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今日は寒いですね。午前中、娘の所属する吹奏楽団が、地区の文化祭のようなイベントから依頼を受けて演奏するというので見に行ってきました。会場に向かう午前11時前、霰が降ってきました。2週間ほど前は日中は半袖で十分過ごせたんですけど。本日の依頼演奏中央の阪神の法被を羽織った指揮者さんが、この楽団の主宰者の方です。大の阪神ファンで、演奏の最後はいつも「六甲おろし」で演奏を〆ます。今年の阪神は38年振りの日本一となったので、指揮・演奏にも力が入ってました(笑)。阪神、日本一オメデト
以下は、米国の第二次世界大戦の機密文書が解除されてから書かれたものを2016/12/07に翻訳し、Yブログに掲載したものです。ここでは、日本の帝国海軍のトップである連合艦隊司令長官山本五十六は、実は、ルーズベルトと通じた米国のスパイであったと述べられています。◆◆◆TheattackonPearlHarboristhestrategyofPresidentRoosevelt真珠湾攻撃はルーズベルト大統領の戦略だ(画像)左から、スタ
一昨日から1泊2日で山陰地方の出張に行ってきました。米子駅では、建て替えのため9月4日で現駅舎が廃止され、仮駅舎へ移転するらしいです。現在の米子駅今日は久しぶりにサノヤスへ行ってみようかと思いましたが、体力が…。年ですかね。今回は幻の航空母艦を取り上げてみましょう。その名は「翔鶴」といいます。「翔鶴」は幻ではないだろう。珊瑚海海戦や南太平洋海戦で活躍したではないか。と思われるでしょうが、帝国海軍では「翔鶴」の名は3代にわたって継がれています。3代目が大東亜戦争で活躍した航
大東亜戦争の初期、本土の東方の太平洋における敵艦隊等の監視を目的として、遠洋漁業を行う漁船を改造し「特設監視艇」として徴傭し展開していました。その中で有名なのは昭和17年4月18日に帝国本土爆撃を行う(ドーリットル空襲)ために接近中の米海軍の機動部隊を発見した、底引網漁船を改造した特設哨戒艇「第二十三日東丸」です。「第二十三日東丸」は軽巡洋艦「ナッシュビル」と航空母艦「エンタープライズ」所属のF4Fワイルドキャットの攻撃を受け撃沈され乗員14名全員が犠牲となります。しかし、この攻撃中に無線に
8月に国会図書館関西館でコピーしてきた資料を整理していました。コピーの中に雑誌「船の科学」昭和44年8月号に掲載されたに遠藤昭氏の「日本海軍建艦計画史」という連載の第4回が載っています。この中に「日本建艦の特長」という項があります。少し長いですが引用します。「この時期の日本海軍造船陣は、優れた二つのアイデアを示すことによりその高い独創性を世界に示すに至った。その一つは、戦艦薩摩の設計に示した単一巨砲主義への目ざめであり、迅速に巨艦を建造する工業力を持った英国に1年以上遅
タミヤ製、駆逐艦の桜とヤマシタホビーの橘を作り比べてみようと思います。出来ればここにフジミの桜ピットロードの橘も入れてみると面白いかもしれませんが・・・。タミヤ製の桜は1995年製のかれこれ28年経つ老朽艦。ヤマシタホビーの橘は2021年製の新造艦。おなじT型駆逐艦です。さてさて、どのくらい違いがあるのでしょうか。時代の流れとかがわかるでしょうか。まずはタミヤさんの桜。箱の中には説明書とキットが入っています。ランナーキットは2枚。船体は甲板と線腹の一体型。そして船底。WL
先日、兵庫・竹野港の防波堤として使用された、駆逐艦「春風」を取り上げましたが、今回は浮桟橋となった軍艦について、取り上げてみます。その軍艦とは、巡洋戦艦「天城」です。結構ネット上では取り上げられていますので、ご存知の方も多いとおもいます。巡洋戦艦「天城」は、「八八艦隊」の5号艦として、また、巡洋戦艦の1番艦として計画され、大正8年7月に「天城」と命名され、大正9年12月に横須賀海軍工廠で起工されます。【要目】常備排水量:41,200トン、垂線間長:234.7m、水線長:249.9m
今回は、かなりマイナーになります。帝国海軍の類別では「特設砲艦」となっていたため、正式な艦艇ではありませんが、その姿は戦闘用艦艇そのものでした。その特設砲艦の名は「南海」および「南進」の2隻で、民間徴用船の特徴である船名の後ろに付く「丸」もありません。なぜなら、この2隻は当初オランダ海軍の敷設艦として建造されたものだからです。蘭領東インド政府に配備する敷設艦として、昭和16年にスラバヤで「ラム(Ram)」および「レグルス(Regulus)」の2隻が起工されました。しかし、昭和17年
昨日は、奥様が風邪を引いたようで、代わりに家事を色々としてたら時間が無くなり、ブログまでたどり着けませんでした。今日は、具合がよくなったようで、友人と会うために難波までお出かけされてます。このため、朝から少々家事をした後、買い出しへ。帰りに近所の小学校の桜が満開でした。小学校の桜79年前の4月7日、14時23分に鹿児島県・宇治群島宇治向島西方144kmの地点で第二艦隊の旗艦・戦艦「大和」が沈没した日になります。(昭和20年4月7日・戦艦「大和」最期の日)この時の「坊ノ岬沖
正月・関西テレビ(フジテレビ系)で「潜水艦・カッペリーニ号の冒険」というドラマを放映していましたね。リアルタイムでみることができなかったので、録画して今日の午前中に観ました。伊国通の帝国軍人と伊国軍人が上司・部下の立場でぶつかり合いながらも、次第に友情ともいえる関係を築いていくヒューマンドラマで、観ていて暖かくなるような良いドラマだったと思います。ところで、このドラマの中心となるイタリア海軍の潜水艦「コマンダンテ・カッペリーニ」ですが、以前当ブログでも簡単に取り上げたことがあります
引き続き、駆逐艦を取り上げます。前回の「吹雪」より少々時代を遡ります。大正中期、帝国海軍は主力艦の大量建造計画である「八四艦隊計画」を立案し、さらに「八六艦隊計画」に拡張していく中で、水雷戦隊用の一等駆逐艦として「峯風」型が建造されます。さらに建艦計画は「八八艦隊計画」へ移行し、一等駆逐艦も「神風(二代目)」型へマイナーチェンジされます。この「神風(二代目)」型は、「八六艦隊計画」で3隻、「八八艦隊計画」で2隻が建造され、3番艦以降は「ワシントン海軍軍縮条約」による計画変更の中で4隻が
最近、町内の官舎が、建替え工事が終わって。新しくなっていた。マンション型に、高齢化社会を迎えるにあたり。エレベーター🛗つきに、かえたようだ。ただでさえ、航海手当も減らされた。家族連れの生活は、楽ではないだろう。さて、家賃の値上げは、実施されないというOBの予測に反して。家賃は倍になったようだ。年々、自衛隊創立記念日の、メリーチョコが小さくなり。🌸中心チョコ🍫の、桜の紋章までなくなり。気がついたら、義理チョコサイズになった。日本🇯🇵の税収、国力の減少を感じる今日この頃。海自夜間訓練の、ヘリ🚁衝
以前、帝国海軍艦艇について、基礎資料となる書物を紹介しました。艦艇を網羅的に知る基礎資料の要素として、(1)艦艇の種類について知ることができる(2)艦艇の姿(写真等)がわかる(3)艦艇の変遷がわかる(4)艦艇の要目がわかるなどを挙げていましたが、今回は「商船」をテーマとしてみましょう。「商船」は「艦艇」ではないですが、特設艦艇や徴用船も含めると、「商船」の一部は「海軍艦船」籍に入っていた船として扱うことができるのでは、と思いこのブログでも度々取り上げています。それら商船に対
日航機123便はなぜ墜落場所特定までに16時間もかかったのか?これはNHKスペシャルの特集でやっていましたが、実は日航123便の墜落場所は近所の主婦の人が目撃していて正確に長野県警に電話して伝えていたのです。墜落してすぐに主婦の人は日航機が長野県と群馬県の境にある高天原山に落ちたと伝えています。しかしなぜかこの正確な市民の通報は長野県警により隠蔽されます。この時点ですぐに高天原山に捜索にいけば多くの人が助かった可能性が高いです。もう一つおかしいのが、この日航機123便が墜落した山は地元住民
先日訪れた「三菱重工長崎造船所資料館」には、艦船の進水時に使用される斧が複数展示されていました。その中でも「幸運の斧」と命名された斧に目が留まりました。「幸運の斧」「幸運の斧」の説明文この「幸運の斧」ですが、大正10年5月に三菱長崎造船所で進水した峯風型一等駆逐艦「夕風」の進水式で使用されたものです(説明文に書いてありますが…)。で、今回は一等駆逐艦「夕風」を取り上げます。「夕風」は先にも書いた通り、峯風型一等駆逐艦の10番艦で、戦艦「長門」などと共に「八八艦隊」を構成する
今回は、それまでの帝国海軍駆逐艦像を根本的に変えてしまった、「特型(吹雪型)」駆逐艦を取り上げます。「特型」駆逐艦は、それぞれ大東亜戦争で活躍しますが、その中で一隻のみ戦争に参加していない艦があります。「特型」駆逐艦4番艦「深雪」です。駆逐艦「深雪」は、昭和2年4月に浦賀船渠で起工され、昭和4年6月に就役しています。「特型」駆逐艦は、前級である「睦月」型駆逐艦から見て、主砲は12cm単装砲×4から12.7cm連装砲×6へ、魚雷兵装は61cm3連装×2から3へと重兵装になり、強力な駆逐艦とし
大東亜戦争後、防波堤として利用された艦艇が15隻あります。当ブログでも、以前兵庫・竹野港の防波堤となった一等駆逐艦「春風」(戦後に地味な武勲を讃えられた駆逐艦「春風」)と、福島・小名浜港の防波堤となった一等駆逐艦「澤風」(航空隊の訓練、対潜掃討、戦後は防波堤として活躍した駆逐艦「澤風」)を取り上げました。竹野港の防波堤となった「春風」の船体(引用:「京都府」HP、漁村・漁港の紹介京丹後市編)漁村・漁港の紹介www.pref.kyoto.jpなかでも有名なのは、北九州市の若松港
年始なので、派手な大型艦である戦艦の話題としてみたいと思います。ただし、実際に建造した艦ではありません。当ブログの中でも、多数アクセスいただいている記事に「歴史に二度?登場した戦艦「紀伊」とは」があります。「紀伊」型戦艦は、八八艦隊の「加賀」型戦艦に続く戦艦として建造が予定されていた艦で、巡洋戦艦「天城」の防御を強化した「戦艦」として建造が予定され、大正9年10月1日に同型艦「尾張」とともに正式に命名されています。戦艦「加賀」の完成予定模型(引用:Wikipedia)(Kawa
台風が接近していますが、本ブログはいつもの調子で更新します。今回は商船改造の航空母艦計画について紹介します。帝国海軍では昭和8年頃から、有事に航空母艦に改造可能な高速商船を要望し、当時の二大商船会社である日本郵船、大阪商船に対して折衝を重ねていきます。これには、昭和恐慌において余剰船舶のスクラップ・アンド・ビルトを目的とした政府の補助事業の続きである「優秀船舶建造助成施設」を活用した補助が行われ、その交付条件として有事の特設艦船への改造準備を設計に取り入れることとされていました。この結
前回は、少々愚痴ってしまいましたので、今回は船の話に戻します。たまには有名な艦を取り上げてみましょう。今回の主役は、航空母艦「翔鶴」です。「翔鶴」は、帝国海軍が当初から「航空母艦」として計画した初の大型正規航空母艦で、ワシントン海軍軍縮条約の終了を見越して、制約のない必要かつ十分な装備を持つ航空母艦として設計されました。「翔鶴」は横須賀海軍工廠で昭和12年12月に起工され、昭和14年6月に進水、昭和16年8月に竣工します。【要目】基準排水量:25,675トン、全長:257.
今回は当ブログでは珍しい「戦艦」を取り上げます。ただし実在した戦艦ではなく、幻の戦艦「紀伊」について考察してみます。戦艦「紀伊」の名は大東亜戦争終結までに二度?登場します。1度目は「八八艦隊計画」の6隻目の戦艦で、大正9年10月1日に同型艦「尾張」とともに命名されます。この記録はアジア歴史資料センターのレファレンスコードC12070077600に建造訓令があります。戦艦「紀伊」「尾張」建造訓令八八艦隊の戦艦は英米の戦艦建造計画に合わせて順次設計が変更され、また当時の造船技官「平
昭和19年の今日、6月19日は帝国海軍の「あ号作戦」の発動に伴い、「マリアナ沖海戦」が行なわれた日です。この海戦で、帝国海軍は航空母艦「大鳳」「翔鶴」「飛鷹」を失い、その後帝国海軍の機動部隊は組織的に米国海軍の機動部隊と対決することができなくなります。また、この海戦で失われた帝国海軍の艦艇は航空母艦のみ(作戦全体では潜水艦の戦没もあり)であり、ミッドウェー海戦に続き戦争における主役が完全に航空機と機動部隊に移ったことを象徴するような海戦でした。マリアナ沖海戦で米海軍機の攻撃を受ける航空
昨日は、Webで学校の授業が始まるかもしれない、と子供が言うもので、外出自粛ではあるものの仕方なく、なんばのでんでんタウンで中古のカメラ付きノートPCを購入しセットアップしていたら日付が変わってしまい、ブログの更新ができませんでした。さすがに緊急事態宣言下の難波は「ひっそり」としていますね。今回は、有名な艦を取り上げます。二等巡洋艦「松島」です。日清間の関係が悪化し、清国との戦争が避けられない状況となりつつあった明治23年以降、帝国海軍は艦隊拡張計画を進めます。当時の清国には、独
今回は帝国海軍初期の艦艇について書いてみようと思います。大日本帝国に海軍省が設置されたのが明治5年2月でした。この時に帝国海軍の艦船として登録されたのは、下記の艦船となります。「軍艦」「運送船」東1,358噸大阪440噸龍驤2,530噸春風885噸(明治6年5月・肇敏と改名)筑波1,978噸快風155噸富士山1,000噸春日1,269
最近、通勤時にこんな書籍を読んでいます。「あゝ復員船引揚げの哀歌と掃海の秘訣」珊瑚会・編、1991年12月、騒人社お題目の如く、内容は戦後の復員輸送と掃海作業に従事した方々の、当時の回想記がメインとなっています。まだ半分ほどしか進んでいませんが、その中に終戦直前から復員輸送にかけて一等駆逐艦「欅」に主計長として乗艦された八木弘氏の手記がありました。「欅」という艦名に何か引っかかりを感じてネットを検索すると、「ゴジラ-1.0」に登場していたではないですか。「海神作戦」で、一
昨日は神戸・ポートアイランドに巡視船「せっつ(PLH-07)」を見に行きましたが、帰りに尼崎に寄り道しました。難波八幡神社という神社に行くためです。令和3年3月27日・尼崎・難波八幡神社本殿の前は桜が満開でした。難波八幡神社・本殿前の桜この神社にはこんなものがあります。「國光宣揚軍艦榛名」と書かれています。これは、戦艦「榛名」のマストであったものです。「國光宣揚軍艦榛名」と記された国旗掲揚柱この柱は13メートルの檜の丸太で、第二次改装時に戦艦「榛名」から取
2020年2月2日に護衛艦「たかなみ」が中東海域に向け出航したことがニュースになっていましたね。約3週間かけてアラビア海北部やオマーン湾に向かい、2月下旬をめどに現地で情報収集活動を開始、活動期間は12月26日までだそうです。無事に帰還されることを祈ります。この護衛艦「たかなみ(DD-110)」は、汎用護衛艦「たかなみ」型5隻のネームシップで、平成12年5月にIHIマリンユナイテッド・浦賀工場で起工され、平成15年3月に竣工しました。前型である「むらさめ」型の改良型で、大型のラティスマ
今日は3月3日、ひな祭りの日ですね。とは言っても、今年は私の肩痛、奥様の膝痛でひな人形を出すことを諦めました。80年前の3月2日から3日にかけて「ダンピールの悲劇」(連合軍の呼称「ビスマルク海海戦」)と呼ばれる戦闘が行われました。この戦闘を振り返ってみます。昭和18年に入ると、2月のガダルカナル島奪還に始まる連合軍の反転攻勢が始まり、ニューギニア島でも苦境にありました。これに対し帝国陸軍は、連合軍の次の侵攻目標と予測されるニューギニア島(現・パプアニューギニア)東部の各拠点に部隊
今日は朝からショッピングセンター「アリオ鳳」へ行ってきました。ここは、ショッピングモールに付き物の映画館があります。そうです、映画を見に行ってきました。「ゴジラ-1.0」の小説とパンフレット今回の「ゴジラ」は、設定が終戦直後の東京から相模湾、ゴジラに対峙するのは旧帝国海軍の生き残りの艦艇です。この映画には、連合国から返還された設定で、一等巡洋艦「高雄」が出てくることは、ネットで話題となっていますね(終戦の日・海上に浮いていた一等巡洋艦「高雄」)。一等巡洋艦「高雄
本日はぼ~っと一日を過ごしてしまい、あまりお題が浮かんでこないながら、丸スペシャルなどをペラペラとしていたら、「未成航空母艦」が目に留まりました。終戦時に建造中のまま放置されていた航空母艦は、「雲龍型」の「笠置」「生駒」「阿蘇」と一等巡洋艦として建造途中に航空母艦へ変更され建造が続けられていた「伊吹」の4隻があります。航空母艦「笠置」(出典:Wikipedia)航空母艦「生駒」(出典:Wikipedia)航空母艦「阿蘇」(出典:Wikipedia)航空母艦「伊吹」(出典