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こんにちは♪毎度、生きる生きる言っている私ですがALS患者の生死を分ける「気管切開による人工呼吸器の装着」は今の時点では希望していません。今月の診察で主治医の先生にもその旨はお伝えしました。あくまで私の決断です。選択は人それぞれだと思います。理由などはまた改めてお話できればなと思います(^^)発症から3〜5年といわれるうちの2年の月日が流れました。悲しいけれど病気の進行には抗えません。抗えませんでした。あと何年生きられるか分かりません。それでも「死を待つだけの人
こんにちは訪問ありがとうございます!布団をかけずに寝たらすっかり鼻声です葛根湯をもらって飲んだら…よくなった!すごいぜ葛根湯息子の誕生からこれまで息子自体のことその他のこと6年のうちにありすぎるほどあった先日友人からお母様が亡くなったと電話があって闘病されていること余命宣告されていることすでに話を聞いていたのであまり驚きはしませんでしたが友人にとってはたった一人の母ですからその悲しみも大きいものでしょう私はありきたりな言葉でしかはげますことができず頼っ
臍帯ヘルニアの手術が終わり、夫と共にNICUへ向かいます。ベッドの中で眠る小さな娘。手術前とは違う点が一つ。人工呼吸器が装着されていました。娘の呼吸状態がいっそう悪くなったのだろう。小児科医からの説明を受けます。それはとても端的なものでした。「臍帯ヘルニアで出ている部分を閉じました。呼吸状態を安定させるために人工呼吸器をつけています。」そうですか。手術時間が長引くほど何かあったのでしょうか。腹部の他の臓器を見なかったことに何か理由はあるのでしょうか?
いまどうして人工呼吸器を使っているのかどうして医療的ケアがたくさんなのか要因のほとんどが低酸素脳症によるもの息子に何が起きたのか少しだけ…息子が2歳の時主治医からショートステイをすすめられ悩んだものの息子の将来を考え利用することにショートステイは利用したい時にすぐに利用できるわけでなく登録→半日入所→一泊入所と段階をふんでからの利用となりますいよいよ本利用をしていたその夜私は夫と姉と久しぶりの居酒屋で過ごしていましたすると電話が鳴り信じられない思いで病院に向かい
息子の経過をざっくり書き出しました。日にちも枠に合わせて、ざっくりです。どなたかの参考になれば、と思いました。障害はひとそれぞれ症状が全く同じ人は一人としていないと思いますが最初は生きることが安定しませんでした。ようやく在宅に入ったものの、しばらくして再入院。心停止も輸血も何度もありました。良くなって抗生剤を止めると悪化、の繰り返しでした。2度目の入院のときは、生きることを望むのは親のエゴなのかとすら思いました。原因を探ると、膵臓がひどい
車椅子の変遷を書いていきますね。車椅子に初めて乗れたのは2020年夏倒れてから2年が経っていました。初めての在宅当初は家に帰れただけでうれしいベッドの次、なんて考えらえる状態ではありませんでした。その後、何度も命を脅かせながらようやく落ち着いてきたころ外の空気に触れさせてあげたい!そう思うようになりました。そして、ウッドデッキを作りました。完成当初現在お庭を改造し、外から見えにくくしました
本稿に取り組むきっかけ何だか後ろ向きの様に感じて「いわゆる闘病記」を残すつもり等サラサラなかったのだが、多くの同病患者が人工呼吸器装着後の生活に悲観して呼吸器の装着を拒み亡くなっている現状を憂い、本稿が現状打破の一助になればと思い、私なりの「ALS考」を綴ってみることにした。加湿器の意義加湿器と聞いて「あぁ、ワシも使っとるよ、空気の乾燥する冬に」と感じた方も多いだろう。今回、私が述べるのは人工呼吸器とセットで使用する加湿器のことなので、悪しからず。生理的吸気は「鼻腔~上咽頭
おばーちゃん所にいこーか。と言うといつもなら、喜ぶんだけど、今回は、なかなか首を縦に振らなかった。なぜかって、、、今回、初めて実家にお泊り〜いつもはホテルに泊まるねんけど、かかるし、ユックリ出来へんし。で、嫌がる息子に、ちゃーちゃん(おばあちゃん)も、おばあちゃん(曾祖母)も、泊まらないとお年玉くれへんってよ〜て、意地悪な事、いっちゃいました。カネゴンの息子、しぶしぶ泊まる事を納得。今回、帰省する時に酸素濃縮器が、車の電源ソケットでキチンと動くかを試したかった。最近
突然の腫れ→整形外科受診が、普通にできるのって、本当にありがたい。車椅子に乗ってたら、整形外科の病院、どこに行ったらいいの?て思う。主治医に、無理矢理、年一の受診でいいから、、、って、パイプ作ってもらってて良かったと思うわ。先週の金曜日に、救急で医療センターに行って骨折と診断され、火曜日の今日、整形の主治医に診察してもらいました。昨日の日記にあげた写真を見せ、肘の腫れを見ると骨折だけじゃないような気がするって、先生に伝えた。もう一度、肩(骨がずれてないか)と肘のレントゲンを
こんにちは☀️今日も前回のつづき『在宅をやってみて1〜平和を願うこと』こんばんは🌙今日も前回のつづき『入所にむけて6〜児童相談所④』こんばんは🌙今日も前回のつづき『入所に向けて5〜児童相談所③』こんばんは🌙今日も前…ameblo.jpで、重症心身障害児(重心)であり医療的ケア児(人工呼吸器、経鼻経管栄養)の坊との生活を在宅看護・介護を経て施設入所へ移行するため(私の)心と(支援)体制を整えていくシリーズです。坊との在宅生活中は、「何かをする」というまとまった時間の捻出
先生が険しい顔をしながらしばらく処置にあたっていました。しかし、ある時からさらに状態が悪くなるのを感じました。どんなに処置をしても酸素濃度が上がって来ません。落ち着く時間なんてありませんでした。娘は生まれてから何度も肺炎になりました。何度も呼吸が止まり、その度に処置を繰り返しました。娘の体は少しずつ弱っていたのかもしれません。先生が真剣な顔でモニターを数秒眺めてからこちらを向きます。「ママ、パパに連絡してもらってもいいですか?すぐに来てください。」時計を
こんにちは生まれた時のこと当時はかなりパニックで今でも思い出すと胸がキュッとなります住んでいる地域には産院がなくて隣町まで通っていました立体的に見れるエコーもあって生まれるまで特に何も指摘されなかったんですでもある日胎動がやけに少ない気がして病院に行ったら「赤ちゃん苦しそうなので今から出しましょう」「少し早く会えますからね」こんな大事になるなんて微塵も思ってなかったよ!生まれてみたら奇形のデパート!!(奇形っていうのあんまり好きではないんですが)全ての特徴から考えるにト
娘が自宅退院できるように準備を進めていましたが、ベビーカー一つとってもどれにしようか迷いますね。今はどうか分かりませんが、私が探していた時は医療的ケア児専用のベビーカーはなく、普通のベビーカーの中から荷物入れが大きく、人工呼吸器や吸引器がのせられるような物を選ぶよう看護師から指導がありました。ベビーカーは決まってしまえばすぐに購入できるので、ネットで色んな意見を見ながらのんびり決めていましたが、とくに決定打のようなものがなく、中々決められずにいました。そんな時、娘の面会に向か
この記事は孫娘が2歳4ヶ月当時の過去のお話です。詳しくは、「はじめましてのごあいさつ」をお読み下さい。前日に孫娘は1時間の痙攣重積を起こし、かかりつけの病院に救急搬送され入院していた。孫娘の母親(お嫁)は、先週切迫流産で安静と診断され、つわりもきつい時期で仕事も休みがちだ。いつものように、付き添いは私が付く。ERで聞かれた時に入院は個室を希望したが、すぐに一般病室に移るつもりだった。熱が39.9℃まで上がり、深夜3時に短い部分発作があったがすぐに止まった。入院が夜だったために、申し
今年も、色んな事がありました。blogを通じて、色んな方と知り合って、色々と教えてもらったり、色んな考え方、見方を読み取らせていただきました。いつか、皆さんとお会いしたいなぁ。と思うばかりです。さて、息子の様子ですが、12月、胃瘻を閉じる手術をする予定でした。11月に、胃液の漏れがひどく、肌もただれ出血。サイズを元に戻して、一旦、胃液流出をとめ、手術をどうするか?という感じでした。12月の初旬、胃ろうの周りは、キレーになり先生もビックリするほどだけど、胃瘻を取ると、胃液は
今、胃瘻のサイズを小さくして、穴を塞ごうとしているんだけれど、数週間前から、胃瘻からの漏れがひどくなってる。熱もないし、心拍高いぐらいだし、わざわざ訪問医に来てもらわなくても…と様子見てたんだけど、、、閲覧注意なので、トップ画に出ないように、、(この間いったゴルフ場に、ヤギがいてた)コットンを二枚重ねしてるんだけど、タオルまで、漏れが浸透してる。そして、コットンを1枚とったら、、、血が滲んでる〜今日、訪問診療だったので診てもらいました。たぶん、胃液がもれて、穴の周りの皮
がん治療の重要な手立てとしてイベルメクチンが急浮上NEW!2024-04-2908:24:32テーマ:ブログ公式ジャンル記事ランキング:シニア132位がん治療の重要な手立てとしてイベルメクチンが急浮上<記事原文寺島先生推薦>IvermectinEmergesasaSignificantAidinCancerTreatment著者:ポール・クレイグ・ロバーツ(PaulCraigRoberts)出典:ポール・クレイグ・ロバーツ氏自身のブログ2024
退院に向けて娘へのケアを練習したと前に記載しましたが、慣れない処置で中々最初はスムーズにはいきませんでした。特に夫が。ケアの中でも吸引が特に怖かったようで、最初は「〇〇(私)がやってよ。僕より慣れているから娘ちゃんもそっちの方がいいでしょ。」と何度も言っていました。吸引は娘も苦しさが伴う処置なので、抵抗があるのは分かりますが、避けられない大切な処置です。もし退院後、私がお風呂に入っている時に娘に痰が詰まりそうになったら夫が吸引をしなければなりません。夫が吸引をスムーズにできる
こんにちは夜中早朝に寒いと思えば日中ジワジワ暑くなる夏が近づいていますねカバの瞳のことネットで見て一人で大声で「ホントだーーーー」叫んでしまった息子を抱えようとすると膝を痛めてしまう毎日お世話するものとしてはなんとかクリアしたいお手頃価格サイズは結構大きめせっかく買ったしでもきっちり敷き込むのに必死になりすぎてでも介助者を楽させるように作っているはずなのにこんなことある?そう思っていたある日半分に畳んだまま本人はずれないようにだけ気をつけて肩からお尻くらいを
ホテルを出る時に、三男に電話前日に、寝てるから起こして。とラインが来てた。夜中の12時まで仕事で、そのまま寝たら起きれないから、水族館の近くまできて、某ジム(支店)に行って筋トレして(筋肉バカ)車で寝てたらしい。八景島シーパラダイスの近くで1日目は新江ノ島水族館2日目は、八景島シーパラダイスっていうたのに、三男の中では、私達は、昨日(1日目)新江ノ島水族館に行って、今日(2日目)、八景島に行くと思ったみたい。新江ノ島水族館の駐車場で、待ち合わせして。お互い、初めての場
娘の身なりを整えて、帰り支度を終えました。後は娘と一緒に帰宅するだけです。もう辺りは真っ暗です。お会計は後日、請求書を送ってくれるとのことなので、このまま帰ります。娘を連れてどうやって帰れば良いのだろう、、、業者の方が丁寧に今後の流れを教えてくださいました。とても驚いたのですが、赤ちゃんが亡くなった場合は、親がそのまま抱っこして家に連れて帰るそうです。初めて知りました。落とさないように、傷をつけないように、、大事に大事に運びます。病棟のスタッフの方々がお見送りをしてく
眠れないICUの夜、看護師さんから私が知らない意識不明中の事実を聞かされ呆然としたり泣いたり忙しかった。「びっくりしますよね。だから本当に○○さんが人工呼吸器もはずせたの聞いた時、凄く嬉しくて。最初は、○○さん、一番向こうの広いスペースのところにいてすごい大きい機械が3つぐらい身体についてたんです。もう、どうなるかって感じだったから私たちも必死で・・・・でも、あんな治療、私だったら
4月28日、中山泰造さんに誘われて屋外ライブに。元宇品の焼肉屋の駐車場に軽トラを置いてライブ!こんな方法もあるんだね。やっぱり音楽は生がイイ!
1年前、カニューレのズレで、呼吸器のアラームが鳴らず、パルスオキシメーターがなってるにもかかわらず、看護師の人手不足で、気づくのが遅く、低酸素脳症になった息子。その1ヶ月後、痰が詰まり、一気にサーチが下がり15分間の心マッサージで、呼吸を取り戻し、一気に、出来てたことが出来なくなった。その病院に、今回もショートステイ変える時に見つけた傷。どうしたんですか?って、私が聞いても、分からない。と。その日、担当の看護師さんに聞いても、記載がないから、いつなったか、分からない。
さてさて、続きです。一度落ちたトップスのケーキをたっしーに手直ししてもらい、なんとか出せる形となりました😅3月3日、29年前は、母子共に救急車で運ばれ、常位胎盤剥離だという事がやっと分かり、緊急帝王切開、子は仮死産。もう少し遅ければ、どちらも亡くなっていたと。2人は生死を彷徨っていた日でもあります。やっと息を吹き返した我が子は面会の時には全身紫色で、体重もわずか1420g。子猫みたいな小さな体に沢山管が繋がれ、人工呼吸器に助けられながら、保育器の中で一生懸命息をしていたのを目に焼
退院後初めての定期検診で大学病院へ行った。予約していても時間通りに受診されたことはない。早くても30分以上待たされる。1時間待ちが普通かな。。1月下旬のこの頃は、車いすも使っていなかったし普通にとは言わないが、ゆっくり私の腕を掴みながら、歩いて移動は出来た。長い時間待っている間、元気なことからやっていたLINEゲームのポコポコを暇つぶしにやっていた。ようやく呼ばれて診察室に。主治医のお決まりのトーク「いかがですか?」当然のことながら妻は右手を横に振る。いかがも何もない、調子は良くな
義姉に会ったあの日、久しぶりに夫・両親・病院スタッフ以外の人と喋ってとても楽しい気持ちになれました。それから頻繁ではないものの、少しずつ友人と会う機会を作りました。もちろん娘のことも伝えなければなりません。私が直接伝えるまで、友人は皆娘が一時的に入院しているだけで、退院後普通に育っていくものと思っています。まずは親友に会って事実を伝えます。娘のことを伝えると、何と反応して良いのか分からないような複雑な顔をして言葉を詰まらせていました。私は必要以上に困らせないようになる
義姉から話を聞いた私は、なんとも悲しい気持ちになりました。病気の娘、1年以内に亡くなってしまう娘、決して普通の子と同じようには生きられない娘、、、ですが、私にとっては紛れもなく可愛い娘なのです。娘が生まれた嬉しい気持ち、娘のためにつけた可愛い名前、自分たちより先に逝ってしまう悲しい事実、私は家族と身近な友人には話していました。もちろん同じことを強要するつもりはありませんが、事実を伝えることはごく身近な方への礼儀でもあると思っています。両親にとっては孫であり、兄弟にと
先週、またもや。尿カテーテル詰まりました朝、デイサービスの用意してて尿を捨てようとしたら、軽い…お腹見たら、ポッコリ。この間以上にポッコリヤバいやつやー。前回、先生に、1回詰まると、詰まりやすくなる。って言われ、あんまり信じてなかったけど、2週間とちょっとで詰まりました。今回、カテーテル抜いたら、噴水のように、一気に飛んだ。今回も1000mlぐらい膀胱に溜まってて。いつかは、破裂するんじゃないかって、かなり不安今回も、抗生剤が処方された。フロモックスなんだけど
看護師さんに呼ばれ個室に戻ると、医療機器が全てなくなり、娘が小さなベッドにポツンと横たわっていました。部屋の中の不要な物も全て片付けられています。さっきまでとは全く別の場所にいるようです。そこから、娘をお風呂に入れました。最後のお風呂です。丁寧に汚れを落とし体を綺麗にします。人工呼吸器もついていない、娘が嫌がって動くこともない、かつてのお風呂とは全く様子が違う静かな入浴になりました。白いお洋服を来て、髪の毛を整えます。看護師さんが「ママ、これ、もし必要だったらどうぞ