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【問題】羽柴秀吉が大徳寺で信長の葬儀を行った際、池田輝政が担った役割とは次のうちどれか?【選択肢】喪主を務めた参列者を数えた御所を守衛した信長の棺を担いだ【正解】信長の棺を担いだ【解説】秀吉が大徳寺(京都府京都市北区)で自ら喪主となって信長の葬儀を執り行った際、池田輝政は羽柴秀勝とともに信長の棺を担ぐ大役を任されている。
「木下澤瀉(おもだか)」っていうのか!いや、子供の頃から、気になっていたんですよ。豊臣秀吉、になる前の羽柴筑前守秀吉、木下藤吉郎秀吉は、家紋は何を使っていたんだろう、って。ほら、子供って、家紋大好きじゃないすか(?)。よくドラマで、羽柴秀吉時代の秀吉が、のちに豊臣の代名詞になる桐紋を使ってるのを見て、これおかしくないか?って思ってたんです、だって桐は天皇家の替紋であって、将軍だ関白だになると使うことを許されるヤツですよね。あれは信長から貰ったんだという話を読んだ事あるけど、天皇から貰った
【岡山】大河ドラマ『豊臣兄弟!』第28回『急げ!秀吉』の大河ドラマ紀行で登場した『備中高松城』備中高松城は天正10年(1582年)4月から始まった羽柴秀吉の『備中高松城の水攻め』の舞台となった場所。城主・清水宗治に対し羽柴秀吉が周囲に堤防を築いて水を引き入れる『水攻め』を行い湖に浮かぶような姿となりました。和議の末、宗治は自刃し秀吉は中国
5月5日(日)約400年前の戦国時代に羽柴秀吉に攻められて、23歳の若さで自害し三木の領民を救った「英雄」三木城主別所長治公を偲んで「別所公春祭り」が開催されます。ここ、雲龍寺では別所長治公の子孫の方が集まる一族会が行われます。別所公一族会の会場■光源山雲龍寺この日も晴天です。別所長治公の位牌が安置されています。法要が執り行われ参加者全員で本堂に参拝。次に、首塚に参拝
鹿野城(鳥取市鹿野町鹿野)別名:志加奴城・王舎城1578年羽柴秀吉が亀井茲矩等を先駆けとして、毛利氏の支城となっていた鹿野城を攻め落とし、羽柴軍山陰攻めの前線基地の役割を持ちました。亀井茲矩は鹿野城の城番を命ぜられ、翌年の秀吉の再出陣までの間、鹿野城を守るのみでなく、近くの諸城を攻め落とし、これらの功により城主に任命されました。関ヶ原の戦いの後、世の中が落ち着くと、茲矩は城の大拡張を行ないました。古い鹿野城は山頂に近い部分だけの山城でしたが、山麓を中心に本丸、周囲には薬研堀、内堀、その外側に
愛知県尾張旭市文化会館前に甲冑を着た若武者の銅像が建っています。これは尾張旭市の御当地武将・毛受勝助家照(めんじょうしょうすけいえてる)です。>>毛受勝助家照像の地図もとは庄助と名乗っており柴田勝家に小姓として仕えた人物。勝家のもと各地を転戦し、元亀二年(1571)の長島一向一揆では17歳で参戦。一揆勢に奪われた柴田軍の馬印を取り返した功により柴田勝家より「勝」と「家」の字の両方を与えられ、勝介家照と名乗ったといわれてます。天正十一年(1583)
1583年(天正11年)3月、賤ヶ岳の戦いの際に、長浜城で指揮をとっていた羽柴秀吉(豊臣秀吉)が田上山砦に陣を張っていた弟の羽柴秀長(豊臣秀長)に宛てた書状(長浜城歴史博物館蔵)。長浜城長浜城は、1574年(天正2年)に秀吉が築いた最初の居城。1582年(天正10年)6月の本能寺の変後に行われた清洲会議で、長浜城は柴田勝家の支配となりますが、12月には秀吉が取り戻しています。☆☆☆☆☆
5月18日月曜日大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物羽柴与一郎(高木玻瑠)羽柴与一郎(はしばよいちろう、?〜天正10年〈1582年〉以前、または天正10年)は、羽柴秀長(豊臣秀長)の嫡男。木下与一郎ともいう。実名は不明。羽柴秀長の実子で、嫡男とみられる。母は秀長の正妻の慈雲院殿に推定される。与一郎は同時代史料では見られず、江戸時代に成立した文献『森家先代実録』と『高山公実録』でその存在が伝えられる。それらの内容については信用できるとされる。『
7/11に再放送されていた「決戦!アフター本能寺」が面白かった。これまでなにかと注目されてきたのは、本能寺の変が起きるまでの動静。それに対してこの番組は、本能寺の変(6/2)~山崎の合戦(6/13)まで僅か10日間ほどの各将の動きを仔細に伝えてくれた。(1)光秀まず、「敵は本能寺にあり」の科白で有名な光秀自身が、実は本能寺に向かっていなかったのには驚き。ドラマの刷り込みイメージと違いすぎる。鳥羽に控えていたのは慎重な性格だったゆえか。そもそも本能寺周辺は道幅が狭くて、攻めるにもそれほど
近江の国(滋賀県)には戦国時代を中心に1300を超える城郭が築かれていたといい、単位面積あたりの数では日本一とみられているといいます。東国や北陸からの京への入口という立地条件もあって、近江の国は戦国武将たちがしのぎを削った地といえるのではないかと思います。滋賀県内には国宝の彦根城以外にも復元されたお城が幾つかありますが、むしろ山中にある城跡巡りをするとその面白さに憑りつかれてしまいます。小谷城跡には石積みや石垣、曲輪跡や堀切や土塁が残っており、山頂の大嶽(おおづく)まで登るとちょっとした
今回も数値の判明が早い。先ずは星4戦術家羽柴秀吉さん(七夕)・前列全敵&中列敵3体術ダメ1.25・生命最多敵1体術ダメ1.50速−30%・ボス特効+100%攻撃範囲は意味がわからんほど中途半端。しかもイマドキ生命サーチの追撃か……主流は攻撃サーチでしょ?避雷針居たら機能しないじゃん……。そして数値も微妙……。更に、全ての攻撃が命中しても2.75。こちらも微妙。……ただし、相手がボスであれば事実上5.50!うん、星4としては破格……星5クラスやね。これはつまり、