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覇)三好長慶:吟風弄月の雅覇)甲斐姫:東国の明玉覇)お船:主家存続の決覇)織田信長:古今無双の将覇)立花宗茂:九州の逸物覇)本多忠勝:東国無双覇)佐竹義重:天魔鬼神の業覇)石田三成:主従三世の縁覇)島津義弘:死地後生の決覇)羽柴秀吉:出世の神様©コーエーテクモゲームス
ブログテーマ『城郭建造物の「櫓」の内「平櫓(一重櫓)」』にスポットを当てて、具体的なお城の写真をお届けしています。「平櫓(一重櫓)」については、「はじめに」をブログで掲載していますのでどうぞご覧ください。「平櫓(一重櫓)」の「はじめに」↓『城郭建造物『全国「平(一重)櫓」を巡る”はじめに”』』今回からのブログテーマを城郭建造物の「櫓」の内「平櫓(一重櫓)」に絞ってお届けしようと計画しています。過去に、全国「復元、復興、模擬」の「天守シリーズ」「三…ameblo.jp※全国の「
”賛否分かれる作品だが戦国の世の描写はリアリティがある”世界のキタノこと北野武監督の最新作。評価分かれる作品だが、キャラクターの衣装や戦闘シーンの描写などは「実際の戦国の世はこんな風だったのではないか」と思えるほどリアリティがあった作品でした。また、各キャラクターの描き方がよく加瀬亮演じる織田信長が非常に良かったです。独裁者でありワンマン。その為、結構不安定な一枚岩でちょっとしたきっかけで崩壊するというギリギリの組織のトップとしてのキャラクターを好演していました。本能寺の
皆さま、おはようございます曇り空で涼しいですね☺雨マークもあるので、そのうち降るのかな?傘忘れてしまって小さい日傘しかないですお外や車の中は暑いぐらいでも、室内はそうでもなかったりするので毎日のお洋服選びが難しいです💦今日は長袖とかカーディガンで大丈夫そうかな••••?私は寒がりなので、職場でもう半袖の方を見ると「元気だなぁ」と感心してしまいます☺そんな私はいまだに職場でホットドリンク飲んでいます☕✨ではでは❤お仕事の方もお出かけされる方もお気をつけて行ってらっしゃい夜勤の
※こちらの記事は、令和3年1月11日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第37弾として、「賤ケ岳(しずがたけ)の戦い」について、ビジネス的視点で学んでいこうと思います。※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。【ビジネスに活かす戦国合戦術シリーズの過去記事(抜粋)】第1回今山の合戦第5回長良川の合戦第6回桶狭間の合戦第8回金ヶ崎城の合戦第10回二俣城の合戦第11回一言坂の合戦第12回三方ヶ原の合戦第13回
4/20(土)に、大阪の城友と一緒に「菩提山城」(岐阜県不破郡垂井町)と「松尾山城」(岐阜県不破郡関ヶ原町)に登城しました。どちらのお城も以前から登城したい山城で、「菩提山城」は昨年に「竹中氏陣屋」に行った際に後方に見えて、「羽柴秀吉」の軍師であった「竹中重治(半兵衛)」が居住していたお城とのこと、「松尾山城」は「関ヶ原の合戦」時に、西軍から東軍に寝返った「小早川秀秋」が陣取っていた陣城ということで、いずれも興味津々の山城でした。「JR大阪駅」で合流し、8時発の「米原行新快速」での車
安土城跡滋賀県近江八幡市令和5年(2023年)12月27日㈬撮影安土城跡の大手口に来ました。この先の安土山へ向かう道へは拝観料が必要、奥に見えるのは拝観受付*この記事の続き『安土城跡1️⃣滋賀県近江八幡市安土町』安土城跡滋賀県近江八幡市令和5年(2023年)12月27日㈬撮影安土駅から歩いて1.5km、標高198mの安土山の麓に来ました。安土城跡に向かう石段、安土城…ameblo.jp*安土城琵琶湖東岸の、近江国蒲生郡安土山(現在の滋賀県近江八幡市安土町下豊浦)にあった城
今日は午前中は晴れていたが午後は曇りになった。朝から曇りの予報だったが青空が…今日は夜から雨になるみたいだな😥美濃攻めはいよいよ斎藤龍興の居城である稲葉山城攻めに突入。だが、その前に誰かに会いに行くようだ。義弘氏は藤吉郎と一緒にその人物の家を訪ねた。??「ゴホッ…ゴホッ」訪ねた人物は体調が悪いみたいだな…守護霊も元気がない感じだ😥藤吉郎「半兵衛殿か?おお、やっと会えた……」半兵衛⁉️この人は竹中半兵衛なのか?😳竹中重治(1544-1579)。通称半兵衛。羽柴秀吉の参謀として活
【鷹の城】著者:山本巧次出版社:光文社ISBN:9784334913953発売日:2021年4月21日【作品紹介】織田信長配下の羽柴秀吉が包囲する緊迫した城下に突如、時空を超えて降りてしまった江戸町奉行所同心・瀬波新九郎。開戦前夜の城中に密書を届けることになった新九郎は、本丸で重臣を殺害した下手人捜しを頼まれ…。(honto/商品説明から引用)【感想】歴史モノをあまり読まない方なので、戦国時代の情勢がちょっと理解するのが大変でした。織田や豊臣、徳川は分かりますが…
【問題】信長や秀吉が宿営したことでも知られる成菩提院とは、次のうちどこにあるか?【選択肢】大阪府寝屋川市滋賀県米原市兵庫県西宮市京都府和束町【正解】滋賀県米原市【解説】成菩提院(じょうぼだいいん)は、滋賀県米原市にある古刹である。信長や秀吉が度々宿泊した記録が残り、石田三成の掟書など多くの文化財を所蔵する。
4月9日から4月17日まで長浜八幡宮の春の例祭として長浜曳山祭が行われました長浜曳山祭は、長浜城主の豊臣秀吉(羽柴秀吉)の長男が生まれそれを喜んだ秀吉が城下の人々に金(きん)を振る舞い、町民がこれをもとに12基の山車を作って長浜八幡宮の例祭に曳き回したのが始まりと言われています14日仕事帰りに夕渡りの子ども役者に会ったので写真撮らせてくださいと言ったら見得を切って下さいました格好良いですね✨この中に職場の人のお孫さんがいます☺️御旅所豊國神社出世稲荷神社天満宮
姫路城(白鷺城)ルカ環境研究所米倉大司姫路城日本で最初に世界遺産登録された姫路城姫路城庭園から菱の門をくぐります姥ケ石(うばが石)羽柴秀吉が姫路城を築く時石集めに苦労していました。餅を焼いて売っていた貧しいおばあさんが、そのことを聞き、使っていた石臼を寄付しました。秀吉
『裏表太閤記』の中のお芝居ではございませんが『小栗栖の長兵衛』と云う山崎の合戦に所縁のお芝居がございます。2014年9月のおもだかや一門襲名披露の巡業公演で中車さんが『小栗栖の長兵衛』を勤められました。明智光秀を小栗栖村で討ったのがこの村の暴れ者の長兵衛でその日が天正10年6月14日。羽柴秀吉と明智光秀の山崎の合戦が6月13日で、その次の日のお話です。そして『小栗栖の忠兵衛』のお芝居の天正10年6月14日の同じ日に琵琶湖ではある出来事が起こっております。明智光秀の弟に、明智左馬
※和意谷池田家墓所案内板・・・池田輝政公の墓所は「一のお山」になります※和意谷池田家墓所石碑…平成10年に国指定史跡になっています池田輝政公の墓1️⃣戦国武将の墓・供養塔シリーズ戦乱の時代は、おおまかに言うと応仁の乱(1467年応仁元年)から大坂の陣(1615年)までで3つのカテゴリに分類されると思います。1️⃣戦国時代応仁の乱(応仁元年1466年)から室町幕府の滅亡、織田信長政権の成立(天正元年1573年)2
こんにちは。最近は春らしくなってきました。そんな中、お昼前の空です。曇り空ですが、明るいのでそんなに雨の心配はないのかな。そんな今日、4月6日は・・・。しろの日兵庫県姫路市が1991年に、日本三大名城の一つ姫路城を中心とした市の復興の為に制定。四(し)六(ろ)で「しろ」の語呂合せ。姫路城は、1333(元弘3)年に赤松則村によって築かれた。西国統治の重要拠点として羽柴秀吉・池田輝政・本多忠政が城を拡張し、現在の形になったのは1619年であった。五層
福知山城は京都府福知山市にある平山城で、福知山盆地の中央に突き出た丘陵の先端地にあり、その地形の姿から臥龍(がりょう)城とも呼ばれています。明智光秀が織田信長の命を受けて1579年に丹波を平定し、西国攻略の拠点として福知山城と城下町を築き、明智の「智」の字を用いて「福智山」と名付けたと伝えられています。光秀は1582年の本能寺の変で、織田信長から一時的に天下を奪ったものの、山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れました。その後、関ヶ原の戦いの後、有馬豊氏が
こんにちは。今回もこのところ続けています北近江からになります。前回の高島市より東側、このブログではお馴染みの長浜です。どうぞよろしくお願いいたします。山内一豊・千代(伊右衛門屋敷跡)北近江の首都・長浜の玄関口=長浜駅の北西方面のマンション傍にたつ戦国夫婦像があります。これは、私のブログでもお世話になっているB級投手Naokiさんから教えていただいた銅像です(あってますかね?)。銅像のある場所は「伊右衛門屋敷跡」とされている場所。伊右衛門さんとは山内一豊さんのことです。場所
※勝龍寺城模擬天守風資料館、模擬塀、模擬隅櫓、南水堀…かつて、勝龍寺城には天守(殿主、守)が存在し、南西隅に巨大な三重の望楼型の櫓(殿主)が建っていました水堀は、かつては東西南北にありましたが、市街地化により、消滅、現在は南、東水堀が残っています水堀幅は、現在でも10m以上あり、昭和初期ごろまでは倍以上あったようです城址は、平成4年(1992)に「勝龍寺城公園」として整備され、模擬建物が建てられ、市民の憩いの場となっています山崎古戦場6️⃣勝龍寺城①
現在の岡山県は令制国時代の備前国・備中国・美作国の三国にあたる。ここに備後国を加えて吉備国と古代日本では呼ばれていた。因みに備後国のみ現代では広島県に属している。前々々々回のこれね。『第二次西国乃旅路-其ノ捌-福山城』前回の山陽道を往く旅では備中国から先が未踏でしたが、今回は更進んで備後国へと進出。広島県福山市。これで備前・備中・備後の三備の地へ足を運ぶことに。岡山との県境…ameblo.jp今回は備前国から備中国へ。その前に本日の昼食。そしてここでアクシデント発
※境野1号墳に建つ「明智光秀本陣跡」の石碑と案内板…境野1号墳は明智光秀が「山崎の戦い」で布陣した本陣跡と言われています境野1号墳は、サントリー京都工場内にあるため、フェンスに囲まれ「立ち入り禁止」になっていますサントリー京都工場は、見学可能ですが、以前バスツアーで行ったときも、工場内に「光秀本陣跡」があることは全く知らず、ビールを飲みまくって終わりました境野1号墳は、従来まで光秀本陣跡「御坊塚」とほぼ「断定」されていましたが、ここから徒歩数分の所にある「巨大古墳・恵解山古
※天王山ハイキングコース山頂付近にある酒解神社大鳥居、案内板、神輿庫…酒解神社は中世期に現在位置に移りました神輿庫は鎌倉時代建立の建物で、国内最古の神輿庫建造物です山崎古戦場4️⃣山崎城②山崎古戦場には、今回初めて行きました。山崎古戦場跡は、現在「天王山夢ほたる公園」という京都縦貫道の高架の下にグランドがあり、古戦場の面影は全くと言っていいくらいありません。行ったときは「えっ!これ?」と思いました😅しかし、秀吉VS光秀「天下分け目の合戦」が行
歴史的にも重要なものなのだろうか?私には良く分からんちんです。仙台城跡の石垣など、整った石垣も素晴らしいですが、安土城跡の石垣、すっごく迫力があります。テニスが上手い選手とテニスが強い選手の違いのような・・・安土城は強い!って感じが強いです。二の丸跡には信長公本廟があります。羽柴秀吉によるようです。信長後継者を印象付けるためか?本丸と天守が別になっているなんて。安土城は何もかもが規格外!天守台跡、ここ全体に地上6階地下1階はデカイ!木々がちゃんと伐採されていたら、すごく良い
羽柴秀吉邸跡の向かいには、前田利家邸跡があります。この虎口、他ではちょっと見られない。いや、あるかも知れないけど、私の知識にはないです。石段の方からでは分からなかった。武井夕庵邸跡の石垣。修復とかしていない、残ったまんまなのかな。織田信忠邸跡。今は木々で遮られているけど、発掘などが進むと今よりもっと家臣や親族の邸宅跡が出て来るようです。石段の高さが緩やかに。森蘭丸邸跡。織田信澄邸跡。黒金門跡、石垣もより重厚さを増します!この先本丸ですからね。途中に供養塔。織田信雄四
時間ない!ゆっくりランチなんて摂れない!休みなく安土駅へ。安土駅前には信長公。岐阜駅前の黄金の信長公は撮れなかった・・・安土駅から安土城跡までは徒歩20分くらいかな。途中の川?池?かつてはお堀だったみたいです。城の麓まで琵琶湖だったらしい。安土城跡は入場に700円掛かりますが、入場前から遺構だらけです!入口に15:00到着。16:00に閉めるから、それまでに帰って来てねと言われる・・・先ずは長い石段!石は残っていたものを使い、比較的最近整備したもよう。上に行くに従い、石
はい!奈央です。今回は番外編でーす。古代における我が国最大の内乱である壬申の乱の異常さをご紹介したいと思います。壬申の乱(672年)天智天皇がお隠れになって半年ほどたった672年5月のこと。大海人皇子のもとに、大津京に不穏な動きがあるとの情報が入ります。同年6月24日、大海人皇子は吉野をお発ちになって不破へと向かい、大友皇子との戦いに挑まれます。壬申の乱ゆかり地マップなら記紀・万葉HPよりお借りしました。ここで、私が特に気になったのは、6月24日に吉
※天王山歴史マップと山崎城跡案内板…天王山はハイキングコースになっています(山崎城に登るのはちょっとキツイですが・・・)山崎古戦場3️⃣山崎城①山崎古戦場には、今回初めて行きました。山崎古戦場跡は、現在「天王山夢ほたる公園」という京都縦貫道の高架の下にグランドがあり、古戦場の面影は全くと言っていいくらいありません。行ったときは「えっ!これ?」と思いました😅しかし、秀吉VS光秀「天下分け目の合戦」が行なわれた場所であり、一度は訪れてみたいと思っ
題名:八本目の槍ASIN:B09X18W49H著者:今村翔吾出版社:新潮文庫メモ:「賤ヶ岳の七本槍」と呼ばれた、秀吉配下の七人の小姓たち一本槍:加藤虎之助(清正)二本槍:糟屋助右衛門(武則)三本槍:脇坂甚内(安治)四本槍:片桐助作(且元)五本槍:加藤孫六(嘉明)六本槍:平野権平(長泰)七本槍:福島市松(正則)実際は、もっと多くの部下が参戦していたようだが、語呂も良く、七本槍という名で、秀吉が宣伝材料に使ったのだろう表題の八本目の槍、
自転車の違反傘さして(違反1)歩道を(違反2)逆走(違反3)三冠王!無灯火で(違反1)歩道を(違反2)逆走(違反3)これまた三冠王!落合の安売りだ!えっ?し、四天王?(織田四天王)スマートフォンを操作しながら(柴田勝家)無灯火で(羽柴秀吉)歩道を(滝川一益)逆走(明智光秀)※先日実際に居ました・・・。完
※山崎宝積寺山門…仁王門とも呼ばれる江戸時代初期建立の巨大な門です府登録有文指定されています山崎古戦場2️⃣宝積寺山崎古戦場には、今回初めて行きました。山崎古戦場跡は、現在「天王山夢ほたる公園」という京都縦貫道の高架の下にグランドがあり、古戦場の面影は全くと言っていいくらいありません。行ったときは「えっ!これ?」と思いました😅しかし、秀吉VS光秀「天下分け目の合戦」が行なわれた場所であり、一度は訪れてみたいと思っていました。
豊臣秀吉さん豊臣秀吉(とよとみひでよし/とよとみのひでよし、旧字体:豐臣秀吉)または羽柴秀吉(はしばひでよし)改名:木下藤吉郎、秀吉、羽柴秀吉、藤原秀吉、豊臣秀吉別名:別名:元吉渾名:木綿藤吉、豊太閤、猿、禿げ鼠1537年3月17日(天文6年2月6日)生まれ、1598年9月18日(慶長3年8月18日)、61歳没。戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。天下人、(初代)武家関白、太閤。1941年~45年刊行、吉川英治の歴史小説『新