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問いをもって聞く-1浄土真宗において、聴聞・聞法ということが大事な点であることは申すまでもありません。また、宗門の基幹運動の一つであります門信徒会運動の中でも、全員聞法・全員伝道ということで、聴聞に重点が置かれておりますことは、ご承知の通りであります。そういうことに関連しまして、少し考えてみたいと思います。昔から聴聞の大切なことはいわれておりまして、いまさら申すまでもないことであります。しかし、そのことばが昔の方が受け取っておられたと同じようには受け取られなくなっているとい
問いをもって聞く-2今日の言葉でいえば、問題意識をもつということでありましょう。例えば具体的な例として考えられますことは、宗祖・親鸞聖人のお若い時のことです。二十年に及ぶ比叡山でのご修行におこころが満たされず、あれこれと悩んでいらっしゃった時、京都の町でお念仏の教えを説いていらっしゃった法然上人のもとに、三カ月以上になりますが、百日間お通いになられました。これは『恵信尼文書』その他にも伝えられていますように、天気のいい日も雨の降る日も続けて通われ、疑問の点をお確かめになっ
問いをもって聞く-4記録によりますと、まだ汽車も何もない時代に、京都までわざわざ出かけて来て、高名な学者さん、その他いろいろの人びとを訪ねて、疑問の点を質していったといわれております。そういったことを積み重ねたうえで、出てきたことでありましょうが、三十歳の頃に、ーふっとわからせてもらったーというふうに伝えられております。こういうことも、ただ単に「親さまを頼め」という言葉を聞いただけでは、なかなか真の念仏者にはならなかったでありましょうけれども、それが父親の
問いをもって聞く-3五徳瑞現といわれている部分ですが、日頃、お釈迦さまの身の回わりをお世話している阿難尊者が、ある日、突然、いつものお姿とは違うということに気がつきまして、「きょうは、どうして、お釈迦さまのお姿が、このように光り輝いていらっしゃるのですか」とお尋ねします。それに対して、お釈迦さまも「いいことを聞いた」と答えられております。それは、阿難尊者自身が、お釈迦さまの真実の教えを聞かせていただく機縁が熟した、ちょうどその時が来たということでありましょう。お釈