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仁川空港や釜山市内でも発行可能!WOWPASSカード招待イベント開催中!韓国の商店やレストラン、市外バスターミナル等で韓国発行のカード同様に決済に利用できるプリペイドカード「WOWPASSカード」を新規発行し、WOWPASSアプリ登録時に当ブログ管理者の招待コード(AW5WM9U6)を入力すると、カードに入金した外貨の金額から0.5%のキャッシュバックを受けることが可能です(2023年12月31日まで)。カード決済だけでなくT-moneyカード機能も付帯していますので、地下鉄や市内バスにも簡
(真岡鐵道の50系客車)茨城県・下館駅JR水戸線で下館(しもだて)駅到着向こう側の関東鉄道常総線下館駅ホームには、単行気動車が発車待ちJRホームの端にある真岡鐵道乗り場へ。JR下館駅の片隅にある真岡鐵道乗り場の1番線旧日本国有鉄道(国鉄)特定地方交通線を転換した第三セクター鉄道・真岡鐵道の真岡線。下館から茂木まで41.9kmを結ぶ。この日は、土休日のSLもおか号運行日側線には、ディーゼル機関車とSLもおか号編成。側線はホームに並行しており、列車全体がよく見渡せる。定期普通列
鉄道コムへTetsudo.com(鉄道コム)鉄道ファンのための“みんなで作る”鉄道情報サイト。鉄道に関するイベント情報、未来ニュース、車両トピックスを掲載。インターネット上の公式リリース、ブログ、動画、つぶやきなどを集めたリンク集や、参加型ゲーム「駅つなゲー」も提供。rd.tetsudo.com今回は米子駅のDD51、DE10、EF641000番台の写真をご紹介します。普通客車列車を牽引したDD51は、すぐに米子運転所に引き上げて行きました。1997年に後藤車両所と米子運転所が統合し
↑浜坂に停車中の大阪発、米子ゆきの客車列車。前寄りに荷物車を連結している。1983年頃。「何でこの汽車、こんな停まるの?」友人が少しうんざりした様子で聞いてきた。青春18きっぷで国鉄山陰本線の普通列車に乗車していた時だ。当時は京都発、大阪発、米子や出雲市、浜田ゆきの長距離普通列車が運転されていた。いずれも客車列車である。福知山、豊岡、鳥取といった分岐駅では決まって長い時間停車した。山陰本線は単線だから、列車の行き違いがあるのと違う?と説明していたように思う。しかし、もうひと
東海道・山陽本線の荷物列車は、1984年3月末まではEF58が運用に就いていましたが、4月よりEF62に置き換えられましたEF62への置き換えまで活躍した26両のEF58のうち、唯一44号機だけが生き残り、4月から竜華機関区に転属し、阪和線・紀勢線で活躍しました1985.1.4128レ紀勢本線・紀伊田辺駅EF58-44(竜華機関区)和歌山から新宮へ向かう普通列車竜華機関区へ転属にあたり、外観上で一番大きな改造は前照灯です写真のようにシールドビーム2灯になっています
アスパラなど田辺製薬の看板が懐かしい神崎川橋梁上のDF50貨物DF50が牽く福知山線貨物には家畜車などが組み込まれローカル色たっぷりの貨物列車でした。東海道本線宮原(操)-尼崎1972年福知山線の花形82系「まつかぜ」が軽快に奥野々の峠を登ります。福知山線谷川-柏原1977年気動車急行「だいせん」が単線の南矢代駅を通過して行きます。福知山線篠山口-南矢代1978年ローカル列車が藍本駅に進入します。DD51に鋼体客車が福知山線普通列車の標
まもなく終わりを告げる平成時代。30年間に普通列車も大きく様変わりしました。昭和から平成になった頃、機関車牽引の客車を使った普通列車が日本各地で活躍していました。SLなどの臨時列車、イベント列車等で快速としての客車列車はありますが、普段の生活として利用する普通列車としては今や運行されていません。平成に入ってからも活躍していた客車の普通列車と言えば赤い50系客車。北は北海道、東北から四国、九州まで日本各地で見かける事ができるお馴染みの列車でした。今回は思い出の50系客車を紹介したいと思
古い写真で書庫更新ED76は3月のダイヤ改正まで九州内で貨物列車の牽引をしていたが、最新鋭のEF510にバトンタッチし定期運用は終了したようだ。SGを搭載しているから旧客の牽引も可能だった。昔の客車列車は長かった。???レED7675+スユニ61+50系8B1982-11
50系客車。旧型の客車を置き換える等の目的のために1977年から1982年にかけて製造された国鉄の普通列車用客車である。登場時の感想は「自動ドアの客車なんてなー」であった。それを初めて見たのは1980年の夏の芸備線で、やはり薄っぺらな感じがした。初乗りは1984年の四国。旧型と比べると客車ではあるが、なんか違う。車内の雰囲気は無論の事、走りっぷりにゆったり感がない。それはおそらく台車の軸距離に関係していたのであろう。旧型客車の軸距離は2450mmなのに対して50系は2000mm。
昨年の秋に九州旅行をした折り、嘗てC57が牽く夜行急行列車「日南1号」を撮った思い出の地を訪ねてみることにしました。記憶では南日向駅の南側にある築堤で撮ったと思っていたのですが、グーグルマップで調べてみるとそれらしいピンポイントを見つけることが出来ません。築堤の端に踏切があり、そのすぐ先に神社の階段があって、「日南1号」が来るまで真夏の日差しを避ける為に木陰になっていたその階段に座って待っていたのは鮮明に覚えていたので、その記憶を頼りにグーグルマップで南日向付近を辿ってみたら・・・
1993(平成5)年6月23日を以て羽越本線の客車普通列車が電車化、GWに乗り納めに行きました。838レEF81100[長岡]+50系客車[秋アキ]秋田客車普通列車に乗った時、機関車の次位はいつも定位置。GWとはいえまだ肌寒く、春まだ浅い雰囲気。折渡駅(旧・折渡信号場)のホームの桜。ずっと客車の窓から眺めたかった。終着駅・酒田は近い。いつも上野から急行「鳥海」で酒田へ。「鳥海」が廃止された後は、12系・14系多客臨「天の川」で酒田へ。初めて20
筑豊本線からの普通列車(門司港行き)を撮影50系客車の普通列車は、筑豊本線や久大本線でよく見かけていました811系の普通電車
山陰本線の須佐と宇田郷の間には山陰本線最長の大刈トンネルが横たわり、両駅を出た山陰本線の列車は峠のある大刈トンネルに向けて延々と勾配を登り詰めて行きます。峠の宇田郷側には有名な惣郷のコンクリート橋があり写材に事欠きませんが、峠の須佐側は波穏やかな須佐湾を望むSカーブ俯瞰が唯一の好撮影ポイントでした。須佐湾を望むSカーブにD51重連の客車列車が現れました。線路脇の民家の庭先にはちょうど桜の花が満開のようです。山陰本線須佐-宇田郷1974年4月上の写真のほぼ真っ反対から
若松~原田間を結びます筑豊線は、現在それぞれの通称が付けられておりまして、折尾~若松間を「若松線」、(黒崎・)折尾~桂川(・博多)間を「福北ゆたか線」、桂川~原田間を「原田線」と、それぞれの通称で運行されておりまして、その分運行自体も分離されております。このうちの「福北ゆたか線」と呼ばれます区間に関しましては、現在全線にわたって電化されておりまして、使用車両には上の画像にもありますように817系電車・813系電車、そして821系電車がこの路線におきまして使用されておりまして、福岡~
松尾鉱業鉄道(1972年廃止)の終点、東八幡平駅構内の跡地に客車群が放置されていました。放置車両群の全景、3両の客車が確認できます。工場の敷地内にあるため、撮影の許可を頂きました。この客車はオハ35タイプですが、国鉄から譲り受けた他形式を改造したものです。良く見ると側窓の配置が不揃いだし、妻面の形状が独特なんですね。夏草が生い茂り「兵どものが夢の跡」の境地でした。工場の方が、「このままにしておくんだ」と語っていたのが印象的でした。貨車は4両確認できました。ワ9と読み取れます。ワ
トンタオヤツの時間にサツマイモ。撮影年月日不明磐越西線鹿瀬〜日出谷客車列車も懐かしい磐越西線。雪深い山里も春の風景。
竜華機関区・EF58-39の画像をアップします。1984.11.312系団臨阪和線・美章園駅EF58-39(竜華機関区)12系団体専用列車です。39号機は、正面窓は白Hゴム、外ハメ式尾灯、ワイパーはWP50、側面機械室フィルターも鎧戸式に改造済みです。他に竜華機関区のEF58共通の改造箇所として、前照灯のシールドビーム化と元空気ダメ管(通称:P管)が増設されています。12系を普通列車として使用する紀勢本線では、扉の開閉に使用する圧縮空気が客車だけでは賄い切れなくな
どんな旅をしてみたい?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう時代が戻せるのなら…昭和の客車列車に乗りたいな。機関車が汽笛を鳴らしてカクンと軽いショック【中にはドカン!とやってくれる機関士も居たが…】ゼンマイのオルゴールがなって「ご乗車有難う御座います。〇✕行きです。」とアナンス。停車時は「完全に止まってからお降り願います」なんてみんな無視して降りて家路に急ぐ。そんなのんびりしていた時代はとうに過ぎ、1両か2両のワンマンカーになり、首都圏でも東北本線は宇都宮以北
日本へ戻ってきた感覚過敏、今日は乗り鉄です!子供の頃から鉄道が好き。写真に収めようとカメラも好きになりました。乗り鉄、撮り鉄、タイやベトナムでしてきました。過敏症にとっては、日本の電車より快適。その理由は客車列車。先頭の機関車に引っ張られる箱。自身には動力なし。最高‼️昨日、よせばいいのに、福岡都市圏を一筆書き大廻り乗車してきました。貧乏乗り鉄の常套手段。こんな感じで、同じ駅を通らなければ経路は自由、というルールを使っての大廻り。車を二日市駅近くのコインパーキングに停めて出発
1981年に福知山線の尼崎-宝塚間が電化されました。しかし、福知山線全線電化は、ここからさらに5年後の1986年です。このため、宝塚以北の普通列車のほとんどがDD51けん引の客車列車でした。今回は、普通列車の旧型客車使用時代に、大阪駅で撮影した写真をアップします。1981.5.4DD51-1118+旧型客車東海道本線・大阪駅けん引はすべてDD51でした。1985.1.13DD51-1178+旧型客車東海道本線・大阪駅大阪駅のような大都市の
こんばんは。どんどん更新します。前回の続きという事で11月の撮影を振り返っていきます。11月最後の土日には2021年最大級のネタがありました。クラブツーリズムが主催した『時を越えて蘇る昭和の「旧型客車」レトロな気分を味わえる特別乗車体験』という団体ツアー列車です。これは本来2021年2月末だか3月に行われる予定だったのがコロナ禍で開催が見送られたもので、約9ヶ月越しの再設定となります。客車列車が走るのは熊谷~高崎~新前橋~栃木~新前橋~高崎で、主に両毛線です。2019年4月にも同様
こんにちは。オケタ模型です。本日の入線はkatoの、「24系寝台特急「トワイライトエクスプレス」6両基本セット」その➊(品番10-869)です。※ブログ容量の関係で、2回(その➊・その❷)に分けて掲載します。JR西日本が運行していた寝台特急「トワイライトエクスプレス」は、大阪~札幌間を結ぶ臨時の豪華夜行列車として平成元年7月に登場しました。車両は24系客車を改造した専用車両が使用され、塗装は濃緑に黄色の帯を巻いた独特のデザインとされました。10両×3編成が登場して活躍しました。模型
湯平~南由布間での撮影後、再度、午前中の撮影場所へ再訪問写真はDE10+50系客車の普通列車こちらは上の写真の反対側(南由布駅側)を撮影その後、南由布駅から客車列車へ由布院駅へ移動しましたが、車両が12系客車でシートがグリーン車で使用していたものだった記憶があります由布院駅から高速バスで福岡へ移動しました
釧路運輸所での撮影後、沿線に繰り出しますがすでに3月ということもあり、沿線では積雪はほとんどなくブッシュが目立ち、あまり撮影に適するところがありません。初めに訪問した場所は24年前に撮影した場所ですが、すでに撮影には適さなくなっていて撤退。ならばあそこしかない、と向かいます。途中釧路川を見渡せる最近人気の撮り場には大勢の撮影者の姿が!そこも考えていたのですがスルー。結局こちらまで来てみると、あれれ??撮影者がほとんどいません!しかもべスポジではなくやや後方に固まっています。べスポジには誰も居
何時も拝見している方のブログ記事に、昭和33年に制作された岩波映画に登場するED70牽引の客車列車に暖房車が連結されている画像がありましたが、暖房車はご存知ない世代のようです。そういう私自身も、昭和37年(1962年)の新宿駅の中央本線ホームで、EF13の次位に連結された煙を上げて蒸気を吹く姿の不思議な形の車両を見て、当時中学生だった私は同行の父に一体何をする車両なのかと質問して、始めてその存在を知った次第です。その時に撮影した写真がアルバムにありました。EF13の次位に連結された暖房車マ
撮影日2019.3.24撮影場所富山地方鉄道本線宇奈月温泉駅付近今回は宇奈月温泉駅に隣接している黒部峡谷鉄道の撮影出来た車両を紹介します。同社についての紹介は割愛しますが、「トロッコ電車(電車なのか?)」の愛称で知られる、宇奈月~欅平まで20.1kmの路線です。趣味的には今や貴重な762mm軌間のナローゲージ(国際的には1435mmの標準軌未満は全てナローゲージです)であり、且つ今や貴重な全列車が機関車けん引の客車列車という点でが注目に値します。ナローゲージの旅客路線
ディーゼル動車がまだまだ主役だった頃の福知山線電化前の川代渓谷丹波大山-下滝1972年3月DD51に鋼体客車8両これが福知山線普通列車のオーソドックスな姿草野-古市1978年11月神崎川橋梁を渡るDD54牽引普通列車東西線開通により橋梁は拡幅され撮影は出来なくなりました。大阪-尼崎1972年11月下り列車が藍本駅に到着します。相野-藍本1978年11月DD5118が牽く上り列車(右)が持って来た通票を、今さっき入って来たばかり
天王寺~白浜間で運転された臨時快速「きのくにシーサイド」号をご覧いただきます。きのくにシーサイド1号白浜駅2002年1月1999年、南紀熊野体験博にあわせて運行を開始した、きのくにシーサイド号。12系を改造した車両をDE10が牽引し、特別な塗装でした。この列車は「青春18きっぷで乗れる。」「座席は、スーパーくろしおのグリーン車のシートを流用してるので乗り心地が良い」「何といっても、客車列車」が魅力で、何度か乗車しています。時間は、かなりかかるのですが、鉄道マニアには、逆に好
私は1970(昭和45)年3月~1971(昭和46)年3月の一年間、大阪府豊中市の団地に住んでいました。住んでいた所は大阪万博の会場がよく見え、万博には少なくとも5~6回は入場したので、あの頃の熱気はリアタイで経験しています。新幹線に乗り遅れた「ナイター見物客」の救済として、急遽「エキスポこだま」が設定されました。設定の経緯は交通新聞社新書「国鉄列車ダイヤ千一夜」(猪口信著、2011年刊)に記されていますが、スジ引きを阻む朝の東京口のラッシュを、三島から新幹線継走の奇手で逃れる
ご覧くださりありがとうございます前回の記事ではDE10入換を紹介しました今回はDE10ディーゼル機関車牽引快速ゆふいん号に乗車します由布院駅ではホームギリギリに機関車が停車しているため撮影向きではありませんでした50系客車の生き残りの車両今では客車列車がだいぶ減ってしまいましたでは乗車今回はボックス席を抑えました展望室も撮影展望室はやはり民度が悪いですね特に中年40〜50代くらいの方々がずっと占領してましたね展望室の椅子こんな感じ展望室からはこのように見えたりしますとり