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旦那の病室で私、長男、主治医(2人)、看護師6人で話しをした話は治療と言うより今後今の癌病棟かホスピスか自宅かどうするかと、言う話だった自宅は今の状態だと危険だと判断旦那はホスピスを希望した私は今の癌病棟を希望した旦那は、今の主治医、緩和のドクターに絶大な信頼を置いているホスピスに移れば担当医が変わる今これほどの不安な時期にそれは旦那にとって本望ではないはず「ここにいてもいいんだよここでも、私ずっと一緒に居られるから夜もずっと一緒だよ」私がそう言
おはようございます、ちょろママです。4/12(金)に主治医と義実家の病状説明があり、特に義実家からなにも言われず過ごしていたわけですが。4/14(日)、午前中。病院から入電。日曜なので子供が全力でワーキャーしてるなか、電話に出ると主治医。お子さんたち元気ですね、うちもです。4/3の画像の話もまだできてなかったなと思って連絡しました。先日、旦那さんのご家族にお話して弟さんから退院前にもう一度説明をするように言われまして。?????え?そんなこと聞いてませんけど先生にそ
旦那の名前を何度も心の中で呼びながら眠りについた旦那、私、初めて受け入れ始めてるよ…ごめん。旦那の痩せ細ったあの顔が何度も浮かんでくるんだもんトリップしちゃってるあの顔はっと戻ってきた時のあの目でも、最近は苦しくないね良かったよねもう苦しいのイヤだよね旦那、本当に頑張りたい?私分からなくなってきたよ私のために頑張ろうとしてる?ホスピスに入ろうか悩むってnicoさん悲しむかな?僕が諦めたと思って悲しむかな?緩和の看護師さんにそう言ってたと聞いたよ旦那は本当はど
緩和ケア病棟のイメージは人生の絶望の場所?緩和ケア病棟についてリアルタイムの闘病ブログだと緩和ケアや、終末期についてはもちろん最後のほうに書かれることが普通ですよね。私達の場合は、闘病中にブログを読み書きはしてきませんでした。フルマラソン42.195kmの42km地点にいる母を見ている私が最初に書くのはあえて「緩和ケア」について。闘病開始の頃は「緩和ケア」は最も遠い言葉だと思います。しかし、闘ってきた私達から言えるのは癌闘病が始まった時から「緩和ケア」は頭の隅にでも置いていてほし
訪問ありがとうございます。自宅診療からまたホスピス病棟に戻り幻覚が見えるようになりました。暴れたりはしないのですがこれからブログは書けないと判断しました。まだ血圧、酸素値、対応、血圧ともに安定はしているのですが何が起きるかわかりません。ステキなことが起こるとよいのですが笑それはもう希望薄いしねたくさんの方に訪問いただきました。感謝でいっぱいです。スキルス胃がんなんて腹膜播種なんて病名を受け入れた時点でアウト。納得したら身体がそこに向かって行ってどんどん申
(これは2月19日に主人の闘病を記録した記事です。旅の思い出とともに、闘病を記録した記事も並行してあげていきます。)今から思えば、確かに昨年11月ぐらいから食欲が一気になくなって疲れやすくなっていた。このころから急激に痩せてきたので家族も心配する。彼のお母さんは急激に痩せたことですい臓がんが発覚して、半年後に亡くなったので、彼なりに「もしやこれは膵臓がんでは」と内心疑っていたらしい。それでもクリスマスもお正月も休み休みでも家族と食事をしていたのだけれど。1月下旬、膵臓癌の末
24/3/14(木)の日でした浮腫で歩行困難な為院内移動時に初めて車イスを使うか悩みましたが、とりあえず杖で頑張ることにまず、腎臓内科からあまりに浮腫が酷いので利尿剤を出せないか相談してみましたここのところ数値も落ち着いていて状態も悪くないので少なめの量で試してみましょうと言うことにどうかーー浮腫ひいてーーーーでも、必要な水分だけが出ていって要らない水だけは残る事もあるからって、怖いこと聞いたそんな恐ろしい事あるのかーーーとにかくやってみないとね腎臓内科の待ち合
24/3/15(金)カートの為入院ですひさしぶりです2L弱抜けました腹水の色が今までの黄色に比べてずいぶん赤っぽかったので心配で聞いてみましたが黄色から麦茶色まではあるあるで大丈夫との事でホッ栄養分戻しは200mlほどでした以前6L抜いてたことを思うと大分少ないけどこの浮腫を考えると喜べない…腹水を抜くことで少しでも楽になってくれる事を願う腹水抜きの後ホスピス外来診察車イスで初ホスピスエリアに入場綺麗なところ通路は広々落ち着いた雰囲気ホスピス診察の後空いてる
2018年4月1日。朝。私のスマホが鳴りました。ホスピスからでした。パパはホスピスへ運ばれてから数日間、眠ったきりのまま、息を引き取っていた所を、看護師さんに発見され、おそらく、その前の巡回の時には息があったと言うことで、亡くなったのは午前9時頃であろうと言われましたが、私達の立ち会いの元、医師が確認してからの時刻が死亡時刻とされるという事で、私がホスピスに着いた午前10時が死亡時刻となりました。病室の窓の外は桜が満開でした。4月3日。葬儀と火葬が終わり、パパの大きな遺影と位牌と遺骨を
ご訪問ありがとうございます。私も、以前から読者登録させていただき、過去記事も含めて、密かに?読ませていただいていた、無治療選択をされたしほさん。注)私は、無治療を勧める者でも、否定する者でもありません。それぞれが自分の癌と向き合い、選択した治療で、生きることを同病者として祈り応援します(それぞれの、素敵な生き方、記事に励まされてもいます)ブログを閉鎖(削除)されるそうですので私のブログに、
今朝の起床3:00!カーテンを開けても真っ暗。眼下に見えるのは京都タワーと京都駅だけ。流石に早過ぎるので、再度うたた寝。それにしても昨晩19:00過ぎからの睡魔は、一体何だったんだろう?MSコンチンに切り替え、皮下注射が取れてスッキリ。睡魔に加え、腕の不快感も無くなったからぐっすり眠れた爽快感。4:30窓を開けると、微かに金木犀の香り♡風は少し生暖かく、気持ち良さは微妙(笑)冷蔵庫からオレンジゼリーを取り出す。「ゼリーって、こんなに美味しかった?」程良い冷たさ
こんばんは、はーちゃんです。疼痛コントロールが始まりました。それと同時に、最後をどこで過ごすかをもう一度決めないといけない段階にもなりました。内服から点滴への移行【2024年3月21日】変更6回目(24年3月21日〜)ベース④→オピオイド鎮痛薬【点滴】(0.2mg/h)(24時間点滴)→炎症止め(8mg)※変更無し(朝1回:24時間持続)頓服→オピオイド鎮痛薬【早送り点滴】(0.4mg/h)(最低30分間隔で4回目安:3-4時間持続)→ロピオン【点滴】
訪問ありがとうございます。ホスピスに入院してる日々を書く前に私が食べられなくなった経過をちょっとまとめてみたくなったので書いてみます。お付き合いよろしくお願いします。どなたかの参考になれば幸いに思います。思い返せば2023年11月下旬くらいから摂れる食事の量が減ってきた。12月上旬招待で貰った食事券で食事に行ったが「食べられなくなるかも」と言う思いもあり早めの日程で予約を入れたのを思いだしました。娘の忘年会の戦利品の招待券老舗の温泉宿のランチです。その後クリ
訪問ありがとうございます。ホスピス病棟退院記念品?に看護師さんから「小豆カイロ」いただきました。優れものです。電子レンジで温めて使います。ほんのり小豆の香りがするのも嬉しいホスピスを退院して翌日、総合病院から繋いでもらった個人病院の外来にビーフリードの点滴を受けに行きました。身体が弱ってるので、移動も一苦労そそうがあってはならぬとオムツして行きました。点滴用の部屋で吐き気とトイレ移動と闘い体位を探して大騒動し、点滴針もトラブルで3回挿す羽目に「もう来院点滴
出かけようと外に出ると隣のイケメン、サイバートラック洗ってた。からかうと可愛いので、また、Doyouhavetowashthetruck?It’snotevenpainted.Itdoesn’trustright?するとカモメがフンを落としていくんだよー。リコールになったんじゃないの?そうそう。向かいのバーニーに聞いた。アクセル戻らなくなったら彼の家に突っ込むってね。2人で大笑いはーい、隣のイケメン、ちょっと写ってますお父さんが家でホスピス介護に
https://www.instagram.com/reel/Ci88E4rJ4wy/?igshid=YmMyMTA2M2Y=奥村宗弘/経営が続く自然療法家の育成onInstagram:"アメリカ住む知人でアロマセラピストのEさん。10年以上メディカルアロマの普及に努めている方です。これまで彼女の体験してきた癌とメディカルアロマにまつわる症例をお聞きしてまとめました。↓症例1脊髄がんの第3ステージの男性30代後半、舌下にフランキンセンスを3滴一日2回垂らすようにお勧めしたところ数ヵ月
こんにちはちぃです昨日終活の一環ホスピスに見学に行って来ました。通っている病院とは違う病院のホスピスです。ワンフロア全てがホスピスになっていて窓が大きくテラスも有り陽当りがよく明るく清潔で…なによりとても静か(◍•ᴗ•◍)通常の病棟とは違い静かにゆったりとした時間が流れている様に思いました。私は最期は病院でお世話になろうと決めているのです。家族に出来るだけ負担を掛けないように今の病院には何の不満もなくとてもよくして頂いています(◍•ᴗ•◍)
緩和ケアと聞くと終末期医療と思われるかも知れませんがより良いQOL(生活の質)を保とうとする医療のようです高齢者の場合緩和の考え方で積極的治療はしない事が多いので抗がん剤と言われて治療するんですかと思ったけど年齢的に緩和治療という考え方で進んでいたようですだから「卵巣がんの疑い」だけで検査もせず標準治療が始まりました初回はボス的な先生が緩和治療についてじっくり時間をかけて話しをしてくれましたホスピスの見学なども勧められました
銀座みやこクリニック院長の濱元誠栄ですこちらの記事の患者さん『私、抗がん剤しなくても良いですよね?』銀座みやこクリニック院長の濱元誠栄です先日来院された70代の乳がん患者さんから、こう尋ねられましたその方の経過は、術前抗がん剤後に乳房切除手術をしてい…ameblo.jpまさかのご本人からのコメントが届きましたこの方が最も気にされていたのが、抗がん剤をするのとしないのでは、最期が違うのか?ということでしたこのまま何も治療しないで迎える最期と
隣に座っている女医さん電話で「病院行くように言って!え?行かないって?じゃあ死ぬって説明して。そこに居たらしにますよ、いいんですか?って本当に死ぬよそれでも行かないって言うなら往診するわ」と怒ってます相手は施設の看護師さん肺がんと心不全がある方が呼吸困難になり酸素吸入を始めているが今ひとつ改善しないので診察に来て欲しいという電話に対する応対です施設は「ホスピス」を謳っている神経難病やがんの患者さん向けのものですカルテをみると「ここ(施設)でやってほしい」と
今日は急きょ病院に来ています。お腹が痛いところがあって。もう何ヶ月も前から症状はあって健康診断もそのあたりだったのでもし何かあったら引っかかるかなと思ってた。でも検便では異常なく。でもここ2、3日、痛みがずっとあって受診することにしました。もしかしてすぐ検査になったらに備えて朝食抜きで来たけど検査はやっぱり後日。いきなり内視鏡でなくエコーを見てからということに。日頃の暴飲暴食が原因なのかな〜気をつけなければ。私のかかりつけ医訪問診療に力を入れていて午後は
3月11日午後12時17分カミサンが息を引き取りました。享年70歳3日前から、容態の悪化を看護士さんから告げられていて、一人で面倒をみる事が辛くなり、娘に泊まり込みで来て貰い、毎日容態を見続けてきました。寝ている時間が多くなり、肩で息をするような状態で、無理には薬を飲ませず、定期的に入れていた座薬も中止します。口中の痛みも増し、本人自ら吸引機を希望し、口の中の痰を看護士さんに教わりながら吸引を行いますが、徐々に自分で痰を出すことも出来なくなりました。意識のある内に、看護士さ
「もし明日死んじゃうとしたら最後に何食べたい?」子供の頃友達と何気なく話していたこと誰にでも死は訪れるけどそう遠くはない未来にその日はやってくる今だったら焼肉とか食べたいけど、死んじゃう前の日は多分そんなヘビーなものは食べられそうにない今わたしは食べたいものを食べているから食べ物に関しては悔いは残らないだろうと思うただ、思う存分もういらないってくらい蟹を食べてみたかったって悔いあるじゃん笑でも、これはまだ叶えられそうそして最期の時を過ごす場所海の近くで綺麗な海を眺めながら死
訪問ありがとうございます。ホスピス入院7日目となり体調が安定してきて🅱️先生から「今の体調なら退院して在宅で過ごせるよ」と提案された。明日のレントゲン検査と採血の結果次第ではあるがw色々あるだろうがやはり出来る限り自宅で過ごしたい。対応していただけるようお願いした。入院8日目レントゲン検査の結果1週間絶食して腸の腫れは引いたようで血液検査の結果もまあまあ在宅医療で調整することになりました。この頃は液体食と飴は食べられフェイステープ1mgを1日1枚貼
実は満月の翌日に友人が他界しました。みっちーって呼んでまして、私より1つ年上で4人のお子さんを育て上げた方でした。クリスタルヒーリングの中級クラスで知り合ったのかな?上級も一緒に受けたし、出雲にも一緒に行ったけど、最近は疎遠になってしまってね…進行性のガンでホスピスにいるって知ったのが3月末、突然のお知らせに驚いたのでした。だって2月にスキーに行ったり、仕事も新しくスタートさせるとかSNSの投稿も見ていたので本当に信じられなくて…その後からずっと亡くなるまで「何となくエネルギーヒーリ
朝食パン、バナナアッコちゃんが持って来てくれた林檎ジュースのみ。美味しくて、ゴクゴク飲めました夕食ロールキャベツのキャベツ、メロンだけ食べられました。千葉から娘と息子が会いに来てくれて手を握りながら、色んな話をしてくれた。ありがとう今日は余り体調も良くなかったけれど、ふたりにパワー貰った気がする。今日という一日に感謝。ありがとう女子の温活生活未病、病気回復の為に普段から免疫力アップ平熱36.5度は健康の絶対条件下記を心掛けてみてください起床時、就寝
こんなに雨って降るの?台風より、この長雨の方が危険ですね昨晩は、うとうと眠りに着いた途端、緊急エリアメールで起こされました。消音設定も関係無く大音量でした緊急時には命を救う知らせ。危険を感じたら素早い行動が大切ですね。30分程前から、立て続けに鳴り響きます。自宅は危険区域では無く、音量にドキッとせず過ごしたいので、緊急速報をオフにしました。7月2日深夜ちょうど0:00頃から、左胸の脇が痛み出しました。(22:00には寝ているので、就寝2時間後)痛むのは、なぜか決まっ
今日は受診日でした。家族にも来てもらってくださいと言われていたので、妻に来てもらいました。病状の説明ですね。自分からは伝えてありますが、主治医からも伝えたかったようです。肝機能は少しは良くなってますが、ビリルビンが2.9で、退院時3.9から二週間たつのにこれじゃあ、もう下がらないみたいです。肝内胆管、右は完全に閉塞してますからね。腫瘍マーカーも高い。CEAは26もあります。CA19-9は再検査中で分からなかったけど、前回は24000くらいだったかな?ということで、抗がん剤は終了、
訪問ありがとうございます。アメトピに掲載頂きたくさんの方に訪問いただいてます。感謝でいっぱいです。排泄の話ばかりで申し訳ないです。ホスピス入院も5日目平日になると色々起こります。右側の腎瘻が詰まりかけ漏れてしまいました。利尿剤してるので両方で600mlは出てるのにな入院前から尿量が減って濁りは酷かったのだけど…5日目はまあまあ調子良かった6日目🅱️先生から「手持ちの流動食試してみようか?」と言われアイソカルを飲んでみる30mlくらい3回に分けて、やっと飲
保護者会、行けませんでした昨日少しは寝ないとと思って、以前、抗がん剤やってた頃にもらった眠剤を飲んでみたんです。でも、全く効かずで、寝れないまま朝を迎え咳はひどくなる一方だし、眠剤のせいか日中は、ボーっとして下腹部や腰や下肢の痛みで、どの体勢で座っても痛いし横になれば咳はもっとひどくなるしで、身の置き所のないだるさに一日中悶えてましたここにきて、やっと?私は末期癌でそのうち死ぬんだなぁって思ったら、覚悟してたくせに涙が止まらずで参ってしまいましただけど、洗濯