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伊勢参宮道は江戸橋を渡り津に入りました。奥の建物…3階建のようで、まるで天守閣みたい。左側の正門に回ってみます。少し傷みが出ていますが、正門から主屋にかけ素晴らしいお屋敷です。並びに真宗高田派のお寺「深正寺」があります。開基は諦順。俗称は春日部正信という。大坂城落城の際父は討死、正信出家し伊勢に走り高田本山13世尭眞上人に帰依しこの寺を開きます。このあたり昭和の面影を残します。
伊勢参宮道を進みます。浄土真宗本願寺派のお寺「光蓮寺」です。500年の歴史を有するお寺です。蔦に覆われた家…廃屋でしょうか。袖うだつのある家もこのあたりの特徴でしょうか。児童公園の一角に「鶴之宮遺跡」なる石塔がありましたが、読めません。少し進むと真宗高田派のお寺「積善寺」があります。善い行いを積めば必ず良い報いがある…という易経の中の「積善之家必有‥余慶‥」からつけられた寺名と
ハリヨ生息地の入り口の看板、よく見ると矢印がクランクしてます。ここから入ってまっすぐではありません、ちゃんと書いてありました。というのは池から帰ってきたときに気が付きましたが・・・。途中の十字路で右だったのですが気づかず真っすぐに行ってしまうワタクシ・・・。真っすぐに・・・・・・?真っすぐに・・・・・・・・・??あれ、津屋川堤防まで突き当たってしまいました。でもなんだかいい景色だったので結果オーライでいいか~。ハリヨの池、無くなってしまったかと首傾げながら戻っ
伊勢参宮道を進みますと、大きな常夜燈と立派な松が現れます。「巡礼道」との追分(合流)です。振り返って見たところ…向かって左側が「伊勢街道」、右側が「巡礼道」です。巡礼道とは、伊勢街道より古い参宮道のことです。「左上野白子神戸四日市道右白塚豊津道」…とあります。この大きない常夜燈は、天保10年武州岩槻の木綿問屋が寄進したもの。常夜燈にもいろんな形があるようで、ここにあるのは「矢倉(櫓)形」と呼ばれるものです。
一大観光地の養老公園エリアに入りました。今も捕虫網を振り回す昆虫採集を楽しむ親子連れが意外に多いのに驚きましたし安心しました。この一角に自然石の道標があります。去年2月に養老の津島街道歩きで訪れたこの「たき道」道標。この街道から養老の滝に向かう道を示してます。今日は滝はスルーで。結構遠いし上り坂なので・・・。現代の道標は100年も持ちそうにないなぁ。養老町の古道ウォーキングマップルートではこの道を行くのですが・・・。どうにもつまらない道です。じつはここは古
常滑街道歩きは終わり、次はどこにしようと考えて・・・。気になっていたのは、去年の美濃路歩きでたどり着いた南宮大社の門前の立派な道標。「右いせようろうたかた道」伊勢、養老、高田への道の方向を示すものです。建てられたのは江戸時代の天保、幕末に活躍する人たちが生まれ始める頃です。おかげ参りも流行したとか、だからなのでしょうか、養老、高田はすぐ近くの町ですが、「伊勢」まで。車社会の現代でも岐阜県に伊勢を指し示した道路標識なんてありません。ということはここからお伊勢参りに向かう人がそ
逆川神社(さかがわじんじゃ)伊勢国奄藝郡三重県津市栗真小川町275(境内西側に駐車場有り)■延喜式神名帳久留真神社の論社■祭神伊邪那美命[配祀]高御産巣日神豊宇気比売命豊玉毘売命神産巣日神伊斯許理度売命大国主命建速須佐之男命菅原道真大山祇命天之菩毘能命「志登茂川」河口近く、右岸に鎮座する社。海岸までは1kmほど、「伊勢街道」に面しています。◎創建由や沿革等について三重県神社庁が示しているのは以下の通り。━━創建は平安時代の後一条天皇のころ(十一世紀前半
伊勢参宮道はそのまま南進するのですが、ちょっと街道を外れ、近鉄線・紀勢本線を踏み切り西に進みます。真言宗御室派のお寺「白山密蔵院」です。当寺領一帯は白山と呼ばれ、津藩2代藩主藤堂高次が白山妙理大権現祈願所としていたという。寛文年中(1661~73)高次は病魔に冒され苦しんだ時、阿闍梨朴心に病気平癒の祈祷を命じられた。朴心は三蜜加持の秘法を修し祈祷を続けたところ、病気はたちまち平癒した。高次は大いに喜び朴心にこの地を与え、この寺を創立させ念持仏を祀ったのが始まり
まず始めに・・・。2回目の歩きより前に、車でわざわざ出かけて前回ボケッとしてて見逃した道標を見に行きました。養老町の古道ウォーキングマップには「宇田西大神宮燈明と道標」と記されているものです。ここかー、ほんの少しだけ主要道から外れて取り残された住宅街の旧道の角にそれはありました。自由な形の自然石道標だなぁ。もう少しそれっぽい形の石もあっただろうに、この石を選ぶのがセンスなんでしょう。右あか坂大かき左宮代表佐たるい細い横面にも。右高田やうろうここに
比較的見所も少ないのでややテンション下げ気味で線路沿いを歩いています。線路の向こうの坂の上の神社もスルーでしたが、もうすぐ電車内から見えた看板の前を通ります。見えた~。トヨタミシンはアイシンが手掛けていて2019年まで展開していたけれどもついに事業をたたんだそうです。そして我が町の誇るオリエンタルカレー。ここまでにもいくつもの養老鉄道のレンガ橋台を見てきましたが・・・。ここは道路と川が並んでいるので真ん中に橋脚がある初めてのバージョンですよ。養老鉄道レン
伊勢街道の神戸宿の北口には神戸の見附(みつけ)が有ります。神戸の見附をみつけました!と言うシャレはさておき。見附(見付)とは見張り番が置かれていた城門などの施設であります。神戸の見附の看板には両側に土塁(どるい→とは土を盛って出来た防壁)と石垣を築いたものである。ここには町の治安を守るために番人が居て夜間遅くには木戸を閉じて通行を禁じたと言われる。明治ニ年の絵図にはこの見附の様子が描かれて両側の石垣には木戸の柵を支えた溝が今も残っていると書かれています。坂になっております。
伊勢市内の伊勢街道を走りました。19㎞走(5分44秒/㎞)。内宮から程近い「猿田彦神社」脇の牛谷坂の傍らに、「宇治惣門跡」の石碑を発見しました。石碑には「旧参宮街道の牛谷坂と宇治岳道の町並みとの間に設けられ俗に黒門と呼ばれ明治維新までここに番屋があった。」と刻まれていました。[写真は、三重県伊勢市の伊勢街道・宇治惣門跡](2025.5.10撮影)
3月24日春分を過ぎ、春を感じる日差しに旅に出たくなったので、カブで出掛けよう。時速40キロ位で走りたいから旧街道を選んで走りたい。先日、十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛』の現代語訳版を読んだので、お伊勢参りを思いついた。スタート地点は伊勢参りの東方の入り口になる桑名とする。東海道の宮宿からの船が着く『七里の渡し』の鳥居は、伊勢国一の鳥居。伊勢神宮の式年遷宮毎に、内宮の宇治橋外側の鳥居がここに移設される。東海道中膝栗毛では、弥次喜多は桑名宿で名物の焼ハマグリを食べるのだが
***前回の記事、その35より続きです***伊勢参宮街道は櫛田橋を渡ってすぐ旧道に入ります。先ほど向こう岸で見た道標の解説板にあった早馬瀬神社はこの矢印通り右に曲ってすぐにあるのですが気が付かずに街道ルート通りに直進してしまいました。こんな家屋や。こんな路傍のお地蔵様を見ながら気分よく歩きます。スパーンとひろがった景色、ゆらりと曲がる街道、左手には近鉄の線路が並走。近鉄特急来た!新しい塗装の普通の近鉄特急。そういえばおなじみオレンジ色と紺色の古
この日も始発スタートで、多度駅に降り立ちました。駅前に面した名産商五月屋さんが渋い。駅前通りを進み振り返ると駅の向こうに大鳥居が見えました。後ほど近くを通る予定です。青空に多度山。駅からの道を銀行のところで右折、さあここから街道復帰です。養老鉄道線の下をくぐります。相変わらず大正時代の橋台は見事なレンガ造りなのです。この後もいくつものレンガ橋台を見ました。線路を越えてからすぐの小山小津神社がある角は、街道は右ですがまずは寄り道、香取という町に立ち寄り
4月5日からブラタモリが放送開始しましたね!私も歩くのが大好きなのでとても楽しみにしてました!それも三重からのスタートですやん‼️✌️桑名から四日市の追分で東海道と伊勢街道で分かれて伊勢街道に神戸(かんべ)に入り神戸の見付に神戸の見付は2年前にブログに書いております。長くなるので↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓『伊勢街道神戸の見附(木戸の柵の溝発見!)見附をみつけた』伊勢街道の神戸宿の北口には神戸の見附(みつけ)が有ります。神戸の見附をみつけました!と言うシャレはさて
多度の川湊、香取を散策を終えて養老道再開です。国道258号から多度大社に入る現代の参拝道、県道26号にそびえる大鳥居が見えてきました。車で鈴鹿に行くときいつも潜るんですこの大鳥居。最後に上げるGPSのログでは多度の町中を右往左往してますが、ふたつのルート候補(明治地図とGooglemap先生)どちらを選択するか迷い両方覗き込みながらウロウロしてました。そしてここでどちらの道を進むか選択を迫られますが、明治の古地図の伊勢街道を選択。するとすぐにこんなのが。多度大社御旅所駐〇
(その15からの続き)-徳和(14:19着・14:35発)-昼食を食べて松阪駅へ向かい、松阪駅からは再び伊勢街道を歩きました。金剛川を渡りました。このあたりが松阪市街地の東端。市街地を抜けると田園地帯の中へ。遠くには近鉄電車の姿も見えました。また小さな川を渡りました。その先には集落。傍らに置かれた常夜灯が街道であることを物語っています。もうすぐ徳和駅のはずですが、やっぱり周囲は住宅地で、それらしい雰囲気はありません
去年の11/3は、旧東海道を歩いてきました今回は、三重県の四日市宿から庄野宿まで、西へ進む旅まず、四日市宿の近くにある、諏訪神社からスタート旅の安全を祈って、先へ進みます諏訪神社の前にあるアーケード街四日市宿から、東海道はアーケード街を進みます朝早いからか、ほとんど人がいませんねーアーケード街を真っすぐ歩いて行くと、大通りに出ますホントは真っすぐ行きたいところですけど、横断歩道がないので迂回って事で、アーケード街から真
養老町に入りました。しょうもないような裏道を拾いつつ。養老町の解説によればこの交差する道は多良街道というマイナー街道です。この三叉路で左を見るとなんだか素敵な建物が見えます。消火栓があったり、ごみ収集場所になってたり、元は村の公的な建物?建物的にも普通の民家には見えませんが。絵になる養老の山々、ピークらしいピークもなく延々と屏風のように連なってます。張り出した尾根がいくつもいくつも並んで見えてる!養老山系の南端は多度大社を経て桑名の町。この屏風のような山をずーっ
伊勢神宮・内宮~外宮間の伊勢街道に残る、麻吉旅館の前を走りました。厳密には、伊勢街道から60mの地点に立地していました。創業時期は判然としないようですが、江戸時代の天明年間には料理店としての営業をしていたらしいです。1782年(天明2年)の「古市街並図」という地図の中に「麻吉」の名が記載されています。周辺一帯は「古市」と呼ばれた歓楽街でした。伊勢神宮に参拝後に「精進落とし」をしたい人々の需要に応えるための遊郭が増えていきました。現在は麻吉のみが、旅館としての営業を続けています。
***前回の記事、その36より続きです***従是外宮三里四里に続いて伊勢神宮外宮まであと三里の道標が現れてお伊勢さんへのカウントダウンは進みます。宮川江二里半伊勢の町に入るには宮川という大きな川を渡しで越えねばなりません、その宮川までは二里半。清水屋勘太?さんありがとう。こちらの面は・・・。松阪入口江一里半大□江二里棒屋勘助さん雑賀屋栄助さんありがとうこの「大」の下の文字が読めない・・・。けどなんか手が加えられているようにも見えます。坂が
大河ドラマはここんとこは毎年見ていますが、特に去年の「光る君へ」はとても楽しめました。大河といえば合戦シーンなきゃとの考えは消えました笑。そんなわけで?年末12月、「光る君へ」で道長もまひろも参詣した長谷寺に初めて行ってみることに。源氏物語にも出てくる長谷寺、初、初瀬詣でに行ってきました。長谷、初瀬、はせ、はつせ、どれを使ってどう読んでいいのか迷いますが、名古屋から2時間かけて長谷寺駅へ。駅からきゅーっと坂を下っていきます。この区間だけでも良き姿の家が並んでいます、キョロ
***前回の記事、その46より続きです***目の前の海にテンション爆上がりで、海に突き出た突堤をずんずん進みます。内陸部を歩いているときにはそんなに気にならなかったのですが海岸に出たら・・・正面から爆風!波しぶきに気をつけながら・・・対岸に見えるのは愛知県の三河湾あたりです。左寄りの山並みは鈴鹿山系ですね。寒い!波も!波しぶきでホントに二見の海で身を清めそうになってるので撤退!目指すはあの出っ張り地点です、鳥居も見えてます、もうすぐ。古くからの景勝地
阪内川に架かる「大橋」を渡りました。「昭和六十年八月」表示がありました。松阪の中心市街地に入ったすぐの商店のシャッターに、江戸時代後期、1797年刊行の「伊勢参宮名所図会」の大判のコピーが貼ってありました。このような配慮は、本当によいですね。感謝。絵図には「松坂大橋」「坂内川」と書かれていました。(現在の橋の名称は「大橋」です。)阪内川は、旧伊勢街道を、津から松阪方面に向かった場合の、松阪の中心市街地に入る境界でした。今日(2023.5.17)は、暑かったですね。
高田の町に入りました。酒屋さんの看板、玉菊は地元高田の玉泉堂酒蔵のお酒なのですが見たことない銘柄です。HPによれば今は地元のみに流通する普通酒のみに使われているとのことです。ああもちろん今回は玉泉堂酒蔵の直売所で買って帰るのを目的楽しみのひとつとしてます。ん、道標じゃないし・・・「牧田川御堤食」・・・違跡だそうです。養老町古道ウォーキングマップ解説をコピペ・・・。「喰違堤(くいちがいてい)は、旧牧田川の決壊を防ぐために作られました。喰違堤の高さを超えるような水位になると金草
***前回の記事、その45より続きです***道標の建つ五十鈴川を渡り線路跡を観察して、目指す二見はもうすぐです。歩き始めるとすぐに鳥居の前を通りかかります、二見神社とな。「二見」の名を冠す神社なら立ち寄らねばなりません。鳥居脇に石柱があります、「二見朝日館」と刻まれています!明治三十八年の寄進物、常夜灯かな?今も続く二見の老舗旅館、朝日館のことでしょう。朝日館は創業二百八十年を数えるそうです。二見神社は並ぶ鳥居をくぐるとちょっと雰囲気ひんやりで、異世界感
***前回の記事、その42より続きです***4月5日スタートのブラタモリ新シリーズ、東海道57次に続いて今度は伊勢街道の旅だそうです。「伊勢路は途中の町が面白い」とのテーマだそうです、これは歩いたばかりでジャストタイミングで嬉しい!途中の宿場町の古くからの和菓子はかなり食べたし笑。もしかして街道ものがこれからも続くのかな??それはさておき・・・。当方のお伊勢参りの旅は無事参宮は終えましたが、このシリーズまだ行かねばならぬ場所が二つ。途上にある片参りになる寺社(wik
津から伊勢神宮まで実はお正月休みに泊りがけで歩くつもりで計画を立てていました。今年の初詣は伊勢神宮!と楽しみにしていました。ところが年末に体調を崩したので予定をキャンセル。結局年明けにコロナに感染していたことが判明その後2月末の3連休で行こうかと思ったのですがまさかの大雪2回も計画がダメになりがっくりもしかして私天照大御神に来ちゃダメって言われているのかなあ・・・ちょこっとでも歩きたくて3月1日に日帰りで歩きに出かけました。津駅の
伊勢参宮道は、近鉄踏切を渡りますと、「逆川神社」がありました。創建は平安時代の後一条天皇の頃(11世紀前半)と伝えられます。かっては龍王大権現と呼ばれていたが、明治初期「逆川神社」と名付けられたという。疼疾に霊験ありとして篤く信仰されたとか。主祭神は「伊邪那美命」です。なぜに牛が奉納されているのか?菅原道真が配祀されているからか。いわゆる町家らしい建物。「軒がんぎ板㊟」もこの地方の特徴の一つ。㊟「軒がんぎ板」…垂木の鼻隠し。