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一昔前、「本能寺の変」を踊りで表現する謎のネタがありました。言うまでもなく、織田信長が京都・本能寺で明智光秀に襲われた事件です。小学生でも知ってる…はず。「信長の野望」シリーズで、本能寺の変イベントを起こしたときは興奮したはずです。「全国版」の頃から本能寺の変イベントを出すのに躍起になっている方もおられたでしょう。動画を見ても、「へぇ~」となられたはずです。織田家・実力モードでプレイ織田家が山城・近江・丹波・播磨・加賀を含む10ヶ国以上の領国を所有織田信長・織田信忠・
【問題】【日本城郭検定準1級】秀吉の信頼が厚かった中村一氏は各地の城主に任じられたが、次の城の中で城主でなかったのはどれか。【選択肢】大和郡山城駿府城水口岡山城岸和田城【正解】大和郡山城【解説】中村一氏は羽柴秀吉時代の家臣で、天正11年(1583)に岸和田城主、次いで水口岡山城主、駿府城主を歴任し、関ケ原の戦いを前に病没した。問題・解説文提供:「日本城郭検定」
日本100名城のひとつで国宝天守&世界遺産の姫路城はいろんな時代の石垣がありますが、その中でもチェックしておきたい古い石垣があります。それが黒田官兵衛が普請したとも考えられる天正年間(1573~93)の石垣です。>>黒田官兵衛普請の石垣の地図🖕それがこの石垣。場所は上山里(かみやまざと:お菊井戸がある曲輪)下段。現地看板には天正八年(1580)羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の姫路城改築の時に積まれた石垣と推定されています。当時、黒田官兵衛は秀吉に従い姫路城を明け渡して
夫婦そろって星5初登場って初めてか?先ずは星5覇道宗茂さん。敵ラ3体物ダメ0.60×4前列自身1人時追加0.60×3敵2体時攻+25%敵1体時攻+50%えーと、つまりは最大で当たると敵が3体で4.20敵が2体で5.25敵が1体で6.30ってこと?……凄くね?間違ってないよね?マジかぁ……そりゃ確かに条件付きではある。しかしながらこんなユルい条件だし、あって無いようなものだ。勿論、敵が4体以上で攻撃がバラけるのではあろうが、そんなことは問題にならん。いやぁ、ブッ壊れ
豊臣は苗字ではなく、天皇から賜った「姓」だって話は、いつもしてます。徳川家康や明智光秀や武田信玄が「源」だったり、織田信長や北条氏政が「平」だったり、上杉謙信や伊達政宗が「藤原」だったりするのと同じですね。羽柴秀吉は、関白になるための方便で近衛家の養子として「藤原」を名乗り、そのあと改めて「豊臣」という新しい「姓」を貰います。これは苗字よりも上位概念であり、この時代は普段の日常生活では使わないファミリーネームです(天皇から位を貰うときに必要な程度のもの)。ですから、彼が普段から「オレは豊臣秀
戦国無双5山崎の戦いのミッションは下記の8つメインミッション一覧・逆襲の一手・戦線の押し上げ・円明寺川の攻防・本陣へ向かって・官兵衛の策・一氏の覚悟サブミッション一覧・急襲の阻止・天王山からの眺め・みつきの覚悟・引き金を絶つ・天下を統べる者・仇討ちメインは進行通りに進めばうまくいくのでサブだけ説明します。その前に注意事項として明智光秀みつきを選択してプレイしてください急襲の阻止こ
戦国無双5山崎の戦いの【羽柴編】のミッションは下記の8つメインミッション一覧・渡河・天王山制圧・明智軍の猛攻・忠臣の覚悟・劣勢・形勢逆転の一手・最後の壁サブミッション一覧・潜む者・予防策・鉛の雨・裏切り者・決別・譲れぬ思いメインは進行通りに進めばうまくいくのでサブだけ説明します。その前に注意事項として黒田官兵衛中村一氏羽柴秀吉部をキャラクター選択してください。潜む者このサ
今日もお疲れ様でした今夜のおうちごはんはこちらです納豆ごはん、生ラーメン塩味ですラーメンのスープは今回は市販の塩味のスープ使いました具はキャベツ&わかめに鶏チャーシューを入れてます今日は帰宅してから図書館で貸出してきましたこちらのDVD📀見てましたやっぱりお気に入りの『信長』のシーンの戦国編『いま蘇る日本の歴史』です応仁の乱が始まる前までの各地の戦国大名は上記のような位置どりになっていたようですね長浜に〈羽柴秀吉〉、佐和山に〈丹羽長秀〉、坂本に〈柴田勝家〉を配置して安土城を築城し
【問題】信長や秀吉が宿営したことでも知られる成菩提院とは、次のうちどこにあるか?【選択肢】大阪府寝屋川市滋賀県米原市兵庫県西宮市京都府和束町【正解】滋賀県米原市【解説】成菩提院(じょうぼだいいん)は、滋賀県米原市にある古刹である。信長や秀吉が度々宿泊した記録が残り、石田三成の掟書など多くの文化財を所蔵する。
信長以外も操作出来るようになって色んな無双奥義・皆伝が見れるようになったー徳川家康version秀吉が新たに登場!すばしっこくていい感じ羽柴秀吉version濃姫version絵が綺麗でたくさんスクショ撮ってしまう
こんにちは。昨日の総合ジャンルランキングが7位でした。ランキングジャンプアップ<嬉しい!これからもどうぞ応援よろしくお願いしますいつも訪問やいいね!を本当に有難うございます。人気記事ランキングで100位内に【マイクラ】マルチワールドでカエルハウスを作る...か...カエル欲しいぃ!!!!!(発狂)が24位にランクインしました。サンキュ──ヾ(*'∀`*)ノ──♪急に寒さが厳しくなりましたねつい3,4日前まで半袖でも大丈夫だな~って言っていたのが嘘のよう!30度近く合
愛知県や名古屋市の歴史史跡歩きの会である、愛知ウォーキング城巡りクラブで長久手市の古戦場巡りに行ってきました。長久手市は名古屋市の隣りにあるベットタウンで、住心地ランキングで人気の街です。でも戦国時代の天正十二年(1584)、羽柴秀吉と徳川家康が戦った小牧・長久手の戦いで戦場になりました。これは令和五年(2023)のNHK大河ドラマ・どうする家康でも話題でしたね。その史跡で血の池というのが、かつて長久手市にあったのです。■血の池公園の住所長久手市城屋敷>>血の池公園の
昨日(4/30)、「龍野城」「龍野古城」「姫路城」を訪城してきました。当初は城友と、4/29(土)~30(日)にかけての一泊二日の「西播磨山城4城巡り」を予定して、ホテルやレンタカーも予約済み、しかも私は、夏用山登り用のスラックスと新しいリュックも購入して備えていました。しかし、なんと!事前の天気予報では二日間共に雨になるとのことで、急遽全てキャンセルして雨の影響が少なそうな4/30に「龍野城」「姫路城」にだけ行くことに予定変更をしました。当日、私が家を出る時には小雨でしたが、
嶋左近の関ヶ原近衛龍春著関ヶ原で家康を討つ!石田三成を支えた猛将の戦い秀吉が惚れ、家康が恐れた漢(おとこ)!“鬼の左近”、獅子奮迅の闘い!石田三成を支えた勇将の生涯!戦場の勇者振りで「鬼の左近」と呼ばれた嶋左近羽柴秀吉にその才を見出され家臣となり関東出陣を機に石田三成の寄騎に宿敵・徳川家康の引き抜きの誘いにも乗らず側近として三成を支え続ける「三成に過ぎたるものが二つあり、嶋の左近に佐和山の城」とも謳われた漢は関ヶ原で天下分け目の戦いに臨むが想定内で
「黒壁ガラススタジオ」と「おひなさま」長浜に来た目的の一つが、「ガラスのひなまつり」を見ることです。この噴水の奥の建物が、「黒壁ガラススタジオ」です。この中に、たくさんのお雛様が展示されています。作品は撮影禁止なので、ご紹介できませんが、素晴らしい作品ですよ。スタジオ作業の様子の写真撮影は、許可を頂けました。ガラスを熱しては形を整え、膨らまし成型する・・・難しそうですね。うまくできたかな~、お気に入りの作品が出来るまで、何
今晩は!どうでもいいヨタ噺の時間ですよ。ご家庭や職場でチョットしたネタ噺をお届け!子供の遊び「かたき」という遊びをご存知でしょうか?北海道以外の他県では、ほぼ知られていないボール遊びかも。「かたき」のルールは?まず、「かたき」をやるフィールドを決めます。フィールドの範囲は自分で自由に決めることができるので、狭い範囲でもいいですし、範囲を決めなくても構いません。決まったらボールを高く上に投げます。蹴ってもいいボールなら上に蹴り上げても構いません。3回バウンドするのに合わせて「か
私がかつて訪城した約25城の「模擬天守」を順次お届けしています。今や市町村のシンボルであり市民権を得た状態で聳えているという理由で、「模擬天守」を採りあげています。そして「模擬天守」については以下の分類があると思います。①お城に「天守」があったものの、現在城域外のかなり違う場所に「天守」が建てられている場合②お城に「天守」があったことが絵図や写真があるが、その絵図や写真とは全く違った形状の「天守」が建てられている場合③お城に「天守」があったものの、「天守」の形が絵図や発掘物等何も
こんにちはHです最近dTVの『へうげもの』にハマっておりまして織田信長の最後が衝撃過ぎてずっと脳裏から離れません。※ここからネタバレ有りそもそも『へうげもの』とは戦国時代、織田信長に仕えた武将古田佐助のストーリーです。武人としての栄達を夢見つつ文化・芸術を愛でる数寄者の顔を持つ古田佐助が面白すぎるのは置いといて・・・最強で一番有名な武将といえば『織田信長』ですが織田信長の最後『本能寺の変』では織田信長の首は見つかっておらず明智光秀の謀反に
今回は「羽柴秀吉(豊臣秀吉)」についてです。始めに私は秀吉が嫌いです。織田信長の生前は、忠実な家臣として振舞いましたが、本能寺の変で信長が死ぬと隠し持っていた野心を剝き出しにして織田家の天下を簒奪しました。本能寺の変後、信長の後継者を決める「清州会議」で後継者は、本能寺の変で信長と共に死んだ嫡男信忠の息子三法師が継ぐことになりました。長子相続は武家の習いではあるが、信長の次男信雄・三男信孝が居る中で三歳の幼児が相続した。織田家の筆頭家老「柴田勝家」が三男信孝を推す中、山崎の戦の武功と多数派
8/18(金)は、天気が曇天予想でそんなに暑くならないようでしたので、3回目の「青春18きっぷ」を使い、城巡りに出かけました。3回目の「青春18きっぷ」↓前々から訪れたかった「竹中氏陣屋」(岐阜県不破郡垂井町)と、もう25年以上も前に訪城した「清洲城」(愛知県清須市)、そして「天守」に少し引き気味なところもあってまだ訪城してなかった「墨俣城」(岐阜県大垣市)の3城巡りをしました。当初予定していた時間よりも早く家を出たので(眠れず4時半に目覚めた)、JR「米原駅」までは「大阪駅」