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愛知県名古屋市の常泉寺さんの境内に建てられている【豊臣秀吉の銅像】です銅像の台座には【豊太閤之像】の銘板が銅像の側には【豊臣秀吉公・銅像】の案内板が設置されているので確認しておきましょう✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼豊臣秀吉公没・三百年記念事業として太閤秀吉公像を明治31年(1898)に建立。昭和19年(1944)、戦争による金属強制徴収となり、台座石のみとなる。昭和58年(1983)放火により本堂全焼となるも、篤信者の支援、檀信徒一丸となり、同62年(1987)に本堂落
1583年4月、羽柴秀吉vs柴田勝家の賤ケ岳の戦いがありました。近江と越前を結ぶ北国街道沿いで起きました。柴田勝家は鉄壁の山城・玄蕃尾城を構え、4万の兵を率いてました。羽柴秀吉は北国街道を封鎖するように東野山城を中心にほか3つの砦で防衛ラインを敷いた。漫画「キングダム」で言う函谷関みたいな感じ。そしてその後方に大岩山砦や岩崎山砦など3つの砦で第2防衛ラインを敷いた。総勢7万の兵。最前線の防衛ラインには決して自分たちから攻めるなと告げられていた。動いたのは、美濃で織田信
【岡山】大河ドラマ『豊臣兄弟!』第28回『急げ!秀吉』の大河ドラマ紀行で登場した『備中高松城』備中高松城は天正10年(1582年)4月から始まった羽柴秀吉の『備中高松城の水攻め』の舞台となった場所。城主・清水宗治に対し羽柴秀吉が周囲に堤防を築いて水を引き入れる『水攻め』を行い湖に浮かぶような姿となりました。和議の末、宗治は自刃し秀吉は中国
こんばんは!NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」を見ましたか-!戦国時代を「豊臣秀吉」と「豊臣秀長」が兄弟で手を取り合って立身出世して、天下統一事業を成し遂げていくというのが基本的なお話ですね。今日のお話ですが、先週の最後に「有岡城主」の「荒木村重」が「信長」を裏切ったとの情報が入ったことから、「小寺官兵衛」は「村重」を説得する為に単独で「有岡城」へ乗り込むと、捕らわれの身となってしまいました。独断で入城したことで「官兵衛」が裏切ったとの噂が流され、「信長」は「長浜城」で「寧々」が人質
今回も数値の判明が早い。先ずは星4戦術家羽柴秀吉さん(七夕)・前列全敵&中列敵3体術ダメ1.25・生命最多敵1体術ダメ1.50速−30%・ボス特効+100%攻撃範囲は意味がわからんほど中途半端。しかもイマドキ生命サーチの追撃か……主流は攻撃サーチでしょ?避雷針居たら機能しないじゃん……。そして数値も微妙……。更に、全ての攻撃が命中しても2.75。こちらも微妙。……ただし、相手がボスであれば事実上5.50!うん、星4としては破格……星5クラスやね。これはつまり、
【問題】羽柴秀吉が大徳寺で信長の葬儀を行った際、池田輝政が担った役割とは次のうちどれか?【選択肢】喪主を務めた参列者を数えた御所を守衛した信長の棺を担いだ【正解】信長の棺を担いだ【解説】秀吉が大徳寺(京都府京都市北区)で自ら喪主となって信長の葬儀を執り行った際、池田輝政は羽柴秀勝とともに信長の棺を担ぐ大役を任されている。