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◆春日住民センター◆兵庫県丹波市春日町黒井496-2📞0795-74-0225【押印時間】8時30分から22時まで(12月29日から1月3日は休館しています)平成29年4月6日に黒井城が公益財団法人日本城郭協会により「続日本100名城」に選定されました。これは黒井城が、「文化財・史跡」「著名な歴史の舞台」「地域・時代の代表」としての価値を持つ城として価値を認められたことによります。この「続日本100名城」に選ばれた城を巡るスタンプラリーが平成30年4月6日から始まりました。(
先週の土曜に行って参りました、戊辰戦争史跡訪問記録です。訪れましたのは。安塚駅。慶応4年(1868年)、戊辰戦争の際。小山の戦いに勝利し、宇都宮城をも奪取した旧幕府軍は。新政府軍の救援軍の北上を知り、新政府軍側として小山で戦った壬生藩の本拠地・壬生城を攻略するため進軍。姿川の淀橋付近で戦闘になりました。これが「安塚の戦い」と呼ばれています。駅前から歩きまして、5分程。戊辰戦争戦士者の墓碑。
千代田区三番町にある東郷元帥記念公園。2017年から隣接する九段小学校の改修工事に伴いプールが撤去されるため、公園内の全面的な改修工事が行われています。この公園は元は上六公園といい、1929年に開園。北側には東郷平八郎邸が隣接していて、東郷平八郎の死後は史跡として保存されていました。東側は、コンクリート造の上六小学校(現九段小学校)に隣接し、児童たちが使うプールや災害時用の給水施設を備えた画期的な施設として設計されました。1923年の関東大震災の火災鎮火の要因のひとつに公園が寄与していた
和歌山市の中心にある虎伏山の頂上にそびえ、白亜の三層からなる大天守閣を持つ和歌山城。8代将軍吉宗、14代将軍家茂を輩出した紀州藩紀州徳川家の居城で、現在の天守閣は1958年(昭和33年)に再建されました。天守閣からの景色は見晴らしが良く、和歌山市街や周辺の山々、紀伊水道まで360度ぐるりと見渡すことができます。和歌山城公園内は見どころが多く、国の重要文化財指定となっている岡口門と北側の土塀や、城主が変わるごとに異なる石垣が積まれている様子など、城好きや石垣好きにも魅力的なスポット!西の丸と
[うに]今日は、『やっぱりカレーだねフェスハシゴ1日旅』😆本日5軒め、中野市の、『中野陣屋・県庁記念館』へきたにゃー🎶[くる]キシャーーー!!(^○^)[うに]長野県の史跡に認定された、『中野県庁跡』😊↑↑誤字ではなく、実際に現在の中野市に県庁があった時期があるらしいですにゃ😊一応言っておくと現在、長野県の県庁所在地は長野市😊[くる]ウッキーーー🎶(≧∀≦)ノ[うに]そんな史跡の中にあるのが、『カフェ陣屋』さん😊[くる]ワクワクーーー🎶(≧∀≦
秋田県鹿角市にある史跡・尾去沢鉱山。そのキャッチフレーズは、『1300年の歴史を誇る銅鉱脈群採掘跡』とあり、その名称だけでもなんだかワクワクする気持ちにさせてくれます。最大のポイントは、鉱山で実際に使われていた坑道を、観光客が安全に見学できるように、観光坑道化していることだと思います。総延長は1.7kmもあり、近代の坑道と、江戸時代の坑道の2タイプを体験できる、とても貴重な場所です。さて、体験坑道ですが、とてもリアルな体験ができます。まずは、近代鉱山としての石切沢通洞坑から入
組長ヨーグルトパフェは14時からッスよ。混むので予約が良きでしゅ。鮭のスパゲティ食べたかった。いくらとスパゲティ合うのヨネ。でもハンバーグが美味しかったよ。こっちでも美味しいな。きっとなに食べても美味しい。また来たいな。店員さんたち頑張れ負けるな。責任者。人員不足解消しないとブッ殺す
こんにちは。鎌倉雪ノ下AtelierJasmineの元松尚美です。2月の三連休とは思えない暖かさ‼️昨日から泊まっている孫っち1.2号君とご近所ハイキングへ、行って来ました〜自宅から10分弱…街中は観光客で込み込みですが、たった10分、完全にハイキングコース。北条高時が切腹したと伝えられている「腹切やぐら」から山道へ。ここは北条氏の氏寺、東勝寺跡地で、鎌倉幕府滅亡の地とも言われてます。史跡東勝寺跡www.city.kamakura.kanagawa.jp数メートル手前ま
201系が通り過ぎた後ひだ25号まで写したところで。これまで島本で列車撮影をしたあとの行動パターンは山崎や桂川、京都方面に移動して続きをするか、梅田かエキスポシティで映画を観たり買い物をして帰るかだったのですが去年あたりから度々通ってきたここ島本駅、この通過中の特急はるかの後方駅のホームの東側に見える樹々今回は前々から気になっていたこの公園に立ち寄ってみることに橋上から東口の駅前ロータリーを一望、東口を出て駅のロータリーへ、さっきいたホームを外から、
『かつて存在した稲付川跡を辿る③』『かつて存在した稲付川跡を辿る②』『かつて存在した稲付川跡を辿る①』先日、旧中山道板橋上宿から赤羽へ向かって、かつて存在していた「稲付川」の痕跡を辿ってみまし…ameblo.jp↑の続きです。ここからは、稲付川周辺を少し探索していきます。江戸時代、この一帯(赤羽西・赤羽南・西が丘地域)は稲付村と呼ばれていました。稲付川跡を辿って旧岩槻街道(都道460号)に出たので、そこを北上していきます。付近には明和6年(1769年)に造られた古い庚申塔も残っています
以前も何度か歩いています瑞穂区の史跡をお写ん歩しましたと言うことで、地下鉄堀田駅よりスタートです今回は、なるべく下の瑞穂区史跡散歩路に沿ってお写ん歩です最初は神社です建物に挟まれた神社です浜神明社上の案内板にあった斗帳寄進碑はこれ何か有難味の有りそうな碑です小さな境内から1枚史跡散歩路看板にあった神社です(赤丸)神社をでてからは、名古屋高速がある道を渡り東側の歩道を南に進みます松田橋交差点を渡り、パチンコ屋さんのビルを左手に進みます続く
日本の二大パワースポットである伊勢神宮と出雲大社のど真ん中にある恒屋城跡(姫路市指定史跡)恒屋城は長禄元年(1457年)に恒屋伊賀守光氏が築城したと伝えられています。恒屋氏はその後、代々、播州に勢力を張ってきましたが、天正年間(1573年~1592年)に羽柴筑前守秀吉が中国遠征を行った時、毛利方に味方したために、滅ぼされました。同時に城は焼き討ちにあったといわれています。恒屋氏一族は黒田官兵衛を頼り、九州は筑前(福岡)に移り
先日の都内お散歩の記録。6月中旬にして最高気温30℃超えの青天の中。まずは、幕末の史跡、こちらに訪れました。伝・沖田総司逝去の地。JR千駄ヶ谷駅から歩いて8分ほど。周辺には遺構もなく、道沿いに説明板が建てられているのみです。沖田総司が亡くなった場所には、いくつか説がありますが。こちらは、「植木屋平五郎宅の離れでなくなった」説の地なんですね。→沖田総司終焉の地碑のある、今戸神社沖田さんは、松本良順宅のあった
大相撲初場所中なので横綱の話題を。養老公園入口には御当所縁の横綱の碑がある。その名も鬼面山谷五郎(きめんざんたにごろう)(1826年~1871年没)という岐阜県唯一の横綱まで登り詰めた力士である。まるでハイスクール!奇面組を彷彿させる名前だ。岐阜出身の十両以上の関取は平成初め頃までしかおらず、以降は幕下どまりで、同じく養老町出身で同力士の名前にあやかった86年から10年まで活躍した輝面龍政樹(きめんりゅうまさき)が東幕下4枚目になって以来、この地位を超えていない。146キロ