ブログ記事1,405件
愛知県尾張旭市文化会館前に甲冑を着た若武者の銅像が建っています。これは尾張旭市の御当地武将・毛受勝助家照(めんじょうしょうすけいえてる)です。>>毛受勝助家照像の地図もとは庄助と名乗っており柴田勝家に小姓として仕えた人物。勝家のもと各地を転戦し、元亀二年(1571)の長島一向一揆では17歳で参戦。一揆勢に奪われた柴田軍の馬印を取り返した功により柴田勝家より「勝」と「家」の字の両方を与えられ、勝介家照と名乗ったといわれてます。天正十一年(1583)
今回も数値の判明が早い。先ずは星4戦術家羽柴秀吉さん(七夕)・前列全敵&中列敵3体術ダメ1.25・生命最多敵1体術ダメ1.50速−30%・ボス特効+100%攻撃範囲は意味がわからんほど中途半端。しかもイマドキ生命サーチの追撃か……主流は攻撃サーチでしょ?避雷針居たら機能しないじゃん……。そして数値も微妙……。更に、全ての攻撃が命中しても2.75。こちらも微妙。……ただし、相手がボスであれば事実上5.50!うん、星4としては破格……星5クラスやね。これはつまり、
【岡山】大河ドラマ『豊臣兄弟!』第28回『急げ!秀吉』の大河ドラマ紀行で登場した『備中高松城』備中高松城は天正10年(1582年)4月から始まった羽柴秀吉の『備中高松城の水攻め』の舞台となった場所。城主・清水宗治に対し羽柴秀吉が周囲に堤防を築いて水を引き入れる『水攻め』を行い湖に浮かぶような姿となりました。和議の末、宗治は自刃し秀吉は中国
大河ドラマ『豊臣兄弟!』で倉悠貴さんが演じる黒田官兵衛の若き頃の失敗を『偉人・敗北からの教訓|BS11(イレブン)|全番組が無料放送』の内容メモ確かに理も大事だが、情が分からなかったので荒木村重を説き伏せられずに幽閉されてしまった若き黒田官兵衛の失敗(『偉人・敗北からの教訓|BS11(イレブン)|』より)内容と感想今回は、信長に反旗を翻した荒木村重を単身で説得しにいくも捕らえられ、幽閉生活を送ることになった黒田官兵衛のその失敗の理由を探る回です。<黒田官兵衛
大河ドラマ『豊臣兄弟!』で猪塚健太さんが演じる織田四天王の一人、滝川一益について『偉人・敗北からの教訓|BS11(イレブン)|全番組が無料放送』の内容メモ鉄砲・お茶・能と多芸な滝川一益、信長に関東を任されるも、直後の本能寺の変で運命が急転(『偉人・敗北からの教訓|BS11(イレブン)|』より)内容と感想今回は、柴田勝家・丹羽長秀・明智光秀らとともに織田四天王の一人と呼ばれた一回の牢人から関東の主にまでのし上がるも没落した滝川一益の人生を見る回<丹羽長秀年表
6月1日月曜日大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物太田垣輝延(中野英雄)太田垣氏(おおたがきし)は、但馬国に栄えた日下部氏の一族の国人。竹田城主。太田垣光景(みつかげ)が嘉吉元年(1441年)の嘉吉の乱で、山名氏配下として赤松氏討伐に功があり、山名氏のもと播磨国守護代に任ぜられた。嘉吉3年(1443年)、山名宗全から竹田城の守備を命ぜられて以降、竹田城を居城とする。応仁元年(1467年)に、応仁の乱が勃発すると、山名氏配下として従軍。その最中に対立す
月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり。ご存知の俳聖・松尾芭蕉『奥の細道』の書き出しの言葉である。わたしも最近は、ようやくそう思えるようになってきた。月日は永遠にとどまることのない旅人であって、やってきては過ぎ去る年もまた旅人である。と、いう。私は、その人が亡くなったとき、我が師父を失ったと大袈裟でなく悲嘆にくれた。30代前半だった私は、明日から何をよりどころにして生きていけばよいのか自問自答してみたが、答えがでなかった。あれから30年が経つ。その人とは、司馬遼太郎。