ブログ記事829件
大僧正天海⑰ある日の事、秀忠は天海を召して、相談を持ち掛けた。「日光山は、まさに神の領域であり、有難いことこの上ないが、江戸城からは片道4日である。恨めしく思うのは、自ら参詣したいと思っても、滅多に行けるところではないことだ。城内に浄地を定め、廟所を営むことはできぬものか。何かしら迷いがあり、神君の教えを請いたい時もあるであろう。何とかならぬものか。」というのである。「霊神の徳用は所として遍からず、といい、信受すれば降臨し、その隠顕なお月の水に印するが如し、
天下人の名字に込めた大名統制策ということで、前著『羽柴を名乗った人々』に続いて有力大名に松平名字を与えた(島津家久の例から「任じる」という形だったことが判明しています)江戸幕府は、どのような基準で行っていたのか。本書では20家を超える外様大名の事例からそれを類例化していきます。『『羽柴を名乗った人々』黒田基樹著』羽柴という名字は、元々木下藤吉郎秀吉が織田信長配下の国持大名となった辺りから使用するようになったものです。信長が自身の立場の上昇に伴い一門であっても織田の名…ameblo
大僧正天海(57)ところが、千福が12歳になったとき、突然、下総古河に転封されたのである。上使は土井利勝であった。「宇都宮は、千福にとって父と過ごした思い出の地です。それを、古河などという悪所に転出させるとは、実に嘆かわしいことです。」と亀姫は利勝に激しく訴えた。「悪所と申されますが、もともと古河公方様の居所であり、江戸にも近くございます。しかも御加増にもなられました。」と利勝は宥めるが、「古河は歴代二万石程度の大名しかおらぬではないか。当家は10万を超える所帯