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先週の金曜日にやっと鼻チューブが取れました。チューブがなくなって顔が変わったように感じました。金、土、日の間で口からしっかり飲むことができるかを評価していくそうで口から量が飲めなさそうであればまた鼻チューブに戻るとのことでした。この日は直母も40近く飲めていたので看護師さんからは「鼻チューブ戻らずに済みそうかも!」と褒めてもらいました。がんばれ次男!
先生、「お母さん、今日お父さんが来てから、一緒にお話しようと思ってたけど、、、今、お母さんから、その話が出たから、、、。話しましょう!お母さんも知ってると思うけど。その可能性があるかなーと思います。低緊張、平たい顔貌、手のますかけ線。あとは多血症。、、、、、、」あとは、採血をしていて、多血症の結果待ちで、結果によっては、こども病院に搬送になります。みたいなことを言われたけど。ダウン症、、、しか頭に入らず、涙がどんどん出てきて、止まりません。助産師の友達がずっと
次男の心臓はこうなっています。*動脈管開存症赤ちゃんがお腹にいる時は肺で呼吸をしないのでこの動脈管を使って心臓を動かしていて、本来なら産まれてくる前までになくなっている予定がなくならずに出てきてしまいこのせいで肺高血圧になってしまいました。*大動脈縮窄症その名の通り、大動脈に細くなってしまっている部分があるということです。これが細いままだと血流の流れが悪くなってしまい心不全などを引き起こしてしまうそうです。このふたつが次男の心疾患です。幸いな事にどちらも改善傾向にあ
実父には、直接に言えません、、、。電話で言いました。私「ダウン症だったんだよね、、、。でも、合併症は何もないから、今のところは大丈夫。」父「だから、2人いるから、やめとけって言ったんだよー!お父さんは、ダウンとかを心配してたんだよ。はぁー。切ねぇーなー。でも、どーするのよ??」私「どーするって、大丈夫だよ!育ててくしかないしね!!」父「殺すわけにいかんないしな。殺したら、捕まるからな!!」私「そんな!!!当たり前だよ!!」お父さん、号泣でした。もちろん、私も。まぁー
ぱんちゃんはまだ普通の赤ちゃん。お外に連れて出ても誰からも気にされることはない。でもいつかダウン症だってわかる顔つきになったとき私は「可愛い」「愛おしい」と変わらず思えるのだろうか。こんな事を言えば必ず言われる「両親の特徴も出るよ」「両親に似るよ、大丈夫」って言葉、わかってるよ。わかってる。Instagramやブログやってればわかる。みんな違うもん。同じじゃない。でも何故かダウン症だってわかる。だからぱんちゃんがどんどんそうなっていったとき初めて「あ、この子
昨日の退院時に先生から次男の今の身体の状況について説明をうけました。出生時に懸念されてた動脈管開存症はしっかり閉じて大動脈縮窄症は問題なく広がっているそうです。ただその後でてきた問題もありますが9割9分、1年以内には問題なく完治する見込みと言われました。その他も問題なし、心配だった聴覚もクリアしました*先生方にも「ほとんど問題なしの状態で退院できるのは本当にすごいことだよ」と言われました。ぱんちゃんはありがたいことに合併症が軽くて本当に良かったです。定期通院はあります
月曜日、染色体検査の結果を聞きました。結果、次男は「標準型21トリソミー」でした。わかってたのに涙が止まらなかった。その後、ダウン症の子を育てていくにあたって気をつけてほしいこと、定期通院のこと、健康観察についてなど一通り説明を受けました。そして最後に先生から「この子は順調に成長していくと思うよ」と言われました。理由は心疾患はあるし今後も経過観察をしていかないといけないけど、狭窄してる部分は良くなってきてるし動脈管はほぼ閉じているそうです。なので日常生活にそこまで
GCUの面会時間になった。旦那さんは、初めて娘と会えた。その時撮ってもらった写真の表情はなんとも言えない、少し切なげな顔私は昨日も見たはずだけど、日に日に浮腫みが軽減されてスッキリしてきたお顔にわぁ〜また顔がすっきりしたね可愛い…と、少し嬉しくなって言った。『赤ちゃんの手足はWMの形になっているのが良くて、筋緊張が弱いと、それができない』↑夫婦で予習済みの知識。担当の看護師さんに聞く「WMになってますよね…🥺」看護師の方は娘の様子を色々と教えて下さり「なってます!力
2週間検診にきています。妊婦さんがたくさん。みんな元気で健康な赤ちゃんを産むんだろうな。いいなあ。羨ましい。私も先月まではそうなると信じてた。保育園の送り迎えでもそう。みんなみんな元気な赤ちゃんを抱っこして上の子と手を繋いでる。私もそうなるはずだったのに。ただ幸せに普通の子育てをして生きていきたかった。でもこうなったのは次男のせいじゃない私のせいでも誰のせいでもない。ただの偶然。そんなことわかってるけど。私はこの感情といつまで付き合わなければならないんだろう。
※育てる育てないなどの表現がありますのでご注意下さい。なぜ、私が育てない選択を考えていたのか。まず1つ目は経済面。私は長男がいるため時短勤務の会社員、旦那は28歳の会社員、年相応の年収。共働きで健常児を2人育てて少し贅沢ができるくらいの年収しかない。私が仕事復帰できなければ貯金に回すお金は捻出できないし色々カツカツになる未来しか見えない。2つ目は人の目。私は目立つのが好きじゃなくて人と右へ倣えをして生きていきたいタイプでこの先、必ず経験するであろう好奇の目や偏見の目
生まれてすぐに、クベースにはいって、多血症のためNICUに入院して、黄疸値も上がり、光線療法も2日くらいして、10日目で退院となりました。退院用に準備していた服。小さ過ぎて、ブカブカでした!なんだか、可哀想に思っちゃった、、。病院で最期のミルクを飲ませてると、看護師さん「あー、同室してないですよね、、、1日は、しないとですねー。」って。えっ??今、そんなこと言う?!もうー。ここに居たくない!!帰りたいー!!って、本気で思いました。でも。他の方が、3人目だし、お母さん
ぱんちゃんの育児を開始して大変に感じたこと。◎抱っこ紐が使いづらいぱんちゃんはかなり小柄でかつ、ダウン症特有の「低緊張」があるため抱っこ紐の相性が悪いです。今はナップナップの抱っこ紐に新生児パットを装着してますがぱんちゃんには大きくて埋もれてしまいます。なのでお尻にタオルを詰めて底上げしてやっと抱っこができる感じですがたまに胸に顔が隠れてしまうので注意しつつ外出しています。ですがこれではダメだなと調べた所、ベビーラップが良いとのことなので色々と良さそうなのを探してい
赤ちゃんが生まれて。胎盤が出るまで。ずーっっと、身体中が震えてました。ヤバイ、ヤバイ。どうしよー、どうしよー、、、って、頭ん中、ぐるんぐるん。インファントウォーマーで、処置中の赤ちゃん。あんまり、泣かない。誰一人、あわてず、喋らず、淡々と処置をしている小児科の先生と、見守ってる産科の先生方。例え、赤ちゃんに何か障害を見つけても、騒がずに処置を続けていた私。あー、医療スタッフって、そうだったなぁーって、考えながら。余計に悲しくなってた。赤ちゃんは、とりあえず保育器へ入
旦那さんが来て、ラウンジでちょっと待ってる時に、私「やっぱり、ダウン症かもって。」旦那「マジ??違うでしょ、、、」私「うーん、ぽいって言えば、ぽいし。わかんない、、、」旦那「まじかー。結婚出来るかなー?」私「ダウンだったら、出来んよね。」って。今でも、鮮明に覚えてる、、、。結婚。って言われた言葉が、すごく悲しかっなあー。無理に決まってるって思っちゃったなー。そして、先生から同じように話がありました。私、号泣。旦那さんは、ウルッとしたくらいかな。とりあえずは、多血症を優先
記事一覧1.ブログを読んで下さる方へ2.自己紹介3.産前のこと4.産後から赤ちゃん入院まで5.医療センターへ転院6.赤ちゃん転院後の産院でのこと7.旦那さんとの会話8.その時々の気持ちの変化9.人との関わりから考えたこと10.〝今の気持ちメモ〟11.言葉12.成長記録先日書いたように、療育の施設を4箇所見学をしたのですが、自動発達支援のサービスを提供されている会社の方針やコンセプト施設の作り利用できる時間.人数
久しぶりの更新になってしまいました。コメントくださった方、返信ができず申し訳ございませんでした。でもしっかり読みました。暖かい言葉を本当にありがとうございます。ぱんちゃんは無事、生後2ヶ月を迎えました⸜(˙▿˙)⸝体重は4kgを超えお顔がまるくなって足もむっちりしてきました🌿ただ、ぱんちゃん哺乳瓶拒否で完母になりました。笑あにぱんはミルク寄りの混合だったので拒否をされるという経験が初めてで温度を確認したり乳首を変えたり搾乳にしたりミルクを変えたりと夫婦で試行錯
大部屋になり、少し気持ちが楽になりました!!3時間置きのミルクは、看護師さんが呼んでくれます。ミルクを作って準備してくれてます。私が看護師ってことも、みんな知っているようで、クベースの扱いやミルクのあげ方の指導はありません。私も、仕事かのように、淡々とこなします笑笑。深夜帯のミルクは、病棟もしぃーんとしています。そして、夜勤の看護師さんとは、仲良くなります笑。そこでは、ダウン症かもしれない娘の話じゃなく、兄達の話や、病院の話の色々。その時間が、唯一、色々忘れられる時間で
「なんで私が」「なんでこの子が」「なんでこうなったんだろう」「なんで気づかなかったんだろう」小児科の先生が出ていった後、そんな思いで頭がいっぱいで苦しかった。ほんの数時間前はこれから産まれてくる命が楽しみでお祝い膳に期待したり長男の反応を想像したりそんな些細な楽しみに胸が踊ってたのに。もう絶望しかなかった。大きな病院に送られる前に看護師さんが少しだけ赤ちゃんを連れてきてくれたけど素直におめでとうと言えなかった。素直に可愛いと思えなかった。でも、薄情なお母さんだと思
以前書いた保育園からの時短要請ですが、『【第57話】HHFF~発熱と保育園と復職の不安と~』ぐら、最近保育園に行けていません。園長先生からの・預け時間を短くしてほしいとの協力要請。今はまだ育休中ですが、復職後も仕事を調整してほしいとのこと。(そ…ameblo.jpあれから園長先生へ折衷案を提案し、なんとか時短勤務を取らなくても働けています。(時差出社制度は利用しています)私の仕事は出社と在宅と半々で、職種として外出も多いのですが、--・出社のときは徹底
義両親へは、旦那さんと一緒に直接言いました。子供達が寝た後に。言おうと決めた日から3日後でした、、、。旦那さんも、なかなか言いづらいみたいで。義両親達は、あまりダウン症を知らないみたい。直接見たこともないって。一般人って、そんなもんなんですね。きっと!!!せっかく産まれてきたのに、可哀想に、、、と、義母が泣いていた。その言葉、その通りなんだけど、すごく、すごく、悲しい言葉だった。一気に涙が出てきた。旦那さんも、涙を拭いていた。義父は、何も言わなかった。息子達や、近所
ブログを読んで下さる方へ始めにこちらをお読み頂けますと幸いです旦那さんと、病院のロビーの椅子に座って話をした。2人とも、きっとこの時が今まで生きてきて一番苦しかった。もっと辛い思いをされている方がいるのに今思うとそんなこと言っていることがお恥ずかしいですが旦那さん「そうかぁダウン症かぁ。」私「ごめんなさい…涙」「検査(出生前診断)しようと思っていたのに…涙悪阻で辛くて行けなかった…涙」そもそも1人で考えて決めることじゃないんです。「どうしよう
ありがたいことにたくさんの人にアクセスしていただいているようで子育てジャンルではランクインしていました。アクセス数だけで順位が跳ね上がるんですね...驚きました...そんな中でフォローしてくださる方やコメントやイイネをつけてくださる方がいてすごく励みになります。ありがとうございます。まだまだダウン症児の子育てのスタートラインにすら立てていないので色んな情報をコメントしていただけたら泣いて喜びます。と言っても私は順位にこだわりはないので引き続きマイペースに更新していきま
赤ちゃんが生まれる前、染色体検査を旦那さんにして欲しいと言われた。私は38歳、旦那さん39歳。上にふたりも息子達がいる。もしも、病気や障害の子が生まれたら、俺は見ていけない。そう言われ、悩んだ。色んな人に相談もしたし、産科の先生にも話した。でも、先生が、上の子も何も問題ないし、年齢も今はそんなぬ気にならないよって、、、。うーん。でも、もし検査して、ダウン症かもと言われても。21トリソミーなら、大丈夫!!長生きできる。13トリソミーや18トリソミーだと、短命だから可哀想
入院生活が限界だったので1日早く、退院することにしてもらいました。私、義両親と同居しています。実家は車で5分くらいですが、母が亡くなっていないので、里帰りはしません。だから、この5日間の入院生活はストレスフリーなので楽しみにしていたのに、、、帰りたくもないはずの、家なはずなのに。病院にいるより、旦那さんと子供達と居たかったです。1人は怖くて、嫌でした。赤ちゃんは、しばらく入院です。土曜日なので、息子達も一緒に迎えに来てくれました。赤ちゃんも少しならいいよ!!と、抱っこまでさ
はじめて夫婦一緒に面会した日告知された後ーーーーーーーーーーーー2人で話をしていたらかれこれ、面会時間から4時間ほど経ってしまっていて汗途中連絡も返せずいたので車で待っている両親に心配をかけてしまった私は涙がまだ止まらなくて旦那さんに支えられながら駐車場まで歩いた両親も、この時まで詳細を聞いていないので何があったのかという空気で車に入ると父は「悲しい顔しとんなぁ」と言った。私は「状態は落ち着いているけど…ダウン症の可能性が高いって」と言った。「そんな
保育器の中の赤ちゃん。小さい。クベース内酸素使用中、spo298%!点滴一本のみ。うーん、状態は落ち着いてるかなー。でも。見れば、見るほど。ダウンぽい、、、。でも、看護師さん何も言わない。当たり障りのない言葉ばかり。うーん、、、。
次男、無事に退院しました*長男と初のご対面。電車のおもちゃをお供えしたり頭をなでたり彼なりにお兄ちゃんしてくれています。そんな長男の姿をみて「なんて幸せなんだろうか」と泣きそうになりました。まだ今は胸を張って「幸せだ!」とは言えないけどこうした小さな幸せを大切にして私たちなりの幸せを作っていけたらと思います。可愛いなあ。そして今日から育児スタートするので次男のことを「ぱんちゃん」長男は「あにぱん」とブログでは呼んでいきます*(謎のこだわり)よろしくお願いしま
このブログは、1年前のコトを書いてます。やーっと、書く気になったので。1年前だけど、今でも忘れられない苦しい日々でした。2017.11.15(出産1日目)赤ちゃんを見に行くと、助産師さんが、「今日、お父さん来れますか?先生から、赤ちゃんの状態の話があります。」って言われました。あー、やっぱ、そうかぁー、、、。って思い、クベースの中の赤ちゃんを見ていました。すると、先生がNICUに来て、パソコンで見ていたので、、、。私、我慢できずに。「先生〜、この子って、ダウンちゃんですか?
ブログを読んで下さる方へ始めにこちらをお読み頂けますと幸いです昨晩、職場復帰の文を書いたからかな。夢で職場の信頼している方に報告する夢を見た。自分からは言えず声をかけられて部屋に入った。○○さんちょっといい?って、仕事中、上司から仕事の話をする時に呼ばれるあの感じ。懐かしかったなぁ。なんか嬉しかったなぁまずは出産おめでとうどう?と言われて。待ち望んだ出産で、すごく嬉しかったです。と言った後お話する機会を頂いたので、今話したいことがありまして…実
みなさん、やりましたか??私は7年ぶりの出産で、初めて、エジンバラ産後うつチェックをしましたそして、正直書いたので、かなりの高得点に、なったらしく。(そりゃー、なりますよ!!)私の退院時、受け持ち看護師さんから呼ばれました。大丈夫ですか??って。大丈夫じゃないですよ。笑笑。でも、自殺なんてしませんよ。だって、うちに息子達が2人いて、私が死ぬわけにはいきませんから。って、心の中で思っていました。2016年の産科での死亡率が、産後うつによる自殺が1位になったようです。