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2月29日に松山市久谷地区の荏原公民館で息子と講演をしました。この日は雨も降って大変寒い日でした。しかも夜の開催でしたが、予想以上の方にお越しいただきました。ありがとうございました。いつものようにこれまでの息子とのあゆみをお話ししました。とりわけ、親が(うちの場合は母親でしたが)勉強して、知識を持った愛で行う早期療育の重要性を話しました。とにかく親が、子どもがおかしいと思って行政等に最初に相談に行った時に、「まだ小さいから様子を見ましょう」とは絶対言わないでください。あまりに熱
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トモニ療育センターで初セッションを受けた時です。椅子には1分と座れないと思っていたので、息子の気をひくために、母親はバッグの中にたくさんオモチャを持っていっていました。「オモチャとか持たしてもいいでしょうか?」と母親が聞くと、持たさないように言われました。この時点で私たちは、息子が大泣き大暴れすることを予測することは難しくありませんでした。それまで泣かせたらいけないと言われ、それを信じてなるべく泣かさないように育ててきた私たちにとっては、全く以外な展開でした。後の説明で知ったので
河島先生の説明です。今まで息子を泣かさないようにと、なんでも親がしていたのに、息子にさすなんて、思ってもいませんでした。今までの専門家のアドバイスとは全然違い、母親はオロオロするばかりでしたが、社会性なんて、今、じっとしておれない息子のそんな先を考えて療育するのかと、思いました。しかし、先を見据えた教育は当然ですね。普通の子育ても共通しますね。
嘉成2歳の誕生日です。この頃はなかなかカメラを見てくれません。しかし自分の興味のあるものは一生懸命見ます。いろんな本を読み、自閉症を疑いましたが、先日書きました「折れ線型自閉症」のこともこの当時知りませんでしたし、なんと言ってもこんなに何かに取り組む瞬間もあり、親として何とかなるだろうと思いたかった。ですからこの頃医療機関ではなく、四国四県の拝み屋さんに聞きに行きました。(拝み屋さんとは四国では祈祷師を意味します。)もちろん解決しませんでした。そして本格的に動き出しました。
河島先生の説明が続きます。息子が泣いてもわめいても、淡々と検査は続いていきます。息子への対応では、今まで無かったことなので、不安でオロオロする母親です。その時の母親の記録では、「それまで『泣かせてはいけない』信じ、まるで腫れ物に触るようにしてきた私にとって、こんな我が子の姿を見るのは耐えられず、『もうやめてください』と何度も言いそうになりました。(この時、言わなくてよかったと今しみじみと思っています。)」このくらい、今までの認識とは違う理論でした。
1歳までは息子の発達に、特別問題を感じていませんでした。発語もあり、母親とのコミュニケーションもとれているように思っていました。自分の関心のあることには、こんな賢そうな目をしていました。しかしこの頃から、話していた単語が全て消え、呼んでも振り向かない、こちらの真似もしない、遊びにも全然のってこなくなりました。数年経って「折れ線型自閉症」だと知りました。一旦は発現していた言語・模倣・指差し・愛着行動が消失する症状だそうです。自閉症の中に少なからず存在すると、数年後に知りました。もとも
トモニ療育センターの初めてのセッションです。私たちは、息子が大泣きすることは予想していました。嫌な課題には座ろうともしません。河島先生の説明は、この泣きは、我々のつらいや悲しいではなく、ただやりたくない、分からないと泣きで反応しています。言葉で言えないから泣きで訴えています。この泣きは彼にとっては言葉です。ですからこの泣きに引きずられたらいけない。できないこと、分からないことを減らしていくことが重要です。できる課題や好きなことには、すぐに泣きやむ。劇的に変わります。下の動画
先日もお話しした様に今回の夏休みは今までにないほど落ち着いて穏やかに過ごせた夏休みでした。そんな事もあり週一回のショートステイも夏休みは利用せず夏休みが明けてからも、色々と用事と重なりショートステイを利用してない日が続いています。でも突然、やめるとなるとそこも考えどころです。私の経験上、また力が入り頑張り過ぎて家庭のバランスも崩れかねないので…そしてみつきの習慣もあります。そこはデイの先生と相談しながら少しずつ回数を減らしていってもいい時期なのかなと話し
この頃、水に特別な執着がありました。噴水等が大好きでした。なかなか水から離れない。いくら水と遊んでも、連れて帰ろうとしたら大泣きし。いつも結局、最後の一人になるまで水と戯れていました。このしてやった感いっぱいの顔どうですか?
息子石村嘉成1歳3か月の頃です。当時の母親の記録より「初めての子育てを楽しんでいました。ところが1歳3か月頃になるとどうも遊びに乗ってこず、視線が合いにくい、呼んでも知らん顔、電話のおもっちゃでネジの部分を一心にぐるぐると回し始めました。」これから不安が増していく母親の記録を元に記していきます。
河島先生は療育の糸口を教えてくださいました。とにかく早期治療ですので、小さいうちに効率よく行う必要があります。
自閉症傾向と診断されても、小児科では納得のいく説明が無く、まして療育方法は、「スキンシップをしっかり取り、本人の嫌がるような事や泣くような事はさせないで、しっかり遊んであげなさい」等というアドバイスぐらいであった。息子といえば、嫌なものがいっぱいで、大泣きの毎日だし、遊びにも全然のってこない。どのようにスキンシップを取るのか。遊びにものってこない息子をどうやって遊ばせればよいのか。散歩の道順が違うと火がついたように泣きだし動かず、特定の建物に入るのも嫌がり、手足をばたばたさせて泣き喚
今日は「ニホンザル」を描いていました。7月から始まる香川県丸亀市での個展に向けて描いています。いつもは目に力を入れて描くのですが、今回は目を閉じたところを表現しているそうです。まだまだ完成には遠いですが、「何かを考えている様子」だそうです。想像してみてください。
息子に対する不安はどんどん募り、何冊もの本から、この子の症状が自閉症の基本的特徴と一致した時、もちろんひどくショックでした。それ以降も、自閉症に関する文献を探し、読みあさりましたが、「はっきりとした原因は不明」とか、「特別な治療法はない」「本人が不安を感じないような子育てを」等と、釈然としないものばかり。この子の将来はどうなるんだろう、いったいどう育てれば良いのだろうと、焦りが増すばかりでした。
息子のアトリエとギャラリーに、文科省OBのお二人が訪ねて来てくださいました。寺脇研様前川喜平様です。息子は嬉しくて、絵を描いているところを見ていただいていました。作品の説明も頑張ってしていました。
息子に何か適切な療育はないのかと、多くの専門家、支援と称するところに相談に行きました。しかしどこへ行っても、泣くようなことをさせないで、しっかり遊んであげなさい。というアドバイスでした。そんなのでは決してよくならないと思っていた私たち夫婦は、途方に暮れるばかりでした。そんな中、1996年11月11日息子が2歳5か月の時に地元新居浜市のトモニ療育センターでの外来セッションの機会を得た。まず建物に入るなり息子は大泣き、椅子になど1分とて着席したことが無かったので(着席できるとも思って
「マダコ」を描いています。海の底で力強く、敵を威嚇しているそうです。実物のタコを買って来て、吸盤を観察して描いています。
嘉成、2歳前頃です。母親の記録より「しかし、2歳近くになっても、一向に言葉は出ず、むしろ異常な行動が目につくようになりました。タイヤ等の回る物や、水への執着、爪先立ちでピョンピョン跳ね、手は頭の上でヒラヒラ・・・。育児サークルに参加しても、他の子たちが楽しく楽しく遊んでいるのには見向きもせず、一人奇声をあげて走り回り、私は追いかけるだけで精一杯でした」当時、私は能天気に「大丈夫じゃないん。嘉成の顔を見てたら問題ないよ」と言っていました。内心では、少し心配でしたが。
1歳半の息子です。母親の記録より「何かわからない不安を感じた私は、育児サークルや保健所の相談にも度々出掛けましたが、『まだ小さいから様子を見たら』という言葉に、不安を抱えたまま、午前中はなるべく子どもの大勢集まる公園に出かけ、あまり反応しないわが子に話しかけ、歌い、スキンシップを・・・と心がけていました。」この「まだ小さいので様子を見たら」という言葉に、どれだけ多くの自閉症児が、自閉症療育に最も大事な幼年期の療育機会を失っているか、ということをこれから1年経って知りました。
息子の自閉症との診断の際には、泣かすようなことや嫌がることはさせないで、よく声かけをしなさい。しっかり遊んであげなさい。スキンシップをできるだけしなさい。等のアドバイスを受けましたが、家でもよく遊んでいたし、当時息子の祖父母は健在で、同じ新居浜市に住んでいたので、両方の実家にもよく連れて行きました。私の実家でも大事にされ、家内の実家でもよく遊んでくれました。愛情を持ってみんなが息子に関わった結果の自閉症の診断です。ですから診断の時のアドバイス(よく遊んであげなさい等)では、
息子の1歳の誕生日です。この頃までは発達は順調でした。以下母親の記録より「一歳までには発語もあり冷蔵庫の前に行き「マンマ」と口をパクパクさせ散歩の途中に犬に会えば「ワンワン」と笑い母親がこんにちはというと、腰から曲げておじぎをしてくれる。人はこうしてコミュニケーションの取り方を覚えていくものかと、日々発見と感動の中で初めての子育てを楽しんでしんでいました。」みんなの前で、一升餅を背負って歩きました。(約⒈8キロの餅を背負うのが一歳の慣わしらしい。)多くの子どもができるん
トモニ療育センターで、嫌がって泣いてばかりの息子に母親はただオロオロしながら、今まで、専門家と言われる人のアドバイスと全く違う展開に、そして泣いているにも関わらず、延々と続く課題に、少し疑問を持ち言いました。すると、河島先生はピシャリとこう言いました。今となってはその通りです。明日は河島先生が数十年ぶり(たぶん)に、地元新居浜市で講演をされます。私たち親子が河島先生をご紹介することになっています。河島先生には、療育について思いの丈を余すことなくお話ししていただきたく思っています
息子石村嘉成が1歳になる直前に迎えた初節句です。ほんの少し気になる点もなくは無かったけれど、成長、発達も概ね順調でした。何か事あるごとに、近くに住む両方の祖父母が来てくれ祝ってくれていました。息子もみんなに愛され、母親も幸せいっぱいでした。これから1年少し経って自閉症の診断を受けます。その時のアドバイスが、声かけしてあげなさいしっかり遊ばせてあげなさいでした。今までご覧いただいたように、私たち夫婦は周りも含めて息子にはよく声かけして、遊ばせていた、よく関わっていたという思い