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先月、近所の高橋さんが入院したが、病状が改善せず予定より早く介護施設に入居された。この頃、娘さんが仕事前に実家に来られ、台所用品や雑貨をゴミに出して行かれている。戦前生まれの高橋さんは、古着やマーガリンの容器まで取っておき、ここ数日のゴミの量が凄まじくて、ルール違反のゴミが残されてしまって近隣で手分けして処分している。花が好きだった高橋さんの庭や玄関前は、お隣りが水を撒いているが、ベランダの鉢植えは茶色く枯れてしまった。あの量を娘さん一人で処分するのは、相当な労力がいるだろう。また一軒
ご訪問ありがとうございます看取り退院で特養にもどった母でしたが、特養の皆さんのおかげもあって、元気になっていくという感じでした。私は毎日、防護服で面会に行き、差し入れなどもサポート食も含め、いろいろ考えて持っていっていました。病院でずっと入れ歯も外されていたので、入れ歯が合わなくなってしまっていたのですが、それも特養の人と話し合い、訪問歯科の先生にお願いして新たに作ることになりました。続きです。前回の話はこちら⬇️『歯の大切さ』ご訪問ありがとうございます看取り退院になりましたが、1週
昨日、母の面会に伺いましたが、母が7回入院でお世話になった病院さんでは、病院の方針として、基本的に患者本人以外、病状説明をしない方針で患者本人以外の病状説明は基本的に主治医さんしか出来ないそうで、例外で、私母の入院してた際の病棟看護師さん5名くらいとMSW(メディカルソーシャルワーカー)さんに母の病状についてお教え頂いたことがございますが恐らく病院としては患者側とのトラブル予防の為にそう言ったシステムを構築されてるんでしょうがうちの母、前回の誤嚥性肺炎後に痰の症状が出ちゃいまして、
登場人物紹介くわしくはこちら登場人物紹介2022年1月母の入院をきっかけに認知症の父の介護が始まりました泊まり込みワンオペ在宅介護とショートステイ併用期を経て…2023年1月父、特別養護老人ホームに入所しました特養入所への道母は今も入院中母の入院2023年3月実家じまい完了実家じまい2023年12月父、覚醒不良看取りケアに移行看取りケア期2024年1月父、永眠しましたこちらもどうぞ介護スタートから今までの経緯めちゃくちゃ不穏なとこ
お久しぶりです。ちょびです。昨夜5月7日23時50分特養にて母が穏やかに旅立ちました。享年87歳でした。母の看取り期にあたりご心配してくださったり励ましのメッセージを下さった皆さま本当にありがとうございました。母は2週間前から声を発することが全く出来なくなり昏睡を繰り返していましたが昨日の母は昼間からずっと穏やかで目もぱっちり開いて私の話にうんうんと頷きながらずっと微笑んでいました。昨年末クリスマスの誤嚥性肺炎から入院3ヶ月その後もといた特養での看取り
昨日午前中、母の面会に母の特養さん伺いまして、母との面会が終わり、帰る際に、歩行器をお使いになられた高齢者さんとそちらの方の娘さんか、お嫁さんだと思われる50代くらいの女性が特養さんの事務所前の入口付近のイスにおかけになられてまして私、施設内外問わず職員、利用者、面会者さん問わず目が合った方には挨拶だけはする人なんでお二人にこんにちはとご挨拶しましたら、高齢者さんは笑顔で挨拶返して下さいまして、娘さんだかお嫁さんはお疲れなのか、やや仏頂面で挨拶を返して下さいまして、大人なら
今日、仕事中に母がお世話になっている特養さんから電話がかかってきました。看取り期に入っている母の異変時、ご家族様から心臓マッサージはしないと聞いているがそれで良いか?と確認の電話でした。私ははいと答えました。後…母の看取り後の事医師の死亡確認の後、エンゼルケアの確認。我が家の看護師を目指す大学生長女が、カメコのエンゼルケアに加わる事は可能だと言われました。長女は祖母であるカメコのお化粧をしてあげたいとの事です。母はやはり、オシッコがほとんど出ず、食事もほとんど摂らず傾眠傾向に
アンニョン(^-^)/。5月10日、金曜日です。お日様が出て、青空が広がってます。義母の葬儀が無事に終わりました。お願いしたピンクの花に囲まれて、笑顔の遺影で送る事が出来ました。遺影の額も、薄い淡い紫色にして貰いました。背景は義父と同じ、青空に桜が咲いているものに。納棺師さんが、素晴らしくて、素敵なお化粧をして下さり、とても綺麗な顔に仕上げて頂きました。義姉も、私の妹も、私もやって貰いたいと言うぐらい、凄い腕でした。2日間、義姉と闘った時間でも、ありました。簡素に、簡素に…。
今日、会社帰りに母カメコがお世話になっている特養さんに面会に行きました。やはりオシッコは出にくくて、食事も水分もあまり摂取できてない様子母は、今日は調子が良かったらしくニコニコしていて目が少女マンガみたいにキラキラしていました何ごと?私に「今から出かけよう!」と言います。え?夕方やし?どこ行くのよえ?でも否定はいかんし…「う、うん。今日は無理やけど、おうどんでも食べに行こうか?喫茶店でプリン🍮でもいいねえ…」と思わずしどろもどろで答えたら、カメコはうんうんと上機嫌「
思いがけず、延命治療や看取りの判断基準を迫られた。※母は生きてます。わたしは、わたしを見直した日となった。私の中にある箱に、今、付き合う必要ない感情は仕舞った。箱の中にしまっておく。今はね。笑。公平さや平等にすること、は私の中で数少ない長所だ。優先順位も、間違えないほうだな。箱に仕舞う、と決めればなんでもない事だ。まあまあ並んできましたけどね。笑それをひっくるめて、味わってるとこ。わたしのキッチンは、今日もピカピカ。うつるよ。玄関と神棚。外もピカピカにする。私
ひーちん@介護士と申します83才の母と共同生活2人そろって認知症予備軍詳しいプロフィールはコチラ認知症ケア・介護施設エピソード介護士の本音などを発信厄介者なんかじゃない!前回のお話エピソード⑬(感情伝染)エピソード⑭(共にいる事がケアの原点)「たつ子さん」ほんの一瞬ですが呼吸が止まった肌の色も明らかに変わっている午前3時50分の出来事でした焦った表情でご家族様に連絡を取る施設長
ひーちん@介護士と申します83才の母と共同生活2人そろって認知症予備軍詳しいプロフィールはコチラ認知症ケア・介護施設エピソード介護士の本音などを発信何かをすることでなく、共にいること前回のお話エピソード⑬(感情伝染)たつ子さんを一人では逝かせたくない・・・たつ子さんの症状の変化午前零時・熱発なし・無尿・四肢の末端が冷たい午前2時・呼吸のリズムが早くなる・のど元でゴロゴロ音・血圧
日々、診療をさせていただいていて、いろいろ思うことがあります。最近は、身近な人間や動物の逝く様に出会ったことがない方が多く、人生で最初のそれが飼っているペットだったりすることがあります。そうすると、どうしたらいいのか非常に思い悩まれるようなのです。猫が腎不全になり、自宅で皮下点滴をされておられる方もいらっしゃいます。ある日にうかがったお宅では、腎不全でだんだんやせ細っていく猫チャンに、出来るだけのことをしてあげたいと言われました。「毎日皮下点滴と腎不全のお薬〇〇は飲んでいますが、他に
こんにちは心の居場所グリーフケアマネジャーかたはらみえです今日もお越し頂きありがとうございます人生は砂時計そんな風に語られている文面少しずつ違った解釈もありどれが正解というわけでもなくそう考える私の思考こそが人生の意味を物語る過去が下の解釈がほとんどその時の背景や感情真逆の事もある砂時計⏳をひっくり返すのは私自身もしかしたら強い突風💨💨💨倒れて
今日はちと用事で色々バタバタ出掛けてましたが、午前中、特養さんにてお世話になってる母の面会に特養さん伺いましたが、前回の母の面会で気になったことを手直ししてから特養さんを後にしましたー。↓フラッシュライトつけるの忘れましたが、私と次兄が母に差し入れたぬいぐるみ達をなるべく母が見えるようにセッティングして参りました(笑)中学生の息子にこちらの写メを見せたら、はは、ナイスセッティングだねと、嬉しいことに息子に褒めて貰いましたで、昨日、私日中ゴロゴロしてましたら、なぜかこんなこ
亡くなった日はメヌエットから会館で冷凍庫で保存されるんですどんなふうな葬儀にするかも亡くなるまえにもちらっと決めていましたが通夜はなく、一日葬って形でラフに、無宗教でみんなでワイワイと楽しい雰囲気で12時から14時まで会いたい人だけ集まってもらう自由な雰囲気で、という形に!!ザ、つゆちゃんのお別れ会❣️当日お棺に入れるものもしっかり準備お花もこちらも用意しましたぁ!!つゆちゃんに似合いそうなお花を名古屋からもきてくれましたじいじは弟はじいじとシンプルイズ
今日は、急遽帰省してくれた大学生長男と夕方、母に面会に行きました。母は夕ごはんを食べていましたが、昨日と違いぼんやりとしていました。昼間は寝てばかりいたようでした。長男が母に「おばあちゃん」と声をかけるとニコリとしましたが、すぐ無表情に戻ってしまいました。今日は調子が悪いようですそれからまた「うどんを食べに行こう。お出かけする。」と言い出しました食事はすべてとろみ食で水分もとろみをつけないと飲めない母うどんなんて無理ゲースタッフさんが「そうなんです。お昼も〃家に帰る〃っ
こんにちは心の居場所グリーフケアマネジャーかたはらみえです今日もお越し頂きありがとうございますお申し込みはこちらから「哀しみの保健室」福岡グリーフケアCafe結生大切な人や存在をなくし悲しみかかえているあなたへ。哀しみを抱え誰にも打ち明けられず、哀しい・・苦しい・・つらい・・思いをありのままにお話しませんか?griefcarecafe-yui.studio.siteグリーフケアcafe結生(福岡)大切な大切な方を亡くされた方
今週日曜日に、残念ながら3月末頃の誤嚥性肺炎後に看取り状態になってしまった母に面会の為次兄と、母がお世話になってる特養さんの方に伺いましたが、母、施設に入居した時は要介護4で自分で歩いてましたが、2年くらい前から母、歩かなくなりその後、コロナ罹患や、肺炎、誤嚥性肺炎など有りまして完全な寝たきり状態になっちゃいましたが、母に面会すると、娘である私に見覚えがあるのかよく目が合うのですが日曜日、母に面会した際に、母のベッド横のカラーボックスに飾られてた私や次兄が差し入れたぬいぐるみを私
人間の五感の中で聴覚は最後まで残るといわれているらしい。「耳は最期まで聞こえていますから声をかけてあげてください」そう看護士さんに言われた。確かに、お義母さんに話しかけると生体情報モニターの心拍数が上がる。12歳以下はICU立ち入り禁止で面会できていない息子の声をボイスレコーダーで録音してきた【おばあちゃん、いつもご飯を作ってくれたり、バスでイオンに連れて行ってくれてガチャガチャをしてくれてありがとう。僕は大きくなったら社会の先生になりたいよ。歴史が
私にさよならとのメールを最後に長姉とは1週間くらいから前から連絡が途絶えてましたが、今長姉からメールが長姉から不快だと思うが、母ちゃん(母)に会いに行っても良いか私に確認のメールが入りました😐確かに長姉からのメールは不快なんですが母との面会は施設のご都合上事前連絡が必要なのでいつ母の面会に行くのか訊きましたら、長姉から今のところ返信無しですが私が知る限り長姉、母の件で施設の職員さんから至急折り返し連絡を求めるお電話頂いて、3週間以上施設の方に折り返しの電話してないはずですが、私と
今朝メールで我が家に母の介護費用を届けに来たいと連絡してきた長姉に我が家に来られても迷惑だし母の介護費用は心配しなくても大丈夫だとメールしましたら長姉から宜しくお願いします。さようならと、返信が有り、それに対して、長姉にいやいや、母ちゃん亡くなっちゃたら、母ちゃんの相続手続きしなきゃいけないので残念ながら、あなたや〇〇ちゃん(次姉のこと)とはまだまださよならできませんと、返信しましたら、その後長姉から返信途絶えました😅この先、兄や姉達とドロドロしそうな気がしますがまぁでも私
ご訪問ありがとうございますいろいろありましたが、母は中心静脈栄養の点滴を抜いて退院となりました。病院は、食べられるようになったので普通の退院との位置付けでしたが、特養では一般的な必要摂取カロリーや水分摂取量に程遠いということで、看取り対応となりました。(状況が変われば看取り解除になります)看取り対応のため、コロナ禍で禁止されている面会が防護服着用で許可されることに。1日目、母は差し入れのプリンをほぼ完食することができました。食べられなければ長くて1〜2週間と言われている母の命です。複
誰も来ない精神科の看取り精神科で働く看護師タナトスです。新卒で配属された精神科で今年4年目を迎えました。入職時にいた先輩たちは全員退職し、中途で入ってきたおばさん看護師と後輩たちと力を合わせて、いかれた患者のお世話をする気が狂いそうな毎日です。精神科で認知症患者を看取る皆さんは、病院で亡くなることにどんなイメージがあるでしょうか。心臓マッサージや気管挿管など、必死に延命処置が行われ、多くの医師や看護師が必死になって患者を蘇生しようとしている場面が思い
6日は義母の8回めの月命日だった相続税も払い終わりまわりから見れば『落ち着いた』って思われるが全く落ち着いてなんていないどうしてまわりは『落ち着いた?』って言ってくるんだろう?昨日少し時間があったので洋服を整理したが昨年の今頃に義母が着ていた服が出てきたりして作業は全く進まず…洋裁が得意な義母これらもすべて自分で作ったもの!体重が減りすぎてこの洋服たちもだんだん大きすぎて着れなくなり5月も終わろうとした頃は子供服の140センチを着てた65キロもあった人がこんなになるなんてありえな
ご訪問ありがとうございます先日は腰痛を訴えるだけのブログしか書けなかったのに、皆さん、"いいね"して下さって、ありがとうございました🙇♀️皆さんの優しいお気持ちだと、嬉しく受け取らせて頂きました🥲おかげさまで、腰の方は、小さなギクッだったこともあり、湿布を貼って昨日は横になってウンウン唸っていましたが、何とか椅子に座ることもできるようになりました。またどうぞこれからもよろしくお願いします🙇♀️さて、介護の話の続きです。母は看取り対応で病院から特養にもどりましたが、スタッフの皆さん
今週は、片付けweek!!毎日実家に行っとります!私ひとり、いろいろとまとめましたよてかこんなの大好き!てかね、実家にいって思ったことおばあちゃんも、つゆちゃんも表彰されてること多くて、びっくりです‼️おばあちゃんは書道の先生でいろいろそこから賞をとってるしつゆちゃんは、体悪くなるまえは着付けの先生資格着物のコンサルタントの資格ほか、いろいろな事に貢献し、讃えられてこれは一部やけど、いやぁ、つゆちゃんマジでいろんなことに人のために、自分のためにめちゃ頑張っ
母の四十九日も終え、私も妹も少しづつ元の生活に戻ってきている。父は昔、単身赴任で2年ほど一人暮らしをしていたがそれ以来の一人暮らしなので色々と苦労している。今は週1回程度は姉妹のどちらかが実家に行ってはいるが、さすがにずっとそれを続けることは無理だ。どちらかが一緒に暮らすということも今の時点では難しいので父には独り立ち(?)してもらわないとならない。亡き母は生前、色々な趣味に手を出しては途中で飽きて別の趣味をはじめていた。そのため母が使用していた部屋には多種多様な趣味の道具が大量に遺
アンニョン(^-^)/。5月7日、火曜日です。朝から、雨が降ったり止んだり、風も強いです。今日は、予定では、亡き義母の介護認定再調査の立ち合いの日でした。間に合わず、要介護2のまま亡くなってしまいました。義父は特別養護老人ホームに入所だったので、亡くなって出た時点で全て終了しました。義母は、有料老人ホームだったので、お部屋の片付けが全て終了して、契約解除するまで、そのまま入所しているかたちになっています。保険証etc.も、そのままになっています。全て片付いたら、日割り計算で精算さ
横目であさイチ。親の悪口じゃないですが…人々は、そんな冷静なのでしょうか。父の発病は私が21歳の時。その当時は難病で。お医者様に三度も覚悟してくださいって言わせて。10年、生きることにしがみ付いて母はヘロヘロ。最後は家で悪化ですっかり母は疲れていて救急車を呼ぶのもボーッと考えてしばし後に救急車をやっと呼び数日のうちに病院で亡くなりました。まぁ、父は最期の最後までジタバタ。でも一日前に髭剃り持ってきてくれと。母の発病は私が35歳くらいの時。父の闘病を近くで見ていた