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(旧)卯月十七日玉造の地は伊勢道の始まりと書かれてあの日の君のはにかみ雲端玉造稲荷神社の境内に「おいせまいり」と書かれた木札が揺れていた。この木札どっかで見たことある、、、(2013年5月撮影)それがこちら。奈良と大阪をつなぐ暗峠にあるものだ。『第73首暗越奈良街道五』(旧)卯月二十五日おはじきを敷き詰めたような石畳くらがり峠に絵となってみる雲端…amebl
2024年5月10日(金)熊野古道・伊勢路「伊勢市常磐筋~玉城町)(1)つまみ食い街道の旅(GSV)街道地図は下記クリック熊野古道伊勢路F-Googleマイマップ熊野古道伊勢路Fwww.google.com起点:「筋向橋交差点」(伊勢市常磐)ここが、「伊勢街道と熊野古道伊勢路の追分」県道22号を行く。宮川を渡る。(今は、渡会橋)対岸:「柳の渡し・上の渡し」旧熊野街道を行く。右に、「川端町公民館」「とよ子美容室」のT字路で左折。「バス停坂東」の先の
2024年4月28日(日)伊勢別街道「亀山市関町~津市上浜町」つまみ食い街道の旅(GSV)街道地図は下記クリック伊勢街道と伊勢別街道-Googleマイマップ伊勢街道と伊勢別街道www.google.com「伊勢別街道」主として京都方面からの伊勢まいりの旅人が使用した街道で、関宿東追分で東海道と分岐し、現在の津市芸濃町、一身田町などを通って、津の江戸橋で伊勢参宮街道と合流する。伊勢別街道の名は、四日市日永追分から伊勢にいたる伊勢街道の支道の意味。「関宿・東
2024年4月26日(金)伊勢街道「松坂市六軒町~伊勢神宮内宮」(3)つまみ食い街道の旅(GSV)街道地図は下記クリック伊勢街道と伊勢別街道-Googleマイマップ伊勢街道と伊勢別街道www.google.com「みわたりはし」(三渡川)を渡る三渡川南詰ここが、青越初瀬街道との追分になる(松阪市六軒町)大きな道標が立つ。「いがごへ追分六けん茶や」、「右いせみち六軒茶屋」情緒ある町並みが続く。左に、「市場庄公会堂」(松阪市市場庄町)「近鉄山田線」をく
2024年4月24日(水)伊勢街道「津市上浜町~松坂市六軒町](2)つまみ食い街道の旅(GSV)街道地図は下記クリック伊勢街道と伊勢別街道-Googleマイマップ伊勢街道と伊勢別街道www.google.com「江戸橋」(志登茂川)を渡る。「江戸橋常夜燈のある十字路」で左折(津市上浜町)ここに、常夜燈と道標が立つ。ここは、伊勢別街道との追分。京からの伊勢参りは東海道を使用して、鈴鹿を越え、関の追分から伊勢別街道に入ってここで伊勢街道と合流。左に、「
2024年4月22日(月)伊勢街道「四日市追分~津市上浜町](1)つまみ食い街道の旅(GSV)街道地図は下記クリック伊勢街道と伊勢別街道-Googleマイマップ伊勢街道と伊勢別街道www.google.com伊勢街道は、日永の追分で東海道から分岐して、伊勢湾沿いを南下し伊勢へと至る。この道は主として江戸、東海方面から参拝する人々に使用された。「日永の追分」(四日市市追分)東海道と伊勢街道の追分。道標:「左いせ参宮道」、「右京大坂道」、「すぐ江戸道」国道1
撮影日:2024年3月30日菜の花が満開に咲いていた「藤原京跡」から北に歩いて「産直市場よってって」へとやって来ました。店内をウロチョロしながら大阪ではお目にかかれないような食品を少しだけ買って店を出ます。産直市場よってってで、「横大路」を西に歩いて来て「八木札の辻交流館」までやって来ました。ちょっと歩き疲れたのでベンチで休憩していると係の人が“どうぞ見学していってください”と声をかけてくれたので遠慮せずに館内
古い記事をリニューアルしました。(2024/4/4)初瀬街道と神武天皇御陵道(神武街道・神武道)の分岐点に立つ明治9年の道標。神武天皇陵を案内している。[北面]_神武天皇御陵道、従是、南八町[西面]_右、神武天皇御陵道[東面]_左、神武天皇御陵道[南面]_今井住米田善平者○羅疾百方無效祷諸於、神武帝陵不幾而愈爾後崇奉益深頃欲立指道碑、於小網村境南折之処便四方超拜之客以報神徳、萬分之一碑成請余記念深感其
明日香村越の道標牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)から岩屋山古墳に向かう途中、こんな道標がありました。「左おかでらたふ(とう)のみねはせいせ道」「右ちはらごせこんか(ご)うさん道」と肌理の細かい石材に達筆な字で彫られています。裏には、「安政五(戊午)年八月吉日」とあります。江戸時代後期、「おかげまいり」で伊勢に参拝するために奈良盆地でもこのような道標が数多く作られました。この道標もちょうどそのころ作られたものでしょう。調べてみましたら、かの「安政の大獄」の直前で
ここからは伊勢西街道でも有数の大きな町、阿下喜の散策です。この町も員弁川の川湊があった町なのですが、川岸から北東方向に広がる町はずーーーーっと上り坂になっています。自然石の道標を眺めてからまずは河岸近くにあるコンビニと駅のあるエリアに下りてます(トイレお借りします)。数日前の大雪の名残が交差点の歩道に。交差点の向こうに阿下喜温泉があってずっと休業中で残念に思っていたのですが、どうやら経営が変わって再開されることになったようで工事中でした!阿下喜駅でトイレをお借りしましたあ
昭和前半らしい美しいデザインのコンクリート欄干の山田橋をこれまた美しい鈴鹿山々を眺めつつ渡ります。遠くに北勢線の橋も見えています、ちょうど電車来ないかな~と思うも流石にそう上手くはいきません。濃州道はホントはこんな感じ(赤←消失区間があるので山田川に沿って少し迂回します。迂回中に振り向けば、歩かなかった濃州道は石垣が組まれていて古き良き時代の道路の風合い。ところでここまでの濃州道に現れる坂を下って川を越えてまた登るの繰り返しは、員弁川の河岸段丘にさらにその支流の
24.02/04sun.12:00-17:55近鉄五十鈴川駅から皇大神宮、豊受大神宮に参拝豊受大神宮から伊勢街道を西小西万金丹薬舗を過ぎ伊勢街道、熊野街道が合流する「筋向橋」伊勢街道を外れたようで…宮川右岸、宮川桜の渡し跡から宮川橋を左岸へ左岸堤を北にJR線を越えて左折離宮院公園東端から北へ妻入りの家並みがつづく伊勢街道を北西北西から北向に振れ、へんば餅屋を過ぎ近鉄明野駅を前に、信号交差点を左折徳浄上人千日祈願の石碑を過ぎ「これより外宮二里」道標北側を近鉄線が
今日の行程は三岐鉄道北勢線楚原駅からスタートです。楚原駅前に程近い楚原神社であさイチ参拝、今日の無事をお願いします。まあそれだけでなくその他欲張りにお願いするのですが。楚原神社の歴史の書かれている解説板。永禄十二年兵火により焼失って信長の伊勢侵攻の年じゃん。またか~ホントごめんなさい。楚原駅前の先から街道は北寄りにそれていきます、この交差点が街道再開ポイント。国道421号を越えて細道に入ります。今日はこんな道が多いようなので楽しみ。笠田新田観音堂の横を過ぎて
天王八幡社の御神木、立派なクロガネモチの木を見上げ心涼やかに歩きます。次の交差点の角、コンクリートの壁に引っ付いて石物が見えます、道標です。ちょっと割れちゃってるじゃん、針金でくくってある。□楚原道東桑名道北多度道南七和駅道楚原道の上に西の文字があったような気もしますが無かったのか摩耗したのかはわかりません。そういえばこの街道沿いの玄関先、こういったタヌキの大きな置物が置かれている家を何軒も見かけました。タヌキ好きな土地柄なのか?まだずっと右手には段
おはようございます😊昨日は、打ち合わせや、雨量計の修理に立ち会いとか、検査へとあちこちへしかし景色がいいわのどかな景色を眺めると、癒されると言うか、心落ち着きます。天気も良くて、空も真っ青で澄んでて気持ち良い😆こんな古風な街並みを歩いていると、歴史ある通りを、歩いている事に気付かされる。歴史街道を結ぶ列車は、何日もかかったであろう集落を、現在では数分で行く事ができる、当時から想うと夢の様な世界。大阪から、ひと月は掛かったであろう伊勢参りも、今では2時間と掛からず行ける。そんな伊
走井山を楽しんだ後、街道復帰です。酒屋さんにレトロ看板。後藤酒造場醸の青雲という銘柄の看板。街道からは少し遠いので立ち寄るのは厳しいのですが、青雲は帰るまでに入手しようという魂胆を抱えつつ歩いてます笑。まだまだ街道感満点の道。看板で見た玉三稲荷神社が現れました、参拝に忙しい。すると行く手の三叉路左手に石物が2基立ってます。瑠璃山光明寺三界萬、、まで読めます・・・三界萬霊塔というもののようです。光明寺は桑名市街地にあるお寺ですが左手この石碑の先にずっと
朝熊山展望台後から知ったんだけど、ココでは🧹ホウキにのって空を飛べるらしい…多分、最長で1秒くらい。夕方になって来ていて気づかなかったけど、最後に徘徊したお土産屋内にホウキが沢山置いてあり、無料で貸し出しているそうだ。このポストの部分が一番高くなっていて、下側から煽って撮影するとホウキに乗って空を飛んでいる様に撮れるらしい。朝熊山箒-検索画像(bing.com)天空のポスト山頂なので風はびゅんびゅん吹いていて、寒いなぁと思ったら足湯がありました。この後、カ-ナビに従い宿に向
伊勢街道沿いのお店太鼓櫓があったり、お土産屋が充実していました。内宮の直ぐ近くの、猿田彦神社にも時間があったので寄ってみました。朝熊山展望台雲が見える露出地面が見える露出朝熊岳金剛證寺仁王門更に奥の院があって独特の雰囲気がありました。なんか墓石の代わりに5mはあろうかという角棒の塔婆らしくものがずら-と並んでいました。一番大きいもので\500,000墓石より安いですが何年持つのかな?石なら半永久だし、とそんな事を考えてしまいました。でも33年は持ちそうですね。
R5年12月24日に「津風呂湖百景」シリーズをスタートさせたもののいっこうに筆が進まない。それで今日、もうすぐ日が傾くという、小雨?霙?降る野外に飛び出し、吉野へ車を走らせた。物好きにもほどがある。なにもこんな日に……しかし、頭のどこかに「こんな日こそ、本当の自然が見える」などという天邪鬼な考えがある。「本当の」というより、ハレの好条件の時には見えない、立体的、重層的、多様な自然…といった程度のことである。前置きはこのぐらいにして、写真多めで津風呂湖畔の集落「入野(しおの
ご訪問ありがとうございます松阪市西町、前記事の食堂「丸福」さんから程近いところにある金物屋さんです。伊勢街道にあります。立派な蔵ですね。橋を渡って市の中心地に進んでいきます。須川屋金物屋さんは、建材や工具を扱うプロショップで店の商品もほとんどそういものですが、日用品も少しあります。まず、目がいってしまったもの。郵便受け。新品だけど古いものです。デッドストックかな。最後の一つ!!!うちにも昔あった!という声が聞こえてきそう。懐かしいでしょう?そして、アルミの鍋と銀杏やごま
さて、牧田宿を出ましたがこの先ルートがあやふやです。時代によっても違うだろうし、東海道なんかと違い複数の道があってどっちでもいーよということもあっただろうし。大垣市HP、上石津地域の魅力のページ内でも各種パンフで違いがあるし、歴史の道調査報告書(略して歴調、なんと日本の街道地図と走り旅HPにルートアップしてくれています)も若干違うし歴調ってややラフな場合もありますし。まず、伊勢西街道の分離地点。いろいろ見た結果伊勢東街道&九里半街道から分岐する地点は、歴調ルートとは少し違うポイ
今日の海と空。━━━━━━━━━━━━━━━✝︎━━━━━━━━━━━━━━━今日のうちの猫。━━━━━━━━━━━━━━━✝︎━━━━━━━━━━━━━━━今日は休日。6時35分起床。眠い。けど割といい目覚め。今日は友達(M)と日帰り伊勢旅行♪軽く朝ご飯を食べて着替えてひっさびさにメイク、髪まきまき。楽しい。もっと上手くなりたい。そして痩せよ←用意完了して無事予定時刻に出発。━━━━━━━━━━━━━━━✝︎━━━━━━━━━━━━━━━家から駅まで歩いて駅
📸Facebookでこの投稿を見ようhttps://www.facebook.com/share/p/q1QfUmd1cxcXCZsC/松阪駅の新竹売店モー太郎がお出迎え松阪駅、正面JR側は立派な駅舎鈴のモニュメントマンホールにも鈴この鈴って、街道を荷物運んでいた馬が付けていたものかな?伊勢街道を辿って来たんだな可愛いマンホールも。新竹商店に立ち寄りました。
す10月3日(火)~6日(金)の伊勢詣での旅、旅程2日目(10/4)の旅の模様その2です。ガイドブックは『ちゃんと歩ける伊勢参宮道善光寺街道』。Day2の歩行ルートは↓。今回は街道遺構が多いので、ポイントの記載は殆どしていません。その1では、国道23号に架かる歩道橋を超えて、津宿場の南側の中心地に向かってゆくところまでをご紹介しました(↓再掲)。再掲2枚目の写真の地点から左に曲がって行くと、、「さつき」という大きな3階建ての美容院(たぶん上の方は住居)があり、そこで右
10月3日(火)~6日(金)の伊勢詣での旅、今回から2日(10/4)の旅の模様をご紹介します。ガイドブックは『ちゃんと歩ける伊勢参宮道善光寺街道』。Day2の歩行ルートは↓。今回は街道遺構が多いので、ポイントの記載は殆どしていません。ホテルで朝食を摂ったら8時前にホテルを出発します。この日はあいにくの雨。午後は止む予定ですが、ホテルにいる時に見た天気予報では終日降ったりやんだりだとか。すぐの路地を右に曲がって蓮光院初馬寺で今日の道中の無事などを祈ります。街道に戻る途中
大和上市は和歌山と松阪を結ぶ伊勢街道の宿場や木材の集積場として栄え、室町時代には本願寺派の本善寺が創建され寺内町としても繫栄した。現在でも細い通りは往時の風情が残るが、古い建物は分散している。
JR・近鉄桜井駅SAKURAI🔴総合版(💯点満点)2024年3月現在①交通利便性7点②治安7点交番⭕️③買い物環境3点④飲食店4点⑤子育て環境8点⑥公共施設4点⑦観光スポット3点⑧家賃価格など8点⑨商店街・SC2点⑩防災7点消防署⭕️合計53点🔴一人暮らし男性版合計51点※一人暮らし男性版は交通利便性と飲食店重視🔴一人暮らし女性版合計54点※一人暮らし女性版は交通
10月3日(火)~6日(金)の伊勢詣での旅、初日(10/3)の旅模様その12です。この日はたぶん寄り道併せて30㎞前後歩いたと思います。ガイドブックは前回の善光寺街道から引き続き『ちゃんと歩ける伊勢参宮道善光寺街道』。今回は準備時間が少な目だったので、地図の見どころポイントの記録は大幅にカットしてます。前回のその11では、上野の宿場で山の上にありそうな上野城散策を断念した後、復元した道路元標をじっと眺めたところまでをご紹介しました(↓再掲)。その後も一階に格子+厨子二階
伊勢街道の神戸宿の北口には神戸の見附(みつけ)が有ります。神戸の見附をみつけました!と言うシャレはさておき。見附(見付)とは見張り番が置かれていた城門などの施設であります。神戸の見附の看板には両側に土塁(どるい→とは土を盛って出来た防壁)と石垣を築いたものである。ここには町の治安を守るために番人が居て夜間遅くには木戸を閉じて通行を禁じたと言われる。明治ニ年の絵図にはこの見附の様子が描かれて両側の石垣には木戸の柵を支えた溝が今も残っていると書かれています。坂になっております。