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咲き誇る桜を横目に115系瀬戸内色が駆ける
東北本線、高崎線の輸送力増強などの目的で1973年に登場した115系300番台。国鉄末期の86年には広域転配が行われ、一部は山陽本線に活躍の場を移しました。その後30年にわたって運用された下関・広島地区配置車の変遷を振り返ってみました。国鉄末期に一部が東北本線、高崎線などから山陽本線に移った115系300番台=防府—大道、1987年◾️山陽本線へ66両が転出115系300番台はオリジナルの0番台から設計変更されたグループで、76年まで計488両が製造されました。当初
山陽本線広島地区向けに1978年にデビューした115系2000番台。旧形車の置き換え目的で配置された生え抜きで、約40年間活躍しました。国鉄近郊形電車標準の湘南色時代からリニューアルされた後年まで、その変遷を振り返ってみました。山陽本線で活躍した湘南色時代の115系2000番台=防府—大道、1990年◾️80系の後継車両115系2000番台は、シートピッチを1490ミリに広げるなどして座席を改善した同系1000番台の耐寒耐雪設備を一部省略した仕様で登場。広島運転所に
サロンカーなにわと離合してやってきたのは115系瀬戸内色でした
JR西日本の懐鉄シリーズ第3弾として、下関総合車両所で瀬戸内色への塗装変更が進められていた115系N-04編成が10月11日、本線試運転を行いました。3000番台でそろった編成としては約30年ぶりにデビュー時の装いが復活しました。山陽本線で試運転を行う、瀬戸内色となった115系N-04編成。この姿、個人的には国鉄〜JR初期のころ日常的に見ていたため、懐かしさが込み上げてきます=新下関駅上り試運転列車の新下関駅到着時、クハ115ー3104の前面窓には「復活瀬戸内色115ー3
JR山陽本線岩国—下関間に復活した115系瀬戸内色。10月14日の運行開始から3週間、写真撮影でにぎわっていた沿線もやや落ち着いてきました。筆者はのんびり構えていますが、やはり懐かしい姿を見るとカメラを向けたくなるもの。今回は効率良く見られる下関市内完結の列車を中心に撮ってみました。幡生駅付近を走る瀬戸内色の115系3000番台N-04編成山口県内の山陽本線は日中ほぼ1時間おきの運転ですが、下関市内では朝夕が約10〜20分、日中は約20〜40分間隔と本数が多くなっています
令和6年10月12日撮影分前回の続き工臨返空を撮影後、西進し良いポイントへ瀬戸内色がギリギリ見えない頃、後ろから桃太郎の姿が!あんな機関車一生撮らないぞ、という気持ちになりましたね…実際この日以降ピン電で来た桃のうち半数は撮ってないと思います幸い追いかけができる?列車なので定番ポイントで順光の編成写真を1枚折り返しは大島大橋から!しかし…海が曇った…山口までわざわざ足を伸ばしてこの成果、今後が思いやられます…
1982(昭和57)年に広島・山口地区向けにデビューした115系3000番台でお目見えした「瀬戸内色」。海と砂浜を表現した明るいカラーは新鮮で、地域に根差した国鉄色として定着しました。115系他番台のほか103系、113系にも広がり30年以上にわたって親しまれた塗色を、当時の写真で振り返ってみました。瀬戸内色時代の115系3000番台。写真は中間車2両も3000番台のトップナンバー編成=防府ー大道、1989年クリーム1号をベースに青20号の帯を巻いた瀬戸内色。当初は115