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岩手県釜石市にある狐崎城。釜石第2地割にある八坂神社の後方、小山の生い茂った場所に狐崎城があった。舗装された小道を上った先が狐崎城。この辺りも城郭の一部だったのでしょう。坂の途中にあった狐崎稲荷社の鳥居。狐崎城、狐の文字があるので、稲荷神社がありました。坂の途中に狐崎城址の石碑と石柱があります。狐崎城址石碑に狐崎城の説明がありますが、ところどころ掠れていて読みづらい。室町時代の中頃、遠野の浅沼氏家市である狐崎玄番が狐崎城に居り、その後、附篤牛村に移るという記録
墨田区にある旧安田庭園で、昨年末に約一か月間「光のナイトガーデン」が開催されました。サブタイトルは「江戸を感じる光の情景」。水面に揺らめく紅葉と、江戸の灯をイメージしたライトアップです。サマンサは、クリスマスのイルミネーションの余韻がさめない年末に足を運びました。しかし、入口に立った瞬間、想像していた雰囲気とは大きく違うことに戸惑いました。園内はかなり薄暗く、「本当に開催しているのだろうか」と思ったほどです。入園しても人の姿はなく、クリスマスイルミネーションのような華やかさを想像してい
入口まで戻り、今度は南に延びた廊下を進みます。この廊下の右側にも、ずっとガイドの女性が立っていたので、なかなか写真が撮れませんでした。撮ろうとしている私を見ても退くこともなく、女性グループがやって来て、ガイドに引っ込んでくれた瞬間を狙って撮りましたよ。廊下の先は鉤型になっていました。左と右で窓ガラスの格子のデザインが違っているのも珍しい。設計者・伊東忠太の特徴的な意匠だそうです。廊下の左手は客間。昭和15年(1940年)7月19日に開かれた荻窪会
和歌山市の中心にある虎伏山の頂上にそびえ、白亜の三層からなる大天守閣を持つ和歌山城。8代将軍吉宗、14代将軍家茂を輩出した紀州藩紀州徳川家の居城で、現在の天守閣は1958年(昭和33年)に再建されました。天守閣からの景色は見晴らしが良く、和歌山市街や周辺の山々、紀伊水道まで360度ぐるりと見渡すことができます。和歌山城公園内は見どころが多く、国の重要文化財指定となっている岡口門と北側の土塀や、城主が変わるごとに異なる石垣が積まれている様子など、城好きや石垣好きにも魅力的なスポット!西の丸と
ギリシャのアテネにあるアクロポリスと他遺跡群入場の共通チケットは2025年4月から終了しました。ChatGPTで生成したイメージまとめ:アクロポリスと他遺跡群にすべて入場できる共通チケットの販売は、終了しました。今は、アクロポリス単独入場チケットが30ユーロです。アテネのアクロポリス、過去には共通チケットがあったギリシャ、そしてアテネといったら、西洋文明の発祥の地というイメージがあり、人生1回は行ってみたい観光地だと思っている方も多いのではな
続きまして向かいましたのが。小山城跡。久安4年(1148年)小山政光が築いた古城跡です。別名、祇園城。祇園城の名称は、城内に祇園午頭天王社を祀ったことに由来するといわれているそうな。→祇園社(現・須賀神社)訪問記小山氏は、天慶3年(940年)に平将門の乱を鎮圧したした藤原秀郷の子孫で、小山政光を初代として成立。政光の妻が源頼朝の乳母だったこともあり、頼朝に助力し鎌倉幕府の成立に貢献し、御家人として東日本屈指の勢力を誇っていた
大宰府条坊跡(だざいふじょうぼうあと)/客館跡史跡広場福岡県太宰府市朱雀3-13古代、東アジアの都で採用された碁盤目の地割をもつ都市の跡です。飛鳥時代に造営され、奈良時代には政庁・朱雀大路を備えました。その姿は唐の長安城をモデルとした平城京と似ており、設計・造営には平城京造営責任者があたっています。今も街の処々に条坊の痕跡をとどめた地割が残されています。広場から出た所にもこの後は、周辺のあれこれを行きます!
先週のことですが、近々天守閣が閉館されるという広島城にハレ君と。三の丸駐車場に車をとめて、まずは三の丸の商業施設。ココといいサッカースタジアム前といい、人流れてくるんかな?市民球場跡地にも似たような施設あるのに。本丸内の大本営跡を見学。コレみると比治山の御便殿跡を思い出すけど、何であっちは保存しなかったんだ?!とハレ君は史跡が好きなんです(笑)。
古代に想いを馳せながらギリシャ旅の続きですようやく写真がupできました一緒に旅に出たつもりで楽しんで頂けたら幸いです(長いわ!と思ったらサクッと読み飛ばしてくださいな)「アテネ発:ミケーネ、エピダウロス、ナフプリオンへ」アテネからバスに乗り込みツアー開始ですまずは、バスを間違えないようにナンバーをひかえよう1時間ほど走って到着した
行ってはいませんが、諏訪湖の御神渡りは今シーズンも厳しそうですね。箕輪町でも朝の冷え込みは続いていますが、今週は緩む日もありそうですさてそろそろ福寿草も綺麗に咲き誇っているのではないかと期待して、福与城跡に今日午前中に行ってきました。先日来た時よりも黄色いが広く点在していて期待。でも朝晩の冷え込みのせいか、咲いてもいないし綺麗でもなく(>_<)咲いていても小ぶりで。もう少し暖かくならないとダメですね。さて福与城跡入り口には無数の土山が点在。私の畑もそうなんですが
一宮城跡に来たけれど…四国の城攻め第5弾は、徳島県の一宮城跡です。続日本100名城の1つで、山城です。…ですが、最初に断っておきます。山、登ってませんこの日は城跡を4つ巡る強行日程だったので時間が無く、本丸までの登城は断念。今回はとりあえず、続日本100名城のスタンプを押しに行ったって感じです。徳島県のホームページから本丸の雰囲気だけ本丸虎口の石垣、見たかったなぁ〜一宮城の石垣は本丸のみに築かれているそうで、築造は蜂須賀氏によるものらしいです。いつか必ずリベンジしたい
岐阜県庁と対面する感じで、椅子に腰掛けた人物像がある。武藤嘉門(むとうかもん)翁像とあるが全く存じない方です。近づくとより大きく感じる。この方は元岐阜県知事で衆議院議員で名誉県民であるお方です。1947年から1958年にかけて岐阜県知事を務め、1963年に92歳で生涯を終えている。70代後半になって県知事に立候補するなんて当時の平均寿命からして考えられないことだが、当選して11年も務められたのは立派なことだ。その息子の嘉一、嘉文と現在の衆議院議員である容治まで4代続く
水口城跡に登城しました前回に引き続き滋賀旅です。今回は滋賀県甲賀市にある水口城跡です。水口城は3代将軍徳川家光の時に上洛の際の宿館として築城され、その後は水口藩の居城となったようです。明治維新で廃城となり遺構はかなり無くなっているようですが、本丸周辺の石垣や堀が残っています。本丸跡は現在近くの学校のグランドとして利用されています。昭和47年に滋賀県の史跡に指定された事から保存整備の機運が高まり、平成3年に出丸部分に資料館が完成しています。資料館は廃城後に民家に移築されていた乾櫓を、再移築し
皆さん、ご無沙汰しております。本日は、2026年最初の街歩き記事をお届けします。毎年末年始には、私は平成ちくほう鉄道市場駅の夜明けの写真を撮影することを恒例イベントとしていますが、年始の方ではそのついでに市場駅近隣の街歩きを行います。その際の記事となりますね。訪れた日は2026/01/17(土)市場駅の夜明けの写真はFacebookとInstagramに譲りまして、本記事では福智町の史跡・城山横穴群についてご解説・写真を披露いたします。...Instagramはアメブロと連動