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本日も多くの寺院では、生前戒名授与式が執り行われています。この特別な儀式は、新たな仏弟子を迎える喜びを分かち合う機会となっています。戒名は、「仏さまのお弟子」である証しの名前であり、仏さまとの縁を結ぶ証しです。曹洞宗では、一般的な戒名は漢字6文字で構成され、道号、戒名、位号の組み合わせになっています。位号は性別を表すものであり、出生時の性でも、現在自認する性でも構いません。また、深く仏教を信仰し、お寺に大きな貢献があった方への尊称として「院号」が用いられることもあります。生前戒
令和5年4月23日(日)いちのみや桃の里体育館に於いて第18回笛吹市体育祭りオープン卓球大会を開催しました。今回も多くの県内外からご参加頂きありがとうございま今回の表紙はNHKの大河ドラマでも阿部寛が演じた武田信玄のイラストです。今年の信玄公祭りで女性では初めてモデルや俳優で活躍中の冨永愛さんが信玄公に扮しました。カッコ良かったよ!!では結果発表!!男子優勝甲斐路クラブB(以下順不同、敬称略)(水口博則・横山敏弘‣渡辺秀明・青島友晃
おはようございます現在洗濯機2回目回し中昨日は都営ワンデーパスを使って夕方のKバレエOpto公演までお出かけしていましたその一つが汐留のパナソニック美術館愛読させていただいているブロガーさんの記事でコチラの企画を知りました実はこの黄色い洗面器ミューゼアムショップでも売っていたので欲しい方は汐留まで(コラボ限定商品なので)企画展の最後の方のみ撮影可ですローマのこの展示室も
🔰BMW初心者→シャフト使いへの道(乗り物と食べ物と生き物と)バイク乗りの憩いの場?宮ケ瀬や津久井湖の歴史に興味の無い方はスルーを・・・長くてつまんない歴史オタクの戯言です(汗)去年のクリスマスにブロ友のたぬきさんと金徳山光明寺に行って御朱印をもらいましたその時に鎌倉時代から続くこのお寺の住職から代々伝わる?逸話を聞きましたので忘れないうちに書いてご紹介します歴史好きの方には面白いかもそして、その時にお寺の入り口の置いてあった
こんにちは。芙蓉です。武田信玄の言葉で、「実力の差は努力の差,実績の差は責任感の差,人格の差は苦労の差,判断力の差は情報の差,真剣だと知恵が出る,中途半端だと愚痴が出る,いい加減だと言い訳ばかり,本気でするから大抵のことはできる,本気でするから何でも面白い,本気でしているから誰かが助けてくれる」というのがあるのを、ご存知でしたか?今注目の、大谷翔平選手が、高校時代に過ごしていた部屋にこの言葉が掲げてあった、という話を聞きました。真剣だと知恵が出る。中途半端だと
前回から1ヶ月以上経ってブログアップになります、ご無沙汰しておりますおかげでついに記事は1年遅れになってしまいましたが、今までのような季節感のズレがなくなったと好意的に解釈していただければ幸いですさて、去年4月長野県長野市へ遠征して、当初は旭山城と葛山城という、上杉謙信vs武田信玄の「川中島の戦い」で両軍が睨み合った山城に行くつもりでしたしかし東京からの日帰りでは大物の山城2つは、時間的・体力的に回り切れず、旭山城のあと、葛山城は諦めて善光寺を回り、さらにもう1箇所回りました今回訪れたの
今回はノスタルジーの旅。念願の高天神城に行ってきました。実に30年ぶりの攻城となります。私が覚えていることは、神社に行く階段の途中にお稲荷さんがあってそこでお祈りしたら宝くじが1万円当たったということ。あと牢を見た覚えがあります。昔大河ドラマの武田信玄に出てきていたのを見て連れて行ってもらいました。「高天神城を制するものは遠州を制する」と言われ、今川⇒徳川⇒武田⇒徳川といったように持ち主がじゃんじゃん変わります。武田信玄をもってしても攻め落とせなかった(無理攻めしな
みなさんは、「喧嘩両成敗(けんかりょうせいばい)」という言葉を聞いたことがありますか❓喧嘩両成敗とは、喧嘩(=武力を用いた争いのこと)の当事者に対する伝統的な処罰方法です。喧嘩をした者を、どちらが正しいか、どちらに非があるかを問うことなく、双方とも同罪として処罰するのです。古来、日本では、紛争の原因について程度の差はあっても、いずれにも必ず理由があり、そして必ずいずれにも非があるという強い社会観念あり、喧嘩による双方の報復(ほうふく:仕返
今日のブラタモリは「松本城」。まず、この松本城が国宝指定されたのはその複雑な形状ゆえだった、と説明がありました。合計5つの天守と櫓がつながって、いろいろ付け足しされているような形です。その特殊な形状は、武田信玄、石川数正、松平直政の3人の手を経て増築された結果でした。下の写真は、緊急事態宣言が解除され感染者が落ち着いた頃に日帰りで行った松本城。今年は夏休みなしだったけど、その前に行っておいてよかった。去年11月に計画を立てながら、感染者が増加傾向で諦めた、そのリベ
【ネタバレ注意!】これから参加する方は読まないでください。日曜日は日帰りバスツアーに参加してきました。『豪華!贅沢ブランド和牛松阪牛&どっさり5キロのお土産付松阪牛ミステリー日帰り3食付!6,990円』旅行企画・実施:サンケイツアーズ行き先不明のミステリーツアーです。出発地は、新宿駅西口から。中央道に乗ったので、方面は判明。ということで…朝食の「サンドイッチと缶コーヒー」と地域限定クーポン(1,000円分)が配ら
みなさんこんばんは!最近世界遺産検定の勉強をしているバックスリーです。今日は檜原村・北秋川編の第3回として「松姫伝説」を紹介します!松姫(まつひめ)は、「甲斐(かい)の虎」と呼ばれたかの有名な戦国武将、武田信玄(たけだしんげん)の実の娘にあたる女性です。そんな彼女が檜原村・北秋川地域とどのような関係があるのか?タイトルにもある"残された手鏡"とは何なのか?史実ではわからない部分もありますが、歴史の逸話などを絡めながら探っていきたいと思いますので、最後まで読んでいただけ
TOP>武将の旅TOP>武将と姫の墓めぐり一覧「武るるん♪日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」武将と姫の墓めぐりです。お寺や古戦場跡、そして山や荒野にひっそりと佇むものも…。全国にある武将と姫のお墓です。供養塔、逆修塔、祠、墓碑、霊廟、霊屋、位牌のほか、自刃の碑、火葬地の碑も含みます。人物名をクリックし、お入り下さい。人物あいうえお順、都道府県順で検索出来ます。武将と姫の墓あいうえお順一覧あ~かさた~なは~わ武将と姫の墓都道府県別一覧北海道・
※こちらの記事は、平成30年9月4日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は「各合戦の動員人数について」シリーズの15回目で「上原(うえはら)城の合戦」についてです。『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の坂本徳一氏の記事を参考にしています。※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。今までの記事第1弾江古田原沼袋合戦第2弾権現山の戦い第3弾新井城の戦い第4弾第一次国府台の合戦第5弾川越城の合戦第6弾第二次国府台
本多平八郎と本田宗一郎、どこか似ている響きを持った名前です。本田宗一郎の名前が、家康と信玄との「一言坂の戦い」で名を馳せた、徳川四天王のひとり本多平八郎と繋がっているのです。と、思い込んでいるのは、たぶん私だけだと思いますが、案外見当違いではないのです。今回の書き込みは、この夢のある話題としました。宗一郎さんの生家と、私の生家は300メートルしか離れていません。磐田郡光明村船明→天竜市船明→(現)浜松市天竜区船明となります。本田宗一郎さんと私は同じ光明村船明出身であり
◆夏休み自由研究甲斐の国名城探索「目指せ!完全制覇!」武田氏館跡に向かいます。甲府城から3km車で10分です。★武田氏館跡躑躅ヶ崎館跡(ツツジ読めない)NHK大河ドラマ中井貴一さんの武田信玄公を思い浮かべながら訪問です。武田信虎が築城した事に始まり、武田氏滅亡まで政治・文化の中心でした。(説明看板より)★武田氏館跡石垣と堀が要塞跡だった事を物語っています。一片が200mの正方形が武田氏の館跡です。★土塁
「小諸城」(長野県小諸市)の前編のブログでは、「本丸」跡入口辺りまでお届けしました。前編は↓『お城紀行2日目「小諸城」(前編)は、”三の門”と野面積み石垣の共演』8/3(火)~5(木)二泊三日の城巡りツアー2日目です。高崎のホテルで1泊しましたが、夜中に左足ふくろはぎがこむら返り、右足の筋が痙攣という二重苦に襲われ…ameblo.jp「懐古園」案内パンフレット本日は、私が「当城」を歩いた中で最も驚いた「北谷(地獄谷)」からです。そこには「酔月橋」が架かっていますがそ
☆主は変わってもそこに咲く桜の花*天下一・高遠(たかとう)の桜(伊那市)高遠城址1500本の「コヒガンザクラ」その美しさと南アルプスを望む眺望は”天下一”二代将軍・徳川秀忠には、三代将軍となる「家光」のほか、側室に男児がいたが、極秘裏に信州・高遠城で育てられていた。家光は、将軍になってから始めて、弟の高遠藩主「保科正之」の存在を知る。
城山公園は、元は磯部城の跡地でした。ここで、落武者の幽霊が目撃されていますので、心霊スポットとされています。元々は磯部城だった城山公園は、整備の後命名したと思われますが、それが、「しろやま」なのか「じょうやま」なのか、どう読むのかわかりませんが、地元では、こんな場合は、後者が普通です。信越線の磯部駅からすぐ近くで、駅からこの手前までの間は、日本有数の優良企業の工場になっています。整備は、この企業の資金でやっていただいたものと思われます。工場内に福利厚生で大きな体育館があり、
甲斐善光寺は武田信玄が創建した寺とされています。JR東海の身延線に善光寺駅があり(JR東日本中央本線には無い)、駅から北に徒歩で10分ほどの場所にあります善光寺といえば、長野にある善光寺が有名ですが、全国にある善光寺にはそれぞれの歴史があるようです。ネットで調べると情報がでてきますまだ雪の残る時期に訪れました。ひっそりとしたお寺で良かったです落ち着いた庭園の中にある池に鯉が泳ぐ静寂感はまさに寺院といったところでしょうか武田信玄が創建した寺ということで、武田菱が描かれています
真田家が活躍した上田市にある神社武田信玄もここで家臣に忠誠を誓わせたご祭神は生島大神、足島大神諏訪大社に戻られる途中だったタケミナカタノカミが立ち寄られた場所大きな池の中に浮島という形で本殿はある橋を渡ってお参りその左手に十三社というお社が有り祓戸神十三柱の先頭に瀬織津姫がいらっしゃる本殿でお祓いをする前に必ずここをお参りするように書いてある本当は瀬織津姫をお祀りしていたんじゃないかな?色々あってこういう形になったのかな?なんて妄想していました(^^)#瀬織津姫#ニ
こんにちは!ひまわりです🌻GW、前半の3連休が終わりましたね。平日3日間を3連休と4連休で挟むかたち。わたしの仕事は、5/1〜5/5がお休みですが、なんだかんだ、バタバタしそう。あまりゴールデン感ありません(笑)次男27日は、学校や塾、くもんの宿題に取り組みました。あとの時間は自由にダラダラ…28日は、わたしの実家へ。ノー勉強デー。29日は、宿題を進めつつ、武田信玄について掘り下げていました。段ボールでお城を作り始めましたよ。図工は不得意なのに。まとまった時間はこ
「武るる日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」、武将な寺社・街道めぐりの旅、鳥居峠の戦いの際に戦災にあった奈良井宿の紹介です。武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道~天目山の戦い」史跡めぐりの旅ともリンクしていますのでよろしくお願いします。史跡名ゆかりの武将住所奈良井宿奈良井義高、武田信玄、武田勝頼、木曽義昌、織田信長長野県塩尻市大字奈良井誤字やリンク切れ等がございましたら、コメントにてお知らせくださいますよう、よろしくお願いいたしますm(__
おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠に有難うございます。ブログ管理人の高坂美慧です。読売新聞の独自取材により、武田「八十八将」図の存在が発見されたことがわかりました。現在、横浜市歴史博物館の企画展で展示されているもののようです。【独自】信玄のまわりに家臣88人ずらり…24人が一般的だが「類例のない構図」:エンタメ・文化:ニュース生誕500年を迎えた武田信玄(1521~73年)を中心に、家臣88人が一堂に会する様子を描く江戸期の絵図=写真、横浜市歴史博物
◆古戦場跡の八幡様へ川中島古戦場で殉死した人々を祀る八幡様川中島古戦場公園内に有ります。★川中島古戦場八幡社武田信玄vs上杉謙信の激闘が繰り広げられた古戦場で英霊を祀る神社です。★控えめな鳥居背の低い控えめな鳥居です。鳥居の色は「黒」(未塗装なのかな?)良い感じの佇まいです。★武田信玄vs上杉謙信古戦場跡なので、川中島での戦闘史跡がたくさんあります。有名な上杉謙信中央突破「信玄一騎打ち」の銅像がありました。★執念の石
戦国武将ゆかりの地をウロつき始めて、はや数年。意外と神さまになっている武将も多いかなと思い始め、ご祭神となっているお宮さんや菩提所となってるお寺さんから御朱印をいただくようになりました。そこから駅前や居城跡にたつ武将銅像の世界に魅了されてしまうまでになってしまいました。ということは、戦国武将銅像と御朱印・御朱印帳の相性も悪くないのかなと思い、今回、ちょっとまとめ比較してみたいと思います。【武田信玄・上杉謙信】<川中島古戦場・八幡原史跡公園>日本銅像史上の最高傑作、川中島の一騎
武田信玄や武田勝頼の時代の甲斐(山梨県)の武田家を記した軍記物語の甲陽軍鑑には国を滅ぼす大将を4タイプあげています。馬鹿な大将。利口な大将。臆病な大将。強すぎる大将。甲陽軍鑑は軍記物語であり、史実としては不確かですが、教訓として読むには良いものです。馬鹿な大将は当然に国を滅ぼします。織田信長のようにわざと馬鹿であるように見せ、敵国を油断させる大将ならば別ですが、本当の馬鹿では国を滅ぼします。自分を馬鹿ではないと自負し、賢ぶる大将も馬鹿な大将と言えましょう。馬鹿ではない大将とは部
(*^ー^)ノウエディング・レポーターのhifumiです。「偉人のように世の中に羽ばたく人になるように」との願いを込めてお父様が命名したという御殿場西高空手道部1年生の山田翔偉さんは「戦国武将の武田信玄が好きです。自分の領土の民の事を考え戦が強いのみならず他者も守るというところに惹かれます」と言う。愛知県出身の山田さんが空手を始めたのは幼稚園の年中の時。空手を習っている友だちに誘われて道場に行ったところ楽しくて始めるようになったそうだ。同郷の
☆信州松代(まつしろ)物語今、話題の城下町にUFO?(長野市)松代城(武田信玄の海津城)から白いアルプスが!この「松代(まつしろ)」が歴史に登場するのは、*武田信玄×上杉謙信善光寺支配を巻き込んだ10年間の戦=川中島合戦(戦国時代)*その信玄の”橋頭保=海津城(かいづじょう)”を改築し”松代10万石”の初代藩主についたのは、「真田信幸(真田幸村の兄)」(江戸時代初期)*時
みなさんこんばんは(´Д`)。ちょっと本業の言語聴覚士のお仕事が忙しすぎて死にそうになっている歴史好きなぶたさん、ぶーです。すみません、あまりに忙しくて、ブログ更新はぶーがぱんだと名乗ってメインブログ的に使っている金沢徒然日記のみに留めていました。こちらは毎日更新しておりますので、ぶー(ぱんだ)の生存を確かめに来ていただけると嬉しいです。金沢徒然日記『あんこが入った揚げ食パン』コンビニ(´Д`)。最近は色々な物が置かれてますよね。コンビニスイーツなんて、喫茶店かと思うほどオシャレな
GWも半ばになりましたが、どこかにお出かけになりましたか?私は5/2に宿曜秘宝®︎協会の高畑先生とマスター講師達と高野山に結縁灌頂(けちえんかんじょう)を受けにいってきます!過去にもチャンスはあったけど、流れてしまっていたので、やっと宿曜を日本にもたらした空海さんに呼ばれたと思ってます✨それでは、本日も参ります!虚宿はなんといっても天才肌!人とは違う感性が魅力です♡軍配にも宿曜を描いていたと言われている甲斐の虎・武田信玄も実はこの宿でした!