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突然の腫れ→整形外科受診が、普通にできるのって、本当にありがたい。車椅子に乗ってたら、整形外科の病院、どこに行ったらいいの?て思う。主治医に、無理矢理、年一の受診でいいから、、、って、パイプ作ってもらってて良かったと思うわ。先週の金曜日に、救急で医療センターに行って骨折と診断され、火曜日の今日、整形の主治医に診察してもらいました。昨日の日記にあげた写真を見せ、肘の腫れを見ると骨折だけじゃないような気がするって、先生に伝えた。もう一度、肩(骨がずれてないか)と肘のレントゲンを
この記事は過去現在に向けて綴っています(2018.3〜)3時間で終わると言われた食道閉鎖根治術しかし呼ばれたのは7時間後…あまりにも遅い連絡、りーたんの所へ行くと沢山のスタッフに囲まれ色んな警告音が鳴り響きテレビでよく見る救命救急24時のよう…りーたんの顔が見たくてスタッフの隙間を探す見えた!!!えっ?!隙間から見えたりーたんは想像と違っていた赤黒い全身の色胸やお腹は破裂しそうな程膨れ上がっている口元はマスクを付けバギングしていたどう見ても、おかしい外科Dr
臍帯ヘルニアの手術が終わり、夫と共にNICUへ向かいます。ベッドの中で眠る小さな娘。手術前とは違う点が一つ。人工呼吸器が装着されていました。娘の呼吸状態がいっそう悪くなったのだろう。小児科医からの説明を受けます。それはとても端的なものでした。「臍帯ヘルニアで出ている部分を閉じました。呼吸状態を安定させるために人工呼吸器をつけています。」そうですか。手術時間が長引くほど何かあったのでしょうか。腹部の他の臓器を見なかったことに何か理由はあるのでしょうか?
義姉からの報告で、夫が家族に重要な話をしていないことに気づいた私。そこである一つのことを思い出しました。それは娘が産まれてから義両親が一度も面会に来ていないことです。もちろん、病気の孫に会いたくないと言っているのかもしれません。それに、私に気を遣っているのかもしれない、私と娘の2人だけの時間を邪魔しないようにと考えているのかもしれない、と当初は考えていました。しかしそれ以前に娘の詳しい状況や、面会ができるという事を伝えていないのではないか・・・という疑念が生まれました。
6月8日に大学病院へ妻の定期健診があった。交通手段は、自家用車だが車いすからの移乗が大変。。玄関からスロープを設置し車へ移乗。車のシートへ移すが、妻の身体はほとんど自由が利かないので、私の力でやっと移す感じだ。。なんとか車へ移乗は出来たが、自家用車ではこれが最後であった。次回からは介護タクシーを頼んだ。大学病院へ到着。相変わらず待合室は混みあっていた。車いすで長時間の待ちはキツイ。。妻がモゾモゾしだす。。体勢を整えてあげて、肩、首回りをマッサージしてあげたり、背中を掻いてあ
振替休日を利用して、平日の多摩動物公園に行ってきました!多摩動物公園公式サイト-東京ズーネット多摩動物公園の最新情報や、動物に関するニュースがいっぱいの公式サイト。開園日、イベントカレンダー、見どころなどをわかりやすく紹介。www.tokyo-zoo.netコロナの感染者数は微妙なとこですが、動物園はもう予約不要だし、皆マスクをしているとはいえ、だいぶ日常が戻ってきた感じがありますね。さてさて、多摩動物公園。私は子供の頃に行ったきりで、けんたんたんはもちろん初めてです。
ジャーン‼️この笑顔。嬉しくて嬉しくて、仕方ないみたい。いつもは、口を開けるなんて、あまりないのに。ひきつってるけど、めっちゃ喜んでる顔です旅行、もうすぐです。デイサービスの人や、訪看さんに聞かれると、自然に、頬が緩みます。そんな中、長男と三男も帰省しました。3人揃ったのは、数年振り。朝のデイサービスの用意前に、ご対面。少ししか時間なかったけど、3人で、写真をパチリ。(後日、アメンバーに載せますね。)やっぱり、似てねぇ
おもち生後9m29d面会時、帽子を被っていく事が多い私。(面倒くさくて。。笑)おもちくんのもとに着いて、顔を近づけると/あ、おぼうしのひと来た\にぎっきゅーーーーん生後8ヶ月頃からようやく何かに手を伸ばす仕草が見られまだまだ狙いが定まってない事が多いもののそれでもだんだん上手に握れるようになってきて、とても嬉しいです。病院では、帽子にマスクスタイル。おうちで2ヶ月一緒に過ごした人間だと
15日の朝、血液検査し、予定通り、造影剤を使ったCT検査をしました。結果は、白血球が、1500ほどヘモグロビンは、9.2好中球は、200ぐらいcrpは、3.7と言う、輸血して、ヘモグロビンは上がったけど、、、って感じ。CTの結果は、肺炎の心配はないけど、胸水が両胸、たまっている。唾液が1日1リットルぐらい吸引されているので点滴の量を増やさないと、血圧が下がってしまうので、入れるのは、仕方ない。ドレーンを入れて、胸水を出すつもりはなく、とにかく、1週間かけて、水分量
今年も、色んな事がありました。blogを通じて、色んな方と知り合って、色々と教えてもらったり、色んな考え方、見方を読み取らせていただきました。いつか、皆さんとお会いしたいなぁ。と思うばかりです。さて、息子の様子ですが、12月、胃瘻を閉じる手術をする予定でした。11月に、胃液の漏れがひどく、肌もただれ出血。サイズを元に戻して、一旦、胃液流出をとめ、手術をどうするか?という感じでした。12月の初旬、胃ろうの周りは、キレーになり先生もビックリするほどだけど、胃瘻を取ると、胃液は
娘の入院していた病棟には個室が4つ程ありました。個室にはなっていますが、扉は常に開いており、窓も透明ガラスになっているので、外からは中の様子が見えるようになっています。おそらく看護師がどこにいても個室の様子やモニターが見えるようにしているのだと思います。娘の面会に行ったある日。個室には両親と思われる男女と、医師・看護師が深刻そうな表情で話をしていました。医師・看護師が退室し、しばらくした後、モニターのアラームが鳴り始めました。ここはNICUですからモニターや人工呼吸器のア
もう疲れた。終わりにしたい。発症から3年。俺より前に発症された同病患者さんたちをあっという間に抜き去り食べれない、しゃべれない、人工呼吸器につながれ寝たきりで社会参加もできない。ヘルパーに入ってもらえるのはありがたいことだけれど24時間他人生活。家族や友達との団欒の時間なんて無い。息も詰まる。2人体制で入ってくれるのはありがたいことだけれどヘルパー同士で日常の楽しそうな会話嫌でも耳に入ってくる。俺だってカラオケ行きたいさ。飲みにも
21時に寝る準備して、22時すぎ、寝てたら、パルスオキシメーターがなった。90切ってる。カフして、吸引して、3リットルの酸素入れても、90前後。奥に痰が詰まってるような?何回しても、取れなくて。酸素5リットル入れても、90前後吸入器を使って、痰を柔らかくしよう。と試したけど、人工呼吸器につけたら、サーチは90切るし、リークも低下で鳴る。パルスオキシメーターと人工呼吸器のW鳴りに嫌気さして、途中で吸入やめて、吸引しても、全然とれなくて。酸素7リットル入れても、92〜94
産後からしばらく経ったある日、ようやく義両親が面会にきてくれる日程が整いました。病院の規則により大勢で一度に面会できないので、その時間に合わせて私は帰宅し、夫と義両親で面会に向かいます。面会中の様子は夫から聞きました。まず待ち合わせ時間に1時間ほど遅刻してきたようで、夫の口ぶりから相当イラついているのが分かりました。夫なりに娘を蔑ろにされていると感じたのでしょうか。病室に入ると、沢山の管に繋がれた娘を見て「可哀想に」とうっすら涙を浮かべていたようです。少し娘の手に触れ
さてさて、まだ、お蔵入りしてる日記があるんだけど、なんか、もぅいいや。って思っちゃって今日は寒かったけど、少しずつ、暖かくなってる気がする。来月、三男が帰ってくる。無事に、訓練を終え(る予定で、)また一回り逞しくなったと思う。大変な思いをしたから、美味しい物たべにつれていって!!とおねだり三男まだまだ親離れしてないなーそんな三男と息子とで、4月、旅行に行ってきます!とりあえず、ホテルは押さえた!ただ、、、地方なので、古いとエレベーターに乗れない可能性が、、、そこは、
娘の身なりを整えて、帰り支度を終えました。後は娘と一緒に帰宅するだけです。もう辺りは真っ暗です。お会計は後日、請求書を送ってくれるとのことなので、このまま帰ります。娘を連れてどうやって帰れば良いのだろう、、、業者の方が丁寧に今後の流れを教えてくださいました。とても驚いたのですが、赤ちゃんが亡くなった場合は、親がそのまま抱っこして家に連れて帰るそうです。初めて知りました。落とさないように、傷をつけないように、、大事に大事に運びます。病棟のスタッフの方々がお見送りをしてく
はじめまして🌸ご訪問ありがとうございますこのブログは、障がい児の親の気持ちをつづっています。母児間輸血症候群による胎盤機能不全。お腹の中で酸欠となってしまった赤ちゃん。「胎動がない」妊娠7か月で緊急帝王切開、2020年5月13日、988gで産まれ、産後すぐ輸血。翌日、広範囲の脳出血。脳の大部分を失った、あおくん。その体でも必死に「生きること」を選んだ。脳性麻痺。医療的ケア児。産後からNICUで過ごし、1歳になる直前2021年4月27日GCUへ移動。現在に至る。退
こんにちは久しぶりの投稿です。今の気持ちと前の三男坊の続きを書いていきたいです。毎日、毎日母ちゃんは家に居るあたたかいご飯もあたたかいお風呂にも入れる母ちゃんにもいつもの日常が戻ってきたいつもの、、、そこにいつも居た三男坊の姿が無いお母さん、お母さんって呼んでくれた三男坊の姿を探しても居ない日常という現実が三男坊が亡くなって居ないという現実を思い知らされるなんでだろか家族みんなが夢かと思ってしまう探しても外泊で帰ってきた、ベッドがあった部屋に三男坊の笑
GWに入り息子の友達が会いに来てくれました去年もちょうどこの季節に今回はお母さんと一緒お母さんとはママ友です息子は中学のときから今の土地に引っ越してきて小学校以前の友達はいませんその子は中学からの友達高校も部活もずっと一緒そして、大学も学部が一緒そして、私立なのに引っ越してきたらたまたま近所に住んでいたという腐れ縁ずっと気にかけてくれている
息子の経過をざっくり書き出しました。日にちも枠に合わせて、ざっくりです。どなたかの参考になれば、と思いました。障害はひとそれぞれ症状が全く同じ人は一人としていないと思いますが最初は生きることが安定しませんでした。ようやく在宅に入ったものの、しばらくして再入院。心停止も輸血も何度もありました。良くなって抗生剤を止めると悪化、の繰り返しでした。2度目の入院のときは、生きることを望むのは親のエゴなのかとすら思いました。原因を探ると、膵臓がひどい
関係者に迷惑がかからないよう、フェイクを入れている部分がありますのでご了承ください。ある日、娘の面会に向かう途中のエレベーターの中でのこと。ふと目の前の若い医師が熱心に見ているノートが目に止まりました。いつも人のことを気にしている余裕はないので、こんなことは無かったのですが、それが目に止まった理由は、娘の名前が書いてあったからです。その医師は娘の情報が書いてあるノートをじっと見つめています。ですが、私はその先生のことを知りません。不思議に思いながらそのまま病室に入り
介護業界に入って来年で20年になります。うちの親だけでなく、色々な人を見てきました。高齢の人とかかわる中で大きな疑問は「人間の終わりってどこなのかな?」ということです。うちの親は96歳と90歳です。親不孝と思われるでしょうが、「もういいよ」と思うのです。医療の発達に伴い、経管栄養、中心動脈点滴、人工呼吸器と選択肢がありすぎ。欧米では、高齢者は「口から食べれなくなったら終わり」という考えで、経管栄養は虐待といわれるという話を聞いたことがあります。最近、胃ろうはいけないことと思わ
2日前、整形外科の先生から電話ありました。九月の上旬に、年1の整形外科受診入院しているけど、退院してから連れてくるのは大変なんで、担当の先生が、ゴリ押しで診察入れてくれたみたい。経過観察だし、もしも自宅で患部が腫れているとき、通院履歴がないと、見てもらえないって事で、一応、席を置いてる感じ。側湾とか股関節の説明を受けて、去年より良くなってる説明を受けたけど、先生も、撮る角度とか、あるかもしれませんねーって。どないやねん。で、次に言われた衝撃的な事。右の肩?上腕?が骨折して
車椅子の変遷を書いていきますね。車椅子に初めて乗れたのは2020年夏倒れてから2年が経っていました。初めての在宅当初は家に帰れただけでうれしいベッドの次、なんて考えらえる状態ではありませんでした。その後、何度も命を脅かせながらようやく落ち着いてきたころ外の空気に触れさせてあげたい!そう思うようになりました。そして、ウッドデッキを作りました。完成当初現在お庭を改造し、外から見えにくくしました
娘を産んでから、毎日病院へ通う日々。娘の状態は良くなったり悪くなったりを繰り返していましたが、少しでも安定することを願いながら自宅へ受け入れる準備を進めていました。その生活リズムが私にとって日常になりつつありました。しかし、そんな日々は長くは続きませんでした。その日は突然やって来ました。その日、前日の娘の状態が安定していたため、友人とお茶をしてから面会に向かいました。病棟内はいつもと変わらない雰囲気。すれ違うスタッフの方々は穏やかに挨拶してくれます。その様子は
4月28日、中山泰造さんに誘われて屋外ライブに。元宇品の焼肉屋の駐車場に軽トラを置いてライブ!こんな方法もあるんだね。やっぱり音楽は生がイイ!
副鼻腔炎の手術日が決まって、これもまたスムーズに手術前検査も終えて、絶対手術日当日まで風邪ひかんとってね!!!と、言われつつ子供たちの春休みと、新学期のバタバタで時は流れあっという間に手術日前日に。毎日が忙しくって、手術怖いとか緊張とか感じなかったわ。人生初めての全身麻酔だけど、なんも感じずに前日入院→絶食スタートして翌朝、目を覚まして、しばらくしたらさっさと手術室に連れていかれた。余談だが、担当になった看護師さん、次男のこと覚えてくれていた・・
これは娘を産んですぐの話ですが、、、娘との面会中、師長さんが私に話しかけてきました。「ママ、これ今月の請求書なの。」と入院費の請求書を手渡されました。出産日が入院費計算の締め日が近かったこともあり、まだ保険証が届いていない時でした。そして私は出産後で寝不足ということもあり、ぼーっとしていました。私は請求額を見て、びっくり。何も頭が回っていないので、状況が飲み込めません。とりあえず、1の位から数えたのを覚えています笑1、10、100、1,000、10,00
最近の夫、落ち着いています。日によっては痰の色や量・排尿量に私の頭の中でアラームが鳴り始めますが、悪化することはなく、しばらくするとアラームは自然解除されます。こんな落ち着いた日々を有り難く思うものの、だからと言って私の気持ちも平穏だとは言えません。夫が心配な状態にある時は、ひたすら回復を目指して必死になりますが、今のように落ち着いている時は、逆に雑念が多くなり心理的に追い詰められるような気がします。落ち着いている今だからこそ、もっと何か楽しませることがあるんじゃないか。何もしない
5月23日(生後10日目)今日も仕事から病院直行の旦那さんと病院で待ち合わせて面会へあおくん、今日も右に向いてるねあ、呼吸器が右のふわふわ壁に当たって、口が口蓋に強く押しつけられているように見えます口の形が不自然に上にあがってるよ痛そう😥人工呼吸器は固いプラスチックで、しならないからだね看護師さんに伝えて、整えてもらうけど、すぐ痛そうな顔つきの表情になってしまう😥もそもそと、旦那さんと2人で、いい角度になるように調整したよまたすぐ戻っちゃうかもしれないけど主治