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春の日差しが強いこの頃ですね。ちょっと面白い話です。昨日、用事で車を運転していて丁度、美作市にある宮本武蔵の里という、宮本武蔵のゆかりの地を通り過ぎた時、突然、宮本武蔵とチャネリングが始まってしまいました。両手の労宮と両足の涌泉を同時に意識してみなさい。と伝えてきました。何のことか?を問うと、全身の気を一気に強く発するとのことでした。特に二刀流という刀を2本同時に扱う宮本武蔵の剣術では、全身に気が通っていないと、振り回している刀同士が当たってしまうそうです。その例として両手を振り回して
1年ぶりの投稿です。お久しぶりです。tiktokは頻繁にあげてるんですけどアメブロの存在をすっかり忘れてました(笑)すいません。ブログなにも更新してないのにアメブロのフォロワー数が1万7千人になってました。それにビックリ!ちなみにtiktokも5万8千人のフォロワー数になってしまいました。フォローしてくださってる方々には本当に感謝しておりますありがとうございます。そしてご報告です。コツコツと3年間続けてた居合道で昨年の秋にとうとう黒帯になってしまいました。石の上にも三年って言いますけど、め
本日は角松敏生ライブ神奈川県民ホール初日。今日はチケットが無かったので、聖地巡礼で場所だけ行こうと。いつもの感じで出かけた。するとなんとミラクルが起きチケットGET、まさかの御縁で参戦することが出来た。こういうこともあるのかと、様々な人の関わりで繋いで頂き観ることが出来ました。有難うございました。🙏✨今回の角松先生は凄かったよ!とにかく30年以上聴いている私としてはもう、その音の切れ味がわかる。また歌声もとにかくハートにクル!ライブはいつも私にとっては剣術をやっているような空
黒田鉄山先生がご病気だったなんて、知りませんでした。鉄山先生の事は月刊秘伝で知り、ベリーダンスのパイオニア・海老原先生も、鉄山先生の元へ剣術を習いに行っており、その時の話を聞いておりました。ご子息が宗家を継がれたそう。エールと祈りを捧げたいと思います🙇♀️鉄山先生のお言葉「型は理論であり、一般的な動きで型を行えば、それは形骸にしかならない。」月刊秘伝2023年11月号[雑誌]Amazon(アマゾン)『日本発のベリーダンス文化を創る!』『黒田鉄山先生…』黒田鉄山先生がご病
フッ……今の時代を生きぬいていくにはそれなりの力が必要だからな十字剣ヌンチャク!!、、、はいよ?クソザコ研究会会長代理トラコさんやで当研究会では〜せいぜい数コマもしくは生きながらえて数ページの儚い命である〜wメスガキが思わず「ざぁ〜こ💞ざこ💕🎶」とか言うてまうようなクソザコにスポットを当てて議論する至高の思考の場であるぞよわら今回はお題は北斗の拳!!ほぁたぁ![究極版]2巻に登場したこの男!!ヒャハーーーッ!!食料確保のために女装した南斗水鳥拳レイに騙されて部下共々
居合形や木剣を使用しての剣術・組太刀形を稽古、修行してしておりますが居合形では敵が見えない対敵動作で斬っています。熊谷運動公園の鯉のぼり運動公園に咲くツツジ深谷場所での稽古指導剣術・組太刀は対敵は目に前に居て立ち合い木剣で討ちあいますが、寸止めや木剣のもの打ち箇所で、頭部・肩・腰等を討ちます。どうもこれが斬った感がなく、物足りなさを感じますそれが「試し斬り」に出ているのではないかと常々感じていましたので、日頃の剣術・組太刀では「斬る!」感を出せる腰を入れる姿勢や
10月に歴史探訪の一環として郷土の根岸家「長屋門」を見に行ったときに偶然にも、ご当主に逢うことができ屋敷内の説明もしていただき感謝です・・・その庭で説明の時、4月末日に「友山まつり」があるから参加してみたら・・とのお誘いを受け3月3日(木)午後7時に大里コミュニテイセンターで実行委員会の皆様と第11回友山(ゆうざん)まつりの開催についての打ち合わせをしてまいりました市の有形文化財(建造物)に指定されている「長屋門」この友山まつりは、地元名士「根岸友山」並びに「根岸家長屋
刀の長さについて、定寸というのがあります。2尺3寸(約69.7センチ)、または2尺3寸5分(約71.2センチ)1尺=30.3センチこれが定寸だと書かれている事が多いような気がします。時代によって微妙に定寸の長さが変わるようです。どういう理由で決められたのか?所説あるようで、少し調べた程度ですがイマイチはっきりとわかりません。成瀬関次氏の著書には「よくわからないが、ただ手に合う頃合いの長さを法にしたのだろう」という意味の事が書かれています。
十一娘は先程から粘り強く交渉していた。「旦那様、絶対に危ないことはしませんから!」「駄目だ」令宣の声は断固としていた。十一娘は今度は夫に擦り寄りその胸に手をかけた。「旦那様〜…いいでしょ?」「駄目だ」令宣は曲げなかった。十一娘は令宣の首に手を回して抱きついて頼んだ。「ねえ〜ねえ〜旦那様〜〜…」流石に令宣の鼻の下が伸びそうになったがこれにも令宣は心を鬼にした。妻の腕を外して顰め面を堅持した。「駄目だ!お前に危険な事はさせられない」十一娘はプンと横を向いて小声で呟いた。「い
お母様は月に三回仙綾閣へ行かれます。お母様は仙綾閣で刺繍を教えています。お弟子さんがたくさんお母様を待っています。だからその日はお帰りが申の刻になります。いつも萬大顕さんがお母様のゴエイをして下さいます。時々、お父様がお母様と一緒に帰って来られます。そんな時お父様はお母様の手を繋ぎます。繋いでいない時はお父様がお母様の腕を支えて歩きます。わたしは不思議です。諄兄様に「お父様は何故お母様を支えて歩くの?お祖母ちゃまはおみ足が悪いけどお母様は悪くないよ?」と聞くと思い切り嗤われまし
とある休日お家で工作🎵剣術の稽古子供達斬り込む距離感が難しいのかな❓️剣道なら実際に相手に打ち込むので距離感は掴めやすいのだろうが・・・剣術の打ち込みは寸止め・・・実際に打ち込みした方がわかりやすいのかな❓️間合いがよくわかっていないので木刀の手元付近で斬り込む事も・・・確りと木刀の切先で斬れるようにお家でも少し練習しないとね・・・色々下調べしてホームセンターで材料調達🎵工作始めるよ✨材料は足場パイプ1M・・・1本一輪車のタイヤ・・・1輪ネジ&ワッシャー・・適
ベトナム空手協会主催のセミナーを開催しました。まず一つ話しておく必要があります。ベトナムでも強調したのですが沖縄には空手は無いという話です。沖縄では手(ティー)とかティジクンと言います。大正時代に空手となずけられましたが、それとは別物です。今後は手=Teeと言います。ベトナムでも松濤館空手が主流です。私としては分けて考えればよいと思いますので、日本本土の空手とティーは違うと・・・!ベトナムの空手協会の皆さんは理解しておりました。何が違うのか❕あえて深くは言いませんが、リズ
薩摩に存在するのが、「野太刀自顕流」通称「薬丸流」という剣術があります。西郷隆盛、大久保利通、果ては、東郷平八郎に至るまで新生薩摩の名だたるメンバーが何らかの形でこの剣術と接点を持っていたと言われています。そして、私の夫、山元正博は、この剣術の師範でもあります。この野太刀自顕流は、「真冬の西瓜」とたとえられたりします。旨そうだけれど、いざ食べるには寒くて勇気がいる・・・と。幕末、「勤王派」の下級武士の間で急激に浸透し、広まったそうです。剣は荒々しく、実践的で、岩を
本日の稽古は新たな剣術、組太刀を編んだ。昨日の角松先生のLIVEの影響もあるが、新しい組太刀を創案中のところ良いタイミングだった。まだこれだという身体遣いはこれからのことだがインスピレーションは降りてるので、この流れをしっかりと技に昇華させていきたい。この身体ともう一つのそれを動かす何かとの関係をしっかりと結び練っていこうと思う。
ヤクザの事務所って日本刀が置いてあるイメージはあるけど、実際に使う事ってあるのだろうか?というのも、剣術を習っているヤクザを見たことが無いのだ。他流派も含めて確認してみたが、ヤクザと知り合いという人はいれども本人がヤクザというケースは0で、殆どの人が普通のサラリーマンなのだ。あとは普通の自営業とか学生さんとか。剣術を習わずとも力任せにぶったたく鈍器として使うから良いのか、ドスのように突くだけだから問題無いのか、それとも脅しで使うだけなのか、飾りだから実際に使う事は無いのか…分
非常に真摯に研究されている方のページを見つけたので、興味深く読ませていただいています。この方は独自独学でアテファ(アティファ)を修得されたようで、その理合を分析しておられる。↓武術空手研究帳-4-「武術の平安(近代空手)」公式サイト歴史上、空手には「古伝空手」「近代空手」「現代空手」の三種があった。本稿では、この内の「古伝空手」の特徴について概観しておく。「古伝空手」は、読者も御存じの「現代空手」とは、相当に異なる武術だったのである。bujutsukarate.comより
※ネタバレ記事です。まだお読みになっていらっしゃらない方はご注意ください。🔷透き通る世界上弦の参・猗窩座と義勇が闘う。炭治郎は二人の闘いを見つめている。猗窩座の拳が義勇の体を突き刺そうとしたのと同時に、その腕を炭治郎が斬る。炭治郎は変化し、猗窩座の体や動きが透き通って見えるようになったのだ。闘気の消えた炭治郎、ついに猗窩座の頸を斬る。🔷引かれる猗窩座は闘気をよみ、一瞬でそれに対応している。だが炭治郎には闘気がない。この戦闘で炭治郎は父の教えを思い出し、猗窩座の速度を上回り頸を斬る
色々な説が見つかりました。しかし現代の武道家で直接小笠原源信斎師に手ほどきを受けた人物はいないだろうと思います。あるYoutubeで紹介されていた内容は、「八寸(約24cm)の金属の短棒で、打刀に応じる技」という説明がなされておりました。内容としては、「後の先で、半身で躱(かわ)し撃つ。」以下は、“推測、推定”や個人の主観であると注意書きがなされたうえで、ネットに掲載されていたものです。①両手持ち⇒片手打ちに変化させる刀の使い方②延金は「短刀」のことで、短
中心帰納の簡単的な説明を書かれている文章を発見しました。難解なことを易しい言葉で表現することこそ難しいことなのです。書かれた方は一度だけお会いしたことのある新陰流の皆伝者で、合気道も長年やられている方です。http://www.heartoptimization.com/wordpress/文章の内容を見れば、おそらく心理系のカウンセラーでらっしゃることは一目瞭然です。武道の極意は、武道自体よりも、セラピーやボディーワークの中にサラリと書かれているという持論をより強化してくれます。↓
バガボンド井上雄彦小次郎編①鐘巻自斎あらすじ鐘巻自斎(かねまきじさい)中条流の剣豪であったが、剣を捨て村はずれにて隠遁生活を送る。かつての弟子佐々木佐康に托された嫡男小次郎を育てる事となった。剣の道に破れ、生きる意味も見失った男を生かしたのは弟子より托された無垢なる瞳だった。剣のみに生きてそれに破れた自斎は、人と関わる事すらままならない人間だったが、人の良い近隣の農夫、久作やその家族に助けられながら小次郎
さっきまで寝ていました。また少しして寝ます。寝る前に、檀崎先生の居合の教本を読んでいました。居合は剣術の付随品と考える人がいるが、居合は独立している。と明記してありました。しちゃいますか、明記。かなりボロボロの本で、大分から地元に帰るとき、電車を見送りに来た居合の先輩が、あんた、居合の研究が好きやからやるわ。餞別!元気でな!と言って持たせてくださった本です。あのおじちゃん…羽田さん元気かな…?まぁ、いいや。檀崎先生曰く、強くなったら剣士は剣をもたなくなると。確かに、宮本武
中国武術の太極拳・八卦掌・形意拳の兵器(武器)である直剣ですが、選び方は知っていますか?他の流派も共通か分かりませんが、私はこのように教わりました。剣も料理で使う包丁と一緒で、引かなければしっかり切れません。刃物を使うようになり人は大きく発展してきました。刃物を正しく理解する事で生活に役立てられます。
こんちゃ瞳輝ですゴールデンウィークも終わり、5月病を気にする方もいらっしゃるかと思いますがこの機会にもう一度気合入れていきましょう!私の最近は、YouTubeばっか観てますw大好きなのが、『原田龍二のニンゲンTV』です!そのチャンネルはこちら原田龍二の「ニンゲンTV」原田龍二のYouTubeチャンネルです。「ニンゲンTV」というタイトル通り、僕の人間的な部分をさらけ出しながら、触れ合いも大事にしていければと思っています。ディープな街を散策しながら、そこで暮らす人たちと触れ合ったり、エッ
有名な”ネタ”です。魁男塾の中にある”作者の設定”で、ゴルフの発祥はイギリスではなく、中国の「呉竜府」(ゴリュウフ)が編み出した「纒欬狙振弾」が起源であるとのこと???さて、様々な流儀で「当流はこうこうこのように伝わっている・・・。」と言う話は本当の本当ですか?以前に紹介をした「裏柳生」。これも昭和に入ってから創作されたネタにすぎません。(子連れ狼の原作者小池先生の設定)また織田信長の長篠の戦。これも江戸時代の小説(信長記)の
大東流合気柔術練心館https://daitoryuaiki.web.fc2.com/格闘技フィットネススタジオCORESPIRIThttp://corespiritstudio.wix.com/kakutougiHMD飛翔塾元和道場https://hishoujyuku.wordpress.com/村松整骨院http://muramatsu-seikotsuin.com/Sundaylifecoffeehttps://www.instagram.
小林康宏の二代目刀は昨年、大阪の刀剣店に中古で売りに出されたので買いました。相当使い込まれた一振りでしたが研がないで譲ってもらったので、お安く済みました。二代目は初代の息子さんで、初代は斬鉄剣の呼称で有名ですね。二代目も初代の製鉄、鍛えを受け継いでいると聞いていたので購入してしまいました。他に初代康宏のお弟子さんで有名なのは松葉刀匠、無監査の方で次の笹露、石断丸の銘を受け継ぐなんて話も聞いてます。今回購入した康宏は若干の捻れが有るように見えましたが、私の手の内の精度くらいでは然程の差が
最近教えてもらった毒舌家のサンリオのキャラクター。マイメロディーのママ。このキャラクターの名言は、ある意味、夕雲流剣術書を理解するための参考となります。いくつかを紹介すると。「結構いるのよねぇ。自分は大したこと無いクセに偉そうにするコーチって。そういう人に限って、無茶な事を他人に要求したがるのよぉ?どうせ自分じゃ出来ないのにね。」「大して何もしていない男ほど自分の小さな栄光を形にしたがるものよ」「人ってね、権力を手にすると己の
5月5日(日)放送📺#新納慎也僕のルーツ初夏の北薩摩!歴史巡り🔎薩摩藩の必殺剣術を体験し💪謎のサンマギター🎸に遭遇❓やる気みなぎる初夏の薩摩旅のはじまりです!NTV朝6時30分~YTV朝7時00分~放送新納慎也が鹿児島へ。曽木の滝に残された逸話とは?武家屋敷で侍ランチを堪能。薩摩藩士の必殺の剣術に挑戦!新鮮なクロダイに舌鼓。トロ箱ギターの音色に酔いしれる。新納慎也が鹿児島県へ。旅のはじまりは、曽木の滝のダイナミックさに感動。滝
私は、エルガー作曲の「威風堂々」が好きです。この曲は、バッキンガム宮殿の衛兵交代の際の行進曲として作曲され、現在では、英国の準国歌として国民に愛されています。また、私が勤務していた先の交響楽団の十八番でもありましたので、一層耳慣れた曲でもあります。今日は、「威風」あるいは「武威」というものについて考えていただきたくて、京都新聞朝刊(2014年8月20日付)の「凡語」(朝日新聞の「天声人語」のようなもの)に掲載されたものを、少々、引用させていただきます。「凡語」今から
江戸文化3年(1806)武術剣術「山口流陰之目録」1巻/山口卜真斎/古書古文書/手書きです。21cm×2m60cm程度。手書き。山口流とは、山口卜真斎(右馬之助ともいう)が開いた武術の流派。『データ』【書名】山口流陰之目録【巻冊】1巻【著者】斎藤善右衛門藤原重誠【成立】文化3年(1806)