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【9/209日目①】朝起きたら、葉の上のカエル!おいおい、いったい何匹乗ってるのさ。絵的には一匹だけ乗ってる方が雰囲気でるのに~大きさももっと大きい方がいいよね(笑で、ここは日本百名城の岡山城。黒壁は豊臣時代の城っていう話もあるけれど…その真実は如何に?そうそう、岡山城って、見るからに平面図を書くと四角形に見えるんだけど…確か、ワンフロアだけ五角形になってるんじゃなかったかな?で、お次に向かったのは…続日本百名城の備中高松城跡。ここはね~知ってるかな
【松尾寺に預けていた證文】東壽は次のようなことを言っている。「今回竹生島に寄進した田地の寄進状と證文は、すでに大永8年(1528)2月8日付けで私から竹生島宛に発給していた。しかし(西国観音霊場第29番札所の)若狭国松尾寺(松尾寺は丹後国に位置しているが、丹後国と若狭国の境にある若狭富士と呼ばれる青葉山の山腹にあることもあり、しばしば若狭国松尾寺と言われることがある)にそれらを預けている間に、寄進状のみ紛失してしまった。ですので今回、松尾寺に預けていた證文4通のみを私の手元に取り寄せ、新たに
2026年の大河ドラマ『豊臣兄弟』ということで、その弟の秀長を題材した歴史小説の下巻です。現代の豊臣秀長像を決定づけたと言われる歴史小説『豊臣秀長下』豊臣秀長上ある補佐役の生涯(文春文庫さ1-14)Amazon豊臣秀長下ある補佐役の生涯(文春文庫さ1-15)Amazon全一冊豊臣秀長ある補佐役の生涯【電子書籍】[堺屋太一]楽天内容・レビュー豊臣秀吉の弟として、長生きしていれば徳川家康が天下を取ることもなかったのではないかという評価
Tetsu龍でございます。2026年の大河は「豊臣兄弟」2023年の「どうする家康」以来、久々の戦国物。2024年「光る君へ」、2025年「べらぼう」と、題材としては面白いのだが、1年間見るにはなぁ~、と言うのが2年続いたので楽しみです。一応何話か見たんですよ。でも、一旦途切れると後が続かない。途中で見るのをやめてしまいました。ワンクール位なら見たんだろうけどね。僕が大阪人と言うこともあって、どうしても豊臣贔屓。さて、今回の主人公は、秀吉の弟秀長です。ここで最
2026年の大河ドラマ『豊臣兄弟』ということで、その弟の秀長を題材した歴史小説です。・現代の豊臣秀長像を決定づけたと言われる歴史小説『豊臣秀長上』豊臣秀長上ある補佐役の生涯(文春文庫さ1-14)Amazon豊臣秀長下ある補佐役の生涯(文春文庫さ1-15)Amazon全一冊豊臣秀長ある補佐役の生涯【電子書籍】[堺屋太一]楽天内容・レビュー豊臣秀吉の弟として、長生きしていれば徳川家康が天下を取ることもなかったのではないかという評価のあ
NHKの大河ドラマ「べらぼう」が終わり来年1月4日から「豊臣兄弟!」が始まりますね。楽しみです。京都・大山崎町「大山崎ふるさとガイドの会」主催山崎合戦ウォーキングに参加してきました。羽柴秀吉(豊臣秀吉)と明智光秀の軍勢が戦った山崎合戦ゆかりの地を、ガイドさんの詳しい解説を聞きながら歩く6キロのウォーキングイベント。大山崎ふるさとセンター集合・受付2階には大山崎の歴史や山崎合戦のことが分かる「歴史資料館」がありまし
子どもの頃(1983~1984年)に放送されていた『まんが日本史』の歴史認識を照らし合わせたくてヒストリーチャンネルで放送されていたので観ました。天下人への道を進む羽柴(豊臣)秀吉と戦った徳川家康(ヒストリーチャンネルの『まんが日本史』より)内容について前回で織田信長が本能寺の変で横死したので、今回からは羽柴秀吉が主人公です。織田信長&木下藤吉郎秀吉という描かれ方と同様に、こちらでは羽柴秀吉&黒田孝高(官兵衛)というコンビで天下を取っていくさまが描かれています。(ヒス
名称:長浜城別名:今浜城城郭:平城築城年:1573年築城主:羽柴秀吉主要城主:羽柴氏、柴田氏、山内氏、内藤氏所在地:長浜市公園町10−10指定文化財:市指定史跡
ご訪問ありがとうございます。今回はずーーっと行きたかったところのレポートです!なかなかの見応えでしたよ〜チェリー🍒のブログへようこそアラカンに突入〜定年し週3日再雇用で働きはじめました!夫の年金受給も始まり、働きながらセカンドライフを模索中〜自己紹介更新↑↑過去ブログまとめ含む(マネー、介護等)世界文化遺産姫路城日本で初めて文化遺産に登録されたのは法隆寺と姫路城ですね!1993年のこと。これは帰り道での写真ですがJR姫路駅を降りると真正面に姫路城が見え
近江の国(滋賀県)には戦国時代を中心に1300を超える城郭が築かれていたといい、単位面積あたりの数では日本一とみられているといいます。東国や北陸からの京への入口という立地条件もあって、近江の国は戦国武将たちがしのぎを削った地といえるのではないかと思います。滋賀県内には国宝の彦根城以外にも復元されたお城が幾つかありますが、むしろ山中にある城跡巡りをするとその面白さに憑りつかれてしまいます。小谷城跡には石積みや石垣、曲輪跡や堀切や土塁が残っており、山頂の大嶽(おおづく)まで登るとちょっとした
前回のお話『コンペの景品が高級みかん!食べるために言いなりになった私』前回のお話『3個だけ並んでたぷるぷるシリーズー!』前回のお話『アールグレイの香りとあんこのコラボレーション』前回のお話『今日やな、と言ったらグ…ameblo.jpこのお話の続きです『平清盛や源義経と深い関わりがある裏六甲の古刹、吉祥院多聞寺』前回のお話『普通に起きて働いて食べて寝ることが貴重だと再認識』前回のお話『前回売り切れのお洒落ベーグルゲットできたー!』前回のお話『なんでホー…ameblo
織田信長の夢幻の城安土城シリーズ最終回です。現存する日本の城でもっとも有名なのは姫路城ですが、もっとも有名な城跡は安土城跡はではないでしょうか、わずか三年で炎上し解体・移築・放置されています。広大な敷地の石垣、信長本廟と菩提寺の摠見寺(そうけんじ)の三重塔、二王門は今も見学する事ができます。JR安土駅前に建つ織田信長公。本能寺の変さえなかったらこの町も発展して大阪のような街になっていたかもしれません。当時は画期的な街づくりをしていて、一部の業者だけが市場を握る特権階級を無くし
落合芳幾1833-1904歌川国芳門下で役者絵や美人画をよくしました。明治以降は東京日日新聞の挿絵や東京絵入新聞のを創刊し錦絵新聞ブームを作りました。落合芳幾作太平記之内本應寺大合戦之図(1861文久1年)江戸時代には規制がきびしく徳川家に関する絵は禁止されていました。この絵も誰が見ても織田信長の本能寺の変ですが「織田信長」→「太田平春永」にわざと変換して規制をかわしています。また「森蘭丸」→「保利蘭丸」また信長に一番槍をつけたと言われる「安田作兵衛」→「安田宅兵衛」タイトルも本
「……お戻りになる、とは?」「殿は、まだ終わられてはおりませぬ。私に託されたのは、事の真相を暴けという御意だと思うておりまする」私の声は静かであったが、どこかに確信の響きを宿していた。勝家はその意味を悟ったのか、利家と視線を交わし、深く頷いた。その夜、勝家の瞳に宿る炎は、誰よりも強く燃えていた。「して、清須での話はどうなりましたか?殿の跡目は決まり申したか?信孝殿か、信雄殿か?」私の問いに、利家と勝家、そして市姫が顔を見合わせた。その表情はどこか曇っていた。「それが……三法師様に……」
明智光秀の本能寺の変は戦国時代の勢力図を書き換え、長く続くかもしれなかった織田政権を一気に破壊しました。大河ドラマでや映画ではこのシーンはかならず見どころとなっています。光秀がなぜこのような事件を起こしたのか様々な見解があり、黒幕もいまだに判明していません。明智光秀は京都支配の一連で天正7年(1579)丹波・丹後両国を平定します。平定した丹波国に亀山城・周山城を築城し、横山城を改修して福知山城に改名します。ここでの光秀の領内経営は見事なもので、城下町の建設、由良川の堤防建築したり、領地経営
引き続いて7月12日に行ってきた、ミュースカイ名鉄完乗旅についてですコンバン波動砲!!(。・ェ・)ノノ^\/\/\/\/\☆)゚д゚||)グハ熱田神宮は何方向からか入口があるみたいですね。熱田神宮の歴史について。桶狭間の戦いにおける戦勝祈願は有名ですね。まぁ尾張生まれなんで秀吉も絡んでますよね。家康は人質時代に熱田に縁があるんですね。大きい祭事も執り行っているんですね。熱田神宮でお参り、暑い日ですがそこそこの人出がありました。熱田神宮神楽殿、なかなか立派な建物です。出雲大
こんにちは!(^o^)丿よりタフに!より美しく!より笑顔に!あなたを鍛えて、壊して、癒やす空手師範の田中です。昨日、父方の祖母の33回忌の法事を行いました。一応、私が喪主を務め(父は17年前に他界)、私の母と、父方の叔母二人とその旦那さんが一人、そして、従兄弟が二人参列してくれました。2年前に私の妻が他界した時には親戚には後に連絡しただけなので会うのは本当に久しぶりでした。9つ下の従兄弟なんか、前に会ったのがのがいつのことだったのか想い出
【感想】「豊臣兄弟」を中心に彼らが生きた戦国時代の動きを記した、大河ドラマ「豊臣兄弟!」を観るための予習本。秀長達だけでなく、主君であった織田信長の政治的動向の変遷や足利義昭・武田信玄・上杉謙信・徳川家康などの動向も、最新の研究結果が反映されており、戦国ファンには嬉しい本だな。「豊臣秀吉」というのは、徳川家康を「源家康」と言うようなもので、「羽柴秀吉」「羽柴秀長」が正しいとの指摘は、なるほどと思った。そもそも、秀長が「秀長」であった期間は短くて、ずっと「長秀」だったというのが、何とも。ドラマで
名称:小谷城城郭:梯郭式山城築城年:1516年築城主:浅井亮政改修者:浅井氏主要城主:浅井氏、羽柴秀吉所在地:長浜市湖北町伊部指定文化財:国史跡日本100名城番所御茶屋御馬屋桜馬場黒金門大広間本丸石垣本丸縄張図
織田信長が討たれた「本能寺の変」の翌日に、中国地方を攻めていた羽柴秀吉が、敵対する武将に宛てた書状が見つかりました。この時点で秀吉は、信長が討たれたと知らなかったとみられ、専門家は「歴史的な大事件直後の秀吉の政治的な動向がわかる貴重な史料だ」と指摘しています。書状は10月に東京大学史料編纂所がインターネットオークションで購入したもので、村井祐樹准教授が調査に当たりました。その結果、1582年に起きた本能寺の変の翌日、今の岡山市にある備中高松城を攻めていた秀吉が、敵対する毛利側の上原
👑1585年羽柴秀吉、関白に就任―農民出身から“天下人”への大転換🏯戦国乱世の中で1582年の本能寺の変以降、日本列島は「信長の後継者」をめぐって大名たちが競い合う混乱の時代でした。羽柴秀吉は山崎の戦い・賤ヶ岳の戦いで次々とライバルを倒し、織田家中で最大の勢力を手に入れましたが、「農民出身」という出自が最大の弱点でした。武家の頂点=征夷大将軍は、清和源氏や平氏といった血統が条件。秀吉には不可能。それでも「天下をまとめる権威」が必要。そこで秀吉が狙ったのが、朝廷の最高職関白
⚔️小牧・長久手の戦い(1584年)――家康vs秀吉、天下をかけたド派手バトル!🏯戦いの背景―信長亡き後の天下争い1582年、本能寺の変で織田信長が明智光秀に討たれると、日本の「天下の覇権」は宙に浮きました。羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)山崎の戦いで光秀を討ち、翌年の賤ヶ岳の戦いで柴田勝家も破って、一気に“ポスト信長”の最有力候補に浮上!織田信雄(信長の次男)「信長の息子」としての正統性をアピールするも、実力は今ひとつ…。それでも“信長の血”を盾に勢力を誇りました。徳
⚔️賤ヶ岳の戦い(1583年)―信長亡き後、誰が“天下”を握るのか?秀吉と勝家の最終決戦―🏯1.背景:本能寺から清洲会議、そして対立へ🔥本能寺の変の衝撃(1582年)信長が明智光秀に討たれ、日本は「空白の天下」に。山崎の戦いで光秀を討った秀吉が台頭。📜清洲会議(1582年7月)織田家の後継と遺領分配を決める大集会。羽柴秀吉派:三法師(信長の嫡孫、幼い子)を後継に。後見人として実権を握る狙い。柴田勝家派:織田信孝(信長三男)を推す。家臣団の序列と伝統を守ろうとする
🌾太閤検地の始まり(1582年)―土地と社会を丸ごと作り替えた秀吉の大改革―🏯1.1582年の政治状況と検地開始の意味1582年は、日本史の大転換点。6月:本能寺の変→信長の死6月:山崎の戦い→秀吉が光秀を討ち天下の実権を握る7月:清洲会議→織田家後継をめぐり権力再編この慌ただしい情勢の中で、秀吉がすぐ着手したのが土地の調査=検地でした。👉これは単なる経済政策ではなく、「自分こそが新しい天下人だ」ということを証明する政治的アピールでもあったのです。📏2
作品概要北野武監督が30年の構想期間を経て製作した戦国時代劇。「本能寺の変」を題材に、織田信長、明智光秀、羽柴秀吉らの権謀術数を、バイオレンスとコメディを織り交ぜて描く。北野武自身がビートたけし名義で秀吉を演じる。高評価ポイント映像表現の革新性無数の矢が飛び交い、泥まみれで駆け回る役者たち、断首シーンの凄惨な描写など、大河ドラマでは描かれない戦国時代のリアルな残酷さを徹底的に映像化している。黒澤明の『乱』を超える映像を築き上げたとの評価もある。(C)2023KA
「今日は世界史の謎第二弾、本能寺の変です」おっ、本当にやるんだ。「なんだ?本能寺の変って?」おい、石田。おまえ、そんなことも知らないのか!「明智光秀がなぜ謀反したかも謎ですが、信長の遺体が見つかっていないのも謎です」「明智光秀?信長は聞いたことあるような気がするな」石田、おまえ学校でなにを習ってきたんだ?「光秀の謀反は、一説によれば羽柴秀吉が絡んでいたとも言われています」ここまでまともだと、なんか調子狂うな。「だから、あんなに速く毛利と講和して、引き返すことが出来た
⚔️山崎の戦い(1582年)―本能寺の変からわずか11日!天下を決めた「天王山」の戦い―⏳1.背景―信長の死と「中国大返し」🏯本能寺の衝撃1582年6月2日、織田信長が明智光秀の謀反により自害。「覇権の空白」が一気に生まれ、日本中の大名が次の天下を狙えるチャンスとなりました。🏃秀吉の超スピード「中国大返し」当時、秀吉は備中高松城(水攻めの城)で毛利軍と戦闘中。信長の死を知るや否や、軍師黒田官兵衛の進言で秘密裏に和睦交渉。清水宗治の切腹で講和成立。その直後、秀
安土城(天主閣)
11月10日すっかり雨も上がって日差しが眩しいいち日最高気温20.0℃ジャストの練馬日が落ちた頃から北風が強くなり急激に気温低下午後9時の気温は11.2℃明日朝は間違いなく一桁になるな冷えるぞ~今日の散歩中の出会い真っ赤なバラ光傳寺の紅葉どんどんと染まって行く石神井川沿いの桜は遅ればせながらの紅葉深まる秋【琵琶湖周遊旅行10/26】2日目のスタートは雨琵琶湖畔にある豊公園にある長浜城歴史博物館へ駐車場からてくてくと…天守が見えてきます長浜城は歴史博物館として
名称:安土城城郭:山城築城年:1576年築城主:織田信長改修者:羽柴秀吉主要城主:織田氏、明智氏所在地:近江八幡市安土町下豊浦指定文化財:国特別史跡日本100名城大手道邸跡石仏黒金門天主へ天主台眺望琵琶湖天主台石垣織田信長公本廟絵図摠見寺仁王門摠見寺三重塔