ブログ記事25,323件
トモニ療育センターの初めてのセッションでは、粘土を紐のように細く伸ばす、という簡単な課題も理解出来ず、泣き暴れていたのが、2年半後、1人で座り、1から100までのカードを順番に置いていくという高度な課題をこなせるようになりました。1から10そして100まで置けるようになり、10進法を理解できるようになれば、お金の計算ができるようになる。そうすれば、買い物ができるようになる。60進法を理解できれば、時計がわかるようになる。そうすれば予定を入れることができるようになる。そう指導を受け、家庭
先日もお話しした様に今回の夏休みは今までにないほど落ち着いて穏やかに過ごせた夏休みでした。そんな事もあり週一回のショートステイも夏休みは利用せず夏休みが明けてからも、色々と用事と重なりショートステイを利用してない日が続いています。でも突然、やめるとなるとそこも考えどころです。私の経験上、また力が入り頑張り過ぎて家庭のバランスも崩れかねないので…そしてみつきの習慣もあります。そこはデイの先生と相談しながら少しずつ回数を減らしていってもいい時期なのかなと話し
1歳までは息子の発達に、特別問題を感じていませんでした。発語もあり、母親とのコミュニケーションもとれているように思っていました。自分の関心のあることには、こんな賢そうな目をしていました。しかしこの頃から、話していた単語が全て消え、呼んでも振り向かない、こちらの真似もしない、遊びにも全然のってこなくなりました。数年経って「折れ線型自閉症」だと知りました。一旦は発現していた言語・模倣・指差し・愛着行動が消失する症状だそうです。自閉症の中に少なからず存在すると、数年後に知りました。もとも
息子に何か適切な療育はないのかと、多くの専門家、支援と称するところに相談に行きました。しかしどこへ行っても、泣くようなことをさせないで、しっかり遊んであげなさい。というアドバイスでした。そんなのでは決してよくならないと思っていた私たち夫婦は、途方に暮れるばかりでした。そんな中、1996年11月11日息子が2歳5か月の時に地元新居浜市のトモニ療育センターでの外来セッションの機会を得た。まず建物に入るなり息子は大泣き、椅子になど1分とて着席したことが無かったので(着席できるとも思って
トモニ療育センターの初めてのセッションです。私たちは、息子が大泣きすることは予想していました。嫌な課題には座ろうともしません。河島先生の説明は、この泣きは、我々のつらいや悲しいではなく、ただやりたくない、分からないと泣きで反応しています。言葉で言えないから泣きで訴えています。この泣きは彼にとっては言葉です。ですからこの泣きに引きずられたらいけない。できないこと、分からないことを減らしていくことが重要です。できる課題や好きなことには、すぐに泣きやむ。劇的に変わります。下の動画
【最後に重要なお知らせがあります】-------------------------先月、ZOZOTOWN前澤社長による総額1億円のお年玉企画が世間を賑わしましたうむ、100万私も欲しいぞ・・・・・・応募しちゃおっかな…なんて思ったりもしたのですが、何だか胸が引っかかる。なんだろーなんだろーなんて悩んでいたら、もやもやの原因に気付きました。エブチュラム真理栄(でも、ドルちゃんって呼ばれてるよ!)@dor_cyanこれは凄いね✨もし私なら…と一瞬ワ
嘉成2歳の誕生日です。この頃はなかなかカメラを見てくれません。しかし自分の興味のあるものは一生懸命見ます。いろんな本を読み、自閉症を疑いましたが、先日書きました「折れ線型自閉症」のこともこの当時知りませんでしたし、なんと言ってもこんなに何かに取り組む瞬間もあり、親として何とかなるだろうと思いたかった。ですからこの頃医療機関ではなく、四国四県の拝み屋さんに聞きに行きました。(拝み屋さんとは四国では祈祷師を意味します。)もちろん解決しませんでした。そして本格的に動き出しました。
自閉症傾向と診断されても、小児科では納得のいく説明が無く、まして療育方法は、「スキンシップをしっかり取り、本人の嫌がるような事や泣くような事はさせないで、しっかり遊んであげなさい」等というアドバイスぐらいであった。息子といえば、嫌なものがいっぱいで、大泣きの毎日だし、遊びにも全然のってこない。どのようにスキンシップを取るのか。遊びにものってこない息子をどうやって遊ばせればよいのか。散歩の道順が違うと火がついたように泣きだし動かず、特定の建物に入るのも嫌がり、手足をばたばたさせて泣き喚
トモニ療育センターで初セッションを受けた時です。椅子には1分と座れないと思っていたので、息子の気をひくために、母親はバッグの中にたくさんオモチャを持っていっていました。「オモチャとか持たしてもいいでしょうか?」と母親が聞くと、持たさないように言われました。この時点で私たちは、息子が大泣き大暴れすることを予測することは難しくありませんでした。それまで泣かせたらいけないと言われ、それを信じてなるべく泣かさないように育ててきた私たちにとっては、全く以外な展開でした。後の説明で知ったので
お米・牛乳子育て応援事業が始まりましたね〜!北海道の物価高騰特別支援らしいです。他県も独自の支援策があるんですかね?「今年も」って聞いたけど初耳なんだが😇昨年もやってたのかって思うと損した気分に…😇8,000円ちょっとの支援クーポンまたは電子クーポンだったか貰えるからこれは貰わない手はないですね🤔子ども1人に対してではなく世帯対象だから子どもが多い世帯にはちょっとなんかね。子どもの数に対してくれればいいのにって思ったけどありがたいことに
河島先生の説明です。今まで息子を泣かさないようにと、なんでも親がしていたのに、息子にさすなんて、思ってもいませんでした。今までの専門家のアドバイスとは全然違い、母親はオロオロするばかりでしたが、社会性なんて、今、じっとしておれない息子のそんな先を考えて療育するのかと、思いました。しかし、先を見据えた教育は当然ですね。普通の子育ても共通しますね。
息子の1歳の誕生日です。この頃までは発達は順調でした。以下母親の記録より「一歳までには発語もあり冷蔵庫の前に行き「マンマ」と口をパクパクさせ散歩の途中に犬に会えば「ワンワン」と笑い母親がこんにちはというと、腰から曲げておじぎをしてくれる。人はこうしてコミュニケーションの取り方を覚えていくものかと、日々発見と感動の中で初めての子育てを楽しんでしんでいました。」みんなの前で、一升餅を背負って歩きました。(約⒈8キロの餅を背負うのが一歳の慣わしらしい。)多くの子どもができるん
嘉成、2歳前頃です。母親の記録より「しかし、2歳近くになっても、一向に言葉は出ず、むしろ異常な行動が目につくようになりました。タイヤ等の回る物や、水への執着、爪先立ちでピョンピョン跳ね、手は頭の上でヒラヒラ・・・。育児サークルに参加しても、他の子たちが楽しく楽しく遊んでいるのには見向きもせず、一人奇声をあげて走り回り、私は追いかけるだけで精一杯でした」当時、私は能天気に「大丈夫じゃないん。嘉成の顔を見てたら問題ないよ」と言っていました。内心では、少し心配でしたが。
トモニ療育センターで、嫌がって泣いてばかりの息子に母親はただオロオロしながら、今まで、専門家と言われる人のアドバイスと全く違う展開に、そして泣いているにも関わらず、延々と続く課題に、少し疑問を持ち言いました。すると、河島先生はピシャリとこう言いました。今となってはその通りです。明日は河島先生が数十年ぶり(たぶん)に、地元新居浜市で講演をされます。私たち親子が河島先生をご紹介することになっています。河島先生には、療育について思いの丈を余すことなくお話ししていただきたく思っています
息子に対する不安はどんどん募り、何冊もの本から、この子の症状が自閉症の基本的特徴と一致した時、もちろんひどくショックでした。それ以降も、自閉症に関する文献を探し、読みあさりましたが、「はっきりとした原因は不明」とか、「特別な治療法はない」「本人が不安を感じないような子育てを」等と、釈然としないものばかり。この子の将来はどうなるんだろう、いったいどう育てれば良いのだろうと、焦りが増すばかりでした。
この頃、水に特別な執着がありました。噴水等が大好きでした。なかなか水から離れない。いくら水と遊んでも、連れて帰ろうとしたら大泣きし。いつも結局、最後の一人になるまで水と戯れていました。このしてやった感いっぱいの顔どうですか?
息子石村嘉成1歳3か月の頃です。当時の母親の記録より「初めての子育てを楽しんでいました。ところが1歳3か月頃になるとどうも遊びに乗ってこず、視線が合いにくい、呼んでも知らん顔、電話のおもっちゃでネジの部分を一心にぐるぐると回し始めました。」これから不安が増していく母親の記録を元に記していきます。
息子のアトリエとギャラリーに、文科省OBのお二人が訪ねて来てくださいました。寺脇研様前川喜平様です。息子は嬉しくて、絵を描いているところを見ていただいていました。作品の説明も頑張ってしていました。
1歳半の息子です。母親の記録より「何かわからない不安を感じた私は、育児サークルや保健所の相談にも度々出掛けましたが、『まだ小さいから様子を見たら』という言葉に、不安を抱えたまま、午前中はなるべく子どもの大勢集まる公園に出かけ、あまり反応しないわが子に話しかけ、歌い、スキンシップを・・・と心がけていました。」この「まだ小さいので様子を見たら」という言葉に、どれだけ多くの自閉症児が、自閉症療育に最も大事な幼年期の療育機会を失っているか、ということをこれから1年経って知りました。
1歳2か月頃、近くの小学校の夏祭りに家族で出かけた時の様子です。感覚過敏になっていったのか、この頃からにぎやかな所、人がいっぱいいるところは苦手で、この日もずっと泣いていました。そしてお気に入りのタオルを持って、指を吸うというパターンがこの頃から始まりました。
河島先生の説明が続きます。息子が泣いてもわめいても、淡々と検査は続いていきます。息子への対応では、今まで無かったことなので、不安でオロオロする母親です。その時の母親の記録では、「それまで『泣かせてはいけない』信じ、まるで腫れ物に触るようにしてきた私にとって、こんな我が子の姿を見るのは耐えられず、『もうやめてください』と何度も言いそうになりました。(この時、言わなくてよかったと今しみじみと思っています。)」このくらい、今までの認識とは違う理論でした。
息子の1歳2か月頃です。この頃から不安なことが少しずつ現れてきました。一歳の誕生日頃できていたことができなくなってしまいました。その3に続く
河島先生は療育の糸口を教えてくださいました。とにかく早期治療ですので、小さいうちに効率よく行う必要があります。
「マダコ」を描いています。海の底で力強く、敵を威嚇しているそうです。実物のタコを買って来て、吸盤を観察して描いています。
今日は「ニホンザル」を描いていました。7月から始まる香川県丸亀市での個展に向けて描いています。いつもは目に力を入れて描くのですが、今回は目を閉じたところを表現しているそうです。まだまだ完成には遠いですが、「何かを考えている様子」だそうです。想像してみてください。
息子はキャンバスの側面まで絵を描きます。あまり側面まで描く作家さんはいないと思います。せっかくキャンバスを張っているのに描かないのはもったいないのでしょう。縁まで描くので、キャンバスは普通の倍以上のサイズの厚枠にしています。側面を見えるように、額装はせずに展示します。
もちろん産まれてすぐの大変さは凄まじかったですが…その後、2才、3才になり何が大変だったかというと…子供が風邪を引いたら私にもうつることですよ実家は福岡で遠いので自分でやるしかなく…まだ小さい2人を病院に一緒に連れて行き点滴を打ってもらうということも何度もありました…小さい子がいると休めないというのが大変でしたね前は育児疲労で免疫もやられて、私よく風邪を引いていました…今は風邪を引けないと気合をいれてるからか、全く引かなくなりましたが…笑胃腸炎の時は
皆様、こんばんは✨お疲れ様です🎵羽鳥新ノ介です🐤今日は気仙沼で使う機材の準備とか歌の準備とか色々してました。明日と明後日は、半年にする恒例の、宮城県の気仙沼市での復興支援コンサート!観覧はもちろん無料です🐤明日は、朝起きたらユンケルD2を飲んで、出発です🐤忘れ物をしないようにしなきゃ🌱ということで、今日はもう寝ますzzzまた明日、お会いしましょう。皆様、台風に気をつけてお過ごしくださいませ。羽鳥新ノ介でした🐤追記...寝ますとか言ったくせに、ちゃっかりランニングしてきま