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探索日2018/08/18切り替えは1917年(大正6年)現在この駅間には貝田駅があるけど、開業は1952年前身の貝田信号場は1922年改設貝田駅のこのあたりが越河駅方新旧線分岐点旧線は左へ分かれる上で書いたように、当時ここには駅も信号場もなかった旧線は貝田駅駅舎付近を通過中央の小道がほぼ廃線跡ここが旧線跡のはず道となって続く旧線跡盛り土は鉄道時代のものか線路の跡らしいカーブ道路が廃線跡貝田姥神沢旧鉄道レンガ橋の案内が
撮影日2025/10/11はりま勝原6:15発の上り新快速に乗る秋の乗り放題パスを使用大阪7:28着7:55発の大和路快速に乗る異常に混んでたけど弁天町で大半が降車後で調べてわかったけど、大阪メトロ中央線が関西万博へのアクセスルートなのな万博なんかまーったく興味ないので、どこでやってるかもはっきり知らんかったわ加茂9:06着9:40発の列車に乗る列車内で発車待ってたらカマキリ降ってきたあっちゃこっちゃ行かれても困るので、降りていただいた
探索日2018/08/17東北本線陸前山王駅から分岐していた軍用線大戦後いったん廃止されるが、一部区間を付け替えのうえ仙台臨海鉄道臨海本線として復活ここでは臨海鉄道に編入されず、完全に廃線となった区間を調査する工廠跡地には陸上自衛隊多賀城駐屯地が立地このへんが海軍工廠への進入口線路は丸山雨水ポンプ場の位置へのびていた奥が多賀城駐屯地砂押川に架かっていた橋の跡はない宮城県道58号を横断当時から道路はあったので踏切跡にある未使用の線路用地が今も残る
探索日2018/08/13山田線宮古駅と宮古港駅を結んでいた貨物線ラサ工業田老鉱業所専用線が接続していた廃止は1984年2月1日あれが宮古駅左の線路は山田線このへんは山田線/宮古港線共用だったよう宮古臨港線はこの先で山田線から左へ分岐するここが臨港線跡草刈りされている部分が廃線跡踏切跡わずかに左カーブする臨港線跡上写真の場所を高架道路上から見る宮古臨港線は撮影地点真下へのびてくる跨線橋跡鉄道が走っていたにしては狭すぎる
3月25日四国ツーリング4日目チョッと余裕めに06:00起床準備して07:20に出発本日の行程は、・中村の街でモーニング!オッシャレ~(笑)・四万十川の沈下橋巡り・土佐大正・大正森林鉄道遺構の散策・四国カルストで、愛媛県の松山市に宿泊予定です!ホテルを出て数分で本日の第一ポイント到着カフェRINOまだブラインド閉まってるし…昨日電話で開店時間を確認したので間違い無しです!(休みだったら朝飯喰いそびれるし)開店と同時に一番客で入店適当に窓際の席
西武鉄道多摩湖線は東京都国分寺市にある国分寺駅から、西武拝島線との接続駅である萩山駅(東京都東村山市)を経て、東京都東村山市にある多摩湖駅までを結ぶ路線です。現在、同線には以下の駅、信号場が存在します。・国分寺(こくぶんじ)・本町信号場(ほんちょう)・一橋学園(ひとつばしがくえん)・青梅街道(おうめかいどう)・萩山(はぎやま)・八坂(やさか)・回田信号場(めぐりた)・武蔵大和(むさしやまと)・多摩湖(たまこ)このほか、その歴史において、・東国分寺(ひがしこくぶんじ
これまでも当ブログでもご紹介しておりますように、大分市の大分駅の隣駅でもあります日豊線西大分駅は、こちらもご紹介しておりますように、大分地区の貨物の拠点でもあります駅でもあるのが特徴であります。この西大分駅では、旅客列車に関しましては、画像2・3にもありますように島式ホーム1面2線となっているのが特徴でありまして、画像の南福岡車両区の813系電車や大分車両センターの815系電車などと言った普通列車が停車する駅でもあるのが特徴の駅でもあります。尚、上の画像1の駅舎はJR貨物の
ウスタビガ兵庫県姫路市2025年11月21日そろそろ、平野部のウスタビガの発生が始まっていると思い、ライトトラップに出かけました。場所の詳細は記載できませんが姫路城の北に位置し、お城が眺められる山塊。少し風がありますが、気温は7℃。寒い季節ですが、ヤママユガ科のウスタビガは平野部では11月後半から12月が成虫の発生時期。成虫は、何も食せず、生存期間は1週間ほどですので、探しに出かけても発生時期から外れてしまうと見つからないこともあります。車を走らせ、現地でライトを点灯させたのが1
間に合わなかった…旧姫路中央卸売市場策の向こう側に播但線(飾磨港線)さらにその向こう側に姫路市場駅がありました。大本の姫路中央卸売市場がありましたが移転し解体中です。線路撤去後も貨物ホームがほんの一部残っていたのですがもう跡形もないですね。手柄駅(山陽電鉄)駅前の地図には中央卸売市場の文字が残る。2023年まで稼働していたのであちこちの地図では表記が残ります。市場入り口にあった看板ちょうど看板あたりに播但線が通っていました。案内播但線は姫路まで
2025年3月の撮影です。撮影地は名鉄三河線廃線跡の三河広瀬駅です。駅舎は綺麗に保たれてます。駅前にはマレットゴルフ広場があります。駅舎内に入ってみます。こんな可愛い車両が走っていたんですね。乗ってみたかったです。名古屋市営地下鉄との連絡運賃表。ホーム下に降りてみます。こちらは西中金駅方面です。西中金まだはかなり距離がありますが、途中のトンネル付近に移動することにしました。
廃線跡巡りの旅第一弾「道南エリア廃線跡巡りの旅」を終えて、先ほど無事に帰宅しました。初の長距離ツーリング、はっきり言って疲れました。そうも言ってられませんので、今日は初日2本目の廃線跡「寿都鉄道線」です。経験が活かされますまずは昨日1日の予定スケジュールです。【5/17(土)】この旅のシリーズは「元国鉄」「元JR北海道」を主として巡っていますが、たまたま路線間を結ぶ道中「寿都鉄道線」の廃線跡があったために巡ることにしました。寿都鉄道線は1972年5月11
昨夜の夕食の甘えびはとても美味しく、日本酒にピッタリでした。北海道旅行3日目は苫前から留萌まで南下した後、日本海とお別れして再びオホーツク海までの約300㎞を移動します。アイヌ語で神の住む集落という意味の神居古潭へとやって来ました。「一度に100人以上渡れません」ということですが、中には一人で二人分稼ぐ人もいるよね石狩川を渡ります。橋を渡り終えて階段を上がると蒸気機関車の動輪が目に入ります。隣の小さな建物はトイレ、そ
探索日2018/08/17鳴瀬川/吉田川橋りょう架け替えにともなう線路移設切り替えは2000年6月25日※この付近は二世代の旧線が存在する左へカーブしているとこが陸前小野駅方新旧線分岐点旧線は奥へ直進する旧線用地は太陽光発電所になった橋の跡は残っていない左の高架橋が現在線柵でかこまれたスペースが廃線跡築堤込みの用地なので幅は広いアーチ橋が残るソーラーパネルの列が廃線跡右の高架橋は現在線ここから旧鳴瀬川橋りょうが架かっていた
撮影日2012/12/22はりま勝原5:12発の上り電車に乗る大阪6:53着、7:15発の新快速に乗り換え米原8:41着、8:46発の電車に乗り換え安城10:27着下車『倉敷紡績安城工場専用線』探索日2012/12/22東海道本線安城駅を所管駅としていた専用線廃止は1960年代末むこうに見えるのが安城駅車止めで終わっているレールが倉敷紡績線…ameblo.jp11:19発の上り電車に乗る幸田11:43着下車『三菱レイヨン幸田工場専用
今日はかなりマニアックなお話になるため、興味の無い方はスルーして下さい😅私は最近、仕事で京成本線の京成関屋駅付近に出没しているのですが、それを関西在住の友人に話たところ、友人曰く、「そう言えば、関屋のスユ37はまだ残っているの❓️」と訊ねてきました。(京成3700形・京成関屋駅にて)友人に内容を詳しく聞いてみると、その場所にはかつて、東武線の引き込み線が延びており、千住貨物駅があったそうです。その跡地の一角に、分断された旧型客車の廃車体(スユ372004)が置かれているらしく、マニ
探索日2018/08/13釜石線釜石駅を所管駅としていた専用線廃止は1990年代のどこか資料によると、西線は専用線、東線は専用鉄道となっている※路線図は概略西線奥が釜石駅西線はこのへんにのびてくる写真右方向にも多数の構内線が続いていた西線はここを通過遊歩道になった廃線跡キハ100系気動車の走っているとこは釜石線西線はこのへんで左へ曲がっていく直進する遊歩道は、車庫へ続く線路の跡コンクリートに挟まれた砂利
長々と私の関西ツーリング記録にお付き合い頂きまして、ありがとうございます~今回が最終回で、後半に恒例の反省会をしたいと思います~5月7日水曜日関西ツーリング8日目前回のつづきです奈良盆地の南の端っこの街五條市の五條駅に来ました!古くからの城下町ぽい雰囲気駅前通りには、人影は少なく昔の商店だろうか?大きめな古い家が建ち並ぶ五條に来た目的は、五新鉄道の未成線跡の散策1937年(S12)に、ここ五條市と熊野神社のある新宮市を結ぶ路線として工事
長野県長野市松代町にある長野電鉄屋代線の旧松代駅が解体されると聞き訪れて見ました築103年の駅舎どうにかして残せ無かったものなのか
5月2日金曜日関西ツーリング3日目予報通り雨です!元々5/2は雨予報だったので仕方が無い…07:30ゆったりと由良町の平佐館で朝食味噌汁の上の小鉢はアカモクと言う海藻の一種でご飯に掛け、生卵を乗せると、アカモク丼風に頂けるそうです朝起きてから雨が強くなって来た…10時位に弱雨🌂になって、午後には止む予報です平佐館の女将さんにも「雨なのでゆっくりして行って下さい!」と言葉を掛けられお言葉に甘えてゆっくりさせて頂きます!泊った平佐館の新館の廊下、新館一棟
3月24日四国ツーリング3日目前回のつづきです高知市街に入りました~この道、県道31前浜植野線は、高知空港の滑走路の下を潜ります2004年に滑走路延長前から有った県道の様だ…さて、この道を通ったのは、高知空港近くに前浜掩体群(←PDF)と呼ばれる掩体壕の集団が有る掩体壕の作り方を初めて知ったけど面白いね~5号掩体、観光用に整備されています。中は立入禁止になっていますが開放的ですこっちはデカい4号掩体幅44m、奥行き23m、高さ8.5m双発の大型
【24年11月10日探索・25年2月15日公開】現在地はこの辺廃線跡を見下ろすと、ちょうど造られた切通しのような場所だった。むかし道はいったんこの谷を迂回する。水根貨物線の方はコンクリート製の橋梁で直線的にクリアする。谷を回った所に、廃線跡へ行けるアクセス道があったので、私もそれを利用して・・・再び線路の所に来た。私は一応線路敷内には入らず、手を伸ばしての撮影とした。進行方向には隧道がある。上部には何か模様があるが、むかし道側の欄干
先週末に実施した「オホーツクエリア廃線跡巡りの旅」の報告を続けています。今回は2日目の報告、いよいよ最終回です。尋常じゃない達成感長距離路線だった名寄本線もいよいよ今回の報告で最後。今回は湧別支線も含めて報告します。2日目に予定していたスケジュールはこれでは始めます。ホテルを7:00にチェックアウトして、まずはホテル最寄りの名寄本線終点の「遠軽駅」に向かいました。7:05、「遠軽駅」到着。【遠軽駅】この駅は石北本線の現役の駅です。
浜松町→田町方面この辺で東海道線と羽田空港アクセスが分岐し地下へ入る予定だそうです。この辺で羽田空港アクセス線は東海道線と東海道新幹線の下をくぐるため地下へ潜る感じです。4月の線路切り替え工事はこの辺か田町駅羽田空港アクセス線はこの区間東海道線の下を走ることとなる予定です。東海道新幹線から見た大汐線(廃線跡)線路などは撤去済み高架橋は撤去され新たにアクセス線の線路が敷設されます。手前の高架橋は東海道新幹線の大井車両基地への回送線既存の大汐線の高架橋この辺は流
探索日2018/05/04奥羽本線板谷駅を所管駅としていた専用線福島駅方スイッチバック引き上げ線を延長する形で接続していた廃止は1984年1月15日『板谷駅スイッチバック線』探索日2018/05/04奥羽本線板谷駅スイッチバック廃止は1990年9月1日ホーム/駅舎が本線上に移転した福島駅方スイッチバック引き上げ線左…ameblo.jpレールが残っている信号機架線ビームも残る専用線も電化されていたよう手動のポイント切り
リトデポ大宮一瞬まだ工事中なのかと思いましたがリトデポ大宮のロゴですね。大宮機関区として開設するもこの設備は新幹線開業で移転した機関区機能で国鉄解体でほとんど使用されることもなくJRに移管された。併設設備は大宮運転区として利用され線路は大宮工場で解体される車両の一時留置場として活用される。大宮での解体機能が長野などに移管されると線路に車両が入ることはほとんどなくなり2014年くらいから完全に使用されることはなくなる。留置線も北側が再開発でJRのビルが建ち南側はど
昨日(10月29日)、横須賀市の「田浦駅」に行きました。以前この駅の付近に貨物線があって、廃線跡が残っているからです。まず田浦駅ですが、この駅はホームが短くて11両の列車がはみ出します。なので、1両目はトンネルに頭を突っ込んで、扉が開きません。上の写真は、2両目ですが、前の扉が閉まっていて左の扉が開いていますね。これは、横須賀方面の写真ですが、一番左のトンネルが貨物線のトンネルだったようで、今は木が生い茂っています。こちらは、逗子・東京方面ですが、一番右にトンネルはありません。どう
【24年8月12日探索・25年9月16日公開】現在地はこの辺この区間、架線柱や線路は残っていないが、いかにも廃線跡という感じのカーブが往時を偲ばせた。少し上りになった。川が近いようだ。この薮の向こう側にあったのが・・・夷隅川を渡る地点に、旧橋梁が架線柱以外そのまま残されていた。明治32年(1899)から平成8年(1996)まで使用されたものとすれば、土木遺産になってもおかしくないと思う。橋脚部分を少し拡大した。レンガと石製の橋脚だが、コンクリート
撮影日2012/12/30東横INNJR和歌山駅東口出発和歌山5:34発の和歌山線電車に乗る橋本6:50着下車『南海電気鉄道高野線紀ノ川口支線』探索日2012/12/30橋本駅東方にある妻信号所から分岐し、紀ノ川口駅に至っていた貨物線木材や紀ノ川で採取した砂利を輸送していたらしい廃止は1959年1…ameblo.jp8:11発の上り電車に乗る隅田8:20着下車『日本プレスコンクリート橋本工場専用線』探索日2012/12/30