ブログ記事7,498件
以前も何度か歩いています瑞穂区の史跡をお写ん歩しましたと言うことで、地下鉄堀田駅よりスタートです今回は、なるべく下の瑞穂区史跡散歩路に沿ってお写ん歩です最初は神社です建物に挟まれた神社です浜神明社上の案内板にあった斗帳寄進碑はこれ何か有難味の有りそうな碑です小さな境内から1枚史跡散歩路看板にあった神社です(赤丸)神社をでてからは、名古屋高速がある道を渡り東側の歩道を南に進みます松田橋交差点を渡り、パチンコ屋さんのビルを左手に進みます続く
旧蹟生麦事件碑往訪日:2025年2月15日所在地:神奈川県鶴見区生麦1丁目アクセス:京急・生麦駅から約10分駐車場:なし《事件のあらまし?を記した石碑》今年の二月中旬。横浜市鶴見区のキリンビール横浜工場を見学した。見学といえば聞こえはいいが要するに搾りたて生の試飲である。ただせっかく行くならということで、生麦事件の現場を歴史探偵することにした。京急生麦駅の東口に降り立った。下町の風情といえばそれらしくも聞こえるが、もう二十年近く、いやそれ以上だろう、眼に映る景
ギリシャのアテネにあるアクロポリスと他遺跡群入場の共通チケットは2025年4月から終了しました。ChatGPTで生成したイメージまとめ:アクロポリスと他遺跡群にすべて入場できる共通チケットの販売は、終了しました。今は、アクロポリス単独入場チケットが30ユーロです。アテネのアクロポリス、過去には共通チケットがあったギリシャ、そしてアテネといったら、西洋文明の発祥の地というイメージがあり、人生1回は行ってみたい観光地だと思っている方も多いのではな
先日の都内お散歩の記録。6月中旬にして最高気温30℃超えの青天の中。まずは、幕末の史跡、こちらに訪れました。伝・沖田総司逝去の地。JR千駄ヶ谷駅から歩いて8分ほど。周辺には遺構もなく、道沿いに説明板が建てられているのみです。沖田総司が亡くなった場所には、いくつか説がありますが。こちらは、「植木屋平五郎宅の離れでなくなった」説の地なんですね。→沖田総司終焉の地碑のある、今戸神社沖田さんは、松本良順宅のあった
秋田県鹿角市にある史跡・尾去沢鉱山。そのキャッチフレーズは、『1300年の歴史を誇る銅鉱脈群採掘跡』とあり、その名称だけでもなんだかワクワクする気持ちにさせてくれます。最大のポイントは、鉱山で実際に使われていた坑道を、観光客が安全に見学できるように、観光坑道化していることだと思います。総延長は1.7kmもあり、近代の坑道と、江戸時代の坑道の2タイプを体験できる、とても貴重な場所です。さて、体験坑道ですが、とてもリアルな体験ができます。まずは、近代鉱山としての石切沢通洞坑から入
◆春日住民センター◆兵庫県丹波市春日町黒井496-2📞0795-74-0225【押印時間】8時30分から22時まで(12月29日から1月3日は休館しています)平成29年4月6日に黒井城が公益財団法人日本城郭協会により「続日本100名城」に選定されました。これは黒井城が、「文化財・史跡」「著名な歴史の舞台」「地域・時代の代表」としての価値を持つ城として価値を認められたことによります。この「続日本100名城」に選ばれた城を巡るスタンプラリーが平成30年4月6日から始まりました。(
夜の明石城を訪れました明石で軽く飲んだ帰りに明石城へ明石城のライトアップは真っ白じゃなく、どこか妖艶な感じがあって好きです。以上、少し暖かくなって春っぽくなった日の夜の明石城でした(2025年3月7日散策)
和歌山市の中心にある虎伏山の頂上にそびえ、白亜の三層からなる大天守閣を持つ和歌山城。8代将軍吉宗、14代将軍家茂を輩出した紀州藩紀州徳川家の居城で、現在の天守閣は1958年(昭和33年)に再建されました。天守閣からの景色は見晴らしが良く、和歌山市街や周辺の山々、紀伊水道まで360度ぐるりと見渡すことができます。和歌山城公園内は見どころが多く、国の重要文化財指定となっている岡口門と北側の土塀や、城主が変わるごとに異なる石垣が積まれている様子など、城好きや石垣好きにも魅力的なスポット!西の丸と
館山チャシというのは北海道西南部にあるアイヌのチャシ跡です。場所は伊達市内の高台部分にあり、JR伊達紋別駅から徒歩15分程で行けるので、史跡訪問としては時間もかからずに立ち寄れるところ。ただ、かなり公園化されてしまっており、見れる遺構が少ないのが泣き所。それでも伊達市内を一望できる展望台としては最適。チャシとしての歴史等は現地でも不明で、ただ江戸前期のシャクシャインの乱に関連する史跡であったであろうという推定が成されています。南部藩モロラン陣屋からバスで東室蘭駅まで戻り、再びJ
日本の二大パワースポットである伊勢神宮と出雲大社のど真ん中にある恒屋城跡(姫路市指定史跡)恒屋城は長禄元年(1457年)に恒屋伊賀守光氏が築城したと伝えられています。恒屋氏はその後、代々、播州に勢力を張ってきましたが、天正年間(1573年~1592年)に羽柴筑前守秀吉が中国遠征を行った時、毛利方に味方したために、滅ぼされました。同時に城は焼き討ちにあったといわれています。恒屋氏一族は黒田官兵衛を頼り、九州は筑前(福岡)に移り
NHK大河ドラマの豊臣兄弟が面白いので足跡巡りしてきました。長久手の古戦場公園に向かうと、工事中。大河ドラマの影響か?!新施設を作ってます。オープンは2026.4月予定この地で亡くなった侍の志に、礼。徒歩圏内に史跡があるとの事で回ってみました。右側すぐ民家。後半へ
鎌ケ谷市東中沢には中野牧の捕込が遺っており、平成19年に「下総小金中野牧跡」という名称で国の史跡に指定されています。場所は京成松戸線の北初富駅近くです。捕込は言わずと知れた近世の牧を構成する1施設で、牧内に放牧されている馬を年に一度捕獲するための使用されます。「下総中野牧込跡」の東に隣接して貝柄山公園があります。面積は4.1ha程の広さがあり、市内外から多くの方が訪れています。公園の名称となっている「貝柄山」は、公園の近くに「中沢貝塚」という縄文時代後・晩期の貝塚があり、周辺をかつて中沢
小篠長兵衛邸・楽器絃製造所跡―音を支えた職人の記憶京都の街角にひっそりと立つ一基の石標。「小篠長兵衛邸・楽器絃製造所跡」と刻まれたその文字は、華やかな音楽の裏側を支えた一人の職人の存在を今に伝えています。小篠長兵衛は、楽器の絃を製造する業を営んでいた人物です。三味線や琴、あるいは西洋音楽の普及とともに使われるようになった弦楽器など、絃は音色を左右する重要な要素であり、高い技術と経験が求められました。長兵衛の製造所でも、一本一本の絃が丁寧に作られ、多くの演奏家や楽器職人を支えていたことでし
まいど❗️って事で本日2回目の更新……。阪神御影駅近くにある飯屋《なかよし》で昼メシ食った後……少し歩いて《阪神御影駅》まできてみました。いつの間にかメチャメチャ綺麗になってました。この御影駅北側には地下からコンコンと湧き続ける霊泉がありましてね。本当に物凄い量の地下水が湧き続けております。御影(みかげ)の名前の由来になった《霊泉沢の井》……。色々書いてありました。で、この《沢の井》、実はコチラはいわゆるオブジェ的な扱いの場所?でしてね。本当の【沢の井】は御影駅から少し西に行
前回からの続き(7月21日のこと)です再び西へ向かい、東堀川通りを上がって行きますホテルが続けてあって、ホテルTHEMITSUIKYOTOの壁際に石碑と駒札がありました福井藩邸跡住所・京都市中京区油小路通二条下る西側解説此付近福井藩邸跡この油小路二条下る西側(現HOTELTHEMITSUIKYOTO)の一帯には、江戸時代後期、福井藩の藩邸があった。藩邸が置かれたのは比較的新しく、天保2年(1831)の「京大絵図」に描かれている。藩邸は藩の京都連絡事務所で、留
岡山県の西部にあった備中国〈きびのみちのなかつくに〉は吉備の中央に位置し、弥生時代には吉備の王墓とされる楯築〈たてつき〉遺跡(墳長約80m)、古墳時代には大王陵に匹敵する規模の造山〈つくりやま〉古墳(墳長350m)が築かれています。この備中国の国府(国司が政務をとる国庁が置かれた場所)があったとされる賀陽〈かや〉郡は、現在の総社平野から高松平野にかけての一帯に比定されています。このうち総社平野東部の金井戸地区には「北国府」、「南国府」、「御所」といった地名が残り、備中国府跡の有力な候補地と考え