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み光のはたらき-2棒読みいたしますと、何のことかわかりにくいのでありますが、読み下してみますと、このようになります。光顔巍巍として威神極まりなくまします。かくの如きエン明、ともに等しきものなし、日月魔尼、珠光のエンヨウも、みなことごとく隠蔽せられて、なおし聚墨のごとし。如来の容顔は、世に超えたまいて倫なし。正覚の大音は、響き十方になる。実は、また、これは西洋音楽の節につけまして、意訳された『さんだんのうた』として、特に若い方々の礼拝の場で、よく用いられております
み光のはたらき-3そういったこの世にある美しい光、力強い光も、みなことごとく蔽われて、さながら墨のようであるというのです。ということは、仏さまの輝きの前に出ますと、そういった光さえもカスんでしまって、墨のようになってしまう、ということであります。世自在王仏のお姿は、そのように他に比べるものがなく、そのお声は十方に響き渡っている、ということであります。この最初のところで、仏さまの光は、太陽や月、また人間、特に女性の方が憧れる宝石の光、そうしたあらゆるすべてのものを蔽いかくして
み光のはたらき-4この目で見る光、目で見て喜びを感ずる光が、太陽や宝石の光であるとしますと、仏さまの光は、真実のこころで見る光であるとでもいえましょうか。したがいまして、私たちには、仏さまの光を、そのまま拝見することはできないわけでありますが、こうしたことを考えてみますと、仏教の教えているものが私たちを離れてはない、阿弥陀さまという仏さまが私たちのためにいらっしゃる、ということ、自らあきらかになってくるように思います。それは、私たちの日常生活を、ただ楽しく、豊かにし、心を
み光のはたらき-1先月(1979年7月)の20日過ぎでありましたけれども、宗派の仏教青年の活動といたしまして「真宗青年の集い・洋上大会」というものが開かれました。これは、簡単に申しますと、全国の本派関係の青年の集いを、例年でありますと、どこかの教区にお願いして開いていただくのですが、今回は「さくら丸」という大型の船を貸し切りまして、沖縄・神戸間を往復した、ということであります。「本願寺新報」の記事にも出ていますように、この大会のテーマは「響」と