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昨日は産科のフォローアップ診察でした祖父の火葬後、初の診察行くのが本当にしんどかったけれどソラナックスが無くなるから貰いに行かなきゃいけなくて頑張って重い腰をあげました病院に着くと、スタッフさんに個室に案内されて待ちました待合室で他の妊婦さんと会わないように配慮してくださいましたでも、その個室でいきなり冷や汗が出て、過呼吸になり…狭い空間だったのがいけなかったのか?祖父の火葬からメンタル不安定だからか?兎にも角にも、こんなこと初めてでそんな反応をする身体にビックリ…
皆様お疲れ様です。先週くらいから関東は急に夏日になったりしてだんだんと暑くなってきました。会社に着ていくシャツもそろそろ夏仕様にしようかなと冬服の間はずっと長男のワイシャツとネクタイを使っていたんで夏服も長男のシャツを着ようと思いました。『長男とワイシャツと私』皆様お疲れ様です長男が亡くなってから私、ずっと継続している事があるんです。手を合わせたりお線香をあげたりこれももちろんずっと継続してますそれもそうなんですけど…ameblo.jp先日片付けをした日以来長男の部屋に入り
皆様お疲れ様です今回は考察回です。私最近、良く思うことがあるんです「なんか、虚しいな」って長男が亡くなってもうすぐ4ヶ月が経とうかなという所まできました。普段の生活はというと至って普通といいますか平穏といいますか時々ある感情の揺らぎさえ無ければ長男が亡くなる前と変わらない生活をしています。ご飯も食べれば美味しいし面白ければ笑う家には娘の友達が連日のように遊びに来て何故か私達と一緒に遊ぶ(笑)でもこれは長男が亡くなる前からそうだったので言わば平常運転なんですね
皆様お疲れ様ですゴールデンウィークになりましたね私の住む地域では5月3日から5日までお祭りがあります。そのお祭りに向けて各地区ではその準備が行われ始めています。仕事が休みだった日曜日の朝ウォーキングをしていると色んな所でお神輿や山車を出して点検などを行っている風景が見えました。いよいよお祭りが始まるんだなぁと思いました。そんな風景を眺めながら歩いていると親戚のおじさんと遭遇しました。このおじさんは年一回開催されるお祭りに「命を懸けている」と言っても過言ではないThe
2023/12/3娘が旅立ってから4か月ほどが過ぎた。数日前のこと、お昼前にお皿を洗っていたら、何の脈絡もなくふと心の中に、「お母さん、悲しまないで」という言葉が浮かんできた。私は娘がテレパシーでメッセージを送ってくれたんだと思う。その次の日、月命日の前日にお墓参りをしたときのこと、霊園の出口でバケツを返却したときに、生垣のあたりを一羽の蝶々が飛んでいくのが見えた。あれも娘よ、あなただったのでしょう?お母さんを慰めようとしてくれているんだよね。ありがとう
先日の4回目の月命日思ったほど落ちずに過ごすことができましたその日両親と、弟家族がお花を持ってきてくれるというのでおもてなしの夕飯の支度をしようと無心に鶏もも2キロを揚げて唐揚げを作りましたついでにポテトもたんまりとそしたら母が、人数多くて準備が大変でしょうとコストコでお寿司とピザとその他諸々買ってきてくれましてもうパーティーみたいで何の会だか分からなかったけど子どもたちはいつも通りワイワイギャーギャー走り回り大人たちもお酒を飲みながらこちらもいつも通りもちろん、息子も
事故から二日目に布団の中で眠っていた娘は棺の中へ移りましたキンキンに冷えた部屋でドライアイスを両脇に置いて眠る娘こんな狭い箱の中に納まってしまって・・・旦那と交代して自宅に戻りシャワーを浴び、洗濯や身支度をしていると娘の幼馴染の母が出勤前に来てくれました大まかな事情を説明すると、最後に「運命やったんよ」そう言って励ましてくれたけど、運命って・・・なに?又、いろいろ考え出した。運命ってかぁ・・・ちがうよな・・・納得のいかないこの言葉来
「本当は、こんな人じゃなかったんですよ。」元気だった頃は、何でもテキパキできる人で頭が良くて、優秀な高校、大学を卒業してバリバリお仕事をして…誰からも慕われる性格で…ってね...病気で変わり果ててしまった配偶者の方を目の前にして介護されているご家族がおっしゃっていました改めて、私が知っているのは、病気になってからの患者さんでしかないということをハッキリ自覚しました。これまで患者さんはどんな人生を歩まれてきたのか?ご家族が思う、ご本人らしさとは??ご
グリーフカウンセリングを学んだ時にとても印象に残っていることがいくつかあります。苦しいこと、辛いことを語ることは、ときに痛みをともなう。とても勇気がいるし、誰にでも語れることではない。でも、語ることで、心の淀みを吐き出して浄化していくことができる。時間はかかるかもしれない、痛みを伴うこともある…でも、いつか、再生にむかう力が誰にでも自分の中には備わっている。というお話。そして、とても辛くて、苦しくて、本当に心が弱っている時。そんな
2024年1月1日のお話です地震がおさまり昼寝から覚めた息子が慌てた様子で私のもとに駆け寄ってきた息子「地震がきた夢みて怖かったわぁ体がグラグラしてどっかに持っていかれるような感じして」テレビの中継を見ながら今の現状を目の当たりにした息子怖かった夢の話が現実味を帯びだしたしゅう「頭まで布団被せて電気が落ちても怪我せんようにしといたやろ」揺れがおさまるまで傍に居てた私私がまだ高校生の頃の不思議な話姉妹で2段ベッドで
夜、家族にしゅう「ひ〇(友人が飼っているゴールデンレトリバー)触って来る。」それだけ言い残し、フラフラと家を後にしました友人に歩きながら電話で今から行っていいかどうかを尋ねると快くワンコママ「いいよ。」と、だけ返してくれました歩いて2・3分の所なのに、長い長い道のりに感じましたインターホンを押す指が震えている事に気が付きましたすぐに、ひ〇を連れて降りて来てくれましたしゅう「実は・・・」事情を説明すると、ワンコママも絶叫。ワンコママ「うそやん!なん
皆様お疲れ様です前回のお布施の話に続きまして今回は葬儀費用について書いていきたいと思います。前回も似たような事を書いたんですけど急な出来事だったですし本来の順番とは違った形となってしまったためこういう事に何も準備が出来ていませんでした。例えば互助会とかそういうものにも入ってなかったので何も分からない上に1つづつ全て決めて行かなくてはならず当時の放心状態メンタルの私には全く余裕がありませんでしたね。正直言いましてその時のショックの大きさから何を話したかとかはあ
皆様お疲れ様です中学校に通い始めて最初は思春期でギラギラしていた次男ですがなんか少し落ち着いてきたのかポツポツと話が出来るようになってきました。そんな先日の夜でした。学校の話になったんですけど突然次男が「学校に○○(長男)の事知ってる先生いたよ!」と言ってきました。実は以前の記事で書きました長男がお世話になっていたM先生ですが残念ながら離任されていました。見事なまでのフラグ回収となってしまっておりました。『お世話になった中学校の先生』皆様お疲れ様です先日、
もうすぐ5月。あの子が旅立った月です。死別後間もない頃の苦しさは言葉では言い尽くせないほどの激しいものでした。何とか踏ん張らなければと思いつつも、自分がどうなってしまうのか不安でした。その頃、初めて会った死別後12年の方の「今は亡き子と2人で光の中を歩いている気がする」と言われた言葉が心に残りました。お会いしたのは一度だけ。でもその言葉との出会いが私のその後を生きる支えになりました。「12年経てば、この苦しみは、変わる」「真っ暗闇ではなく、光の中?!」「ともかく12年」と、おまじないの
夫は2022年の12月末に旅立ちました。たまに、久々に連絡をくれる友達が、「少しは落ち着いた?」とか「もう1年たつんだね、早いね」とかのコメント。おそらく、私も今までならそのようなコメントをしてたんだろうと思います。だって、なんて言ってあげればいいかわからないし。グリーフグループの方が、チャットで言ってらした時間の感覚、「まるで、昨日の事のようにも感じるし、一生のように長くも感じる(feellikealifetime)」とおっしゃってて、私もまさにその通りだと思います。今の私の感覚で