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堀内誠一の絵の~絵本「雪わたり」の絵の風景が~瀬田きくよの故郷太田地区北部で見ることが出来ます。瀬田貞二の山荘「ホビット荘」9堀内誠一絵の絵本「雪わたり」の「雪わたり」とは、奥信濃飯山地方では「凍み渡り」と言います。瀬川貞二は、堀内誠一が絵本「雪わたり」の絵を描くためには「凍み渡り」を体験した方がいいと、貞二夫人「きくよ」の故郷飯山にある貞二の山荘「ホビット荘」へ堀内誠一を誘いました。堀内誠一が「ホビット荘」来たのは1967年(昭和42年)の2月末から3月。この時の取材を元に、絵本「雪
中つ国エリアドールの西の辺境にある霧ふり山脈と青の山脈の間にある町~きくよの故郷にどこか似ている~瀬田貞二の山荘「ホビット荘」8瀬田貞二訳の「ホビットの冒険」の「ホビット庄」は、物語の中の架空の町であり「中つ国エリアドールの西の辺境の地、霧ふり山脈と青の山脈の間にある町にあるとされています。きくよの実家のある集落は、西には鍋倉山を主峰とする「関田山脈」の麓にあり、東には野沢温泉スキー場がある毛無山から志賀高原につながる三国山脈の間にあります。瀬田貞二は、吹上トンネルを境に、鍋倉山の裾野
「ホビット荘」は~「ホビットの冒険」&「指輪物語」翻訳をした瀬田貞二が名付けた山荘の愛称~瀬田貞二訳「ホビットの冒険」の[ホビット庄」は~「中つ国エリアドールの西の辺境にある町~瀬田貞二の山荘「ホビット荘」7「ホビットの冒険」は、イギリスの作家(J・R・R・トールキン)の作品です。『ホビットの冒険』は、1937年に出版されました。イギリスの作家、詩人、言語学教授であるジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン(J.J.R.トールキン)の児童文学作品です。世界で売り上げた単一書籍の小
瀬田貞二は飯山の山荘で~「ホビットの冒険」や「ナルニア国ものがたり」の翻訳の仕事をした~瀬田貞二の山荘「ホビット荘」6堀内誠一に飯山の「凍み渡り」を体験させるため、瀬田貞二が自分の山荘「兎人(ホビット)荘」に誘ったのは1967年(昭和42年)の2月末から3月です。瀬田貞二は、1949年に、「児童百科事典」の企画をもって平凡社に入社して、編集責任者のような立場で編集に携わり、1951年から1956年の間に、「児童百科事典」全24巻を刊行しました。その「百科事典」の仕事が終わると、貞二は
瀬田貞二の山荘「ホビット荘」は関田山脈を背にして~「WEB太陽」の写真を頼りに建設場所を確認~瀬田貞二の山荘「ホビット荘」5「WEB太陽」に連載された「堀内誠一のポケット第35回」の瀬田貞二の山荘「ホビット荘」写真を頼りに、「ホビット荘」の位置を確認するために「吹上トンネル」の上まで凍み渡りに行きましたが、ほぼ写真の位置を確かめることができました。「ホビット荘」があった場所は、現在の「吹上トンネル」のほぼ真上。西は、関田山脈の鍋倉山を背にして建ち見晴らしのよい丘の上。瀬田貞二がここを
「凍み渡り」をしながら「吹上トンネル」上へ~高社山・鍋倉山・毛無山を望む絶景の地に「ホビット荘」~瀬田貞二の山荘「ホビット荘」5道路脇の3メートル近い雪壁をどうやって登るか。道路際に空き家になっている民家があり、そのトタン張りの壁の際に、雪壁が途切れている場所を見つけた。そこから上ることにし、手と足を使って足場を作り.トタン張りの壁を利用して手を支え雪壁を登り切ることに成功した。「吹上トンネル」の上までは緩やかな傾斜一面の雪の原。雪原の山際に、道なりに雪が凹んで見えるのが旧道だと
ロータリー除雪で吹き上げた雪が、道路脇に3メートル近い雪壁~「吹上トンネル」出口付近~瀬田貞二の山荘「ホビット荘」4「凍み渡り」が出来るようになったら、瀬田貞二の山荘「「ホビット荘」のあった場所へ行きたいと思ってチャンスをねらっていましたが、今年は豪雪であり、2月下旬から3月中旬にかけても「凍み渡り」が可能で、かつ天気が良い日がなく、今日は行こうと言う日がないまま過ぎていました。あまり良い天気ではなかったのですが、3月31日の午後、青空も見えていたので思い切っては「きくよ」さんの故
「ホビット荘」は県道上越飯山線「吹上トンネル」の真上近くにあった~今はもう無い~瀬田貞二の山荘「ホビット荘」3瀬田貞二夫人「きくよ」さんの家で聞き、案内してもらった貞二の山荘があった場所は、「きくよ」さんの実家から南へ200mほど離れた丘の上にありました。飯山から鍋倉山の関田峠を越え上越に向かう県道上越妙高線の「吹上トンネル」の真上にあった山荘は、貞二の没後無人となっていたこともあり、トンネル工事のために取り壊され今は影も形もありません。山荘があった、小高い丘は鍋倉側からの北風、飯
児童文学者瀬田貞二の山荘「ホビット荘」は~戸狩野沢温泉駅から約3.5kmほどのところ~瀬田貞二の山荘「ホビット荘」2平凡社「WEB太陽」に連載された「堀内誠一のポケット」「第10回「瀬田貞二さんとの思い出」に、堀内誠一が、絵本「雪わたり」の絵を書くにあたり、「雪わたり=凍み渡り」を「体験したまえ」と言って、妻「きくよ」の故郷信州飯山の「兎人(ホビット)荘」に招待したと書かれているのを見て、「ホビット荘」は、戸狩温泉スキー場にある民宿の名前かと思いました。まずは、電話帳で民宿の名前を調べ
左から児童文学者瀬田貞二、絵本作家瀬川康男、絵本作家堀内誠一堀内誠一が「凍み渡り」体験のため「ホビット荘」に来た頃~戸狩スキー場が隆盛を極めた時代~児童文学者瀬田貞二と絵本画家堀内誠一12瀬田貞二の山荘「ホビット荘」2堀内誠一は瀬川貞二の信州飯山の「兎人(ホビット)荘」へいつ来たのか?堀内誠一の長女の花子さんは、「WEB太陽」に連載された「堀内誠一のポケット第35回」に~「私は母と瀬田家のホビット荘に連れて行ってもらったことはよく覚えています。まだ小学校にあがる前で、ちょうど年
児童文学者瀬田貞二の信州飯山にあった「兎人(ホビット)荘」はどこにあったか~瀬田貞二の山荘「ホビット荘」1堀内誠一さんの長女花子さんが話し、林綾野さんが書き、平凡社「WEB太陽」に連載された「堀内誠一のポケット」「第10回「瀬田貞二さんとの思い出」には~「~堀内さんが宮沢賢治作の絵本、『雪わたり』を描く際、「堀内さんには雪景色にあまり馴染みがないだろうから」と言って瀬田さんは、ご自身の奥様の故郷、信州飯山にあった「兎人(ホビット)荘」に誘ってくれたそうです。大量の雪が降り、それが堅く
堀内誠一が絵を描いた~絵本「雪わたり」について~巻末に瀬田貞二が解説文を書いています~児童文学者瀬田貞二と絵本画家堀内誠一10絵本「雪わたり」~宮沢賢治作~堀内誠一絵~と飯山~10瀬田貞二の「雪渡り」解説~4第二部の方はまた、光の宴会のように、あやしくきらびやかにひろがります。月光のふりそそぐ林の空地で、人の子たちと狐の子たちは、へだてなくむつびあいます。作者はまえに「やまなし」という小編を書いて、それを幻燈画と名づけましたが、これもまた、月の林の幻燈画にほかなりません。朝と夜と
「雪わたり」についての瀬田貞二の解説文~宮澤賢治作・堀内誠一絵「雪わたり」の巻末に~児童文学者瀬田貞二と絵本画家堀内誠一9絵本「雪わたり」~宮沢賢治作~堀内誠一絵~と飯山~9瀬田貞二の「雪渡り」解説~2足もとでキシキシとなる白い板のような雪面を、なにかの獣か鳥の足跡にみちびかれて、ふだんいったことにない林にはいりこむと、にわかに雪をかぶった木々のあいだが、ふしぎな明るい影をおび、自分たちの声がひびきかえして、われしらず興奮してきます。そんな子どもの心をモチーフとして、自然の澄みきっ
瀬田貞二の山荘「ホビット荘」飯山市太田宮澤賢治作・堀内誠一絵「雪わたり」の巻末に~「雪わたり」についての瀬田貞二の解説文が掲載~児童文学者瀬田貞二と絵本画家堀内誠一7絵本「雪わたり」~宮沢賢治作~堀内誠一絵~と飯山~7WEB太陽の「堀内誠一のポケット」の連載~第35回「コーデュロイのコート」の、長女の堀内花子さんの話の続きです。堀内誠一は「雪わたり」の取材で、瀬田貞一の山荘「ホビット荘」は何度も~1969年12月、堀内さんが絵を描いた「雪わたり」が福音館書店より刊行されました。
堀内誠一のわら靴のスケッチ堀内誠一の「ホビット荘」からの鍋倉山のスケッチ瀬田貞二の飯山の山荘「ホビット荘」へは雪が多過ぎ~1階から入れず2階からに入った~児童文学者瀬田貞二と絵本画家堀内誠一7絵本「雪わたり」~宮沢賢治作~堀内誠一絵~と飯山~7WEB太陽の「堀内誠一のポケット」の連載~第35回「コーデュロイのコート」の、長女の堀内花子さんの話の続きです。堀内誠一は「雪わたり」の取材で、瀬田貞一の山荘「ホビット荘」は何度も~『雪わたり』の取材に父は何度か出かけているようですが、
左から瀬田貞二、絵本画家瀬川康男、堀内誠一(上の写真のコートを着ている)堀内誠一は~この「コーデュロイのコート」を着て~「雪わたり」の取材に何度も飯山を訪れた~児童文学者瀬田貞二と絵本画家堀内誠一6絵本「雪わたり」~宮沢賢治作~堀内誠一絵~と飯山~6WEB太陽の「堀内誠一のポケット」は~伝説のアートディレクターであり、絵本作家でもあった堀内誠一さん。その痕跡を求め、彼が身近に置いた品々や大切にしていたものをそっと取り出し見つめます。家族しか知らないエピソードや想い出を、路子夫人、長
1974年に堀内家がパリに移り暮らしてからも瀬田貞二さんとの交友は続きました~児童文学者瀬田貞二と絵本画家堀内誠一5絵本「雪わたり」~宮沢賢治作~堀内誠一絵~と飯山~5瀬田さんは、浮世絵、とりわけおもちゃ絵を中心としたコレクションをお持ちだったそうです。堀内さんはその見事なコレクションをフランスで紹介したいと思い、編集・企画を手がけていたミニコミ誌《いりふねでふね》で特集を組みました。この特集は「おもちゃ絵展」という形で、シャルトルの美術館をはじめ、エピナールなどを巡回します。(フ
瀬田貞二の山荘「ホビット荘」飯山市三郷WEB「太陽」瀬田貞二は堀内誠一を冬の飯山の山荘「ホビット荘」招待し~「凍み渡り」の体験を~児童文学者瀬田貞二と絵本画家堀内誠一4絵本「雪わたり」~宮沢賢治作~堀内誠一絵~と飯山~4瀬田さんが集めていらしたこけしや日本の伝統的なおもちゃにも父は大いに惹かれていて、凧やコマなどを旅先から持ち帰ってきていました。コマで遊んだ覚えはありませんが、このだるま落としはパリにも持っていったほど私たちの身近にあったものです。妹は父に勝つために練習を怠らなか
堀内花子さん~「浦和の師匠」「浦和天神」と父が生涯尊敬し慕っていたのは瀬田貞二さんです~児童文学者瀬田貞二と絵本画家堀内誠一3絵本「雪わたり」~宮沢賢治作~堀内誠一絵~と飯山~3WeB太陽=https://webtaiyo.com/art/2861/に、堀内誠一さんの長女の花子さんが、父堀内誠一さんと瀬田貞二さんの想い出が語られています。伝説のアートディレクターであり、絵本作家でもあった堀内誠一さん。堀内誠一さんは~1932年東京生まれ。グラフィックデザイナー、絵本作家。
瀬田貞二再話「かさじぞう」の絵は~50歳の絵本画家赤羽末吉のデビュー作~飯山の雪も取材~日本ではよく知られた昔話『かさじぞう』は、赤羽末吉が50歳で初めて手がけた絵本です。赤羽は、15年を過ごした旧満州(中国東北部)から引き揚げ、降り立った日本でまず「湿感の美しさ」を感じたといいます。雪深い東北・上越・奥信濃などへの取材を経て描いた絵本『かさじぞう』には、赤羽の日本の雪国への憧れが込められていると言います。もかもかとした雪の湿った感じや、人の心の素朴なあたたかさを表現しようと、赤羽は墨絵の
絵本「かさじぞう」絵の取材のため~1959年2月に只見線沿線の福島県柳津町を訪れた~絵本「かさじぞう」と飯山…49絵本画家~赤羽末吉デビュー作~絵本「かさじぞう」~15「かさじぞうの雪」9豪雪地への旅絵本「かさじぞう」の絵を描いた赤羽末吉の義娘赤羽茂乃さんの~絵本『「かさじぞう」と飯山』講演会は、昨年10月20日(日)に飯山市公民館で開催されました。絵本「かさじぞう」の物語は、瀬田貞二(日本の児童文学作家・翻訳家・児童文学研究者)が、飯山出身の奥さんの「きくよ」さんから聞いて再話
赤羽末吉は~旧満州の画壇で活躍した画家あるとともに~満州各地を歩き雪に憧れを持った~絵本「かさじぞう」と飯山…42絵本画家~赤羽末吉デビュー作~絵本「かさじぞう」~9赤羽茂乃さんの「絵本画家赤羽末吉スーホの草原にかける虹」から~「かさじぞうの雪」2絵本「かさじぞう」の絵を描いた赤羽末吉の義娘赤羽茂乃さんを講師に~『絵本「かさじぞう」と飯山』の講演会が開催されたのは昨年10月20日(日)でした。絵本「かさじぞう」は、児童文学者瀬田貞二が、飯山市太田三郷出身の奥さんの「きくよ」さん
「~この出版社以外にない」と紹介状もなく闇雲に福音館書店の松居直さんに手紙を書いた~絵本「かさじぞう」と飯山…40絵本画家~赤羽末吉デビュー作~絵本「かさじぞう」~7赤羽茂乃さんの「絵本画家赤羽末吉スーホの草原にかける虹」から~絵本画家として生きる5福音館書店の松居直さんは「赤羽末吉さんに初めてあったのは1960年だったと思う」と言ったているのに対し~赤羽末吉は~「松居直さんにはじめてあったのが、1958年の春だったと思う。それから原稿、作画と2年近くついやして、60年
『木曜生まれの子どもたち』に続けて、ルーマー・ゴッデンの本を読んだ。人形の家(岩波少年文庫67)これは再読。木の人形トチー、そしてプランタガネットさん、ことりさん、りんごちゃん、犬の人形かがり、たちのキャラクターの素晴しいこと。そして美しく高慢な人形マーチペインと、芯の強いトチーの対決。ハラハラドキドキしながら読んでしまった。『木曜生まれの子どもたち』もそうだが、ゴッデンは意地悪を書くのうますぎ挿絵が素晴しいとずっと思っていたのだけれど、堀
赤羽末吉の満州脱出も丸山邦雄が~丸山邦雄顕彰ブロンズ像赤羽末吉は~長野県北部や、山形、新潟の豪雪地を取材旅行し,墨絵の表現・技法を編み出す~絵本「かさじぞう」と飯山…36絵本画家~赤羽末吉デビュー作~絵本「かさじぞう」~3赤羽末吉は、22歳の時から約15年間満州で生活しました。末吉は、運送業の手伝いから身を起こし、満州電信電話株式会社に勤めるようになります。そのかたわら影絵人形芝居や、土俗人形などの中国の伝統文化に魅せられて、研究・紹介に取り組み、一方で絵も描き続けて、満州国国展
絵本「かさじぞう」は~絵本画家赤羽末吉の絵本デビュー作~赤羽茂乃さん講演会・昨年10月~絵本「かさじぞう」と飯山…35絵本画家~赤羽末吉デビュー作~絵本「かさじぞう」~2昨年の10月20日、絵本「かさじぞう」(瀬田貞二:再話赤羽末吉:絵1991年1月福音館書店刊)(以下「かさじぞう」)の絵を画いた赤羽末吉の義娘赤羽茂乃さんの『ふるさと講演会絵本「かさじぞう」と飯山』が、飯山市公民館で開催されました。(主催:『絵本「かさじぞうの会」』(代表野上曉=飯山市出身:本名上野明雄日本ペ
昭和31年・36年の真冬~赤羽末吉さんは飯山線に乗車豪雪の奥信濃を取材~~絵本「かさじぞう」と飯山…34絵本画家~赤羽末吉デビュー作~絵本「かさじぞう」~1瀬田貞二の絵本「かさじぞう」は~飯山地方に伝わる昔話~その絵本「かさじぞう」の絵を画いたのは,日本で初めて「国際アンデルセン賞画家賞」を受賞した絵本画家赤羽末吉。しかも「かさじぞう」が赤羽末吉の絵本画家としてのデビュー作。なおかつ、絵本「かさじぞう」を出版した福音館書店が、「かさじぞう」の絵を赤羽末吉に依頼する前、1956年の豪
信濃教育会編の教科書「国文読本後期用巻三」を~「きくよ」は太田尋常高等小学校で学んだ~絵本「かさじぞう」と飯山…35瀬田夫人「きくよ」~16絵本「かさじぞう」「ふるやのもり」「ねずみじょうど」の物語が、飯山市太田三郷出身の瀬田夫人「きくよ」が語った奥信濃飯山地方の昔話を元に瀬田貞二が再話したことを、荒木田隆子の「子どもの本のよあけ―瀬田貞二伝」や、瀬田夫人が発刊した「旅の仲間瀬田貞二追悼文集」明らかにして来ました。そして、何よりも「きくよ夫人」が、終戦の年の物資の乏しい年の結婚式の
「瀬田きくよ=旧姓村松」の嫁入り道具に入っていた昭和初期の教科書「国文読本」後期用巻三~絵本「かさじぞう」と飯山…31瀬田夫人「きくよ」~13福音館書店の編集者で、瀬田貞二の担当をされていた荒木田隆子が、著書「子どもの本のよあけ―瀬田貞二伝」の第一章「児童百科事典」の時代の中で、瀬田貞二ときくよの出会いから結婚いたる経過などをかなり詳しく書いていることや、貞二の逝去から一年後、「きくよ夫人」が、貞二と交流のあった92名もの人たちからの寄稿文を編集して発刊した「旅の仲間瀬田貞二追悼文集」
トンネルに隔てられたるこの村に昼日照りつつ淡雪舞えり今日の一首314常田正美歌集「田人以後」より春雪2トンネルに隔てられたるこの村に昼日照りつつ淡雪舞えり平成17年最初の歌集「田人=とうど」に続く歌集「田人以後」から毎日一首づつ紹介しています。曽根という集落から吹上トンネルを抜けて三郷集落に出ます。三郷の区域は広く、もともとは横川、天神原、土橋が一緒になり三郷となったもので、地積は鍋倉山頂上にまで含まれます。鍋倉山は、ブナ林で有名ですが、積雪量賀多いことでも有名です。鍋倉山