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友人Tくんと、久しぶりにショートツーリングで、ちょっとだけ南の方を目指して走りました。そしてたどり着いたのがココ。明治25〜28年にかけて建造された砲台の跡が今なお残る場所。夏日になった今日でも、地下通路は少しひんやり。灯りを持っていないとかなり真っ暗で、探険気分。薄暗い階段を上ると・・半地下の様な場所に出ます。そう、ここが正に砲台のあった場所。28cm榴弾砲と呼ばれる大口径の大砲が3つの砲座にそれぞれ2つずつ配置され、合計6門並んでいたそうです。この丸い部分が砲床です。これ
知立市の無量寿寺境内の回遊式庭園「八橋かきつばた園」で、かきつばたが見ごろを迎えています。八橋かきつばた園には、16の池に約3万本のかきつばたが植えられ、紫色の花がすべての池で咲き誇っています。今日は絶好の行楽日和に恵まれ、多くの観光客でにぎわっていました。八橋かきつばた園では「史跡八橋かきつばたまつり」を、5月17日(日)まで開催中。まつり期間中は夜間照明され、茶会などイベントが予定されています。(2026年5月2日)▼5月2日(土)、知立の八橋かきつばた園で、かきつばたが見
先日の都内お散歩の記録。6月中旬にして最高気温30℃超えの青天の中。まずは、幕末の史跡、こちらに訪れました。伝・沖田総司逝去の地。JR千駄ヶ谷駅から歩いて8分ほど。周辺には遺構もなく、道沿いに説明板が建てられているのみです。沖田総司が亡くなった場所には、いくつか説がありますが。こちらは、「植木屋平五郎宅の離れでなくなった」説の地なんですね。→沖田総司終焉の地碑のある、今戸神社沖田さんは、松本良順宅のあった
ギリシャのアテネにあるアクロポリスと他遺跡群入場の共通チケットは2025年4月から終了しました。ChatGPTで生成したイメージまとめ:アクロポリスと他遺跡群にすべて入場できる共通チケットの販売は、終了しました。今は、アクロポリス単独入場チケットが30ユーロです。アテネのアクロポリス、過去には共通チケットがあったギリシャ、そしてアテネといったら、西洋文明の発祥の地というイメージがあり、人生1回は行ってみたい観光地だと思っている方も多いのではな
和歌山市の中心にある虎伏山の頂上にそびえ、白亜の三層からなる大天守閣を持つ和歌山城。8代将軍吉宗、14代将軍家茂を輩出した紀州藩紀州徳川家の居城で、現在の天守閣は1958年(昭和33年)に再建されました。天守閣からの景色は見晴らしが良く、和歌山市街や周辺の山々、紀伊水道まで360度ぐるりと見渡すことができます。和歌山城公園内は見どころが多く、国の重要文化財指定となっている岡口門と北側の土塀や、城主が変わるごとに異なる石垣が積まれている様子など、城好きや石垣好きにも魅力的なスポット!西の丸と
続きまして訪れましたのが。新田荘歴史資料館。世良田氏館跡の一角、歴史公園内にあります。世良田東照宮、長楽寺、歴史資料館を含めて、歴史公園と呼ばれているようです。歴史資料館前にあります、新田義貞公之像。新田義貞は、鎌倉時代末期の御家人で、南北朝時代の武将。足利尊氏と共に北条氏と戦い鎌倉幕府を倒幕するも、のちに足利尊氏と対立した後醍醐天皇の命で挙兵。一時は足利方を追い詰めるも、盛り返した足利尊氏に敗戦。尊氏と後醍
毎度ご覧いただき、ありがとうございます。※この記事は再掲載記事です。ご注意ください。伊能忠敬といえば“測量の父”でしょう。今ほど測量技術が進展していない江戸時代において、創意と努力でほぼ正確な日本地図を初めて作り上げた人。しかもその事業を始めたのが壮年を越えてからというのだから、「熟年の星」とさえ言えるでしょう。人生も半分を超えた私ですら、この人の事績は今後の人生の励みになります。そんな忠敬さんが永眠するお墓は東京・上野から程近いお寺にあるとい
◆春日住民センター◆兵庫県丹波市春日町黒井496-2📞0795-74-0225【押印時間】8時30分から22時まで(12月29日から1月3日は休館しています)平成29年4月6日に黒井城が公益財団法人日本城郭協会により「続日本100名城」に選定されました。これは黒井城が、「文化財・史跡」「著名な歴史の舞台」「地域・時代の代表」としての価値を持つ城として価値を認められたことによります。この「続日本100名城」に選ばれた城を巡るスタンプラリーが平成30年4月6日から始まりました。(
最初ランチに考えていたお店はすごい待ちだったのでそのまま「おび天」さんでランチ。かつおめしと飫肥の名物だという「厚焼き玉子」は定食(松)にしかついてない。というわけでおび天定食(松)おび天と、この丸いのは牛蒡が入っていたらしいおび天は、魚のすり身とお豆腐なのでふわふわ。黒砂糖をつかっているので、色黒なんですって。この玉子焼き。ぷるぷる!本当に甘い系で、でもよくある甘い玉子焼きじゃなくてプリン系!私は美味しいと思いました(好み
元々新穂北方山城は潟上本間氏が新穂銀山を経営するにあたり築城されたようで、銀山は山城の隣の尾根にあります本格的な採掘は江戸期に入ってからですが、江戸初期の大盛りを最後に大量に銀は採れることなく細々とした採掘が続いたようですそんなわけで、佐渡金銀山の構成史跡からは外されていますこんな案内板を見つけてしまうここから4キロか、遠い...今日は行かない。。周辺の景色200メートルのほうに足を踏み入れる案内を頼りに入って来たが、いざ帰ろうとすると田んぼ道同然で道が狭く転回に苦労する軽の四
京都の北部に連なる山々を京都人たちは北山と呼ぶ。これらの山々山里山紫水明の別天地で、平安京造営の時には莫大な御用材や官瓦を供出し、その後も王城一千年の間、皇室のご領地、遊猟地として京の文化を支えてきた。本書は、「京の七口」「東山三十六峰」につぐ史跡探訪シリーズ第3弾として刊行。京の北山二十の里(左京区、北区)の文化財、史跡、天然記念物、伝説、行事、風習などを紹介。松ヶ崎では、五山の送り火の妙法の送り火に合わせて、松ヶ崎妙法保存会が中心になり題目踊が催される。山門の弾圧への村人の命の炎。岩倉
さて、史跡めぐりは私の趣味の一つでして・・石造りの城壁などまさに好餌なのです。そういうわけで、同じ路線にあるものの一つが所謂「廃墟亨なのです。昔、ウエブサイトで盛り上がっていた「廃墟エクスプローラー」。その作者の著作が、「廃墟の歩き方」なのです。すっかり忘却していたものをブックオフで見つけました。軍艦島や松尾銅山など有名スポットが多いのですが・・ネット社会の今では写真が少なく、白黒で味気なく感じたりします。岩瀬町と間違えられている「
姫路市四郷町にある見野の郷古墳群を見に行ってきました!3号墳3号墳4号墳5号墳14号墳11号墳15号墳6号墳「夫婦塚」6号墳「夫婦塚」現地はとても綺麗に維持管理されていて、遊歩道や周辺も整備され、各古墳の形や規模がよく分かる状態になっていました。これだけ見やすく管理されているのは本当にあり
毎度、当ブログへお越しいただき、ありがとうございます。今回は大名墓所を訪ねます。指定名称も長いですよ。訪ねたのは「島原藩主深溝(ふこうず)松平家墓所」です。大名墓所は近年、結構な箇所が史跡に指定されています。墓所というものはその性質もあって、今まであまり注目されていなかったですが、近年は大名墓所については研究が進んで重要性が注目されるようになった、ということなのでしょう。大名の墓所は何ヶ所か訪ねているのですが、ここで紹介するのは初めてではないでしょうか。それでは早
前回からの続き(1月11日のこと)です堀川をそのまま上がって(北上して)行きます押小路橋辺りから北を見たとこそこには解説板があります石垣に刻まれた史跡二条城の歴史この辺りの石垣は、二条城築城に伴って慶長8年(1603)年頃に築かれたもので、昭和14年(1939年)11月30日に二条城とともに国の史跡に指定されています。東側の石垣とは積み方が全く異なることが一日見て判ることでしょう。堀川に架かる二条橋の北側には「是ヨリ北紀州」と読める銘文が石に刻まれていることから、慶長5
糸満ロータリーの側にある「他魯毎(たろまい)」の墓です。他魯毎は、南山の最盛期を築いたとされる先代とは違い、自身の欲の赴くままに私腹を肥やすタイプであったとされ、中山王の尚巴志が持っていた豪華な金屏風を手に入れたいために、南山の水田を潤す最大の水源であった嘉手志川と金屏風を尚巴志の策略とも知らずに交換をしてしまい、水源を絶たれた領民の恨みを買ったと言われています。尚巴志によって南山は滅ぼされて、他魯毎が最後の南山王となり沖縄の三山時代は終わりました。
一昨年の夏に沼津の大平新城へ行ってみたのですが、あまりの暑さと雑草の凄さに撤退を余儀なくされました。今回、所用で沼津市の大平地区を訪れましたので、ついでに大平新城へのリベンジ登城を敢行しました。夏に訪れた時と違って登りやすく、遺構もしっかり確認できてとても快適でした。雪の降らない東海地方の山城は、冬がベストシーズンですね。-冬の山城がおすすめな理由-・雑草が少なく、遺構がよく分かる。・樹木の落葉により、見通しがよい。・乾燥しているので、足場が泥濘んでいない。・蚊やアブ、スズメバチ
大相撲初場所中なので横綱の話題を。養老公園入口には御当所縁の横綱の碑がある。その名も鬼面山谷五郎(きめんざんたにごろう)(1826年~1871年没)という岐阜県唯一の横綱まで登り詰めた力士である。まるでハイスクール!奇面組を彷彿させる名前だ。岐阜出身の十両以上の関取は平成初め頃までしかおらず、以降は幕下どまりで、同じく養老町出身で同力士の名前にあやかった86年から10年まで活躍した輝面龍政樹(きめんりゅうまさき)が東幕下4枚目になって以来、この地位を超えていない。146キロ
岩手県釜石市にある狐崎城。釜石第2地割にある八坂神社の後方、小山の生い茂った場所に狐崎城があった。舗装された小道を上った先が狐崎城。この辺りも城郭の一部だったのでしょう。坂の途中にあった狐崎稲荷社の鳥居。狐崎城、狐の文字があるので、稲荷神社がありました。坂の途中に狐崎城址の石碑と石柱があります。狐崎城址石碑に狐崎城の説明がありますが、ところどころ掠れていて読みづらい。室町時代の中頃、遠野の浅沼氏家市である狐崎玄番が狐崎城に居り、その後、附篤牛村に移るという記録
こんにちは。いつもとなりのかがわさんをお読みくださり、ありがとうございます。年の瀬の30日、午後から暖かな天気となりました。県外の車も増え、商店街も多くの人出賑わっています。高松三越から南新町へと歩いたのですが、グリーンの周辺は歩きにくいほどの人でした。海外の観光客と県外の方、地元の買い物客と、奥さんは「昔の商店街みたいだ」と言っていました。さて、前回の「大ゴッホ展」の帰り道、阪急電車に乗り場から「生田神社こちら」のような看板が見えました。生田神社、源平の古戦場なの
加藤司書の桜坂の屋敷跡です、福岡市中央区桜坂2023年の写真で現在は立派なマンションが建てられています。許可を得て工事現場を見せてもらいました。完全に更地になっていました。なんという種類の石垣でしょうか長四角に切った石が斜めに組み合わされています。打込み接ぎ、谷積み、栗石も見えていました。石には苔も生えています。花崗岩でしょうか?福岡城にも類がないすき間のない石垣です。道路に面した部分は切り込み接ぎの布積みでしょうか。福岡藩は明治維新のバスに乗り遅れたとよく言
autumnleaves2025年【紅葉特集】part・6「日本の里100選」の天野の里は、標高450mの天野盆地にあり、空海にまつわる史跡が数多く点在し、四季折々の田園風景がひろがるまさに「癒しの里」である恒例により先ずは、丹生都比売神社で参拝後、高野山町石道の一部である①八町坂➡二つ鳥居➡六本杉コ-スのハイキングをした後、②丹生都比売神社の紅葉を堪能してきた現地出発は「7:55」であるさて、まだ8時前だと境内は全て陰になっていて薄暗いので、観光客もいな
退院して少し落ち着いてきました食べるものには困るけど・・たまにチョビっと誘惑に負けたりしつつ(どうしてもハンバーグ食べたかった)何とか平穏な日々を過ごしております・・てかちょっと飽きたあっこんばんわ味醂ですさて、アクセスも伸び悩み始めるとちょっと気になるのでボチボチブログも更新しましょかね2025年8月19日☀山形弾丸旅行2日目📅この日は午後には山形を出て東京に向かわねばならんかったので早起きをして上杉謙信ゆかりの神社へでも、早すぎて社務所が開く時