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ご訪問ありがとうございます元気な退院が決まったのに、急に病院から呼び出しがかかり、おかしいと思った私は特養に電話をしてみました。そして、特養から、病院に食事と水分の摂取量を数値で示してもらったら、生命維持できる量に全く足りてないことがわかったと知らされます。そこで、また看取りを覚悟するようにいわれてしまった私は、元気な退院だと言われ喜んでいただけに、再び奈落の底に突き落とされた気持ちになりました😞続きです。前回の話はこちら⬇️『奈落の底に再び』ご訪問ありがとうございます母は看取り退院
ご訪問ありがとうございます母は看取り退院ではなく、中心静脈栄養の点滴を抜いて元気に退院ができると告げられで喜ぶ私でした。面会した母も私のこともわかり元気そうでホッとしました。これでメデタシメデタシかと思っていたのですが...続きです。前回の話はこちら⬇️『やっぱり寝ぼけていたのかな?』ご訪問ありがとうございます院長先生から、看取り退院ではなく、中心静脈栄養の点滴を抜いて退院できると正式にお話しがあり、日程調整まだ話しは進みました。院長先生か…ameblo.jp退院の日程も決ま
2024.04.234/16お通夜は19:30終了予定だったが、21:00近くまで弔問客があり、終わったのが21:00泣き腫らした目。ショボショボする。親族控え室に父をうつし、夕飯を食べに出かける。私達家族だけになると、また姉の旦那はムスーっと本当に二重人格なんじゃないかと思うご飯を食べながら『お父さんもうたべれないだよね。いいなーって言ってるねきっと。死んだら終わり。こんな早く逝ってバカだよ。』と母が泣き出す遅い夕食が終わり、主人と息子を葬儀場に送っていく。(2人が父と一緒
還暦すぎてヘルパーになったよっちんです「お風呂なんて入らないよ~」「また、盗まれた~」「ごはん、食べてないよ」「あんた、誰?」そんな高齢者が愛おしくなるブログですプロフィールはこちらからよっちんが自宅でお小遣いをGETしている秘密の方法はこちら実際に起きた事実をもとに書いたフィクションですお越し下さってありがとうございます還暦すぎても元気なよっちんです先日、老人ホームに入所中のイワオさんが救急搬送された
2024.04.17父の葬儀が終わって帰宅しました4/14父が亡くなった時の続きです。14:27頃ついに心停止。呼吸が止まってから30分近く頑張ってくれていましたが、孫2人待たずに逝ってしまいましたもー、みんな大泣き14:30主治医訪室。死亡確認辛すぎる。声を出し泣きましたナースと話し、母が、『主人は仕事が好きで、いつもスーツを着てたから、スーツを着せたい』と。私の主人と母、小さい孫たちをつれて家に戻り、スーツを持ってくることに。『家の片付けやったりしなきゃ』と
なんか芸能人のガクトさんが、ご自分のお名前をアパートに使用されて怒ってる記事を見掛けましたが、それに関してもロバート・キャンベルさんがガクトさんに対して広い心を持って欲しいとコメントされてましたが、私もロバート・キャンベルさんの意見に賛成です。私、独身時代2年だけ川沿いのアパートで一人暮らししてまして、当時は気分転換がてらに、手が空くと川の土手でよく一人で黄昏れてましたが私犬大好きなんですがその時にラブラドールか、ゴールデンどちらか忘れましたが、大きなワンちゃん散歩させてる中年の男性
登場人物紹介くわしくはこちら登場人物紹介2022年1月母の入院をきっかけに認知症の父の介護が始まりました泊まり込みワンオペ在宅介護とショートステイ併用期を経て…2023年1月父、特別養護老人ホームに入所しました特養入所への道母は今も入院中母の入院2023年3月実家じまい完了実家じまい2023年12月父、覚醒不良看取りケアに移行看取りケア期2024年1月父、永眠しましたこちらもどうぞ介護スタートから今までの経緯入院中の母に面会に行き
先週、桜の開花の知らせと共に…以前から施設でお世話になっていた認知症母が静かに息を引き取りました。夕方、施設の看護師さんからの一本の電話がありました。午前中は普通に過ごしていた母が、午後になり体調が悪くなり、往診日で医師の診察を受け最期の時が確実に近づいてきている兆候との事。昨年秋に、老衰や認知症に加えガンの発見もあったことから、施設での看取りを希望してお願いしていましたので覚悟は出来ていました。直ぐに次女と駆けつけ、少し遅れて長女一家も合流し、初ひ孫と対面しました。意識はありますが
昨日は母の命日でした。2021年4月9日から…もう、3年。昨日は仕事で忙しく今日、一人でお墓参りへ行きました。隣の市に住む、母の友人Sさんが、久しぶりに連絡をくれて昨日命日だからとお墓参りに行ってくれてメールのやり取りをしました。今日、お花を買ってお墓へ行ったけれど…やっぱり寂しくて悲しくて闘病というか最後の入院の日々やうちで過ごした最後の日々を思い出してたくさん涙が出ました。なんで居なくなっちゃったの??なんで大好きなお母さんを看取らなければならなかったの??
2024.04.0910日に病院に父の状態を聞きに行く予定が、一日早められた。どーしても本人に面会させてくれた頼み、父に会えることに。母と姉と3人で合わせてもらうことになるが、帰り泣いてしまい40分運転できそうにない…主人が休みをとってくれ、送り迎えしてくれることに。ICの予定が早まったこと、急遽勝手に転院(主治医のいる病院へ)決まっていたこと、肝性脳症をおこしていること。相当状態がわるいのだろう。行きの車から3人とも大泣きハイパーサーミアの為入院している民間の病院につくと、すぐ
こんにちは。ちょびです。87歳認知症の母誤嚥性肺炎で3ヶ月間の入院治療の結果肺炎は完治したものの身体がすっかり衰弱し、寝たきりに。認知度も高度認知症と判定され老衰として特養での看取り期に入りました。中心静脈栄養について詳しくは、こちらの記事をご参照下さい。合併症についても書かれています.☟中心静脈カテーテルの看護とは?挿入前後の観察項目や合併症を解説|レバウェル看護お役立ち情報中心静脈カテーテルは、CVカテと呼ばれ
病院で、フランの腹水を抜いてもらった後体重がどんどん減っているコトから舌の動きが悪くて口の中に舌先が入っていかず、食べる量が減っている話になり。食べるのをやめてしまった後に、シリンジで強制給餌をしているコトを話ました。お薬はここ何年も、シリンジで強制的に飲ませています。薬を混ぜた缶詰も食べなかったのですると先生から『あまり無理すると後悔するし、強制給餌もほどほどで』という話がありました。強制給餌したコトを後悔する…そんな飼い主さんが多いというコト?それは、無理やり食べさせた
暖かく…を通り過ぎて初夏のような陽気がいきなりやって来たので、薄い布団に変えました。バルコニーに置いている鉢植えの葉っぱもワッサワサになったので、テキトーに切り戻しました。このビオラとガーデンシクラメンは、昨年の11月ごろに母が植えたいというので一緒に買いに行ったものです。つい水やりを忘れそうになるのですが、なんとか頑張ってくれています。母が1月3日に亡くなって、もうすぐ4か月になります。先日4月11日が「百か日」でした。…って、特に何をするということはありませんでし
看取り介護を終えてふと思うことがあった。「最期を自宅で過ごせたんだから、幸せだったよね〜」と、、、よく言ってもらうのだけど、(親戚のおばちゃんとかいろいろな人に)「本当に幸せだったのかどうか?は分からないよなあ」ってこと。*屁理屈や自己批判ではなく、客観的な視点での意見です。もしかしたら、緩和ケア病棟で過ごした方が幸せだったかもしれないし、ホスピスで手厚い医療を受けられた方が幸せだったかもしれない
再度、介護認定調査員が来て母と面談した。調査員が型どおりの質問をしていくが前回とは全く違い母は何も答えられない。声をかけられると調査員の顔を見ているので聞いてはいるようだが、しばらくすると目をつぶってしまう。前回調査員が来た時は椅子に座り、質問に正確には答えられなかったが意思疎通は出来ていたし体も動かせた。あれから数か月経っているように感じるがたった1か月しか経っていないことに改めて驚いた。母が何も答えられないので家族へ状況の質問があり調査は終了。ケアマネさんから暫定で要介護4のケアプ
登場人物紹介くわしくはこちら登場人物紹介2022年1月母の入院をきっかけに認知症の父の介護が始まりました泊まり込みワンオペ在宅介護とショートステイ併用期を経て…2023年1月父、特別養護老人ホームに入所しました特養入所への道母は今も入院中母の入院2023年3月実家じまい完了実家じまい2023年12月父、覚醒不良看取りケアに移行看取りケア期2024年1月父、永眠しましたこちらもどうぞ介護スタートから今までの経緯入院中の母に面会にいき
昨日、先週金曜日誤嚥性肺炎(入院時は、肺炎でしたが後に誤嚥性肺炎と病名変更されましたー)で入院してた母がお蔭様で退院し、本来母がお世話になってる特養さんに戻ることが出来ましたが、私的には昨年末頃から3回誤嚥性肺炎で入院しているので、胃ろうや中心静脈栄養などを使わないと母はこれ以上延命出来ないような気がしまして、昨日、施設医さんと面談の上、母の看取り契約をして参りましたー。私、昨日はだいぶ前にお誘い頂いたご近所の地域包括さんが主催される、地域交流サロンのイベントが我が家のご近所で10
排泄と床ずれについて父は昔から排便に関しての強いこだわりがあり、どんなことがあっても一日一回以上下手をすると毎食後にトイレに長時間こもる人でした。そんな父が寝たきりになり食が細くなって、普通に考えても排便の回数と量は減るはずなのに、💩が出たいけど出ない。指で掻き出してくれと度々頼まれました。「食べてないんだから二日くらい出なくても大丈夫だよ。」と諭すのですが、素直に聞く父ではありません。さすがに素人の私たちでは出来ないので、訪問看護師さんにお願いしました。そのほかにも💩が出
杏桃太ですとても動揺しています朝🏥から電話がきて親の容態について主治医から説明があると言われ泊っていた家族とともに慌てふためき病院へ行き説明を受けました看取りに入ったような説明でした泊りがけで付き添うことを許されましたそれだけ弱ってきていたんですね親は1人でずっと頑張ってくれてたんだな・・・と思ったら顔を見ただけで泣いてしまいましたすこし仮眠をとってまた病院へ行きますとても悲しいです胸が張り裂けそうです皆さんの
ご訪問ありがとうございます特養での看取りの説明の面談で、病院でダメだと言われて看取りで戻ってきてから、元気になって看取り解除になった人もいると聞き、希望を見出す私でした。続きです。前回の話はこちは⬇️『何とかまた復活してほしい!』ご訪問ありがとうございます病院から看取り退院と言われたため、特養の施設長さんと面談し、特養の看取り対応について話しを聞きました。施設長さんの丁寧な説明に少し安…ameblo.jp看取りの退院の話をしているけれど、私の中では、やっぱりまだ母が看取りの時期を迎えて
こんにちは。ちょびです。87歳認知症の母地方の田舎住まい特養で看取り期に入り2週間になります。介護のキーパーソン:兄母と同県住まい介護者その2:私実家から半日かかる首都圏住まい今回は特養の看取り対応についてと母が特養の嘱託医から受けている医療行為をお話しいたします。私たち介護者への対応特養での面会は看取り期と言うことで、9時から17時ころならいつでもOK。始めの1週間私は、ホテルから毎日面会しました。特に急変
人の医療で、透析をしている方が認知症が進んで日に日に弱っていくと透析をやめるかどうするか問題になる。透析をやめれば死ぬことはわかっているので透析をやめることはその人の命を決めることになる。認知機能が低下してくると患者さん本人の同意を得ることが難しくなっていくし
あーちゃんへ沢山のコメント、メッセージをありがとうございます。ブログを通してあーちゃんはこんなに皆さんにお気持ちをいただいていたのだなあと改めて感謝の気持ちでいっぱいです。おひとりおひとりへのお返事をするのは難しいため、こちらでご挨拶にかえさせていただければと思います。ご訪問ありがとうございます2017年にアルツハイマー型認知症と診断された母の介護日記を書いています。母は現在介護付有料老人ホームで暮らしています。詳しくはこちらをどうぞ↓『「アルツフルデイズ」について』公式トップ
寝たままの母の手を握りながら色々と母のことを考えるようになった。母は明るく面白い人で社交的でもあったので仲良くしている人は多かった。だが、かなり常識外れで傲慢さもあったので母を嫌いな人も多かったろうと思う。かくいう私も、子供のころは友達のお母さんたちとは様子が違う母が恥ずかしかった。大人になってからは母がもしただの知り合いだったら絶対に仲良くならないタイプだな・・・と思っていた。性格の合う合わないだけではなく詳しくは書かないが家族として裏切られたりしたこともあり嫌いだと思うこともあっ
介護施設では、殆どの利用者の家族は面会にも看取りにも来ません。介護施設はギリギリの人数で仕事してて、ターミナル(終末期)の利用者がいても、他利用者の介護対応をしてて、気が付いたら亡くなられていたというのが殆どのパターンです。利用者は家族も職員も傍らにいなく一人寂しく亡くなられますが、これを介護施設では「看取り」と呼んでますが、私に言わせればこんなのは看取りでも何でもないんです。死に目に会いたいだろうと思い、家族に施設に看取りに来るように電話しても、「死んでから電話して下さい!!
12/4にMRI検査を受けた母。入院している間に家族のグループLINEにメッセージを入れてくるのだがなんとなく様子がおかしい。内容は帰りたいということと家の事務的な事の連絡なのだがなぜか「ですます」調。あと、意味は何となく通じるが言葉の選び方がおかしい。「退院する時」を「辞める時」と表現したり。母の腫瘍は左脳にできており、左脳は言語を司るのでまず言語に障害が出ると後で言われていた。今思えばこのころから失語症の症状が出ていたのだろう。検査結果が出るまでの数日、母のいない実家で父と色々話
こんにちは。母が亡くなって、二年半が経ちました。もうそんなに経ったのかと信じられません。亡くなってからのこと描けずにいましたが、冷静になってきたのですくパラさんで描かせてもらうことを決めました。こんな感じ↓https://news.sukupara.jp/item/211094「私はこんなに冷たい娘だった?」癌だった実母を在宅で看取った後の感情は…【母が亡くなってから①】byまゆ|すくパラ倶楽部NEWSこんにちは。今回は、母が亡くなってからの話をしたいと思います。.
介護ベッドが入った翌日12/17は用事があったため私は帰宅し夜遅く妹が来ることに。その日の母は日中ずっとベッドの上にいて、トイレに行きたくなると起き上がろうとするので父が介助しながらトイレに入る。どんなに具合が悪くても毎日湯舟に入りたがる母のため、父が支えながらなんとか入浴もさせたそうだ。【その日の父からのLINE】5時前に後ろから抱きかかえるように支えてトイレに行った。ベッドに帰った後で白湯をコップ1杯飲んだ。これから風呂に入れる。後ろから抱きかかえるようにしながら足から母の自
ブロ友さんの状態が逼迫したものになり、あまり苦しむこともなく息を引き取られたと娘さんがご報告されていました。後悔もなく看取れたということが何よりだと思います。ご冥福をお祈りします。ここ何日かとても気分が落ち込み寝つきが悪くなるくらいショックでした。命には限りがあるといつも思い知らされます。落ち込んではかりではいけません。命尽きるまで一歩一歩歩いて行かなければなりませんね。少しだけ太陽が覗き始めて歩き出します。ちなみに尿が極端に少なくなったり手足にチアノーゼが見られてきたら死期が