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こんにちは。歩きすぎて腰を痛めながらこの記事を書いているC751Bです。今回は、群馬県安中市にある「アプトの道」で高校生が体力の限界に挑戦する記事です。詳しくはタイトルにもある通りです。歩くときは参考にしてください(?)アプトの道とはアプトの道とは、信越本線の横川駅から旧信越本線の廃線区間、めがね橋などを経由し、旧熊ノ平信号場までの全長6.3kmの歩道です。この区間は昔から勾配がきつく、鉄道の難所として知られており、廃線後もその遺構が残っていて、鉄道ファン的には昔から歩きたい
成田から最終目的のために木更津にここから、久留里線に終点を目指すため日曜日で、廃線が期日未定だが決定したため、結構混み具合2両編成のこいつにさて出発して順番に行かず車窓を眺めているが関東にいる感じがないな家の横に駅があるのなすごい場所だなとまず久留里駅に到着。ここで鉄ちゃん第一陣が乗降していくがこちらは終点までここからが、最初に廃線になる予定区間らしいが出発して、結構な登り路線あとで聞いたら、雨で運休になることがあるとのことさて車内では、音鉄ちゃん3人組が社内
今回は特にネタが無いので、1994年4月1日に廃止・会社解散となった野上電気鉄道を撮影した時の模様を取り上げたいと思います。野上電気鉄道は、かつて和歌山県海南市の日方駅から和歌山県海草郡野上町(現在の紀美野町)の登山口駅まで結ぶ鉄道路線で、1916年2月4日に開業しました。1993年8月に友人らと行った青春18きっぷ旅の途中で、野上電気鉄道の記録をしようと、和歌山駅から4つ目の駅「海南駅」へ向かいました。和歌山駅を出発する前は南海貴志川線1201形に乗ってました和歌山駅からJR紀勢本線で
撮影日2024.3.17撮影場所各写真に記載去る3月16日のダイヤ改正で、西鉄バスでは桜並木駅開業に関しての変更が行われました。その際、11番南福岡駅~中~乙金~JR宇美駅間と43番南福岡駅~中~金隈~福岡空港国内線南間の経路変更が実施されました。元は南福岡駅出発後、雑餉隈駅入口・しののめ町・山田を経由し大野北小学校前方面へ向かうルートでしたが、改正後は桜並木駅を経由して大野北小学校前を経由するルートに変更されました。但し、完全に廃止された訳では無く43
岡山臨港鉄道岡南新保駅跡(岡山市南区)1984年(昭和59年)岡山臨港鉄道の廃線と同時に廃駅となった岡南新保駅。廃線跡の一部は遊歩道「臨港グリーンアベニュー」になり、岡南新保駅跡は遊歩道の休憩場所として新装され、市民憩いの場となって親しまれています。鉄道が走っていた面影を残すこの岡南新保駅跡はとりわけ桜の季節が美しく、花吹雪の舞う駅跡を訪ねました。桜の枝振りもよく、人影が絶えることはありませんでした。風がふわっと吹けば、桜吹雪が勢いよく
1泊2日北薩摩一人旅2日目川内駅で薩摩川内名物「ちんこだんご」をいただき、九州新幹線の撮影を終えると時刻は14時45分この後は蘭牟田自然公園に行く予定でした。※鹿児島県観光サイトHPよりが、天気予報通り雨(かなりの土砂降り)に。土砂降りの雨の中、公園に行ってもね。予定を変更して国鉄宮之城線の廃駅巡りをしながら鹿児島空港に戻ることにしました。宮之城線はかつて川内市(現薩摩川内市)の川内駅から大口市(現伊佐市)の薩摩大口駅までを結んでいた国鉄
タウシュベツ川橋梁北海道遺産にも登録されている「タウシュベツ川橋梁」は北海道河東郡上士幌町にあるコンクリート製のアーチ橋のこと。このアーチ橋の上には、1955(昭和30)年まで国鉄士幌線が走っていたのですが、糠平ダム建設に伴い糠平湖の湖底に沈むことなり、線路切り替えのため廃線になったものです。しかしながら糠平湖は季節によって貯水量が変わることから、貯水量が少なくなる1月頃から姿を現し、水位が上昇する6月頃から沈み始め、8~10月頃には湖底に沈むとされています。また湖底に沈む
出水市に暮らしている頃から国鉄宮之城線跡は関心があったけど今日偶然にも通りかかりました。永野鉄道記念館。以前、雨降りの中近くを通った際には見つけきれませんでした。解説の看板。横壁にも永野鉄道記念館の表示。当時の改札口かな。永野駅はスイッチバックの駅だったのでこのような表記になるのかな。駅舎内から。記念館内の展示品の解説。先に展示品を見ていたので納得しながら読みます。推測ですが最寄り駅のものを集めたと思われますが路線を知らない人から見ると混乱するだけです。(笑)歴史ある地図み
探索日2014/11/22有田トンネル新設による線路移設切り替えは1976年6月6日の電化時1985年の空中写真距離標のあたりが有田駅方新旧線分岐点旧線は右へ分かれていく左は現在線有田トンネル佐世保方口現行トンネルの右へ旧線は進んでいたはずやけど、その空間がない旧トンネルとそれに続く切り通しは埋め戻されたと思われる新旧有田トンネル肥前山口方口ふつうは山の奥側に新トンネルが掘られるんやけど、ここは逆破風型坑門の旧有田トンネル九州鉄道時代
(7)の続き『2025.1.8〜15台湾紀行(7)阿里山へ』いよいよ今回の旅行のハイライト、阿里山です。(6)の続き『2025.1.8〜15台湾紀行(6)嘉義』しばらく時間が経ってしまいましたが、1月の台湾旅行の…ameblo.jp塔山歩道塔山歩道は、阿里山の最高峰である大塔山(2,663m)へ続く道です。今回は、途中で道を逸れて、眠月線(廃線)の跡を歩いていきます。眠月線の道標も出てきました橋も頑丈とにかくよく整備されています。
探索日2011/03/21四日市駅と四日市港駅を結んでいた貨物線一部はJR貨物の側線(太平洋セメント藤原工場四日市出荷センター専用線)として現役他の工場専用線跡などもまとめて紹介する※1975年時点での路線図左が廃線レール右は太平洋セメントへ続く現役の専用線むこうが四日市駅方面上記の場所から港方面を見る左は大平洋セメント線、右が使われなくなったレール埠頭へむかうレールレールはここで打ち止めここまでは、わりと最近まで使用されていたのかもしれん奥へ続く線路
探索日2014/12/28関西本線南四日市駅を所管駅としていた専用線廃止は2007年らしいこのレールが三菱ガス化学線むこうが南四日市駅左は関西本線手前が専用線の踏切遮断機、警報機は関西本線と共用関西本線と並走拡大投影車止めで終わっているレールが三菱瓦斯化学へ続く右へ分かれているのは関西本線への渡り線右端が三菱瓦斯化学線中央は関西本線左端は南四日市駅の構内線拡大投影右端が専用線廃線跡上に来てみた関西本線をキハ75形気
函館に良く行く私ですが、市内の移動は圧倒的に市電の利用が多いです。続いて函館バス。最後に自家用車。現在は、イカすニモカという交通系ICカードを利用していて、小銭要らずで尚且つ障害者割引が自動的に適用され半額の運賃で利用させて頂いています。現在、函館市電の路線(系統)は2系統ですが、昔はもっと多かったんですよね。ナント、この様に12系統も有ったんですね~私の記憶に有るのはこの路線図のガス会社から五稜郭駅前が無い状態かな?テーオーデパート前とか万代町の拓銀のところとか走っていた記憶が有
南大東島のサトウキビ運搬専用軌道②ー自転車に乗れないトリが2泊3日で全線を完歩してきた話ーの続きさて、手元にあるのは旧版地形図と最新の地形図のコピーに軌道をなんとなく写したもの。地形や道路が当時とかなり違うので写すのに少し苦労した。これを見ながら歩いていく。今日はぐるっと1周している軌道(今後は1周線とする)+新東(集落名)で分岐している北支線+一周線から唯一内側に分岐している丸山支線を歩く予定だ。月桃ムーンピーチは空港のすぐ裏、新東(集落名)にあるので、1番近い
大正11(1922)年4月に、鉄道敷設法が公布されました。明治に同法が施行され、それに基づいて鉄道網が拡充して来ましたが、これを改正する形で公布されたもので、「鉄道敷設法(新法)」や「改正鉄道敷設法」などと俗に呼ばれているものです。新法の条文では、別表として建設予定の路線が一覧で掲載され、第1項から第149項までの149項からなる建設予定の線区が本州、四国、九州、北海道の順で掲載されました。後にこれに加えて52線区が、第●項ノ◯という形で枝番が付されて追加され、また第150項も追加され、最
400xは12ヶ月点検のついでに部品交換で二週間ホンダさんで暮らします。12ヶ月点検で交換すると・・・工賃がかからない部位があるのです(カウル外して点検するから)それでもフロントフォークオイル、ホースの交換、プラグ交換で9万5千円でした、最初10万超えた見積もり持って来られて「いやいや、10万超えたら厳しいです」ディーラーで交換すると高いけれど、58000キロ越えたのでちゃんと整備させようかなって。。安い400CCのちょっとした交換で10マン・・大型バイク持ってる人ってお金持ちです
南大東島のサトウキビ運搬専用軌道①ー自転車に乗れないトリが2泊3日で全線を完歩してきた話ーの続き。南大東島のサトウキビ運搬専用軌道、存在だけは15年以上前から知っていた。愛読していたトワイライトゾーンマニュアルの10にて、レポートが掲載されていたからだ。このレポートで「シュガートレイン」という言葉を知った私は、島の歴史も知らぬままその言葉の響きに惚れ、自分とは遠く隔絶された別世界(と当時は感じていた)の南の島へ憧憬を抱いた。当時の私には南大東島はあまりに遠く、いつか行ってみたいの「い
粟生線の存続問題で何よりも深刻なのは、神鉄自身が積極策を何ら打ち出そうとしていないことです。はるかに輸送条件が厳しい他社のローカル線、例えば粟生で接続する北条鉄道が必死に生き残りを図っているのに比べて、情けないと言わざるを得ません。現に、2017(平成29)年3月のダイヤ変更では、昼間時の西鈴蘭台―志染間を15分毎から30分毎に減便しました。かつ、上りの急行を準急に、下りに至っては各駅停車に格下げするという有様です。とても特急を設定するどころの話ではありません。これによって、新開地―粟生間
前置き2018年に「廃道を歩く」を洋泉社から上梓しました。が、洋泉社が解散し、絶版。けっこうな部数刷っていたので、解散時にもどこかに在庫があったと思うのですが、行方はわからずじまい。いままで寄稿はいくつかしていましたが、「廃道を歩く」は初の単著でした。なので、この世のどこかに在庫があれば嬉しいと思いますが、おそらくは裁断され溶かされて消滅しているでしょう。というわけで、いま出回っているのは中古しかなく、先日中古サイトを見たら定価の倍額くらいの値付けになっていて驚きました。これはなぁ。契
前回に引き続き、鹿児島市電伊敷線の探索です。今回は新線の上伊敷電停-草牟田電停間の探索となります。国道3号線との併用軌道区間ですので、残念ながら痕跡はほぼほぼありません。今回の探索では前回までと違い上伊敷電停側→加治屋町電停側の探索となります。終点・上伊敷電停跡です。廃止当時は伊敷町電停という名称でした。国道3号線中央部、横断歩道脇に電停はありました。少しばかり傾斜になっています。途中国道3号線・伊敷線は山崎川を橋で渡ります。伊敷線が現役であった頃からの橋が今も利用さ
探索日2012/11/04石井ダム建設による線路移設切り替えは1995年9月菊水山駅は2018年に廃止され現存しない菊水山駅方新旧線分岐点旧線はむこう側へ分かれていく右は現在線鳥原トンネル湊川駅方口旧鳥原トンネル坑門が見える拡大投影こちら側からのアクセスはムリっぽいので、反対側を目指す旧鳥原トンネル鈴蘭台駅方口トンネル内から鈴蘭台駅方面を見るあれが石井ダム昭和に入ってからの開業なので素材はコンクリート待避所廃線トンネルといえばたいてい単線型複線型
【23年2月5日探索・3月17日公開】現在地はこの辺このモノレールが廃線なのはわかった。上から見ることが出来ないのがもどかしいが、できるだけ辿ってみよう。左の方を見る。下から見る限りでは廃線だとはまず気づかない。反対側に進んでみよう。こんな田んぼの中をモノレールが続いていたんだ。現在地はこの辺終点近くまでやってきた。ここはニュー・セントアンドリュースゴルフクラブオールドコースの入口だ。入ろうか
(9)の続き『2025.1.8〜15台湾紀行(9)阿里山・眠月線その1』(8)の続き『2025.1.8〜15台湾紀行(8)塔山歩道(阿里山)』(7)の続き『2025.1.8〜15台湾紀行(7)阿里山へ』いよいよ今回の旅行の…ameblo.jp眠月線その2そんなわけで、絶景を見ながら早めのお昼を食べていた私たちですが、実はこの日、塔山歩道から先は、他の登山者には全く会わなかったんです。だから、あの土砂崩れで埋もれたトンネルの先があるなんて、全く思って
能勢電妙見口駅大阪最北端の駅無人駅きっぷは阪急全線まで購入可能区間運転2両編成防鳥?毛の生えた時計折り返し、すぐに発車で、ここに来たからには見ておきたい場所がある・・・維持しなくなったら線路も見えにくくなってくるのでは・・・妙見の森ケーブル2023年12月廃止グッズは販売ちう情報で聞いてはいたけれど2両のケーブル車両が両方とも黒川駅に降りていたケーブルは撤去されワイヤーで固定されていまし
札沼線の非電化区間・北海道医療大学~新十津川の突然のラストランから1年経過しましたが、15年前の今日・4月20日は、JR池北線から3セク転換された北海道ちほく高原鉄道のふるさと銀河線の最終運行日でした。輸送密度が比較的高かった(※バス転換された松前線や広尾線などよりは低い)ため道内で唯一、特定地方交通線を転換した第3セクター鉄道路線でありましたが、沿線人口の急減、バブル崩壊後の低金利に伴う経営安定基金の運用益低下、存続に大きな影響を与えたとされる沿線出身だった衆議院議員(当時)鈴木宗男
今夜泊まるのは旅庭群来さん。部屋は奥まったところにある海月今回10年ぶり、3回目の宿泊です。前の2回は2回目の結婚していたとき2人目の夫と来たから名字が違っていましたね。入り口リビングお茶菓子は江差の五勝手屋羊羹の無花果羊羹これ美味しくて宿に頼んで家まで送ってもらいました右側には和室ここにお布団敷いてもらって2人泊まることもできます。リビング左はツインのお部屋窓からは海がちらっと。海に停まっている漁船もちらっと。この宿のステキなところひとつめはオールインクルーシブで
風もなく快晴で穏やかだった本日熊谷市妻沼の利根川土手の菜の花へお散歩ツーリング昨年はタイミングが合わず来ることができなかったので2年ぶりです♪妻沼と言えば聖天様のいなりずしバイクに腰かけてランチしました♪河川敷にグライダーの発着所があるので優雅に飛ぶ姿を眺めながらのランチ♪そして妻沼と言えば東武熊谷線のキハ2000僕が高校生の頃に廃線と
中央弘前駅~ようこそ弘南鉄道りんごの里大鰐線~2025年3月15日押印中央弘前駅は、1952年(昭和27年)1月26日に弘前電気鉄道が大鰐-中央弘前間を開通させた際の終着駅として開業しました。開業時から弘前電気鉄道は経営が苦しく、1970年(昭和45年)に弘南鉄道へ経営権を譲渡し、現在は弘南鉄道大鰐線の駅となっています。駅スタンプには、かつて大鰐線で活躍していた6000系電車が描かれています。現在運用されている7000系電車と同じく東急電鉄からの譲渡車両です。中央
富士東麓にあるトヨタ自動車の研究所には80年代まで資材搬入のための引き込み線が近接の御殿場線・岩波駅から伸びていたことは多くの廃線マニアに知られている。変わり果ててしまった箇所、そして現役当時のまま線路やバラストが残る箇所、両者の対比に見出される一抹の儚さが廃線マニアの心をくすぐるのだろう。そうした一見「滅びの美」というところに収束しがちな廃線跡趣味の真髄にもう一つの観点があることがこの廃線を辿ることで分かった気がしたのだ。まずは岩波駅から国道246号線で御殿場線と専用線との分岐点に向かう
JR可部線を巡る旅だが、出だしで躓いた。まさか、廃線から復活路線があるなんて。でも、旧河戸駅(元あき亀山駅)以降は廃線だった。写真1路盤跡を少し歩いていくと、出ました!レール跡が。途切れたレール跡が復活するのを見るのも久しぶりだ。写真2線路跡が残るのはホントにレアである。嬉しくて、しばらく歩いてみる。でも、残念ながら数百メートルでレールは撤去されだした。ここ、踏切跡から。写真3大田川漁業協同組合が使用している、レンガ造りの由緒あり