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早く、暖かくならないものか2月の電気代が約22000円来てから電気代を意識して、極力電気を消してはいるけど狭い家ながらも、電気の灯りがないと精神的にパッとしない以前、両親と住んでいた家は密閉度が高く、冬は暖房をあまりつけなくて済んだ夏は北、南のサッシや窓を開け放つと木々があり涼しかったなぁと懐かしく振り返るそれでも、在宅介護が終わって介護の苦労は無くなったなのに、ふと寂しく思ったりもする人間というものは・・・いえ、私は
こんばんは。あなたのココロにぽっと灯りを。。。かのんです。天国の人と繋がると言うとどんなものをイメージしますか?もし霊視とか霊聴とか霊能者じゃないと難しいことだと思っていたなら喜んでください。まったくそんなことはなく誰でも繋がることが出来ます。ただひとつだけ絶対的な条件があって疑わないということです。みなさんにもあると思いますよ。声が聞こえた気がする。側にいるような気がする。お母さんの香りがした気がする。遺影が笑っているような気がする。そんな気がする
昨日は、母の1周忌法要でした。本当は12日が良かったのですが、お坊さんの都合と弟の仕事の都合で2日前倒しになりました。今回家の近くのお店で供花をお願いしましたおまかせでお願いしたらとても素敵なアレンジを作って下さいました。白が基調だといいなぁと思っていたのですが、百合が入っていたりしてとても豪華でした。花が好きだったお母さん喜んでくれているかなぁ…お寺さんに持って行くフルーツもバラで用意してもいいと言っていたのですがカゴ盛りをお願いして作ってもらいました。やっぱりちゃんとカゴ
春🌸桜も満開になってきた様なのに、午後は雷雨になると今朝の天気予報桜の時期って、雨が多いから散るのも早い儚なさも🌸美しさのうち?慢性鼻炎や黄砂のアレルギーがあった私は今年は今のところ大丈夫?このまま、治ってくれるといいんだけどさて、この家での生活も、あと1か月で1年を迎えますインコさんとの思い出は溢れる様にあるけれど両親との思い出のない新しい家狭い家を私の好きな様に飾って今、南向きのダイニングテーブルでブログを書いていま
こんばんは。あなたのココロにぽっと灯りを。。。かのんです。はじめましての方はまずこちらをお読みくださいね今の自分に余りダメ出ししないようにしてくださいね。ロスの方は本当にダメ出しが多いんです。お母さんといた頃の自分にダメ出しし泣いてばかりいる今の自分にダメ出ししダメ出しで毎日が忙しすぎます。そのくらいね。期待に応えたかったんですよね。お母さんが楽しく笑顔でいられるための時間を精一杯作ってあげたかったしお母さんが少しでも長生き出来る環境にしてあげたかったの
長年・・・。10数年、不眠症持ちです。どうして、こうなっちゃったのでしょ眠れない事がこんな辛いなんてベッドに入って、気にしてるつもりないのにカチカチカチ・・・⏱夜中2時3時4時5時外が白み始める眠らないまま、起きるしんどいよ~昼前後が一番しんどい一睡も眠らずに仕事入眠剤、切りたいのに半錠とは言えずっと飲み続けてるこうして飲んでも眠れない
こんばんは。あなたのココロにぽっと灯りを。。。かのんです。時々思うんですよね。この瞬間にも誰かの大切な人が最期を迎えて当時の私のような思いをしている人がいるんだな…。辛いとか悲しいとか言葉では表現出来ない思いを今この瞬間に味わっている人がいるんだな…。って。その人たちにとってはまるで地獄の始まりのような瞬間かも知れません。でも今の私はそれは地獄の始まりのように見えて奇跡の始まりなんだよ。って思うんです。決してカラフルに彩られた時間ばかりではありませ
こんばんはいつもありがとうございますつつじ🌺が咲いてきました。社会福祉を学んでよかったこと。広い視野で物事を見れるようになったこと。人それぞれ価値観が違うこと。たくさんの人の価値観に触れることで自分も成長できること。これからのアフターケアラーぷらっとの活動にも生かされるはず。でもね。広ーい視野で見られるようになると様々な社会課題に気がつく。そして、引き寄せパワーで出会う。気がつくだけならよいけど、私の場合はそうはいかないから。おせっかい体質だから自宅介護も長く続けられ
こんにちは。ちょっとお久しぶりです。もうじき5月1日だし、そしてその後、命日を迎えます。本当に4月下旬からますます不安定です。私の心は。命日て何のためにあるんだろう。誰のため?何のため?亡くなって1年が経てば、私の心はもう少し落ち着いてるんじゃないかとずっと思ってきました。でもその1年がもうじき経とうとしてるけれど、私は今もなんで生きてるんだろう。なんでこんなに辛いんだろう。そんな気持ちいっぱいです。早く自分の人生が終わればいいのにって本気で思ってる。同世代の芸能人が、がんに
先日、息子の部活が終わるのが遅くお腹もペコペコだというのでスーパーのお弁当を買いに息子と行きました🍱たまには、そんな日があってもいいですよね。私は、普通のお弁当を買って息子は牡蠣グラタンを買いました。家に帰って温めて食べていると『めちゃくちゃ美味しいあーちゃんのえびグラタンと同じ味がする』とふと息子が言いました。私も大好きだった母のえびグラタン。母の手料理の中で1番好きなのは、えびグラタンでした。私が好きなのを知ってるから、作る時は沢山作ってくれて持ってきてくれてました。
皆さん、コンニチワ。ブログ投稿を久しぶりに書いたところでしたが・・・。今朝、愛する愛する14歳女子のコザクラインコさんが天国へ旅立ちました。この子は、両親が亡くなってから私にべったりになりました。小さな頭で、家族が減った事を大好きな父と母が天国へ行った事を感じていた様です。去年の夏に、尾脂線の上辺りにデキモノが出来病院へ連れていって様子を見たら癌の様でした。歳も歳なので、手術は危険を伴うとの事で毎週、抗生剤と止血剤と消炎鎮痛剤をもらい飲ませていました。
ふとした時にこみあげる涙…。命日が近づいているせいかメンタルが崩壊していて情緒不安定な毎日を過ごしています。母が亡くなった時父が『うちはお金はないし形見なんてないけど、お母さんが良く使っていたネックレス良かったら一つ持っていてあげて』と言われ一つもらいました。なんとなく母がつけていたものだから、ほぼ毎日私はつけていて無意識にネックレスを触ったり首を触る事が増えていました。先日、ふと鏡を見た時首に縦皺が…時すでに遅し事あるごとに、ネックレスや首をつまんだりしていて
今月は12日にお墓参りに行ってきました。土曜日だった為、主人も仕事が休みで息子も部活が休みだったのでみんなでお墓参りに行くことができました。平地は少し葉桜になっていましたが、お墓の場所は標高が高い為、桜が満開ですごく綺麗でした。母と何度もお花見に行ったこと思い出してしまいました。私と違って花が大好きな母は、暖かくなると花を植えたり桜以外にも色々な花を見に出かけていました。我が家にも毎年花の寄せ植えを持ってきてくれて…。寄せ植え以外にも、入口にはヒイラギがあった方がいいと言っ
自宅に帰宅し、暫くすると父と弟がやってきました。弟とは3年ぶりぐらいの再会。私と息子がコロナの予防接種を受けていないのと、弟が東京に住んでいて万が一コロナに感染していて移してしまっては大変だということで帰省したときもずっと会っていませんでした。久しぶりに会えたことは、とても嬉しかったですが母のことが心配で仕方ありませんでした。父と弟は母に会ってきたというので、心配で母の様子を尋ねました。父も弟も手術が中止になったと聞いたので、母はベッドに横になってぐったりしているんだろう
こんばんは。友人からの年賀状が届きました。転送で。私はもう何年も前に「年賀状じまい」をしているので、出すこともなく、仕事関係の数枚しか届きません。友人(高校時代から)の年賀状ではこどもが中学生になりました!といった入学式の写真付き。はいありがとうございます。幸せのお便りを。で、「元気かな?」と手書きコメントがあったけれど、じゃあ何て答えればいいのよ。さらに、転送というのは以前の一人暮らしの住所でした。~2023年9月:一人暮らし2023年9
父が弟を乗せ戻ってきました。昨日も朝一の新幹線で戻ってきて病院にいったのに、まさか翌日亡くなるなんて思いもしなかったと…。山を越えて少し落ち着いたと言っていたから、大丈夫なのかなぁと思っていたようです。弟も母の死を受け入れられないようで、母の顔を見れずにいました。ただ、昨日母が生きている時に会えて本当に良かったと言っていました。もし、最期会えずに亡くなってしまったら後悔しか残らなかったと…。今まで入退院を繰り返していたのも知らなかったから、余計に信じられない気持ちが大きいと言
抗がん剤を投与してから2日後、母に電話をしました。『どう?副作用で辛くない?』『今の所全然大丈夫。髪がいつもより多く抜けるかなぁって思うぐらいで、吐き気とかそういうのは全然ないよ。』『じゃあ、良かった。それなら、食事も取れそうだから日曜日また持って行くね。』『ありがとう。本当助かる。』副作用もほとんどなく食事もとれているので本当に安心しました。ママ友からもらった栗ようかんや伊勢うどんなど食べたいものを食べれるときに食べていたようです。そ
体調不良で2日間学校を休んだ息子小中と無遅刻無欠席だったのに、高校に入ってから今回で3回目の欠席…。勉強に部活に疲れているのかなぁそんな今ではあまり休まない息子も、産まれてから小学校あがるまでは喘息がとてもひどかったこと思い出します。病院に行かない月はないほど、月に何度も喘息の発作が出て吸入器も購入し自宅で使用するぐらいひどかった息子…。旅行行く時も、手放せずいつも喘息の吸入器を持ち歩いていました。産後4か月で仕事復帰し、何度も仕事を休めないので母を頼っていたあの頃…。もし、
母が亡くなった次の日の夜。夕食を食べ終わり、息子に母が亡くなったことを伝えました。中間テストのことがあり、亡くなった当日は伝えませんでしたが、何となく察していたようです。私は気づかれないように頑張っていたつもりでしたが、息子には私の様子がおかしい事が感じ取れたようです。もっとショックを受けるかなぁと思っていましたが、泣くこともなく受け止めていました。そして、ボーッとしていると、主人が話しかけてきました。『そう言えば、今月末どうする?』『どうするって何?』『
弟は、葬儀が終わったその日に東京へ帰りました。中々、お店をやっていると長期で休むのは難しいようです。私は、小さな会社ですが忌引休暇で後2日休みをいただいていました。最初は、そんなに休みをいただけないのではないかと思っていたのですが7日間とらせていただけてありがたかったです。そして、葬儀の翌日は父の誕生日でした。母とした最期の約束。父の誕生日にみんなで鰻食べに行こうねって。2週間前にした約束。それなのに、母はもうこの世にいない…。分かっていても現実が受け止められずにいました。なんでこんな突
病院につき、泣きながら消化器外科の待合い室へと向かいました。そこには、父と叔父が…。来た時には息をしてなくて、声かけても反応がなかったことを改めて伝えられました。そして、病院側から霊柩車を1時間以内に手配して欲しいと頼まれたので、叔父の知り合いの葬儀屋さんを手配したからと言われました。霊柩車…葬儀屋…色々なことを言ってくるけど、私は全く頭がついていきませんでした。ついていかないというよりも、受け入れられない気持ちの方が大きかったと思います。今は、看護士さん達がエンゼルケアをし
今月は、また息子の部活の試合があり12日には行けず前倒しで9日に父とお墓参りに行ってきました。来月は、12日に行けるといいのですが…。母のお墓は、実家から20~30分程北に上っていきます。ただでさえ寒いのに、その日は風も強く風花が舞っていました。どんどん北へ登っていくと日陰や土などには雪が残っていてびっくりしてしまいました。今年初の雪を見ましたスタッドレスをはいておいて本当に良かったです。そして、母が眠っている墓地につくと、足元には雪があり新雪に足跡をつけ母のお墓まで向かいま
今日で母の命日から1年5ヶ月家が大好きで、家にずっといても大丈夫だった私が、母のいない家の中にいるのがつらくて気晴らしに出掛けてる。母はびっくりしているだろうな。会いたいな
納棺の前日実家に行き、母の棺に入れるものを探しに行きました。タンスの中から、母が生前気にっていた洋服を選びました。タンスを開けた時、母の香りがフワッと香り胸が締め付けられました。そして、入院中通販で購入した真新しい洋服が何着か入っていました。ストーマになったから洋服買わなくちゃと言って購入したものでした。一度も袖を通すことがなく亡くなってしまいました。母自身も、まだまだ生きれると思っていて最近になって洋服だったりバックだったり購入していたんだと思います。バックも数回使用しただけ。私や
母との面会の時間を終え、再び待合室に戻りました。とりあえず、昨日よりは落ち着いていると先生も言っていました。このまま、ずっと病院にいても母に会えないため1度実家へ戻ることにしました。実家に戻る前に、叔父に報告しに行きました。叔父も、ショックを受けていました。みんな声を揃えて言うのは、一体余命2年~2年半というのはなんだったんだろうと。仕事にも復帰出来るって言ってたのに…。みんな頭と心がついていかない気持ちは一緒でした。その後、実家に戻り父と弟と3人で過ごしました。母のいない空間が本当に不思議
こんばんはいつもありがとうございます世の中は、混迷してますね。そんな中でも、『人の無償の優しさ』を知ることがあるとうれしくなります。『あなたは、働き盛りの30代を介護に捧げてもったいなかったね』なんて偉ーい方(嫌味)に言われたこともありますが、偉ーい方になってもそんなことしか言えない人にならなくてよかったと思っています。不完全人間だけど、人には優しい方だと思っています。キャリアも名誉もいりません。私らしく生きること。が目標ですね。先日、現在カイゴ中のお友達と廃止さ
1ケ月後、2ケ月後…そしてまもなく1年。母ロスからの心境の変化を順を追ってお話ししました。そんなに「こんなに良くなりました!」と言えるほどのものはありませんし。今も充分ツライです。でも、母を亡くしたばかりの頃「ちょっと先を経験している方の話」を聞きたくてたまりませんでした。だれかのこころに響くといいなぁと思っています。
翌日は、仕事に向かいました。仕事中も、ずっと母のことが頭から離れませんでした。11時頃、会社の買い物を頼まれ運転していました。すると、小石を踏んだのか車の下からカランと音がしました。なんとなくその時、何かを知らせる音なのではないかと感じました。それから、会社に戻り仕事をしていると父から電話がきました。きっと、また何か悪い知らせだろう…そう思い電話に出ました。『もしもし。』『今、叔父さん連れて病院来たんだけどお母さんもう息してないんだ。』『嘘でしょ
在りし日の両親🌸今年はもう、🌸も風雨で随分散り始めていますこの写真の頃は、父は杖で歩き、母の車いすを私が押しながら満開の桜の下、3人で短いお散歩しました2、3年前とは言え、遠い日の懐かしい思い出の様な気さえします母は、首も硬くなり上を見上げる事も出来ずに居たけど、春の風や雰囲気は感じてくれていたと思いますさて、昨夜は夢を見ました大きな地震が起きる夢嫌ですねしかし、その地震の最中も、必死で母の居る場所まで走ってって、建物の中へ「お母さん!大丈夫
担当医からの説明が終わった後、母に15分だけ会えることになりました。コロナ禍ということで、許された時間はたった15分。母は個室の病室にいました。医療麻薬がまだ効いていないのかまだとても苦しそうでした。酸素をつけており苦しそうな息の音が聞こえ胸が締め付けられました。『大丈夫?苦しい?』と聞くと小さな声で『ちょっとね…。』と母。6日前は、あんな元気な声だったのに。信じられない気持ちでいっぱいになりました。体も更に痩せてしまっていました。父が『元気になって