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京都の通信革命はここから始まった――西京電信局・京都電話交換局跡を訪ねて今ではスマートフォン一台で世界中と瞬時につながることができる時代。しかし、京都にも通信の歴史が始まった場所があることをご存じでしょうか。今回ご紹介するのは、京都における電信・電話発祥の地を示す石標です。この場所には、明治時代に「西京電信局」と「京都電話交換局」が設置され、日本の近代通信を支えた重要な拠点がありました。明治政府が進めた近代通信網明治維新後、日本は近代国家への歩みを急速に進めました。明治5年(1872)
ブックマーク:★レトロ系建物22025-12-30【中城】は「なかグスク」と読みます。グスクとは御嶽と呼ばれる拝所が集まる信仰の場でいわば寺社仏閣のような場所なのです。グスクの中はそれぞれの郭に分かれて、ひとつひとつの郭に御嶽があり「イべ」があります。イべとは神様が天から降りてくる場所。神様が宿る「御宿(ぐしゅく)」が「グスク」となりました。駐車場近くの事務所からカートで送迎してもらえます。1853年、ペリー提督が沖縄に立ち寄った際、中城
三ケ木営業所から相模湖駅行のバスに乗り、寸沢嵐(すわらし)バス停で降りると目の前に武田信玄軍が三増の合戦で討ち取った首を洗った首洗いの池というか、泉があります。今は草ボウボウです。寸沢嵐のあたりで首級をして、その首を上に登った、今帝京大学の植物園のフェンスの左側の林に埋めて、浅間神社を建てました。今は武田信玄が建てた浅間神社跡として史跡になっています。そこは、怨念うずまくすごい所で首の埋まっている所に踏み入るだけで地面からうなり声が聞こえます。私は、2回ほど浄霊を試みたのですが、効果はな
九州に行ってきました今回の旅行はまだ行ったことがない南九州にフェリーで行きマイカーで北上していこうと計画し旅行しました鹿児島市内に宿泊、観光もしたので次の宿泊先に向かいながらまだまだ鹿児島観光します鹿児島紡績所跡鹿児島紡績所は、薩摩藩が創設した日本初の洋式機械紡績工場のあった場所です龍門司坂龍門司坂の向かい側に無料駐車場とトイレがありました龍門司坂は苔むした石畳の風情が美しい坂道です薩摩藩の主要街道の一部で大名行列や物資の輸送のために江戸と薩摩を結ぶ街道だったそうですWEBサ
高野山奥之院を、色々な歴史的史跡を案内しながらデートするの最高だよ。
所在地〒851-3211長崎県長崎市琴海戸根原町(琴海中央公園)特徴形上湾の奥に築かれた城で、歴史は分からないが、水軍の城なのかもしれない。公園の一角に階段状の郭が遺り、古い石垣も観られるが、城郭遺構なのかは不明。感想公園の案内板に記載があるだけで、史跡としては整備されていない。公園全体が城だったはずだが、地形は大きく改変されている。
毎度、当ブログへお越しいただき、ありがとうございます。今回もまた長野盆地の前期前方後円墳を紹介しますが、埴科古墳群の北方、古墳群とは盆地を挟んで反対側にある古墳を訪ねました。その名も「川柳将軍塚古墳」。長野盆地周辺では、首長級の巨大前方後円墳は「将軍塚」と呼ばれます。近くに、ほぼ同時期とされるやや小型の前方後方墳「姫塚古墳」もあり、こちらは川柳将軍塚古墳の附指定になっています。もちろん、両方を訪ねたのでご覧ください。時期的にはいずれ
おはようございますまずは熊本の大地震におかれまして被災した皆さんにお見舞い申し上げます友人の無事が確認できて安心していますがまだ揺れ続けているし生活の場も史跡もあちこち被災してるしまた更に揺れたりしないよう願ってます熊本の友から史跡の被災してる写真届いた時には悲鳴あげたもんね…熊本そろそろまた行く予定立てたいなって思ってたのに…そんな日の午後餃子を焼いてて皿に移す時フライパンの油をひっかぶって手を火傷ちょーっとやらかしたな!と思ったものの冷やし続けてなんとか事
野見宿禰神社の後は資さんうどんでランチ念願の資さんうどんデビューテーブルにはトッピングの天かすやとろろ昆布など何をいただこうか迷った結果肉玉丸天細めんそれと、おでん福岡で食べたやりうどんにも入っていた丸天入りのうどんふわっふわな食感の丸天が美味しいの麺は、細麺をチョイスしたら煮麺みたいな感じでこれまた美味C~ごちそうさまでした~店舗前には陸奥弘前藩津軽家上屋敷
背丈の低い石碑があるだけで何もなさ過ぎて、見逃してしまうほどだ。一切の説明もないので何が発掘されたかすらもわからないが、土器などの破片とかだろう。畑の中にぽつりとあるむなしい遺跡だ。
歴史を思い返して思うことは?戦争は、現実味がありません。私の両親ですら戦後生まれの人たちなので、家庭内で戦争について話をすることはありませんでした。成長して、日本の歴史について興味を持ちだして、戦争経験者の祖父母に話を聞こうと思った頃には、すでに父方祖父母は他界、母方祖父母はそろって認知症になっていたので、まともに会話をすることもなく戦争のことについて話を聞く事はありませんでした。なので、戦争で亡くなった皆さんを偲ぶ施設で史跡を見るくらいです。2026年6月頃に静岡県富士宮市にある
あの世で孔明先生に会うために生きている子(げんし)です。孔明先生の生まれ故郷と、三顧の礼の舞台は同じ?孔明先生の生まれ故郷は今の山東省。青島がある省です。日本から行くには日本→青島→沂南が一番わかりやすいと思います。ここが孔明先生の生まれ故郷にある武侯祠。ですが!三顧の礼の場所ではありません!三顧の礼があったのは南陽か襄陽か(現地で論争中につき曖昧にしときます)どっちにしろ!三国志の時代の荊州なので全然違う場所です。私が
こんばんは、天宮です5月17日(日)湖南町に格安の市営温泉施設があるというので娘とドライブがてらのんびり出掛けました温泉の前に昼食を、と思い見当をつけていたお店まで行くもまさかのお休み∑( ̄□ ̄;)何処かでお昼を食べたい‼️その一心でまたまた車を走らせていたら有り難いことにラーメン屋さんの看板発見‼️お店の駐車場に車を停めましたその駐車場のすぐそばに郡山市指定の史跡があるとは驚きよ‼️昭和50年8月29日に郡山市から指定された三代(みよ)の一里塚写真の右端に写っている白河街
7月9日上人壇廃寺跡とJRとの境界付近でJR作業員が除草・樹木の伐採作業を実施してるのを確認しました。見たところ今回は比較的大きな規模みたいで、遠目からも大量の草木が落とされていました。後日近くで確認したところ、かなりの草木が上人壇廃寺跡側へ放置されていました。例年のJR側の草刈りはJR境界側で収まっていたようですが、今回は木の伐採まで行っていました。市役所文化財担当者へ状況を連絡しましたが、JRの連絡先が非公開との事でなかなか連絡がつかないようでした。日数はかかりましたが、上
都内在住、40代パート主婦。私立中学に通う息子と、単身赴任の夫の3人家族。2024年中学受験終了組。元・早稲田アカデミー。父母で伴走し、偏差値最低18、最高67をド根性で乗り切る。昨年自宅を売却し、現在は富裕層ピラミッドでいう準富裕層(純金融資産約6,000万)。株・債券・ゴールド中心に、やや攻めの資産運用中。元貧乏ゆえ、お金を自分のために使うのがいまだにへたくそ。資産運用も人生も、トライアンドエラーで模索中。夏を快適に過ごすためにスカートみたい
上野公園内の東京国立博物館の東側に「輪王寺」というお寺があります。今回の史跡巡りの目的地の一つです。上野公園が想像以上に広大で、「彰義隊戦死者碑」からこの「輪王寺」まで迷いながらも、やっとたどりつきました。江戸末期、上野公園の敷地は元は天台宗別格大本山「寛永寺」の境内地でした。公園中央の大噴水の位置に根本中堂、東京国立博物館の位置に本坊があり、この「輪王寺」はもと寛永寺の伽藍の一部であったのです。現在の東京国立博物館の敷地はもと寛永寺本坊でしたが、慶應4年の上野戦争の戦場
鵜木城を見終わったので、次の目的地へ行くことにしました。次は杷木神籠石です。神籠石とは史料にはその名を一切見ないけど、史跡として残っている、大和朝廷の命で作られた(それ以前という説も)古代山城のことです。場所はこちらです。地図上では先ほどの鵜木城とほぼ同じ位置ですが、実際はもう少し北東らしいです。先ほどの鵜木城の徒歩圏内ですが、山の中にあるので、どのくらいかかるかわかりませんが、おそらく中心地までは車では行けません。国道沿いにある第一
「飛鳥・藤原の宮都」が世界遺産登録へ。これは嬉しいニュース。八年前に奈良県の明日香村を訪れた事があり、レンタル自転車で史跡を巡りましたが、本当に素敵な場所だったので・・・↓はその時に撮った写真(ほんの一部ですが)また改めて訪れたい場所。世界遺産登録が決まったので人は増えますね。
池田屋事件を生き延び、志半ばで散った勤王志士――西川耕蔵邸跡を訪ねて京都には幕末維新の激動を物語る史跡が数多く残されています。今回ご紹介するのは、勤王志士・**西川耕蔵(にしかわこうぞう)**の邸跡を示す石標です。池田屋事件を生き延びながらも、その後捕らえられ、志半ばで命を落とした西川耕蔵。その生涯は、幕末京都の緊迫した情勢を象徴しています。学問を愛した三条通の青年西川耕蔵(1823~1865)は、京都・三条通の本屋に生まれました。商家の子として育ちながらも学問への関心が強く、尊王攘
【2026年7月20日】7月の三連休最終日。日差しは強いものの、それほど湿度が高くないおかげで汗だくになるほどの暑さは感じない日に向かったのは、神奈川県の海老名市。小田急線の海老名駅を出て、駅前のショッピングモールに建つ七重塔のモニュメントを観て、そこから歩くこと、約10分ほど。今回、海老名を訪れたメインの目的である場所に到着しました。その昔、相模国(現在の神奈川県あたり)の国分寺が置かれていた跡地です。かつて寺院の伽藍が建てら
今年も恒例地元小学校の『ふるさと学習』が実施されました。昨日の雨も上がり薄日が差す中、暑くもなく寒くもなく、ぬかるみ等もなく最適な環境で実施されました。小学生参加人数4日10人19日13人ボランティア活動内容お出迎え・お見送り入口の開閉フォト撮影の支援(知る古会の補助)須賀川市博物館のパンフレット人数分渡す。(史跡より出土された瓦等常設展示説明)事前草刈り見学は学区内の小学校のみですが、将来的に市内全域の小学校へ拡大して行けれ
毎度、当ブログへお越しいただき、ありがとうございます。今回訪ねるのは、埴科古墳群では最後の4つ目の古墳、土口将軍塚古墳です。また山の上にある古墳、しかも直下には長野自動車道のトンネルがあるんですよ。古墳は山の上…またもやイノシシやシカにおびえながらの山登りになりました。まあ、ご覧ください。クライミングパンツメンズトレッキングパンツアクティブパンツロングパンツワークパンツジョガーパンツTULTEX撥水ストレッチ軽量
ダムの水位低下し水没していた第二次世界大戦中の「死の鉄道」駅跡が姿現す映画「戦場にかける橋」の舞台タイ旧泰緬鉄道の廃線跡第2次世界大戦中、旧日本軍によって建設された、「死の鉄道」として知られる泰緬(たいめん)鉄道の駅跡がタイ西部で姿を現し、研究者らによる調査が進んでいます。泰緬鉄道は、タイと当時のビルマを結ぶ補給路として建設され、動員された連合国の捕虜やアジア人労働者、10万人以上が命を落としたとされています。2026年4月、タイ西部カンチャナブリ県で、ダムの保守作業に伴い水位が
お城大好きなぱんだ(´Д`)。かねてより行きたいと切望していた静岡県三島市の山中城跡に行って来ました。本日は山中城跡の紹介十三回目です。史跡山中城は、小田原に本城を置いた北条氏が永禄年間(1560年代)に小田原防備のために創築した山城です。天正十七年(1589)の豊臣秀吉の小田原征伐に備えて急ぎ西の丸や出丸などの増築が始まり、翌年三月に豊臣軍に包囲され、約十七倍の人数にわずか半日で落城したと伝えられています。ではそんな山中城を見ていきましょう。山中城跡岱崎出丸一の堀を楽しみながら
例年6月に地元小学校の『ふるさと学習』でここ上人壇廃寺跡へやって来ます。昨年もそうでしたが業者による除草が『ふるさと学習』に間に合わず、急遽個人ボランティアの国史跡上人壇廃寺跡『守り人』が見学に支障ないよう草刈りを実施しました。来年度には『ふるさと学習』より前に業者の除草を行うようにすると市文化財係の責任者と約束したはずでしたが・・・令和8年度となり市文化財係の責任者が変わり当然のように約束はなかったかのように?これでは間に合わないと判断して今年も『守り人』が今年も草刈り
もう帰路に着こうかとも思いましたが、まだ明るい。瓜割石庭公園に行く途中、洞窟の道案内を見かけ、まだ行けるかもしれない、とGoogleマップで調べたら、まあまあ近くに洞窟がある。車で8分なら行きましょうぞ。ところが、ものすごく、ものすごーく、道が狭い。脱輪するんじゃ、と怖くなるほど。で、案内看板があるところまで来ました。この看板から徒歩2分、とは書いてある。なんとなんと、めっちゃ山道。ほんとの山道。しかも、登り。登山なのって思うくらい。またまたクマの心配が頭をよぎる。でも登
キャラの意味あるのか、100円書斎Love。只見町戊辰戦争史跡めぐりフリーペーパーや、パンフレットなんかのなかにも、読むと読みでがあって、しかもしっかりとした内容のものもあり、そんな小冊子とかに出会えるととてもうれしい。これはそういう一冊でした。只見町の戊辰戦争の史跡、戦跡について紹介するパンフレットでした。ここは長岡から、六十里越を通って会津へと至るルート。JR只見線沿いに続いているよ。河井継之助が会津に向かっていって、なくなったのもここらでしたね。彼がなくなった家
昨日、「ムーミン展」を見に行った福岡市美術館のある大濠公園。その大濠公園は、福岡城跡である舞鶴公園と接していますその舞鶴公園の東側。昔、平和台球場だったところの一部から、「鴻臚館」跡が見つかったのは、40年くらい前のこと一旦埋め戻されて、長いこと鴻臚館広場として使われていたけど、昨年から、いよいよ復元整備に入っています復元整備に入ってからは、広大な広場に囲いができて、通れないところも増えて・・。桜の時期なんかは、ちょっと残念な景色になってる。復元完成は数年先らしい・・。その鴻臚館の展
今日は平日ですが、会社指示の健康診断のために仕事を休み、有楽町の方にある病院の方に出向いていました。で、まぁそんなに時間が掛かるわけでもないので、健康診断の跡は好例の史跡巡りをして参りました。ただ、有楽町近辺の史跡は毎年健康診断の度に行っているということもあり、さてどこに行こうか迷っていたわけですが、せっかくなので”行くのが面倒で行っていない”場所に行くことにした次第。行きにくいというのは、地形的に行き難いというのではなく、電車で行こうとすると乗り換えが面倒なわけです。一駅乗って乗り換え、
さ~て、先日、ある資料を読んでいましたら、東京都江戸川区にある『一之江名主屋敷』に出会う機会がありました。先ず、以下の画像3枚は『じゃらん』の公式ホームページに掲載されていた内容を転載させて頂きます。また、下記は、『京都芸術大学通信教育課程芸術教養学科WEB卒業研究展』から情報を拝借です。尚、主旨が変わらない程度で、小職が書き換えています。石丸京子東京都指定史跡昭和29年(1954年)11月3日指定江戸川区登録史跡昭和56年(1981年)1