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台風が接近していますが、本ブログはいつもの調子で更新します。今回は商船改造の航空母艦計画について紹介します。帝国海軍では昭和8年頃から、有事に航空母艦に改造可能な高速商船を要望し、当時の二大商船会社である日本郵船、大阪商船に対して折衝を重ねていきます。これには、昭和恐慌において余剰船舶のスクラップ・アンド・ビルトを目的とした政府の補助事業の続きである「優秀船舶建造助成施設」を活用した補助が行われ、その交付条件として有事の特設艦船への改造準備を設計に取り入れることとされていました。この結
80年前の4月7日,沖縄を救うべく出撃した戦艦大和が爆沈した。この日世界最強と言われた戦艦大和は,沖縄を向かう途中の東シナ海で米軍の波状攻撃を受けた。航空機三百数十機の猛攻に耐えかた戦艦大和は14時23分左に横転、大爆発を起こして沈没した。命を落とした乗組員は、3,056名を数えたという。この作戦は、大日本帝国海軍最後の艦隊の全勢力をもって沖縄を救いに行きたいという強い思いに駆られた作戦だったという。沖縄県民に対するその思いはよく分かる。しかし,航空機の飛べない嵐の日を狙って沖縄に
神戸の湊川神社の境内にある楠本稲荷神社には前回紹介しました二等巡洋艦「筑摩」の後檣以外にも、帝国海軍艦艇に関する碑が2点あります。1点目は、「山城艦凱旋記念明治廿八年九月建立」なるものです。「山城艦凱旋記念明治廿八年九月建立」明治28年9月建立ということは日清戦争に関わるものですが、「山城」なる軍艦は当時存在せず、後年の戦艦「山城」が初代となります。「山城艦凱旋記念明治廿八年九月建立」の碑文潮書房光人新社の雑誌「丸」2018年6月号に掲載されている日本海軍の
昨日(令和3年5月21日)、NHK総合テレビの番組「ブラタモリ」で千葉県・館山の砲台跡に花壇が作られていることが取り上げられていました。この砲台は、「洲崎第一砲台」と呼ばれた砲台で、千葉県館山市の高台に築造されたものです。「洲崎第一砲台」の位置(引用:GoogleMap)民家の敷地内にあるようで、本格的な花壇として整備されています。その様子はブラタモリでも紹介されましたが、「東京わき見散歩地図」というブログに詳しく書かれています。洲崎第一砲台、洲崎第二砲台、館山海軍砲術
息子の一連のイベントが終わって、ようやく日常に戻りました。とはいうものの、本日は朝から血圧の薬の処方をしてもらうため、行きつけの医院へ。一度家に戻って今度は歯医者へ。また、ここの所スマホの調子が悪くなってきたので、明日は機種変更で難波へ。帰りに散髪もしたい、となかなか忙しい週末です。ブログに取り上げておられる方も多いのでご存知の方も多いかと思いますが、昭和20年4月7日は戦艦「大和」が沖縄特攻の途中、米国海軍機の猛攻を受け無念の沈没をした日になります。沈没に際し爆発した戦艦
今日7月28日は、7月24日に続いて呉軍港への大空襲が行われた日になります。昭和20年当時の呉軍港は、戦艦伊勢、日向、榛名などレイテ沖海戦の生き残りの艦艇などが、燃料が枯渇した状態で軍港内および周囲の島々に浮砲台として係留されていました。7月24日および28日にアメリカ海軍を中心とした連合国軍空母機動部隊航空隊により、呉軍港および周辺に係留されていた艦艇が集中的に攻撃を受けます。結果、大型艦艇のほぼ全てが沈没または着底し帝国海軍が壊滅した日と言えます。被害を受けた主な艦艇は次の通りです。
前回に続いて、レイテ沖海戦に参加した戦艦を取り上げます。レイテ沖海戦では、戦艦「大和」「武蔵」を中核とした「栗田艦隊」、好悪空母艦「瑞鶴」「瑞鳳」を中核とした「小沢艦隊」、戦艦「扶桑」「山城」を中核とした「西村艦隊」、一等巡洋艦「那智」「足柄」を中核とした「志摩艦隊」が参加しています。その中で、南側からレイテ湾を目指したのが西村祥治中将率いる「西村艦隊」でした。今回は西村艦隊の旗艦であった戦艦「山城」を取り上げてみたいと思います。戦艦「山城」は、「扶桑」型の2番艦として大正2年度の
今日は艦艇について書こうかと思います。昭和20年8月15日、大東亜戦争終結時に「浮いて」いた軍艦は殆どありませんでした。【昭和20年8月15日に「浮いて」いた軍艦】戦艦:「長門」航空母艦:「鳳翔」「葛城」「龍鳳」「隼鷹」一等巡洋艦:「妙高」「高雄」「八雲」二等巡洋艦:「北上」「酒匂」練習巡洋艦:「鹿島」潜水母艦:「長鯨」敷設艦:「若鷹」「箕面」このうち、「妙高」「高雄」はシンガポール、「若鷹」はスラバヤ沖にあり内地にはいませんでした。特に「妙高」「高雄」の2
年末あたりから手を付けていなかった家の中の不用品処分。昨日から寝室の整理に着手、娘も自分の部屋の片付けを2週間前から進めていたようで、それなりに不用品が出てきました。このため、本日は朝からリサイクルショップに持ち込み、2件回って全部を引き取ってもらいました。また、昨年後半から撮りためていたTV番組も溜まっているため、見るもの・見ないものの整理も進めています。話は変わって、船の話を。先日の「大和神社」の回でも書きました(戦艦「大和」戦没80年に寄せて・大和神社にて)が、本日4
大東亜戦争後、防波堤として利用された艦艇が15隻あります。当ブログでも、以前兵庫・竹野港の防波堤となった一等駆逐艦「春風」(戦後に地味な武勲を讃えられた駆逐艦「春風」)と、福島・小名浜港の防波堤となった一等駆逐艦「澤風」(航空隊の訓練、対潜掃討、戦後は防波堤として活躍した駆逐艦「澤風」)を取り上げました。竹野港の防波堤となった「春風」の船体(引用:「京都府」HP、漁村・漁港の紹介京丹後市編)漁村・漁港の紹介www.pref.kyoto.jpなかでも有名なのは、北九州市の若松港
今回は前回取り上げた、対一次世界大戦における地中海での戦闘で被害を受けた駆逐艦「榊」を取り上げます。まずは、前回のおさらいです。大正3年7月に始まった第一次世界大戦では、英国は独国Uボート艦隊による通商破壊作戦に苦慮し、大正6年1月に輸送船舶を護衛するための艦隊派遣を大日本帝国に要請要請します。これに応えるため、帝国海軍は三等巡洋艦「明石」を旗艦とし、二等駆逐艦「樺」型8隻(「楓」、「桂」、「梅」、「楠」、「榊」、「柏」、「松」、「杉」)からなる「第二特務艦隊」を編成し地中海に派遣、大
最初が難関・・・空母のプラモデルは飛行甲板の塗装が面倒なのです。現在鋭意制作中の空母加賀。旧キットは面倒なのです。今は便利なシールのようなものがあるといいますが・・頑張って塗っているのです。鉄部と木部の塗り分けだけでも面倒なのに・・この白線がたまらなく面倒なのです。地道に・・修正していくのです。・・・結構楽しいのです。笑ハセガワ株式会社ハセガワ(hasegawa-model.co.jp)日本
80年前の今日、昭和20年4月6日夕刻、帝国海軍最後の艦隊は徳山沖を抜錨、一路沖縄を目指し出撃した❗※生前、八杉さんに聞いた・・🌸南下する航路の右舷側に位置する国東半島の山桜が綺麗だったと🌸別府沖で手空き総員最上甲板に整列し艦長の訓示、君が代、海ゆかば斉唱、その後副長の命により少年兵達は其々の故郷の方角に向かい最後の別れを告げた🙏👋大和をしんがりに単縦陣で豊予海峡を通過する頃には、夕陽が海を照らし金波銀波の美しい光景が見えたと✨佐田岬半島や四国の山並みを見て故郷に別れを告げたと👋😞
昨日は神戸・ポートアイランドに巡視船「せっつ(PLH-07)」を見に行きましたが、帰りに尼崎に寄り道しました。難波八幡神社という神社に行くためです。令和3年3月27日・尼崎・難波八幡神社本殿の前は桜が満開でした。難波八幡神社・本殿前の桜この神社にはこんなものがあります。「國光宣揚軍艦榛名」と書かれています。これは、戦艦「榛名」のマストであったものです。「國光宣揚軍艦榛名」と記された国旗掲揚柱この柱は13メートルの檜の丸太で、第二次改装時に戦艦「榛名」から取
今回は、帝国海軍の魚雷艇について書いてみたいと思います。魚雷艇については、南太平洋・ソロモン諸島付近における米海軍魚雷艇の運用が比較的有名かと思います。後の米国大統領ジョン・F・ケネディも魚雷艇「PT-109」に乗り、昭和18年8月2日にソロモン諸島のニュージョージア島の西で、帝国海軍の一等駆逐艦「天霧」に衝突され沈没したものの生還した話は有名ですよね。米国海軍魚雷艇「PT-109」上のジョン・F・ケネディ(引用:Wikipedia)(不明-http://www.jfklib
今週木曜は、職場の仲間とちょっと良い処でディナー。大阪駅近くのビル最上階のレストランに行きました。レストランからの夜景・大阪港方面かすかに天保山の観覧車が見えます。高かったですが、眺めは最高でした。話は変わって、今年は2025年。大東亜戦争の敗戦から80年。そして3月10日は東京大空襲、4月7日は旗艦・戦艦「大和」率いる第二艦隊の稼働艦艇を集めた艦隊による沖縄へ向かう途中、米国海軍機動部隊の猛攻を受け戦艦「大和」、二等巡洋艦「矢矧」、一等駆逐艦「磯風」「浜風」「霞」「朝霜」
本日は「在宅勤務」中に会議で「出張」してきました。何が何やら良くわかりません。いつもより早く帰ることができたので、ひとつ書いてみようと思います。今回は、貨客船です。日本郵船は、第一次世界大戦に後経営危機に陥っていた東洋汽船から大正15年に北米航路を継承します。これに伴い、旧型の就航船を刷新するため「浅間丸」型貨客船3隻の建造を計画し、実際に建造します。その一隻として昭和3年2月に横浜船渠で起工され、昭和5年3月に竣工したのが「秩父丸」です。「秩父丸」は当初川崎造船所に発注されますが
2月2日の金曜日、奥様が躓いて転倒し右足を負傷し、歩き方がいつもと違ったようで、あちこちが痛くなったことから、家事全般をやっておりました。私も、先月末あたりから両肩に痛みがあり、この週末は結構大変でした。このため、下書きがしてあった昨日はブログを上げることができたものの、本日はどうしようかと思っていました。それでも、少しは趣味に時間を使いたいので、簡単に書けるものにします。帝国陸軍は、「陸軍」ではあるものの船舶司令部を持ち、自前の船艇を所有していました。それらの記録は、現在
最近、通勤時にこんな書籍を読んでいます。「あゝ復員船引揚げの哀歌と掃海の秘訣」珊瑚会・編、1991年12月、騒人社お題目の如く、内容は戦後の復員輸送と掃海作業に従事した方々の、当時の回想記がメインとなっています。まだ半分ほどしか進んでいませんが、その中に終戦直前から復員輸送にかけて一等駆逐艦「欅」に主計長として乗艦された八木弘氏の手記がありました。「欅」という艦名に何か引っかかりを感じてネットを検索すると、「ゴジラ-1.0」に登場していたではないですか。「海神作戦」で、一
前回に続いて、潜水艦を取り上げます。今回の主役は「伊号第八」です。前回の「伊号第一」と同じ「巡洋潜水艦」に属し、「巡潜3型」に分類されます。「伊号第八」は、大東亜戦争中に「遣独潜水艦作戦」に参加し、唯一本土-ドイツ(フランス)間の往復に成功した潜水艦なのです。「伊号第八」は、航空母艦「蒼龍」「飛龍」や二等巡洋艦「利根」「筑摩」等の建造が計画された、昭和9年の「マル2計画」における「巡洋潜水艦」2隻(「伊号第七」「伊号第八」)として計画・建造されました。川崎造船所において、昭和9年10月
先のブログでウルシー環礁への特攻作戦について触れました。んでもってこの銀河、通常攻撃でも見事な戦果を上げておりまして、昭和20年3月19日、神戸空襲にむけて出撃準備中のエセックス級空母フランクリンに向けて単機で潜入に成功し、見事250㎏徹甲弾二発の命中に成功、同艦を米本国へ送り返したという内容のものです。(彗星33型という説もアリ)3月19日あたりにブログをあげるつもりが、ついついさぼってしまいましたw。胴体の合わせ目処理も一区切り。主翼を貼り合わせて士の字になりましたの一枚。キャノピ等のク
今日は3月3日、ひな祭りの日ですね。とは言っても、今年は私の肩痛、奥様の膝痛でひな人形を出すことを諦めました。80年前の3月2日から3日にかけて「ダンピールの悲劇」(連合軍の呼称「ビスマルク海海戦」)と呼ばれる戦闘が行われました。この戦闘を振り返ってみます。昭和18年に入ると、2月のガダルカナル島奪還に始まる連合軍の反転攻勢が始まり、ニューギニア島でも苦境にありました。これに対し帝国陸軍は、連合軍の次の侵攻目標と予測されるニューギニア島(現・パプアニューギニア)東部の各拠点に部隊
前回は二等巡洋艦「能代」を取り上げました。以前には同型艦「矢矧」も取り上げています(昭和20年4月7日・戦艦「大和」とともに戦没した巡洋艦「矢矧」)。今回は、続いて「阿賀野」型の巡洋艦を取り上げてみます。帝国海軍の最期に竣工した巡洋艦であり、日本最後の「巡洋艦」となった二等巡洋艦「酒匂」にしてみたいと思います。歌川広重の東海道五十三次・「小田原酒匂川」(引用:Wikipedia)(歌川広重-TheFifty-threeStationsoftheTokaido,パブ
今日は4月7日であります昭和20年(1945年)4月7日は戦艦大和が戦没した日であります京商さんの1/64スケールミニカーフェラーリF2001なんですがボディーにトップコートを吹きました#2はルーベンス・バリチェロ🇧🇷の車両ですシャシー側はシートベルトを塗装してありますこんな感じでまったり進みます꜀(꜆〇-〇)꜆マッタリ
昭和19年の今日、6月19日は帝国海軍の「あ号作戦」の発動に伴い、「マリアナ沖海戦」が行なわれた日です。この海戦で、帝国海軍は航空母艦「大鳳」「翔鶴」「飛鷹」を失い、その後帝国海軍の機動部隊は組織的に米国海軍の機動部隊と対決することができなくなります。また、この海戦で失われた帝国海軍の艦艇は航空母艦のみ(作戦全体では潜水艦の戦没もあり)であり、ミッドウェー海戦に続き戦争における主役が完全に航空機と機動部隊に移ったことを象徴するような海戦でした。マリアナ沖海戦で米海軍機の攻撃を受ける航空
この週末は、長らく開発に携わってきたシステムが切替を迎えました。切替自体は、親会社のIT系の子会社とベンダーで行いますので、久しぶりにゆっくりとした週末を迎えました。結果、昨日は長らく放置していた部屋の片付けと、年末からネットを使って断捨離してきた書籍や玩具の発送に掛かり切りとなり、結局ゆっくりしている訳ではないような。それでも、断捨離では約4万円ほどの利益が出ましたので、労力は報われた?ようです。ところで、今年に入って潜水艦をいくつか取り上げていたので、今回は趣を変えて駆逐艦にしてみ
今週はゴールデンウイーク明け。仕事が色々と動き出し、結構目まぐるしい一週間でした。午前中はかかりつけの医院に行き、処方箋をもらって医院の筋向かいにある薬局で薬をもらってきて…。疲れが溜まっていたのか、久しぶりに昼寝をしてしまいました。昼寝から目覚めて、ネットで画像検索をしながらツラツラ見ていたら、こんな写真が目に入りました。クリックするとWikipediaに飛んだのですが、そこは「濱江丸(ひんこうまる)」という船のページでした。「濱江丸」の機関部(引用:Wikipedia)
今日は12月8日、「ニイタカヤマノボレ1208」真珠湾攻撃の日ですね。今日ハワイ・真珠湾では犠牲者の追悼式典が行われているようです。ちなみに、この作戦には下記の艦艇が参加しています。航空母艦:「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」戦艦:「比叡」「霧島」一等巡洋艦:「利根」「筑摩」二等巡洋艦:「阿武隈」一等駆逐艦:「谷風」「浦風」「浜風」「磯風」「陽炎」「不知火」「秋雲」「霞」「霰」一等潜水艦:「伊19」「伊21」「伊23」一等潜水艦:「伊
今回は、神戸から離れて令和3年6月20日に訪れた神社の話を。その神社は「建水分神社(たけみくまりじんじゃ)」という神社です。大阪府南河内郡千早赤阪村の金剛山の入口に当たり、社伝によれば、崇神天皇5年(紀元前92年)の諸国が飢饉となったとき、各地に溜池や溝を作ることが勧められたが、このときに金剛葛城の山麓に水分神が祀られたのに始まるそうです。「建水分神社」の場所(引用:googleMap:一部切取・加工)「建水分神社」の参道入口周囲はのどかな農村の雰囲気で、「大阪」のイメー
最近、気温がおかしいぐらい高くなっているので、日中の外出もままなりません。こんな時には、涼しくなりそうな話でも。今回取り上げるのは、潜水艦です。「伊号第三十三」潜水艦は、「伊号第十五」型潜水艦(巡潜乙型)の14番艦として三菱重工神戸造船所で昭和15年2月に起工され、翌16年5月に進水、昭和17年6月に竣工しています。【要目】排水量:(水上)2,198トン(水中)3,654トン、全長:108.70m、最大幅:9.30m、吃水:5.14m機関:艦本式2号10型ディーゼル機