、普段長女が座っているが、今日は手を繋いでいたくて、隣に座ってもらった。手を繋ぐ。少し骨ばっているが温かかった。がんセンターに着くと、受付を済ませて中へ東5階が妻の病棟だ。着いてすぐに手続きをして、一旦病室に入る。そ
介護タクシーでホスピスに到着すると緩和ケア病棟の看護師さんが車椅子で迎えに来てくれました。病室に案内され、まずは主治医となる先生と担当の看護師さんと挨拶。そのあと他の先生方や看護師主任が自己紹介に来てくれました。初日でつらかったことは「気持ちの吐露」「今思っていることは?」→仕方がないこととは思っているけれどなんで死ななあかんのやろうと思っている。「心残りはありますか?」→コロナ禍でできなかったことも含めたくさんある。母を置いていくことも心残りだ。「これまで