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英傑の日本史風林火山編(角川文庫)Amazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}英傑の日本史風林火山編井沢元彦あらすじ戦にも民政にも才を発揮した武田信玄、長く存在を否定されてきた軍師・山本勘助、父の仇に嫁した諏訪御料人――。戦国最強と謳われた武田軍団の野望と人間ドラマから、謀略渦巻く戦国史の襞に分け入る!グッときたポイント井沢元彦氏の『英傑の日本史』シリーズ。今回は戦国最強との呼び名も高い、武田信玄を中心に日本史を読み解く。今回も井沢節は健在だ
「戦国大名」として必ずその名が上げられる上杉謙信と武田信玄。主に絵画に描かれてきた有名な信玄の諏訪法性兜や、謙信の数々の遺品とされる伝来兜を見るに、これまでの定型的な「装束」としての軍装では考えられないむしろ規格外の個性の誕生を感じさせる。こうした彼らの軍装は領域権力としての戦国大名ならではの姿ではないだろうか。今回は有名な川中島の攻防を戦術戦略面といった軍事の視点からは離れ、その支配をめぐる二人の思考や信仰への関わりから彼らの軍装について考えてみたい。川中島とは信濃国北部、千曲川と犀川の合流
松山千春コンサート・ツアー2024『友よ』本日、YCC県民文化ホール(山梨県)にて開催✨千春さんに本番前の貴重なお時間を頂き、ラジオインタビュー収録をさせて頂きました✨4月12日の松山千春の甲府公演、1曲目を歌い終えた後のMCで「楽屋で伸太郎のラジオ番組のインタビューを受けた。今日が武田信玄の命日という話しだった。俺は武田信玄に会ったこともないしさ、仕えたこともないからぴんと来なかったんだけど」と言って笑いを取っていた。伸太郎さんはこの甲府公演に大きなスタンド花を贈
長女小49歳何でもやりたがる活発娘長男小27歳寂しがり屋な優しい息子次女0歳令和5年1月誕生の3人の母になりましたフクミナと申します『今更ながらの自己紹介』初めまして‼️フクミナと申します😁わたくしのブログにお立ち寄り下さりありがとうございます‼️三人目妊活を機にブログをスタートしましたサクッと妊娠して、妊…ameblo.jp★三人目の妊娠から出産までの記録はテーマ別『5回目の妊娠とその後』をご覧下さい。無事出産を終え、新たなステージにて育児をス
10月8日、上信越道・長野ICの近くにある川中島古戦場八幡原へ行きました。戦国時代に上杉謙信と武田信玄が5回にわたって合戦をくり広げた地です。合戦の中心地とされるところに「八幡社」があります。境内には合戦ゆかりの史跡があります。合戦のあとに再建されたものだという旧本殿。現在の本殿の前に鎮座しています。現在の本殿は、上田市にある生島足島神社の社殿を移築したものだそうです。上杉謙信の太刀を武田信玄が軍配で受けとめた「謙信・信玄一騎打ち
レンカノTOKYO2の桜井ツバキです先日は、、、デートで甲府に行ってきましたー✨✨😊ほぼ初めての甲府駅に降り立ち、駅前にある武田信玄の銅像をみてテンション上がってしまいました📷笑彼氏様とは近くのショッピングモールでショッピングしたり、ランチしたり💕その日私の着ていた洋服に似合う靴を見立てていただいたり、彼氏様好みのコーデを教わったり、「彼ウケ」を勉強しました😇💓やっぱりたまにはショッピングしながら、男性好みのファッションを知るのはとっても大事ですよね〜🙋♀️次行くときは
電車での移動中や空いた時間などに、僕は、よくスマホでゲームをする。今日は、「信長の野望武将風雲録」のプレイレポートを書いてみたい。信長の野望シリーズは、コーエー(現在はコーエーテクモ)のシブサワコウシリーズで、三國志シリーズと並ぶ歴史シミュレーションゲームの代表的なものである。ちなみに、昔は、信長の野望、三國志に加えて、「元朝秘史蒼き狼と白き牝鹿」というチンギスハーンの時代のユーラシア大陸を舞台にした壮大なゲームがあって、「コーエー歴史三部作」と呼ばれていた時代
※こちらの記事は、平成30年9月4日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は「各合戦の動員人数について」シリーズの15回目で「上原(うえはら)城の合戦」についてです。『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の坂本徳一氏の記事を参考にしています。※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。今までの記事第1弾江古田原沼袋合戦第2弾権現山の戦い第3弾新井城の戦い第4弾第一次国府台の合戦第5弾川越城の合戦第6弾第二次国府台
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきますみなさんこんばんは(´Д`)。本日は歴史好きなぶたさんの大好物!楽しい歴史系図でございます(´Д`)!ぶたさんは歴史上の人物の系図がとにかく好きなんです。本日注目するのは坂上田村麻呂(´Д`)!平安時代初期に征夷大将軍となり、蝦夷征討で活躍した人として有名ですよね。でもでも(´Д`)。坂上田村麻呂は有名だけど、子孫はあまり歴史の表舞台には出てこない気がしませんか?はて(
戦国武将の上杉謙信ゆかりの山形県米沢市で750人余りの市民が参加して「川中島の合戦」を再現する催しが行われ、本番さながらの迫力ある戦いを大勢の観客が見学して楽しんでいました。米沢市は上杉家が13代にわたって治めた地域で、「川中島の合戦」の再現は毎年4月29日の上杉謙信の命日に合わせて開かれる、「上杉まつり」の最終日のメインイベントです。記事以下↓https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240503/k10014439871000.html
こんにちは。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。ブログ管理人の高坂美慧です。前回に引き続き、武田信玄のトイレについて武田とみさんとお話しします。美慧:とみさん、前回のお話で、信玄さんのトイレは、六畳の畳敷き、高級旅館のようで、トイレの他にもう一つ機能があった、とおっしゃいましたね?とみ:うん。お話ししたわ。美慧ちゃんは、トイレに入るときに、読書している本をお供にしたことはないかしら?美慧:あ〜若
☆。゚+こんにちは+゚。☆GWも真ん中、『どこか行きたい』虫が発動。どこでもいい、特急列車に乗れれば。連休の最中、色々と物色してたら、『特急かいじ甲府行き』空き席があった。ということで、昨日行ってきました。山梨県甲府市駅前の武田信玄公に迎えられ先ずは、ワイナリー見学、ワインあまり好きではないですが、ワイナリーは興味がある。ワインの試飲、夫と私は、100%葡萄ジュースにしました(・・。)ゞ濃くて美味しかったですよ。ワインは大人用に、ジュースは孫たちにお土産
城山公園は、元は磯部城の跡地でした。ここで、落武者の幽霊が目撃されていますので、心霊スポットとされています。元々は磯部城だった城山公園は、整備の後命名したと思われますが、それが、「しろやま」なのか「じょうやま」なのか、どう読むのかわかりませんが、地元では、こんな場合は、後者が普通です。信越線の磯部駅からすぐ近くで、駅からこの手前までの間は、日本有数の優良企業の工場になっています。整備は、この企業の資金でやっていただいたものと思われます。工場内に福利厚生で大きな体育館があり、
◆古戦場跡の八幡様へ川中島古戦場で殉死した人々を祀る八幡様川中島古戦場公園内に有ります。★川中島古戦場八幡社武田信玄vs上杉謙信の激闘が繰り広げられた古戦場で英霊を祀る神社です。★控えめな鳥居背の低い控えめな鳥居です。鳥居の色は「黒」(未塗装なのかな?)良い感じの佇まいです。★武田信玄vs上杉謙信古戦場跡なので、川中島での戦闘史跡がたくさんあります。有名な上杉謙信中央突破「信玄一騎打ち」の銅像がありました。★執念の石
武田神社から移動しまして、恵林寺へ武田信玄の菩提寺で、1330年京都の天竜寺などを開いた夢窓疎石による開山三門武田氏滅亡後、信長によって寺は焼き討ちにあい、住職の快川和尚が火炙りになったのがこの門「心頭滅却すれば火もまた涼し」はこの時の和尚の言葉庫裡夢窓疎石による庭園本尊の武田不動尊は信玄の姿を写したものとされる信玄のお墓は月命日の12日のみ公開なので見られず
今日は投資の先輩が暗号通貨投資の話をしてくれた。この人、投資ではかなり買っている。しかし、勝率は決して良くない。痛い目にもかなり遭っている。それでも、トータルでの成績は立派。負けても勝っても気にせず、会うたびに新しいことを始めている。齢75にして、まだまだ元気。そのバイタリティは異常という他ない。彼と話していて、ふと、武田信玄を言葉が浮かんだ。「戦いは、五分を上とし、七分を中、十分を下とする」50%の勝ち:とてもよい70%の勝ち:よい100%の勝ち:よくない信玄
戦国時代小川村までは武田信玄の領地だったことは昨日の記事の通り写真は能登鵜川のにわか祭り袖ギリコ川中島の武田信玄この作品は聞いた話によると加賀友禅作家の作品だそう加賀友禅の反物ウサギ柄の部分は加賀友禅の色使いツーリングの方は鬼無里村に入って行きます鬼無里には色々な伝説や物語もありますが戦国時代の鬼無里を舞台にこんな話も情報戦を重視する信玄らしい部下への指示そんな鬼無里の旅の駅「鬼無里」到着かなり前に紹介した鬼女伝
5月1、2日と山梨県をいろいろ回ってきましたのでおいおいアップしていこうと思います。静岡と隣接してはいるものの、西部からは遠くてなかなかいけませんでしたが、昨年中部縦断道路が開通して多少は行きやすくなりました。まずは武田神社。山梨県民の誇り、甲斐の虎武田信玄を祀ってます。学生のとき以来30数年ぶりに訪れました。当時はまだそこまで歴史に詳しくなかったんでお参りしただけだったけど、実は神社周りがスゴいもともと武田信玄の父信虎から息子の勝頼まで3代の居城だったものを、武田家滅亡後に徳川家
皆さん、こんにちはYOKOです。富士エリアは1~2週に1度は何だかんだ足を運びます。場のエネルギーが最高なので、特に何をするわけではありませんが行っちゃいます。今朝6時に家を出発し【富士御室浅間神社】へ参拝へ行きました。(週末の東名高速は激混みです渋滞回避)1年に500社は神社へ参拝します。けれど、この富士御室浅間神社は今日が初めて。河口湖が目の前に広がって最高のロケーション。鳥居をくぐると表参道と書かれた小さな看板にそって小道をあるき始めて7歩。
川中島の戦い時代:戦国時代戦国時代、数えきれないほど戦争が起こりました。今日はその中の上杉謙信vs武田信玄の川中島の戦いをピックアップ!そもそも川中島ってどこ?長野県の千曲川(ちくまがわ)と犀川(さいがわ)に挟まれた土地のことです。現在跡地は公園になっていますどうして川中島で戦争をしたの?この川中島という場所は上杉謙信にとっても武田信玄にとっても自分のものにしたい土地だったのです。上杉謙信は新潟県(越後国)、武田信玄は山梨県(甲斐国)、上杉謙信からは南側の要所、武田信
先日。。久しぶりの友人が訪ねてきてくれましたーお土産もいただいちゃいましたよ!この包みは!「信玄餅!」わーい!こんな感じになってます!風呂敷きをあけると!もうこのままパコっとひっくり返します〜蜜をかけていただきます〜うんうん!これこれ!このお味!とろりと黒蜜と独特の風味。。そして不思議な食感これぞ安定のおいしさ〜青さん!ありがとう〜しあわせになりましたよー感謝です!ところで山梨のお土産で有名な「信玄餅」この名前の由来を調べてみましたよー「信玄餅」の名前の
こんばんは。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。ブログ管理人の高坂美慧です。前回に引き続き、武田信玄のトイレについて武田とみさんとお話ししていきます〜。美慧:とみさん、『甲陽軍鑑』品第三十三の信玄さんのトイレの記載を書いてみます。「…信玄は御用心の御ためやらん、御閑所を京間六帖敷になされ、たたみを敷、御風呂屋、椽(えん)の下より、とひ(桶)をかけ御風呂屋の、げすいにて、不淨をながす様にあそばし…」
今回はノスタルジーの旅。念願の高天神城に行ってきました。実に30年ぶりの攻城となります。私が覚えていることは、神社に行く階段の途中にお稲荷さんがあってそこでお祈りしたら宝くじが1万円当たったということ。あと牢を見た覚えがあります。昔大河ドラマの武田信玄に出てきていたのを見て連れて行ってもらいました。「高天神城を制するものは遠州を制する」と言われ、今川⇒徳川⇒武田⇒徳川といったように持ち主がじゃんじゃん変わります。武田信玄をもってしても攻め落とせなかった(無理攻めしな
信玄ミュージアムを見学して、目の前にある武田神社に参拝しました。それにしても、暑い暑い。気温は猛暑日の一歩手前。武田神社には、三葉の松があります。普通の松葉は二つ。三葉の松は、黄金色になって落葉し財布に入れると金運アップがあるとか…見つけました、三葉の松。三葉の松高野山から種子が飛んできたそうです。高野山の三葉の松は、三鈷の松と言われています。高野山を開山した、弘法大師空海上人が遣隋使の留学生で日本に帰国する船上で、三鈷を密教有緑の地に行って我を待てと天に放り投げる。帰国
山梨県甲府市にある武田神社は武田信玄を祀った神社です。この神社は、武田信玄公が戦で連戦連勝を重ねたため「勝運」のご利益があるとして有名です。勝運は勝負事だけではなく「自身の人生に勝つ」「自分自身に勝つ」などという意味も含めての勝運とされています。武田家の館があったこの地は躑躅ヶ崎館と呼ばれていました。信虎公・信玄公・勝頼公の三代が60年余り居住した地です。
おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。ブログ管理人の高坂美慧です。信玄公祭りの開催が春に戻ることが昨日発表されました。次回の開催は2025年(令和7年)4月となります。「信玄公祭り」次回は来年4月にコロナ禍前の春開催に戻す|NHK山梨県のニュース【NHK】山梨県を代表する祭りのひとつ、「信玄公祭り」の次回の日程について、実行委員会は、この2年続いてきた秋の開催からコロナ禍前の春の開催に戻すこ…www3.nhk.or.jp記事によると
☆主は変わってもそこに咲く桜の花*天下一・高遠(たかとう)の桜(伊那市)高遠城址1500本の「コヒガンザクラ」その美しさと南アルプスを望む眺望は”天下一”二代将軍・徳川秀忠には、三代将軍となる「家光」のほか、側室に男児がいたが、極秘裏に信州・高遠城で育てられていた。家光は、将軍になってから始めて、弟の高遠藩主「保科正之」の存在を知る。
おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠に有難うございます。ブログ管理人の高坂美慧です。読売新聞の独自取材により、武田「八十八将」図の存在が発見されたことがわかりました。現在、横浜市歴史博物館の企画展で展示されているもののようです。【独自】信玄のまわりに家臣88人ずらり…24人が一般的だが「類例のない構図」:エンタメ・文化:ニュース生誕500年を迎えた武田信玄(1521~73年)を中心に、家臣88人が一堂に会する様子を描く江戸期の絵図=写真、横浜市歴史博物
GW名神高速道路渋滞だと思ったらスイスイ前方大きな観光バス行先は”USJ”楽しそうな大型観光バスをビューンと追い越し岐阜へそこには疲れ果てたエースが椅子に座っていた。体を壊し1日4時間しか働くことが出来なくなっていた。その弱ったエースにきつい話をしに行く自分。最低だ。”どうですか体の具合
◆夏休み自由研究御朱印の旅甲州長野の旅武田神社を目指します。★武田神社お気付きでしょうか?武田氏館跡に神社があります。武田氏館跡と武田神社はセットです。★神橋神橋が掛かる場所は武田氏館跡の堀です。★門の跡神橋を渡ると門の石垣が左右にあります。神社と言うより城のイメージです。★武田神社鳥居石作りの重厚な鳥居です。武田神社武運が上がりそうです。★お社武田菱の入った大きな盃が左右に配置