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〈Fー6最後の賭け〉「メリットは、二つ。お二人の血液型が、同じA型だということ。もう一つは、再発の可能性は、0%だということです」「先生、移植が成功したら、主人は、元通りの生活が送れるのですか?」「それはもう、激変します。夢のような再生が起きます」『夢のような再生』…この言葉が、以後、移植に挑む私の、エネルギー源となったのです。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇この10日余りのドタバタ劇で、医師と向き合った私が、感じたことが、三
え、明日からGW春休み終わったばかりじゃないかー新学期のペースに慣れてきたタイミングでの連休って絶対やめた方が良いと子供の頃から思っています今年のGWは省エネプランで、家族でお出掛け1日お友だちと遊ぶ日2日?義実家4日中3日の平日は園や療育通常通りなので私となんなんは日常を過ごし、夫は10連休なので先に実家に帰ってリフレッシュしてもらう予定今までGWは遊ぶだけでしたが、今年は少しでも課題をこなしたい!学研宿題たくさんもらってきましたー先生には嫌にさせないことが一番大事!と言わ
2022年6月1日生体肝移植。2024年4月22日移植後1年10か月と22日自分の闘病生活は落ち着いてきたやさき、息子が病気になり病院を受診からだ全体がかなりの浮腫。だんだんデブになってきたとは思っていたが脂肪ではなかった。痛い等大きな訴えなく歩くのがきつい、病院はいきたくないといいはり...無理やり病院につれていくのは困難だった。だがやっと説得し病院受診するとかなり重篤。その病院から大学病院に搬送された。腎不全と心不全と最初につげられる
〈Fー5最後の賭け〉「奥さんの肝臓の、主要な管である、胆管と門脈が、二つとも、二本に分かれているので、二本を一本にして移植する、それを、2カ所で行う必要があります」「人体の臓器は、取り出した瞬間から、劣化していきます。もちろん、冷却しながら進めますが、時間の勝負となります」「普通より、長時間の手術となり、当然、成功率も下がります。と言っても、50%以下なら、移植はしません。私たちの移植成功率は、80%ですが、今回は、それより下がります」「現在
〈Fー4最後の賭け〉「奥さんをドナーにして、やりましょう。それが一番、現実的です。急いで書類を作って、倫理委員会を通し、スケジュール調整をします」ついに、移植主治医が、重い決断をしてくれたのです。「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」夫の命を救うための、鉄の扉が開いた瞬間でした。その時、主治医が、「奥さんが、あんまり言うから…」と、ボソッとつぶやいたのです。私の必死の食い下がりがなければ、と思うと、怖いもの知らずの、
まだ発達障害疑っていなかった位前から介入していただいているリハビリ最初はST&PT途中でPTはやめて今はST&OTSTとOTはまだまだ必要課題満載なので少なくとも就学前までは続ける予定でしたが、ここにきてセラピストお二人とも退職されるとしかも今の事業所にSTとOTがいなくて(OTは在籍はしているけどコマ空いている人がいない)、PTにして続ける?状況で。いやーそれは不要ですPT的課題0ではないでしょうが、暇つぶしにやっているわけではないし。ましてや新人とかつきそうでちょっと無理今
〈Fー3最後の賭け〉「馬鹿なことを言っちゃいけません。ご主人の今の状態では、空港にすら行けませんよ。仮に、行けたとしても、飛行機に、絶対搭乗させてもらえません。私だって、外国で治療を受けさせて、患者を連れ帰ったことが、あるんですよ。可能ならそうしますが、無理です」「でも、そうするしかありません。このまま死を待つことは、できません」「奥さん、ほとんど全ての方が、移植を待ちながら、亡くなっている。それが現状なんですよ」…未成年ドナーは駄目。海外移
〈Fー2最後の賭け〉「えっ、本当ですか?いえ、今までも、これからも、10代のドナーを、許可するつもりはありません。そのホームページの内容も、知りません」「でも、臓器移植年齢は16歳以上と、移植学会の規定にはあります」「もし、それを許してしまったら、うちの病院に、ドナーが殺到するかもしれないし、17歳のドナーを認めるか否かは、我々の手を離れて、法医学の領域になり、そこでの検討議題に、上げてもらう必要がある。時間がかかるだけです。とても間に合いません」
いつも、いいね・閲覧ありがとうございます今月3度ばかり実家に行ってて(次何書くか予定書いとかないと忘れる)そのことも書きたいのに昨日あった事から今月は学校行事以外でもバタバタしてたら…4月半ば過ぎてるよー来週から5月とか早すぎて困る日曜日なのに朝からすごかった…朝から雨も降ってて外で遊んでこーいって言われへんかった小3長女、男兄弟のなかで強く育ってるけど午前中、6歳下の長女が6歳上の長男にチクチク余計なことをいうもんだから、長男も我慢の限界がきて言い返す→長女手
〈Fー1最後の賭け〉いよいよ、追い詰められた私は、主治医がいる消化器外科に、電話をして、「もう一度、面談をお願いしたい」と、申し出ました。決定権があると思われる、S医師との三回目の面談で、S医師は、「どのようなお話でしょうか」と、私に、話を促しました。「息子は、未成年なのですが、当初から『ドナーになる』と、言っています。息子に、ドナー検査を、していただけませんか?」「20歳未満は駄目です。息子さんは、おいくつですか。17歳では駄目です。認めら
お久しぶりです!来てくださりありがとうございます最近全く更新できずにすみません息子は今もまだ入院していますあれから化学療法を何コースもやって先月手術もしましたが肺にまだ腫瘍がいますたった一つだけなんだけどな〜先生方が腫瘍を大きくしてから手術したいみたいで少量の抗がん剤でAFPの上昇は抑えつつ腫瘍は大きくしていくという超時間のかかることやってます〜ちなみに腫瘍を大きくするのに半年はかかるらしい今月末で入院して1年8か月まだまだ本退院できる気がしません〜ちなみに現
〈Eー3不退転の覚悟〉時間が切迫する中、私たち家族と、S医師との、再面談が、行われました。面談室に入ると、「娘たちが、ドナーになりたいと、志願しています。何とか早急に、ドナー検査を、お願いできないでしょうか」と、私が切り出しました。そこで急きょ、私が受けた検査と同様の検査が、二人の娘に対して、行われることになりました。面談室を出るとき、ストレッチャーに横たわる、夫の目からは、涙が流れていました。記録係の若いT医師が、「お幸せですね」と、
3月頭に始まった夜驚症『夜驚症』ADHDに多いらしい夜驚症ついに発症1ヶ月ぐらい前から寝付いたあとシクシク泣くことが増えていましたが、今週からザ夜驚症になりました20時に寝て、21〜22時半…ameblo.jp2週間ぐらいで時間は短くなったものの毎晩2〜3回は繰り返しており、親としては割とストレスでしたかなりゆるーい1日を過ごしてみたり、めちゃくちゃ活動する日にしてみたり試しましたが意味なし!が、3月末に札幌へ行ったところ、その夜から無くなりましたかなり大きく環境変えたことが良かったら
〈Eー2不退転の覚悟〉「昨日、カンファレンス(検討会)で、話し合いましたが、今回、奥さんをドナーにして、移植を行うのはやめよう、という、結論になりました。不可能ではないんですよ。ただ、危険が多いので、見送らせてもらいます」予想外の、断りの電話でしたが、私は妙に、落ち着いていました。春のお彼岸の、やわらかな日差しが、電話台のところまで届いていた光景が、忘れられません。茫然とした時間を経て、子どもたちに、移植を断られた旨の連絡をしつつ、病院側に、
〈Eー1不退転の覚悟〉春分の日の夕方、一本の電話が、入りました。移植手術主任の、S医師からでした。「実は今日は、先日のエコー検査で分かったことを、お話しするために、お電話しました」「奥さんの肝臓そのものには、何の異常も無いのですが、肝臓から出ている大きな管、胆管と門脈が、奥さんの場合、一本ではなく、二本に分かれているのです」「体には、何の不都合もありませんが、それを移植するとなると、話は別です。大部分の方の胆管と門脈は、一本ですから、一本の
新年度恒例保護者会。前の園も役員や係比較的すんなり系でしたが、今の園もすごい昨年度最後の懇親会の時点で擦り合わせが行われており、保護者会では15分枠を3分で決めて時間が余るほど協力的なママが多いのは本当助かります少し前にネットでも幼稚園ママ問題出ていましたが、うちは集まりとか多いしグループラインもあるから叩かれる標的だろうと思うし私自身みんな仲良し!たのしー!では無いですが、2〜3年間だけの話だし表面上の仲良しグループに異論はないですそして新年度なので改めて園長からの話があり気付きがい
〈Dー5肝臓の提供条件〉その日、私は次女と、雑踏の中にいました。その時、大学病院から、電話が入りました。「初日の検査は通りました。それで、精密検査をしたいので、明日、病院に来ていただけますか」というやりとりで、電話を切った途端、涙が、どっとあふれてきて、人目もはばからず、号泣してしまいました。「良かった。みんなに迷惑を掛けずに済んだ。私が、ドナーになれれば、それで解決する。子どもを巻き込まずに済んだ」一番恐れていた、35%ルールを、通過し
〈Dー4肝臓の提供条件〉翌日、長女が「話がある」と、思い詰めた顔で言うので、「何?お父さんのこと」と、訊くと、「私が、ドナーになる」と、言います。「でも、妹がドナーになるって、言ってくれているよ」と、返すと、「ううん、私がなる。私がお姉ちゃんなんだから」と、言うのです。手の中のハンカチを、ギュッと握りしめて、下を向いて…。長女は、大変な怖がりで、全てに対して、慎重な道を選択する娘でしたから、崖から飛び降りるような、決断だったと思います。長
私自身幼少期からがっつり公文やっていたのもあり妊娠中から子どもにも公文やらせる気満々でした生まれた後もベビーくもん体験行って(入院中だったから私のみ行って教材もらって)退院したら通います!って気持ちでしたが、一向に退院せず肝移植が終わって入院生活がひと段落ついた1歳半頃にはコロナ全盛期で2歳頃からは療育漬けになり公文は後回し後回しに…(この辺が親として弱い)2〜5歳まで観察して、我が子本当にお勉強嫌いって分かったのでそのタイプは公文で更に嫌いになるパターン結構見ているので、もう難しいかな
〈Dー3肝臓の提供条件〉直感で、「この35%ルールが、唯一最大のハードルだな」と、思いました。迷うことなく、至急の検査を、要望したため、すぐに、私のドナー検査が行われ、レシピエントの夫も、三日後に転院することが、その場で決まりました。帰宅して、子どもたちに、35%ルールの話をしました。すると、次女は、「お母さんが、駄目だったら、私がドナーになる。肝臓を切っても、子どもだって産めるし、それで、お父さんの命が助かるのなら、恩返しができる」と、迷
〈Dー2肝臓の提供条件〉次に、生体肝移植の説明では、医学書に載っている、ドナー条件に加え、以下のような、驚くべき高いハードルが、示されました。「生体肝移植では、過去に、ドナーの方がお一人、亡くなられています。肝臓を、切り取り過ぎたのではないか、という反省に立って、厳格な基準が、作られました」「肝臓は、右葉と左葉に分かれていて、大人が子どもに、肝臓を提供するケースでは、三分の一の大きさの左葉を、提供すればよいのですが、大人から大人、中でも、
2024-04-14(日)07:12➡「ヘモグロビン企業。造血犯罪者。太陽誘電本社だそうです。」・増川洋一。登坂正一の手下。生体肝移植手術犯罪行為。グローバル犯罪組織の手下。登坂正一とは太陽誘電の榛名工場の別名?(07:18)・太陽誘電の管理監督問題だから。------------------------------------------------------------*脳通信のやり取りは真偽不明です。➡「テクノロジー暴力NO!テクノロジー犯罪NO!量子
〈Dー1肝臓の提供条件〉夫に、振戦という、危険なサインが出たこともあり、急きょ、面会の予約が取れました。もはや、座っていることもできなくなった夫を、タクシーの後部座席に、横たわらせ、都内の大学病院へと、向かいました。二時間後に到着した時、目に入った、正面玄関横の、大きな桜の木は、今まさに、花開こうとしていました。初めて出会った、移植責任者で40代後半のS医師は、ストレッチャーに横たわっている夫と私に向かって、肝移植の説明を、始めました。「ご主
こんにちは!あーちゃんmamaのyumikoと申します💡娘の病気発覚〜退院まで、そして現在のことを書いていますので、最初から読まれる方はこちらから。『はじめまして』はじめまして!あーちゃんmamaのyumikoです💡娘が3歳半のときに肝芽腫と診断されました。発病率は100万人に1人という小児がん。病気の進行具合プレテキ…ameblo.jpお読みくださりありがとうございます🙏タイトルの通り、娘が医療用ウィッグをいただいてから伸ばし続けてき
〈Cー3腹水を抜く〉「ご主人のこの症状は、肝硬変の末期で、いつ、肝不全が起こっても、不思議ではありません。明日の朝、ベッドで亡くなっているかもしれません」緊迫した口調でした。「私がドナーになりますから、肝移植をしていただけないでしょうか」この言葉は、悩んだ末でも、覚悟を決めたわけでもなく、ごく自然に、口から出た言葉でした。「いつ死んでもおかしくない」と、現状の危うさを指摘してくれた、若い熱血漢医師のお陰で、急きょ、夫の治療は、大転換を迎え
新学期1週目の最終日は外来外来の日は早起き必須ですが、久しぶりの幼稚園や療育の疲れかなんなん普段6時〜6時半に起きるのに中々起きず可哀想な気分(幼稚園ならまだ起きなくても間に合う時間なので)いつもの感じで9:10頃着採血34番10時前に終わり遊んで遊んで11:35に診察呼ばれて会計雨降ってる…院内レストラン行こう…今日はサンドイッチな気分だったけどねー気まぐれ天気疲れるわ診察は、数値ゆるーく下がっているからステロイド減らしてみよう!で久しぶり5mgに←まだ全然多いがこれ
〈Cー2腹水を抜く〉腹水に含まれている、「体にとって大切な成分」も、急激に失われ、夫は、みるみるうちに、やせ衰えていきました。さて、仕事続行が困難になり、退任した夫には、経済的なバックアップも、必要になり、「都心近くに引っ越し、皆で一緒に暮らして、生計を一つにしよう」ということになりました。三月、引っ越しと同時に、夫は、三回目の入院をしました。それから一週間が経過したころ、大きな異変が、起こりました。夫の全身が、震えだすようになったのです
〈Cー1腹水を抜く〉年が明けた、平成26年1月、腹水除去を、願い出ました。「腹水は、抜いても、数日ですぐまた戻るからね」と言って、勧めなかった主治医でしたが、夫が、「こんなに苦しい状態では、会社に出向くこともできない」と訴えて、了承を得ました。初日は、5,5リットルほどの腹水が抜け、妊婦のようなお腹が、ペッタンコになって、ろっ骨が、浮き出るほどでした。一年ぶりの、「腹水の無いお腹」の出現に、私たちは驚くとともに、大喜びしました。帰宅して
ついについに年長の1年がスタート年少入園時はまだ3年ある年中進級時はまだ2年あると何か余裕を感じましたが、ついに就学まで1年来てしまった日々成長は感じられるものの、目指すレベルには程遠い感あと1年で小学校行ける?????え…いや1年の伸び代を信じましょう私はもう既に、「年長さんなんだから!」「小学校は甘くない!」と療育的にNGな声がけ連呼しまくり基本は褒める褒めるスーパースモールステップ褒める褒めるでやっているので大丈夫と判断しています今の園も始業式は親参加。今まで様
〈Bー7初めての入院〉一回目の入院から、二か月後、今度は、もっとひどい状態での、入院となりました。前回の入院時に、処方された利尿剤は、もう、効き目がなくなり、大きく膨張したお腹への、次の策として、アルブミン投与という、治療が行われました。けれども、腹水は、前回のようには抜けず、大きなお腹のまま、二回目の退院となりました。腹水が、溜まるので、足は、くぼみがなくなり、まるで、ゾウのよう。お腹は、カエルのよう。外見から、それと分かるほど、夫