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皆様お疲れ様です先日のお休みの事でした。かねてから行こうかなと思っていた仏具店へ行ってきました。今年のお盆は新盆になりますからね必要な物を買おうかなと思っていたんです。また、お盆用品も家に元々ある物もあるんですけどどうせなら新調して長男の為に何かしてあげたいなそんなふうに思っていました。ちょうど家を出ようとしたらヤマト運輸さんから配達完了のメールが何か買ったっけ?なんて思って見てみるとなんと仏具店から新盆のセールのパンフとクーポンが!めっちゃすげぇタイミング
夜、家族にしゅう「ひ〇(友人が飼っているゴールデンレトリバー)触って来る。」それだけ言い残し、フラフラと家を後にしました友人に歩きながら電話で今から行っていいかどうかを尋ねると快くワンコママ「いいよ。」と、だけ返してくれました歩いて2・3分の所なのに、長い長い道のりに感じましたインターホンを押す指が震えている事に気が付きましたすぐに、ひ〇を連れて降りて来てくれましたしゅう「実は・・・」事情を説明すると、ワンコママも絶叫。ワンコママ「うそやん!なん
過去の日記を元に書いています。2023.4.127か月24日今使っているスマートフォンもう3年以上使っている。LINEとかメール、検索ぐらいしかしないので、低機能でいいやと安いものを購入した。もうそろそろ新しいものに替えた方がいいのかもしれないなと思う。でも、彼との思い出が無限に詰まっている。毎日のLINE。バイブレーションの音が聞こえた時のあの嬉しさと安心感。時にはスピーカーで通話しながら彼の車を追いかけて運転した。私の幸せの絶頂と悲しみのどん底全て見てきたこの機械。
涙が止まらない日は夫と話したくて会いたくてどうしようもないとききっと夫も泣いてる私と同じ気持ち。夫はきっといつも側にいる。ただ、見えないだけ。聞こえないだけ。触れないだけ。夫は透明人間になったのだ。見えないのも、触れないのも透明人間だから仕方ないんだ。私が夫と話したいとき透明人間の夫はいつもそこにいる。だから私は話しかける。聞こえなくてもちゃん
グリーフケアって言葉を聞いたことある?グリーフとは大切な家族や友人との死別やその人にとって大切なものを喪失した時に起こる様々な身体的、心理的、社会的反応のことを言うんだけど喪失を体験した人の悲しみや痛みに寄り添って立ち直りや自立できるようにケアやサポートをすることをグリーフケアっていうのさ。
皆様お疲れ様です先週の土日私達家族5人は熱海旅行へ行って来ましたー長男がずっと口癖のように言っていた言葉「熱海でいいから旅行行こうよ!」がようやく果たされる時が来ました。私は神奈川県に住んでいますので熱海ははっきり言って近いです。なんなら仕事でその近くまで良く行きます(笑)でもそれがいいんですよ観光とかじゃなくてお風呂入ってご飯食べて飲んで寝る!長男はもちろん私達家族はこれがやりたかったんですよね先月たまたまホテルの空きを見つけて値段も安かったので思わずポチッとし
『最後の家族旅行①』娘婿が愛人を作る迄は仲が良かった娘夫婦会えなくて寂しいからと、1月に1度が難しいのであればせめて2ヶ月に1度は研修先に来て欲しいと娘に言っておりました娘婿に自…ameblo.jp娘婿の研修が休みの日に一日5人でバギーを乗りに行きました5人共キャッキャ!キャッキャ!と大はしゃぎジャングルの中を走り抜けるあのスリル感は今でも覚えています私達は2度目になる水族館なのであまり乗り気ではなかったのですが娘夫婦が行きたいと言うので行く事にしました水族館に行き私達と娘夫
7年前の今日。2017年4月17日、月曜日。その日の朝早く、母は膵臓がんで76歳で亡くなりました。10日以上私は病院に泊まり込んでいました。病室がなんとなくバタバタしているので、目が覚めたら、もう母は生きているのか死んでしまったのか分からない状態でした。サヨナラもなにもなく、泊まり込んでいたのに、いつ逝ったのか分からなかったです。私は14年前に未婚で息子を生みましたが、典型的な厳しい昭和の母でしたが、なぜか未婚で子を生むことに怒ることも、反対することもなく、息子を
皆様お疲れ様ですなんとかGWが終了!色々ありましたがまーとりあえず無事でした(笑)今回は結果発表といいますかタイトルにもあるように地雷は踏んだんですけど(笑)結局どうやって過ごしたのかご報告させていただきたいと思います。日本全国的には4月27日からGWですが乗り切りたかったのは地元で開催されるお祭りの期間3日~5日が私としては問題でした。3日はちょうど外せない業務があり仕事となりました。それでその「外せない業務」というのが間接的ではありますがお祭りに関わるもので
残暑厳しい2023年9月26日娘が死んだ。交通事故だった。警察から事故で亡くなられました。と、旦那に連絡が入った。直ぐに警察まで駆け付ける。事故当時の状況等を担当の警察の方から聞かされた。離婚調停さなかの交通事故。警察で聞いた話では緊急連絡先になっていた娘婿に連絡するも「煩わしい事には関わりたくない。」と・・・耳を疑った。何と非道な・・・せめて、その時に私達親の連絡先を伝えてくれたら直ぐに娘の元に駆け付ける事ができたのに・・・状況説明の後、ようやく娘
娘婿が愛人を作る迄は仲が良かった娘夫婦会えなくて寂しいからと、1月に1度が難しいのであればせめて2ヶ月に1度は研修先に来て欲しいと娘に言っておりました娘婿に自分の研修先に来る様に言われていたのですが、台風で飛行機が飛ぶか飛ばないかと言うきわどい状態のまま関空に行った娘残念ながら飛行機は欠航となり研修先に行けなくなってしまいましたそして、2022年10月に私達夫婦がたまたま娘婿の研修先の県に旅行に行く事が決まっていたので一緒に娘に一緒に現地入りする事を持ち掛けました。そうする事で娘の旅
皆様お疲れ様です昨日は長男4回目の月命日でした。早いもので4ヶ月約120日が経ったわけです。長男の姿を見なくなって声を聞かなくなってもうそんなになるんですね…遺影を見ては悲しくなったり思い出しては辛くなったりしてますがだんだんと今の環境に適応していってるような気がしてます。人間の対応能力って凄いなと思います。先日の記事でも書きましたように無事ライブのチケットが当たりそして同僚の方より長男からの言葉を聞いた為朝からウキウキの私『天国からのメッセージ~「共に生きる」』
~2024年5月14日の日記「日々のささやき」~いま、子どもの最期の「医療者の配慮」について意見を集めていて、何人かのお母さんと話した。難しいと思うこととして「延命治療を望みますか?」と尋ねられて返事しなければならないこと。えっ!なんてこと言うの!?というくらい衝撃を受ける人がいる。ここを、よく考えなければいけない。子どもが最重度で、いつ心臓が止まるかわからないという状況にあったとしてもそういうこと聞かれるとショックを受けるのが親。でも、医療者は確認しな
やってしまった…三番目小5とトラブる実は昨晩のこと…病院の先生は大丈夫って言ってたしそろそろ学校へ行ってみたらどう?↓↓『心に響いた主治医からの言葉』三番目小5先日半年ぶりの主治医診察三番目、命の危機以降定期的に主治医の診察を受けている最近調子の悪い三番目インフルエンザもあったけどそれより前からほとんど学校…ameblo.jpえー…もう学校行くの怖い……怖い?…何が?ずっと休んでたから…久しぶりに行くときはみんなドキドキするんじゃないかな…インフルエンザだったんだし
誰かのために何かをすることって、幸せな事だったのだと改めて思う。以前、「誰かのためにご飯を作る」を書いたけど、誰かのために何かをすることは、一緒に生活する誰かがそばにいて、その人のために動く。これは、ものすごく当たり前すぎて、その時には気が付かない。でも失ってみて初めて気づく。その誰かのために行動していたことが、とても幸せなことだったと…例えば洗濯をするにも、二人で生活していた頃は、週に2~3回は洗濯をしていた。平日だと洗濯した後、朝は忙しくて干している時間が無いので、夜のうちに
皆様お疲れ様です先日の休日の朝の事でした。いつものように定位置に座りブログ読んだりテレビ見たりしていました。そんな時にハッと!ある事に気づきました今日のゴミ「布の日」だ!こないだ長男の部屋を片付けた時に燃えるゴミは次の日に捨てたんですけど洋服などの布類は長男の部屋に置いてありました。布類は回収日が少ないのでこれを逃すとまたかなり先になります私は慌てて長男の部屋へ行きました。部屋には袋に入った洋服が何袋かありました。まだ袋の口を閉じてなかったので私はしゃがみこみ
自分の数秘に「9」を持っているかどうかの求め方はこちらの記事参照『【数秘術】【計算方法】生年月日から導く2つの数秘』基本の数秘の計算方法数秘術には生年月日から導く数秘とお名前から導く数秘、生まれた年、月、日それぞれの数秘、様々な数秘があります。4人ほどの先生方に学び、本も…ameblo.jp※記事は、この先も検証を重ねながらブラッシュアップしていく予定です「9」という数字「1」から「8」を全て含む「9」という数字は頭に智慧を沢山詰め、足元がまるく
娘の事故当日午前中にジムに行き汗を流した後、いつものように帰宅しようと思っていました旦那から電話があり旦那「落ち着いて聞いてや、○○が、○○が・・・死んだって、さっき警察から連絡来たんよ」その後はどこをどうやって、どの道で帰宅したのか定かではありません旦那「とにかく、家に直ぐ帰って。僕もすぐそっち走るから」その後は、何を話したのか覚えていませんただただ、信号に引っかかるのがイライラして、ハンドルを何度も叩き、しゅう「なんで?なんで?なんでなん?神も仏もな
かわいいガラス仏具で大切な人の思い出を彩る専門店Bee-S(ビース)の住吉です。大学でお話をさせて頂きました死別のグリーフ当事者としてそして、仏具を通して今度は支援者側へ16年たちその時時の苦悩がありますこれから看護などの分野に進む皆さんへ何かの気付きになってもらえますように娘と私のこと真剣に聞いてくださって本当に嬉しかった娘がいてくれた日々が悲しみだけではなく明るく輝きますお友達を作ってあげることができなかったその後悔
力仕事GWの頃。メンタルどよ~んがはじまってました何もなかったわけではないけれど、客観的に考えてメンタルどよ~んになる程ではないはずなのに・・・そんな状態になると夫さんに会いたいなぁ・・・いてほしいなぁ・・・と、ぶつぶつタイムへこのままでは沼にはまっていきそうそんな時、ふと前から気になっていた部屋の一部模様替えを思いつきましたといってもメンタルダウンの時なのでちょこっとだけ・・・・のつもりがちょこっとちょこっとやれることだ
皆様お疲れ様です先日フォローさせていただいている方々のブログを読み漁ってた時に思った事を今回は文章にしていきたいなと思います。なんか、急に思ったんですよね……「共に生きる」ってなんだろう?って何と共に生きるんだろう?もちろん亡くなった長男と私は共に生きていくでも、それだけじゃない亡くなった長男と生きていくという事は亡くなったという事実も一緒だということそしてこの辛い気持ち悲しい気持ち会いたいという思慕そして後悔…それも全部ひっくるめて生きていかなくてはいけない
旦那が帰宅し、急いで○○県迄車を走らせました高速に乗り、しばらく経って落ち着いたのを見計らって事情を説明しだした説明を聞いたところで、全く意味が分からない完全に頭は真っ白な状態運動を終えたばかりの体だが、空腹という文字はまるでなく○○県の文字が見えたとたん現実味が襲ってきました小刻みに震える手、ガタガタ音をたてる歯、喉の渇きではない砂漠の様な口内急がないと!この思いとは裏腹に、現実だったらどうしようこの時はまだ、警察の話や我が旦那の話を鵜吞みには出
葬儀会社から作成された○○(娘の旦那側の姓)と、記された訃報を持って、旦那の実家行った我が旦那のらりくらりの返事の最後の言葉。「出席させて頂きます!葬儀代金も半分出します!」と、あくまでも自分の家の葬儀ではない!と、言う態度を続けた娘婿と両親。ふざけるな!↑(これは言ってません)そら、ブチギレるわなぁ・・・私か息子(娘の2歳違いの兄)が一緒に行っていたらブチギレ止める事できたかも・・・できたかな?・・・やっぱ無理かぁ・
今日はグリーフカウンセリングをさせていただきました。90分間、お子さんを亡くされたママのお気持ちに寄り添わせていただきました。子供を亡くすことは底なしの地獄を生き続けること。こんなに苦しいことはありません。この苦しみは大変申し訳ないけど経験した人にしか本気の共感はできないと私は思ってます。だからこれも大変申し訳ないけれど子供を亡くした経験のないカウンセラーさんには心からの共感は少し難しいのではと思うのが私の正直な気持ちです。寄り添いたいって気持ちは尊いけど
小さな天使のママの会2018年6月4日石川県津幡町で開催
警察署の駐車場に車を止め、受付の方に名前を伝えに行く旦那の後姿をぼーっと見ていました2階に行くように促されました階段をのぼる足は重たく、なんとか一歩、又一歩、震える足で上り切りました警察の方の「こちらへどうぞ」と、部屋に入るよう促されたがその声がとても怖かった優しく接してくれているのに怖かったなんで、娘が警察のお世話になってるの?なんで?一体何がどうしたの?あらかたの説明は車の中で旦那から聞いていました改めて警察の方から聞いても、噓!絶対何かの間違い
~2024年5月12日の日記「日々のささやき」~あゆみのように、突然の病気でいきなり救急車に乗って行って助からない子のお母さんと話すことがある。こういう場合には「長い闘病があって亡くなるのは子どもも、親も、もっとつらいと思う」と言ってなぐさめられること、世間的にはあるけれど短ければいい、という考え方親にはない。じゃあ、急病の子どもの親がみんな同じことを考えているか?ということそうではないこと、きょうも気づいた。私は、そのお子さんのお母さんをずっとそばで
交通事故と言う突然の別れに戸惑いと悲しみを隠せない私達を横目に娘の遺産を何とか手に入れようとする娘婿9月26日に亡くなって9月30日の告別式迄の5日間、遺体となった娘に会いにも来ませんでした娘が亡くって警察の冷たい床に横たわる娘が火葬場に移動する日まで娘の遺体との面会を拒んだ娘婿は、亡くなった事実を知った直後葬儀会館に来ることもなく、まずcrazy弁護士の所に娘の残した遺産を自分のものにする為の相談に向かいました。葬儀を執り行う事もなく娘と共有名義で購入した自宅の件や娘の預貯金など
家族に見送られ手術室に入った私、30年前の10時19分娘の誕生です世間は年度末で大忙し長男が難産で緊急帝王切開となった為、2人目も帝王切開で出産する事になりました。予定日は4月13日でしたが女の子と聞いていたので3月中に産みたいと言いました歳を重ねると同級生より少しでも若くいられるしなぁ・・・なぜなら、同級生同士で結婚した友人は、妻は4月中旬?生まれ、夫も4月生まれ。ただ夫の生まれ年が翌年の4月1日でした。ほぼ1年違いの同級生。妻の事をことあるごとにオバハン!(同級生なのに
グリーフのじかんは「リスタート」グリーフのじかんになって想うこと大切なひとと死別してからはじまるグリーフのじかんそれは大きな大きな人生の分岐点であったり転換期とそんな風に思っていますということは「今まで」と同じことのはずなのに通用しないことも多くなる未知の時間のはじまりでもあるとも思っていますその時間はもちろんなりたくてなった訳ではないけれど人生の仕切り直し新たなチャレンジ自分自身のアップデートなどなどせざるを得なくなる