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アペの納骨場所を移転した。移転先は「ドッグワン北上」この前探し当てたアニー・ケリーが納骨されているところである。これでやっとアペはアニーとケリーと同じ場所で安息できる。アニーとケリーが家に来た頃のツーショット写真♡今日はアペのお骨だけを預け、合同の納骨場所に納まるのはもう少し先だけど、一緒の場所に連れてこれて安心した。
来週から天気が崩れそうだからというわけでも、ないけれど少し遠出妻のおばあちゃんの納骨がされているお寺へ車で1時間ぐらいだけどシートを超リクライニング&クッションを敷けば、妻も大丈夫お寺は、めっちゃ広大なんだけど車椅子を使えば、妻も余裕で移動少し暑いぐらいの気候だったけれどとても気持ちよかった妻は親戚にも会えて、楽しそうだったし帰りにファミレスで食事からのスーパーで買い物もできたいい日だった車椅子はめったに使わないので「押し
父は散髪をしてもらったようでこざっぱりとしていた。水色のシャツに青のカーディガンを着ていた。今日の差し入れは、ドーナツ。お腹がいっぱいだからあとで食べるとのこと。ずっと食欲がないみたいだ。やっぱりするっと食べられるプリンの方が良かったかも知れない。今日の父は機嫌が悪かった。施設の職員さんの悪口を言っていた。
続きです。長いです。わかりやすいように色分けを。夫「俺達も正直もうキツイんだよ。親の介護が始まってからあゆみも仕事を犠牲にして時間作ってきてこの葬式の一週間でも仕事が大変になってるのにあゆみが動けないと、売上も落ちるし、せめて納骨くらいはやってよ」義兄「俺達も年だから、、キツくて、、」夫「はあ?俺と4つしか違わないのに、大して変わらないだろ」義兄「、、、あの家(義実家)を、お前達にやるから。。」夫「(唐突すぎてビックリ)あの家をやるって、どーいうこと?!あの家
2024年3月13日(水)供述調書は、予め聞き取った内容を元に、刑事さんが作成したものを、読み上げるので、修正があったら言って欲しいとの事だった。お役所勤務(正規職場でなく、非常勤という名の常勤職員です)のワタシからしたら、違和感だらけの内容だった。お役所文書は、いかに簡潔に書くか。余計な事や重複する内容・文章を嫌う。私情なんて、もってのほかだ。比べて、供述調書は、重複する内容だらけ。私情もバンバン挟む。しかも13枚。刑事さんが、読み上げる。「そんな父の尊厳を踏みにじられ・
2021年5月2日③翌日は納骨…ママとキミ達と過ごす最後の夜…ジィジとか〜えちゃんとバァバは3人で…ママとキミ達がいるリビングで眠るコトにしたんだ…ママが小さかった頃のコト…人見知りで…でも、まっすぐだったママ…か〜えちゃんが小学生の低学年だった頃…帰り道、か〜えちゃんより上の女の子が顔に泥を押し付けたりして帰って来たコトがあったらしいんだ…か〜えちゃんは自分からは、何をされたかとかは言わない…ママは、しつこく聞いて誰だか、わかって…ママは妹のか〜えちゃん
山形県はルナちゃんのご家族様ルナちゃんのご冥福をお祈りいたします。我が家を巣立ってから14年慈しみ育てて頂きありがとうございました病気から天国へ昇るまでの辛い期間を大切に大切に病気と向き合っていただき感謝の気持ちでいっぱいです。子犬とママの夢ハウス中島美代子様お世話になっております。チェリーちゃん改め、ルナを引き取った山形の○○です。今月17歳のご報告をしたかったのですが、2月末に16歳8カ月で虹の橋を渡りました。ずっと元気な病気知らずのル
久しぶりにコッチを風呂に入れた。所要時間は約3時間以前、トリマーに預けたら9時から5時までかかって、迎えに行ったらグダ~~となって放心状態になっとった。それ以後、家でやることにした。プロと違って道具はそれほど充実してないから苦労する。洗いで1時間半、乾燥でさらに1時間半中腰になって作業したんで、腰が痛~~~~~い。とりあえずキレイにはなった。さて・・・納骨まで余すところ2週間となった。昨日は「ホテル」と「新幹線」の予約を完了。前、ジジイの葬儀の際、普通車の指定席で行
1週間ぶりに帰ってきた次女がパンケーキを食べたいと言うので久しぶりに母娘4人でお出掛け。お目当てのパンケーキ屋さんで順番待ちする事1時間座った席の隣には仲良さそうな家族連れが。次女と同じ年頃の娘ちゃん屈託なく笑顔でよく喋る。そのたわいのない話しを優しく聞いているお父さん。少しだるそうにしているもう1人の娘ちゃん。みんなを気遣って色々世話を焼くお母さん。一方私たち母娘4人は前日にパパの納骨をしたばかり。みんなちょっとお疲れモードで会話する気力もなく何となくダルくて
『喪主一家、脱走』49日、クソ伯母側、脱走。来ない…。さすがにないわ。住職、マジ切れ。喪主不在のまま、無事、49日にて納骨完了。弔いたくない人は来なくてよーし!祖母、天国に無事…ameblo.jp『納骨費用踏み倒した喪主』『喪主一家、脱走』49日、クソ伯母側、脱走。来ない…。さすがにないわ。住職、マジ切れ。喪主不在のまま、無事、49日にて納骨完了。弔いたくない人は来なくてよー…ameblo.jpクソ伯母は、祖母がケアハウスに入るずいぶん前から、嫌がらせをしたい一心で自宅の固定電話を
父の納骨が終わりましたが葬儀一連の流れの中で今日が1番悲しかったです意外なことでした伊藤園ラベルレスおーいお茶緑茶スマートボトル(460ml*60本セット)【お~いお茶】楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}お骨が家にある内は父が近くに感じられたからかな急にめっちゃ離れてしまった気がしてと言うよりむしろ喜んで遠くに飛んで行っちゃったようで虚しさを感じたりしています【200週1位】甘酒お米と米麹でつくったあまざけ1L×6本紙パック送料
4月の義伯母(義母の姉)のお葬式での義伯父のことばいつも明るくて、ほがらかで美味しいご飯を作ってくれてわたしのことを支えてくれていたなにもいうことのない欠点などなにもない100点満点いや、それ以上の妻でした入院して、施設に入って以来10年ぶりに同じ部屋で寝ることができるのがうれしい95才の義伯父は一人暮らしとてもきれい好きで庭には草一本生えていない家の中もほこりも髪の毛一本も落ちていないそんな家義伯母は手先が器用でマクラメの先生をしていたり編み物も得意な人
リアルタイムは、義母の暴走が、多すぎて、少し、落ち着いた今だから、当時の記憶と日記📓をもとに、語れる実話話をマイペースに、ブログで紹介していきたいと思っておりますぜひ、お時間がありましたら、最後まで、読んでくださいましたら幸いです🙇♀️主人がプンプン😡怒って帰宅してきた義母の実の父さん、通夜、葬儀は、私と子供達も参加しました。火葬については、我が家からは、主人1人を残し、私と子供達と嫁の両親は、我が家へ戻りました。暖かいうちに、お風呂も済ませてお腹もすいて、ぺこぺこだった
5月17日(金)、夫の納骨の為に帯広へ向かいました。四十九日からずいぶん経ってしまったけれど、雪がすっかりなくなって、5月の十勝は1番気持ち良い季節だし、そのあたりがいいねと決めたんです。息子一家と一緒。途中、かなりの雨が降っていて「困ったな、雨のお墓参りかな」と思いながら道東道を行きました。お昼過ぎ、音更の道の駅に到着。賑やかにお昼ご飯をとっていたら、何と雨があがって晴れ間がみえてきた!今のうちにいこうと急いで霊園に向かいました。お墓に到着した時には青空が広がってました。小3女
『義実家の仕打ち①~遺骨』義実家の正論と嫁(妻)の正論は決して交わることはない。きっとそう思い知らされたことをまとめてみようと思う。義実家とは夫がいるときは全くなにも問題な…ameblo.jp『義実家の仕打ち②~分骨』『義実家の仕打ち①~遺骨』義実家の正論と嫁(妻)の正論は決して交わることはない。きっとそう思い知らされたことをまとめてみようと思う。義実家とは夫がい…ameblo.jp四十九日の日、新幹線で実家へ向かった。家にあがると、三男
とてもとてもとてもローカルな納骨堂周りにも何もなく、写真の加工の必要無しw昨日、ここに夫を納骨して参りました5年以上前に亡くなった時から私の地元のここにと思っていたのに大人の事情とか葛藤とかコロナとかとかとか色々重なり納骨できずこの度、引越ししたタイミングで鬼が入院したので、居ぬ間に慌ててめでたく納めることができました(鬼についてはまた吐き出しますわw)とりあえず、息子がどうにかしたいと思うまで…なのか、永久的になのかここで眠っていただきますと、言うわ
今日は、お母さんの49日。この日までは、まだ魂は家にいるってよくいうよね。お母さんが亡くなって数日は、実家に行くとお母さんの匂いがすることがあった。一瞬で消えてしまうんだけど。近くにいてくれたのかなって思った。お母さんが亡くなって一週間くらいの時、車に乗った時、後ろのスライドドアが勝手に開いたこともあった。お母さんが乗ってきたのかな?とか都合が良い方に考えちゃうよね。不可解なことが起こると、全部お母さんがいるって思える。でもだんだんそういうことがなくなってきた。もっと、
54歳ハルミです先月、父の海洋散骨をしましたが『父の海洋散骨を行いました!』54歳ハルミです昨年8月末に亡くなった父😢『父の海洋散骨のお迎え』54歳ハルミです8月に亡くなった父生前に父から「俺が死んだら、お墓には入れずに海洋散骨して…ameblo.jpお世話になった業者様から証明書が郵送されて来ました!散骨をした細かい位置を記した物です。また船でその場所にわざわざ行くことはないかと思いますが、ご丁寧にお知らせ頂きました。今回お願いした業者様キョンキョンがイメージキャラクター
5月15日。起床はAM7:00でした。天気は晴れでしたね。にほんブログ村ブログ村のランキングに参加しています。上のバナーをクリックすると、現在のランキングを見られたりします。一日一回バナーをクリックして頂けると、ブログを続ける気力が生まれます。(^-^)軽く朝食を食べた後は、書類の整理をしていました。そして午前9時を過ぎた頃に、義弟がやってきました。二時間ぐらい、お墓の場所や今後の処理について打ち合わせをしましたかね。そして12時を過ぎた頃に、お寺へ行きました。納骨を行わ
結局‥‥寝たような、寝なかったようなそんな感じで朝を迎えました。この日は珍しく朝まで強風でした。夫の気持ちのような気がしました。『俺は不本意ながらここを去る。そんな日にグッスリ眠らせないぞ‼️』そんな感じでしょうか後で聞いたのですが兄弟たちもそう思ったそうです法要が始まり、住職の読経の声が聞こえる中、まだ夫の法要だと実感がありませんでした。遅れて来た夫が本堂の扉を開けて入ってくるんじゃないか‥そんなイメージさえ抱いてしまいました。それはわたしの大きな後悔の
ご無沙汰しておりますご報告が遅れましたが無事法要も済みました。今までは姿はないけれど、まだ夫が家にいる感覚でいました。でも、納骨する事で、2度目のお別れ‥‥完全にさよならです。法要の1週間前は毎日夫の好物を作り供えました。『今日はこれを食べる気分じゃない💢』とか、言ってそうですが、そんな声も聞こえませんから勝手に作りましたよ法要の前日はお骨を寝室に連れて行き、チェストの上に‥‥生前は別々の部屋で寝ていましたが最後なので一緒の部屋で眠ることにしました。そ
2021年5月3日④パパ一家は、お帰りになり…雨でバタバタだったけれど…よく見るとママとキミ達のお家の花立て…花立てに合うように挿してしたのに…ギッシリギューギュー詰めになっているお花…お花がかわいそう…そっと置いてくれたなら花立て代わりのモノに入れてあげるのに…ババ様の自分達も持って来ましたと言う意思が見え見えでため息しか出なかった…お空に逝っているジィジの…ママのじぃちゃん…キミ達にとっては曽祖父さんだよ…ママとキミ達の小さなお家を見つめて…一人で用意さ
anko-senseiです!20年間は、専業主婦でしたが、40代から勉強をスタートして、二級建築士、インテリアコーディネーターなどいくつかの資格を取得して、建築業界を中心にインテリアの仕事を続けて来ました。50代になってからフリーランスに転向外注のコーディネーターとしてハウスメーカーや工務店さんからの依頼で、沢山の物件を担当して来ました!ここ数年は、オンライン授業でマンツーマンで、「IC試験の指導」や「インテリアの実線的な指導」、「就職の相談」に乗らせ
夫が亡くなってやっとひと月。長い長い、とても長いと感じたひと月でした。先週末の三連休中に少し早めの四十九日法要をしました。お寺さんでお経をあげてもらい白木の位牌から塗りの位牌へ魂を移してもらい位牌を持ち帰りました。夫の実家は自分の所でお墓も供養も全部するつもりでいるので仏壇も整理して夫を迎える準備をしていましたが私はまだどうしても手放す気持ちにはなれず遺骨も遺影もまだ自宅に置かせて下さいと頼みました。一応快く承諾してもらいましたがお寺さんとも相談して実家用と自宅
お盆は実家のお墓参りへ。こちらに第二子も入らせてもらっています流産当時、恥ずかしながら、12週以降は火葬しなければならないとか知らなかったし、ましてやそのお骨をどうするなんて想像もできていなかった。火葬だなんて、、そんな、、いやだいやだ・・・と駄々をこねてもどうにもならず、無情にもその日は来てしまい第二子はお空へ。胎児の供養ってどうしたら・・・我が家にはまだお墓がないし・・・火葬しなければならないと知ってから検索しまくり、出した答えは「実家のお墓に間借りさせてもらう」
「GW後半は新潟へ④」2024/5/17亡くなった叔母さんの納骨をするのに叔父さんちの菩提寺、円福寺へ。車から降りて、玄関に向かおうとしたら、蛇のお出迎えがありました。久々に蛇の姿を見たわ~噛まれたくないので、遠回りで玄関に行きました。円福寺は国道17号線から少し入ったところにある歴史のあるお寺で、奈良時代に創建した古刹です。こんなに立派なお寺があったなんて、母も下の叔母さんも知らなかったそう写真撮影は出来なかったので、検索なさるか、下のサイトをご覧ください。検索すると、写真が
こんばんわ今日はどこからも電話がかかってこなくて平和かと思っていたのに、来ました。親戚です。明日実家にあれこれ探しに行くというのを聞きつけて余計なことを言ってくるのです。良かれと思って電話してきているのでしょうけど、物事には重要度と順番というものがあり、あなたの言ってることは、今すぐ必要ですか?と言いたい。まずは、お墓に彫ってもらうための戒名を見つけないと納骨の予定が立たない。拓本まで作ってスタンバイしてくれている石材店をお待たせしているのに、、。多分、仏壇の引き出しに、、書類の捜索して
お母さんの納骨が終わった。あいにくの雨だったけどその時に撮った空の写真を載せますお父さんとお兄ちゃん家族とわたしの家族全員で行くことができて、お母さんも喜んでくれたかもしれない。昔、お母さんに連れて来てもらった場所。おばあちゃんのお墓参りの時に、ここでお母さんと話した内容とか思い出した。なんかまだ、お母さんと会話できないことが不思議に感じる。お父さんや家族みんなといたら、お母さんもきっとこの場にいたかっただろうなぁとか考え出して、お母さんはまだまだ死にたくなかったのになぁ
2月の終わり。義父の1周忌法要と納骨式を行いました。夫の遺骨は気が済むまで家に置いておくつもりでしたが元日の大きな地震で考えが変わりました。あの規模の地震がこちらで起きたら、築40年のうちは潰れます。家に居ても夫を守れなければ自分を責める。外出して夫だけが瓦礫に埋もれたら自分を責める。納骨堂ならうちより安全でもし倒壊しても、お寺の所為にはしない。仕方がないと諦められるのではなかろうか。当日まで散々考えて義父と同じ日に夫を納骨する事に決めました。悲しくて、あの日と同じく
気温差も関係してるのか、気が張ってた状態が緩んできたのか、ダルさが取れない。振り返れば看取って送るということに莫大なエネルギーを使った。これはリアルに経験して初めて思い知った。葬儀も、家族葬なのにこんなにかかるの❓と思った。確かに良心的な葬儀屋だけど…やっぱりかかる。ところで亡くなった時に葬儀屋が決まってないと病院側の紹介を使うことになるらしい。実際、我が家が契約している葬儀屋が夫を連れて出た時、駐車場に止まっていた地元の葬儀屋の車がその場を去っていった。義父がなくな